第3話 邂逅

 1

 数えきれない程の金貨と様々な宝物で埋め尽くされた巨大な広間に激しい光が放たれる。俺は伏せていた顔を上げると彼女の姿を捉えるために目を開いた。週に一度の儀式だが、この瞬間は何度体験しても飽きる事のない神秘的な光景だった。

「・・・あなたから、いつもと違う匂いするわ」

 盛り上げられた財宝の山に腰を降ろした金髪の乙女は、彫像のように整った顔を俺に向けると非難するように口を開く。最高品質のエメラルドを思わせる緑の瞳はこの世のモノとは思えないほど美しいが、それでいて圧倒的な威圧感を放っている。そう、この女性は人間ではない。その正体は先程まで、牛さえも一口で飲み込むほどの巨体を誇っていた黄金の古龍だ。現在の美の化身とも言える姿は、人間である俺の声を聞く為の仮初めに過ぎないのだ。恐るべき暴君にも成りうる彼女との謁見に際して、俺は考えうる限りに身嗜みを整えていたが、ドラゴンの優れた嗅覚は僅かな残り香に気付いたに違いなかった。

「・・・実は昨夜、香水を付けた者と長く過ごしていました。沐浴は済ませましたつもりですが、・・・それでも匂いが残ってしまったようです。たいへん、申し訳ありませんでした!」

 俺は頭を深々と下げて不手際を詫びる。彼女が匂いに敏感なのは今に始まったことではない。もっと注意をすべきだったのだ。自分の命はこの女性の機嫌次第にあるといっても過言ではないのだから、迂闊では済まされない。俺は次の言葉を戦々恐々とした思いで待った。

「・・・まあ、そこまで悪い匂いではないからいいけれど。次からは気を付けてね、前にも伝えたはずだけど私の鼻は人間よりも敏感なの」

「はい、このような失態は二度と犯しません」

「ええ、お願い。・・・それであなたが一緒に過ごしたのは男?女?・・・今回は番ったのかしら?」

 虎口ならぬ、龍の咢を抜けたように思えた俺だったが、主人の新たな質問によって脱力感に苛まれた。どんな暴君でも人間ならば、このような直接的な質問は発せられないだろう。まず羞恥心が存在したし、部下の夜の事情を知ったところで利益に繋がることはない。もっとも、俺の主人は人間の生態や営みに興味を持っているドラゴンだ。人間の常識は忘れるしかなかった。

 そして、前回の謁見で俺は異性恋愛者であると力説したはずだったのだが、未だ彼女は俺にそっちの気があると疑っているようだ。それでも、自分のプライベートを晒すことで直前の失敗を忘れてくれるなら安い代償だろう。俺は即座に答える。

「女性で御座います。そして一緒に過ごしましたが、番うことはありませんでした!」

「なんだ、つまらない!・・・でも、やっぱりあなたは女とは番わないのね。それは、心の奥底では男と番いたいと思っているからじゃないかしら?!」

「いえ!お言葉ですが、そのようなことは決してありえません!それに私もリディア・・・その女性とは番う気はあったのですが、お互いの秘密を語り合ったらその気がなくなってしまった・・・のです」

「ほう・・・それはどんな秘密だったのかしら?」

「それは・・・」

 俺の必死の主張にドラゴンは長い睫毛を瞬きながら食いついてくる。仮初めとは言え、絶世の美女に自分の夜事情を披露するのは照れ臭く抵抗感があるが、この話で満足してくれれば今回用意した逸話は来週に回すことが出来る。俺は気まずさを我慢しながら、昨晩を一緒に過ごした女性リディアとの経緯を語り出した。


 2

 鉱山街シュゲルで峠越えの報告を終えた俺は、その翌日にはバーレガル王国の王都であるマイゼラに向けて旅立った。かつては故郷を捨てるつもりで国を出た俺ではあるが、やはり生まれた国に戻ってくると懐かしさを感じる。そんな望郷の念に背中を押されるように俺は一路西を目指した。

 エルド山脈に位置するシュゲルとマイゼラの間は街道が整備されていたが、中間地点とも言える位置に難所を抱えていた。北部から流れるレズナー河が街道を分断しているのだ。この河には古の帝国バーニスが健在の頃には石造りの巨大な橋が掛けられていたのだが、現在では僅かな橋脚跡が残るのみで、旅人達は船を使って河を渡っていた。

 難所であるレズナー河の両岸には、それぞれ渡し守の集落から起った街が双子のように栄えている。何しろ王国領内を東西に移動するには、どうしてもレズナー河を超えなければならない。シュゲンからの鉱物資源を王都に運ぶ王国付きの隊商を始めとする、多くの商人達が必ず立ち寄る内陸部の流通の要であったのだ。

 そんなレズナー河の東岸の街エスンで、俺は再び足止めを喰らっていた。今回は恐ろしい怪物が現われた等の物騒な理由ではない。昨日からの大雨でレズナー河の水嵩が増して流れが早くなっており、河が落ち着くのを待つためだ。エスンと西岸の街ニアンは通行税と渡し船の代金はもちろんだが、それに加えて旅人が落とす路銀で繁栄している街である。旅人が一日でも多く逗留すればそれだけ使う金は多くなる。ちょっとした雨でも、領主命令で渡し船を止めてしまうことで有名だった。

 そのような事情で歩みを止められた俺だが、しばらくぶりとも言える平静を味わっていた。なぜならエスンの一つ前の街で〝ネタ〟に使える逸話を入手していたからである。既に翌日の金の日を迎える準備は出来ていた。それに大雨といってもこの時期の雨は長く降ることはない。足止めされるとしても一日か二日程度のことだ。どんなに遅くとも来週の今頃には西岸に渡って、再び街道を王都マイゼラに進んでいるはずだ。

 一つ困ったことがあるとすれば、いつもは安全性を考えて中程度の格の旅籠屋を利用するのだが、エスンでは足止めされた商人が多かったのだろう。その格の宿はどこも個室が満室で、安い宿を使うしかなかったという点だ。俺がエスンの街で宿としたのは〝せせらぎのカワセミ亭〟とういう名前は優雅だが、冒険者や傭兵が利用する下から数えた方が断然に早い安宿だった。

 それでも一人用の個室を確保した俺は夕食と情報交換を兼ねて一階の酒場に繰り出す。もっとも、二階の客室に残した背負い袋の中身については若干の心配を感じていた。安宿への宿泊は盗難についていつもより敏感になる必要がある。さすがに使用人が直接盗みを働くのは稀だが、外からコソ泥を手引きするのはそう珍しいことではない。まあ、そのような目に見えない信頼も含めて、宿代という顕著な金額となって現れるのだろう。世の中は色々と上手く出来ている。

 莫大な価値と危険性を併せ持つ〝転移の鏡〟を預かる俺としては気が気ではないが、野外ならともかく宿の中まで背負い袋を肌身離さず身に付けていれば『この中には大事な代物を隠しています!』と宣伝するのと一緒だ。余計に目立ってしまう。俺は二階の荷物のことを心配しつつ、酔客から情報を集めるといった器用なことを実践しなければならなかった。


 二杯目の麦酒を飲み干す頃、冒険者達に交じって話を聞いていた俺は一人の女の存在に気付いた。何しろ場末の旅籠屋には勿体ないほどの美人だったからだ。〝あの女〟を基準にしても七十点を付けても良いと思ったほどだ。歳は俺と同じか僅かに上程度で、長く三つ編みに結われた黒髪は濡れたカラスの羽のように艶があり、肌の白さが強調されている。切れ長の目はやや釣り上がっていて攻撃的な印象を与えるが、それが逆に彼女の魅力となっている。一言で例えるなら妖艶な牝猫のような美女だった。

 先程から鎖帷子を着た戦士か傭兵と思われる男達がこの女の気を惹こうとしているが、優雅だが素っ気ない笑みを浮かべるだけで、彼女はまともに取り合っていない。自分の魅力と価値について充分に理解しているのだ。そしてこの女は美貌以外にもそのような高慢な態度を許される理由を持っていた。

 女は灰色のローブを身に纏っており、やや短めの杖と短剣を腰に帯びて、指には幾つかの指輪を嵌めている。これだけでも彼女が魔術士であることを物語っていたが、俺はその女の右手の甲に剣を咥えた梟の刺青が彫られていることを見逃さなかった。この図柄はクリューワ派魔術士として正式な導師となった証だ。クリューワ派は具現化魔法を操る流派の一つで、魔法を戦闘の技術として研究、研磨することを主目的としており、その実践の場として率先して冒険者や傭兵となることが多かった。そして、経験を積んだ冒険者は優れた魔術士ほど恐ろしい存在がいないことを知っている。彼女と一夜を過ごしたいのならば、正攻法で口説くしかないだろう。

 これまでさりげなくこの女魔術士を観察していた俺だったが、何かの拍子でこちらを振り向いた彼女と視線を交錯させてしまう。黄色の瞳はまさに猫のようで美しくも妖しい。だが、取り巻きの男達に色目を使ったなどと因縁を付けられては面倒なので、直ぐに視線を外してそれ以降は無視することにする。

 クリューワ派の魔術士ならば面白い逸話の一つや二つは聞かせてくれそうではあるが、彼女を口説こうとこの旅籠屋の男達全員が密かに狙っているような状況だ。下手に関わるのは火を素手で掴もうとするほど愚かな行為と思われた。それに俺の目は毎週、充分過ぎるほどの保養を行なっている。今更、人間の美女を眺めるのに必死になる必要はないのだ。

 程よく酔いが回ったところで俺は一階の酒場を後にする。残念ながら大した話は聞けなかったが、厠で用を足すついでに窓から夜空に瞬く星を見つけると、安堵の気持ちを抱く。既に雨は止んでおり、明日には河の水嵩も落ち着いて西岸へ渡れると思ったからだ。俺は柄にもなく鼻歌を口遊みながら自分の部屋に向かった。

「上機嫌のようね。良かったらその幸せを分けてくれないかしら?」

 個室に繋がる廊下に先程の女魔術士が壁に寄り掛かって立っていた。胸の膨らみを強調するように背筋を反らして、ローブの裾からは僅かに太腿を覗かせている。その生々しくも官能的な肢体は美しさとまた別の魅力を備えており、俺の男としての本能を揺さぶった。

「・・・わざわざ分ける必要はありませんよ。雨が止んでいました。明日なれば、あなたも西岸に渡って足止めから解放されたことを喜べるでしょう」

 意外な展開に驚いた俺だが、当たり障りのない返事を行う。様々な欲求と男のプライドが擽られるが、経験からして女の方から寄って来る場合は厄介ごとに巻き込まれる可能性が高い。俺は会釈をして女の前を通り過ぎようとした。

「・・・あなたって鈍いの?それとも女には興味がないの?・・・そうでないなら、もう少し話に付き合ってくれても良いのではない?」

「そっちの趣味はありません。ただ、面倒が嫌いなだけです。あなたの取り巻きの男達に、俺の女に手を出したと因縁を付けられたくないのですよ」

「ああ。あれは、勝手に声を掛けてきただけ。私の連れではないから気にする必要もないわ。・・・はっきり告げるけど、あなたからは何かしらの魔法の気配を感じるのよね。私って、商売柄その手のことに気になってしまうの。良ければ聞かせてくれないかしら?・・・お礼はするわよ」

 通り過ぎようとした俺の前に女が立ちはだかり、改めて目的を告げた。微かに甘い匂いが俺の鼻腔を刺激する。おそらくは薔薇の油から作られた香水だろう。彼女はその美しさに似合った良い香水を付けているようだ。

「何かの勘違いでしょう・・・。私は魔法とは縁のない、しがない行商人ですよ」

 それでも俺は誘惑に負けずに白を切る。これは褒められるべき精神力だろう。

「今ここで・・・私が大声を上げて、あなたに襲われたって叫んだらどうなるかしら?」

「面倒なことになりますね・・・」

「そうでしょう?・・・そうなるくらいなら、私をあなたの部屋に招いて、しっかりと誤解を解く方が賢明だと思わない?」

「・・・わかった。こっちだ」

 俺は自分が脅迫されていることを理解すると、観念したように女を自分の客室に案内する。もっとも、俺の胸中は見た目ほど穏やかでない。男としての本能と秘密をどうやって隠すか不安な気持ちがせめぎ合っていた。


 3

「私の名はリディア。クリューワ派に属する根源魔術の使い手・・・ご存じかもしれないけど、クリューワ派は魔法を戦力として使うことを禁忌とせずに、むしろ魔法の可能性を広げる手段としてその実施を奨励しているわ。そんな流派なので、研究室に籠ることもなく外に出て活動するし、魔法の気配が感じると何にでも顔を突っ込んでしまうの。ねえ、私の研究のために協力してくれないかしら?」

 部屋に入った女魔術士は寝台に腰を降ろすと自己紹介を始める。自称リディアの本心は不明だが、俺に危害を与えるつもりならば、不意打ちも可能だったはずだ。この頃には俺も大胆になっており、当たり前のように彼女の横に並んで座る。僅かに伝わる女の体温はとても心地良かった。

「なんで、俺のような行商人にそんなことを頼むんだ?」

「・・・とぼけても無駄よ。あなたからは何かの魔の匂いがする。あなた自身が魔術士ではないようだけど・・・持続性のある強力な魔法か加護が掛けられているか、魔道具を持っているんじゃないの?」

「・・・驚いたな。魔術士はみんな見抜けるのか?それともあんたが特別に優秀なのか?」

「自画自賛になるけどたぶん後者かしら。それに私を無視したのは不味かったわね。しがない行商人にしては不自然よ。あなたはねっとりした視線で私をモノ欲しそうに見るべきだったわ、決して手の届かない高嶺の花を眺めるようにね。あれで私の警戒網に引っ掛かったってわけ・・・」

 さりげなく肯定を示した俺にリディアは笑みを浮かべる。下手に誤魔化すのは無理と判断したからだが、これまでのイメージを覆すような可愛らしい笑顔だ。ひょっとすると、俺よりも若く敢えて大人びて見えるような化粧を施しているのかもしれない。女の歳を当てるのは難しい。

「却って裏目に出たってことか・・・。とは言え、簡単には教えられないな・・・」

「お礼はするって言ったでしょう」

 俺はワザと勿体ぶって時間を稼ぐ。この時はまだ秘密をどう誤魔化すか迷っていたからだ。だが、彼女はそれを催促と受け取ったのか、俺の太腿に右手を乗せると親指で撫で始める。どうやら、男をその気にさせる手練や技術は当初の予想どおりに長けているようだ。

「・・・そっちの礼も悪くないが、俺は珍しい話を聞くのが何よりの楽しみでね。クリューワ派の魔術士なら何か逸話の一つや二つは知っているだろう?とっておきのを聞かせてくれたら、こっちも奥の手を教えよう」

「ふふふ。変った人ね、あなたって!私の身体よりもそんなことを求めるなんて・・・でもいいわ!私のとっておきを教えて上げる・・・」

 俺の提案にリディアは驚いた表情を浮かべる。彼女からすれば意外な要求だったのだろう。それでも直ぐに口角を崩すと同意を示した。


「・・・ほんの少し昔の話。とある王国に生まれは低いけど、真面目で気の利く若い娘がいました。彼女はその才能を認められ王妃付きの側女に取り立てられます。娘は王国に仕える若い騎士に見初められることを期待していましたが、彼女は自分で思っている以上に美しい女性へと成長していました。彼女の美しさはやがて王の目に止まり・・・お手付きとなります。彼女にもそれがいけないことだとわかっていましたが、王に関係を迫われて拒否出切るわけがありません。彼女は王妃への裏切り行為に苛まれますが、王との愛人関係を続けるしかありませんでした。・・・もちろんそんな関係が長く隠し通せるはずはなく、王妃は自分の側女が身籠ったことを知ると、すぐに真実に辿り着きます。この事実は王国にとっても一大事でした。何しろ王の子です。王と王妃との間には嫡男がいましたが、病弱であり、健康には不安を抱えていました。王家の血が絶える危険があったのです。それ故に不義の子ではありましたが、彼女は出産を許されました。そして月が満ちて待望の子が生れます。その子は女児でした。世継ぎの控えを望んでいた王国の重鎮達にとって女児では意味がありません。彼女と彼女の子は王が不義を働いたことを隠すために城から追い出されました。それでも無一文で放り出すほど王も非情ではありませんでした。王妃には内密に一人の女が暮らしていけるだけの支援金を渡したのです。それを元手に女は商売を始めます。小さな店でしたが、他の店は扱わないような品を揃えることで競争を避けたのです。その中には魔術士が好む品があり、彼女の店には魔術士が出入りするようになりました。そして物心ついて母親の店を手伝うようになった王の血を引く娘が魔術士の目に止まります。彼女は先天的に魔法の才能を持っていたのです。才能を認められた娘はその魔術士の弟子となり、直ぐに才能を開花させます。そして数年後、若くして導師の資格を得た娘はこれまで隠されていた自分の出生を母親から明かされるのでした。その事実は娘にとって驚くことではありませんでした。父親の正体は判明しましたが、彼女は自分の力だけで生きられる術を身に付けて、生涯を掛けて探求する目標を定めていたのです。娘は母親の元を離れ、自分の道を歩み出しました・・・とさ」

 一気に語り終えたリディアは最後に溜息を吐くと、どこか遠くを見るような視線を浮かべる。

「その娘が君なのか?」

「・・・そんな母親と娘がいた。それだけよ」

「そうか・・・済まなかったな。とは言え、その娘はバーレガル王国の王室ノールド家の血を引いており、更に遡るとノールド家は古代バーニス帝国の皇家の傍系だから、皇家の血も引き継いでいることになるな。・・・魔術士の才能が色濃く出たのも頷ける」

 俺は彼女の主張に合わせると思案を巡らせた。この話が彼女の作り話である可能性も否定は出来ないが、若くしてクリューワ派の導師となるほど魔術の才能に恵まれたのは、彼女に流れる皇家の血にあるとすれば辻褄が合った。バーニス帝国は魔法が発達しており、歴代の皇帝達の中には当代一の魔術士として名を遺した者もいたほどだ。そして俺は嫉妬にも似た羨望を覚える。何しろ俺には魔法の才能がない。魔法には幾つかの系統があるが、無から有を生み出せる根源魔法を扱うには生まれついての才能が必要だった。

「ふふふ、そうなるわね・・・。やはりあなたって変っているわ。普通はそんなことまで考えないもの・・・。どう?とっておきを話したのよ。あなたが魔の気配を零している理由を教えてくれるかしら?」

「・・・そうだな。まずはこれを見せよう」

 俺はリディアの要求に頷く。ここで下手に誤魔化そうとしたら彼女は俺をただでは済まさないだろう。見返りは支払わねばならなかった。だが、その前に俺はドラゴンとは別の秘密を一つ明かすことにする。それは場末の旅籠屋で彼女と巡り合った偶然を運命と思わせる事実だった。


「これは・・・」

 リディアは俺が服の下に隠し付けていた銀の鎖を受け取ると、繋がれた指輪をランプの光に翳して、目を見開くようにして吟味していた。導師級の魔術士ならそのミスリル銀で造られた指輪に象られた紋章の意味に気付くだろう。

「メイズル家の紋章・・・メイズルはバーニス帝国末期において最後まで皇帝に使えた名門貴族。あなたがこれを持っているということは・・・」

「そう、それはメイズル家の当主が代々受け継いできた指輪だ」

「・・・でもメイズル家は帝国末期に滅んだはずでは?」

「表向きにはそうなっている。だが、メイズル家は生き延びて指輪とともに子孫にある宿命を負わせた。皇家直系の保護とバーニス帝国の再興だ。帝国が滅んだ後に興ったバーレガル王国をメイズル家は帝国の後継者として認めなかった。あくまでも皇家の直系をこの東方地方の正当君主として再興させることを一族の悲願としたのだ。俺は指輪を受け継いだが・・・笑ってしまうだろ、帝国が滅んでもう四百年は経っているのな、存在しているかも不明で、仮に居たところで誰がその正当性を認めるというのだろう?・・・止め時を失ったのだろうな。だから俺は、俺の代でこの宿命を終わらすべく皇家の捜索とは無縁に自由に生きることを選び・・・色々あって旅商人になったというわけだ」

「・・・あなたもかつてのバーニス帝国の・・・」

「そう、かつてメイズル家の当主は皇家から輿入れとして何度か妻を娶っている。俺にも薄いが皇家の血が入っていることになるな。何十代遡れるかは知れないが、俺達は遠い親戚ってわけだ。・・・一応伝えておくが、俺はノールド王家に含むところはないから安心してくれ」

「ふっふふ。まさかこんなことってあるのね!・・・なんであなたに秘密を打ち明けてしまったのか自分でも不思議に思っていたのだけど・・・運命だったのかしら?」

「そうかもしれないし、ただの偶然かもしれない。何せバーニス帝国が滅んだのは四百年前だ。探せば皇家の血を引く者は市井の中にもかなりいるだろうな」

「それでも、凄いわ!私もあなたも・・・自分の血筋に捉われない生き方を選んだはずなのに、こうして巡り合ったのだからね・・・」

 リディアは俺に指輪を返しながら、何かを考えるような表情となる。もっとも、それは俺も同じだった。おそらく彼女が感じた魔の気配とは、金色の古龍に掛けられた従者の契約か背負い袋に隠している〝転移の鏡〟のことに違いない。だが、彼女から打ち明けられた出生の秘密はこの俺にも少なからず関係があり、返礼として自分の過去を明かしたのだった。口では嘯いたが、俺もリディアの指摘どおり運命を感じずにはいられなかった。

「私が家族を呼べるのは母さんだけだけど思っていたけど。・・・不思議ね、あなたが他人のように思えなくなってしまったわ。世の中にはこの程度の血の結びつきなら、気付くことなく他人として生活しているのにね・・・」

「まあ、今の話は余談のようなものだ・・・。君が感じた俺の魔の気配の原因は他にある。・・・他言はしないと、その身体に流れるバーニスの血に懸けて誓ってくれるなら披露しよう」

「それって、私達の先祖に関係あること?」

「いいや、俺個人の問題で発生したことだ。割と本気に世界の平穏に関わる話だが・・・」

「それが漏れたらどうなるの?」

「最悪この世界から人間が消えるかもしれない」

「なら、もういいわ・・・その指輪を見せてもらわなかったら、とても信じたりはしなかったでしょうけど。その秘密はあなたの胸の中に収めておいて・・・」

 俺は改めて約束を履行しようとしたが、リディアはなぜか興味を失ったように翻意する。まるで聞き分けの良い妹のようだ。

「いいのか?魔術士のとしての性分が疼くんだろう?」

「・・・大丈夫。あなたを信じるなら、それは私が知ってはいけないことだわ。その代わりにあなたの子供の頃の話を聞かせて、そして家系に代々伝わる宿命を知った時にどう思ったの?」

「子供の頃か・・・当然だが、その頃は単なる平民の家庭だと思っていた。ただ、躾が異様に厳しくて親を憎んだこともあった。何せ、十歳からバーニス語で書かれた古典を教え込まされたからな。遊ぶ時間は殆どなかった。・・・そして父親が流行病で死んで遺書と指輪を引き継いだ時に、なんでそんなに厳しかったのか判明して驚いたのを覚えているよ」

「・・・ごめんなさい。思い出させてしまって・・・」

「いや問題ない。父が死んだのは、もう五年は前の話だ」

「そう、実は私もバーニス語の古典には苦労したのを覚えている。魔術には直接関係ないのに、キエロの詩を暗唱出来ないと師匠がご飯の量を減らすのよ!だから必死に覚えたわ!」

「ああ、俺もキエロは嫌だった。というか今思えば、子供にあの詩の良さがわかるはずないんだよな。だから意味も分からず暗記するしかなかった」

「ほんと酷いわよね!」

 俺とリディアは昔話に火が付くと、時間を忘れて語り合った。もう初期の頃にあった男と女の駆け引きのような官能的なやりとりはない。幼い頃から知る親類と昔話をしている気分だった。

「・・・ああ、もうこんな時間・・・どうする?急げばまだ楽しむ時間はあるけど・・・」

 生い立ちを交互に語り合う俺達だが、リディアが思い出したように問い掛ける。俺も外から漏れる気配に夜が明けつつあることに気付いた。

「・・・そっちを楽しむ気はもうないな。話をしている内に、君のことをただの女として認識出来なくなった・・・」

「良かった。私もそんな感じなのよ。自分から誘ったから責任を感じていたのだけれどね、求められたらどうしようかと思っていたの!」

「まあ、正直言えばもったいない気もするけどな・・・美人の妹を持つ男はこんな気分を味わうのかな?それとも妹のことなんて全く気にならないのかな?」

「・・・どうかしら。私も兄がいるなんて想像したこともなかったけど、・・・今は兄を誘惑したいとは思わないわ。・・・これから直ぐに西岸に向かうの?」

「ああ、そのつもりだ。出来るだけ早めに移動したい」

「・・・良かったら、しばらくだけでも一緒に旅をしない?」

「嬉しい提案だが・・・それでは秘密を打ち明けるのと変わりないな・・・」

 俺は断腸の思いでリディアの提案を暗に拒否する。特に今日は契約を履行する金の日だ。彼女の目を盗んで主人であるドラゴンの元に赴くのは不可能だ。直ぐに秘密が暴かれるだろう。

「・・・じゃ、これでさよならね。・・・私は自分の部屋に戻ってひと眠りするわ。それと自分に流れる血についても真剣に考えたいから・・・」

「ああ、楽しかったよ!」

「ええ、私もよ!」

 リディアはそう呟くと頬に別れのキスをしてくれた。名残惜しそうに部屋を去る彼女の後ろ姿を見送ると、どこかで一番鶏が鳴く声が聞こえた。彼女と別れは俺の心にも一抹の寂しさを覚えさせるが、これが最善の選択だと自分を納得させる。

 今日の夕暮れまでには西岸のニアンも越えて新たな街に辿り着けることが出来るだろう。そしてその街で〝あの女〟との密会・・・いや試練を迎えるつもりだった。

 

 4

 俺が語る昨夜の経緯を聞き終えた金髪の乙女は改めて訴え掛けるような視線を送る。当然のことながら、都合が悪い部分や表現は省略したり言い換えたりしている。それでも彼女はこの話の中に腑に落ちない所があるようだ。

「どこか気になる箇所が御座いましたか?」

「ええ、・・・親類だったから番う気がなくなったと言っているようだけど、あなたとその女は何世代も離れているのでしょう?何か問題があるのかしら?」

「・・・はい、ご指摘のとおり倫理的には何も問題はないはずです。・・・ですが、私とリディアは自分に流れる血の宿命から逃れるようにして生きて来たのです。それが偶然にも似た境遇であることを知って。本来の血の濃さ以上の繋がりを感じてしまったのだと思われます。人間は本能的に近親相姦を避ける習性があるのです」

「ふうん、そういうことなの・・・まあ、お互いが気乗りしないのでは番は成立しないわね。私も無理やり迫ってきたラーマゴルケーの奴を引っ叩いてやったことがあったかしら」

「・・・それは災難で御座いましたね」

「そう!あいつ、私の寝所を従僕に見つけ出させて待ち伏せしていたのよ!もう最低よ!・・・まあ、私が本気で噛みついたら、あいつ泣きながら逃げて行ったけどね」

「・・・左様でございますか・・」

〝ラーマゴルケー〟とは神代の戦いにおいて混沌の神々に与した邪竜の名前だ。神々とともに始原から生まれた古龍の中でも最強の存在と知られ、その息吹で数多の神々の肉体を焼いたと伝説で語られている。俺は新たに判明した事実に恐怖と驚きを覚えながらも、追従して頷くしかなかった。

「ええ・・・あなたも、無理やりはだめよ!絶対に!」

「・・・そ、それは、心得ております」

 俺は主人の突然の訓示に頭を下げる。ドラゴンに人の道を諭されるのは奇妙な気分であったが、彼女の主張は普遍的な正論であり俺も異論はなかった。だが、神代の時代から存在し圧倒的な力を誇る古龍にも人間と同じように男女の駆け引きがあることを知ったことで、これまで世界を滅ぼしかねない怪物と思っていた彼女の存在がほんの少し身近になったように感じられた。

「・・・では、前置きは終わったので今回の話を聞かせてもらえるかしら?・・・あなたも私がこれだけで満足するとは思ってないわよね!」

「も、もちろんでございます!」

 僅かな親近感を覚えた俺だったが、ドラゴンはそんな気分を打ち砕く。彼女はこれまでの話をあくまでも、前座として受け取ったようだ。目論見が外れた俺だが、まごついたり反論したりするほど愚かでもなく。今回披露する予定でいた〝消えた酒〟の逸話を語り始める。これは酒場の主が隠し持っていた最高級の火酒の中身が封を開けていないのに減っていく現象を扱った話だ。謎を好む彼女なら気に入ってくれるに違いなかった。

 もっとも、これで来週までにまた一つ〝ネタ〟を探さなくてはならなくなった。再び胃が痛くなる一週間を迎えるわけだが、今目の前で俺の紡ぐ言葉に物思いの表情で耳を傾ける彼女の姿は、真名であるイーシャベルクオール〝全ての光に祝福された金色の乙女〟に相応しい神々しいばかりの美しさだ。一度機嫌を損ねてしまえば、どうなるかわからぬ恐怖はあるが、俺はその姿を目に焼き付けると来週もこの試練に挑戦する勇気が湧いてくるのを感じるのだった。

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