第2話 お母様がウザい



 俺の記憶にある母親のやりとりは、淡白なものばかりだった。


『母さん、今度担任に提出する進路調査用紙の事だけど……』

『書けたの?』

『うん、一応。見るなら持ってくるけど』

『いいわ、ちゃんと考えたんでしょう、ならそれで行きなさい』

『あ、うん……』


 時間にして一分にも見たない。

 言葉にして二、三の応答があるだけ。


 別に不満などない。

 俺は、常に構われないと生きていけないほどのかまってちゃんではなかったし、いつまでも親離れができない子供でもなかったのだから。


 ただ、たまに思うことはあったのだ。

 どちらかがもっと歩み寄れば、俺達の関係はもっと違った物になるんじゃないか、とか……そんな事を。





 それが前世の俺と母の日常だったのだ。

 いつものやりとり、いつもの関係。

 ごく当たり前の家族の光景。


 だと、いうのに。

 この変貌は一体どういうことなのだ。


「息子、怖いならお母様が手をひいてやろう。なに、照れる事はない。体は同年代の子供、しかも女子でも心はいつでもお母様でおば様なのだからな!」


 この世界の母(自称)は何でこんななのか。


「息子、嫌いな物があるなら代わりに食べてやろう。ただし最初の一口だけは絶対自力で食べるのだぞ。お母様はお前を甘やかしたいが、困難に打ち勝つ力も育んてやりたいところだからな。なんだったらあーんしてやろうか」


 いりません。


「息子、お母様は息子が好きだぞ。だからお前もお母様が好きだと言ってくれ。というか作文の一番好きな人はお母様にしてくれ。この世界のお母様も大事だか、前の世界のお母様も一緒くたに大事にしてくれると、このお母様は天にも昇れる気持ちになるぞ!」


 あ、そう。


「息子! 手作り弁当はいらぬか。お母様が真心こめて丹念に具材を作ったのだ。食べてくれると、お母様は努力が報われてなおかつうれしくなれるのだが。どうだろうか」


 ……。

 …………なぜに?


 どうしてこうなった!?


 まず性格がおかしい。

 後は、常軌を逸してるくらい干渉してくるし、時には寂しがり屋や構ってちゃんいなって絡んでくる。

 ついでに、母という類いのは自分で自分の事をお母様なんて言わないし、息子も息子だと言わない。


 どこかで、頭でも打ったんじゃなかろうか。


 胸に沸いた割と本気の心配なのだが、だがそれらの感情は怒涛の如く押し寄せてくるお母様攻撃を前に霧散した。


 このお母様。

 とにかく、騒がしい、うるさい、めんどくさいのだ。


 四六時中(といっても家が違うので正確にはそうではないのだが)べったり構ってくる母親(自称)の少女に、我慢の限界が来そうだった。


 この少女、衝撃のカミングアウトを果たした後は、ずっとこうだ。

 動きたいように動いて、喋りたいように喋っているばかりで……。

 少しはこっちの都合を考えてくださいよ、ほんとに。


 そんなわけなので、俺は負の連鎖を止めるべく正直に、己の心情を話す事にした。

 いつもの様に絡まれた授業後。

 

 背後をてくてくついてくる少女が可愛いか可愛くないかといったら、まあ可愛いのかもしれないが、そんな些末な心情は脇に置いといて、俺は心を鬼にする。


「いい加減にしてください。アンタのせいで俺はクラスメイトや周囲から妙な誤解をされてるんですが」

「息子よ、人に向かってアンタ呼ばわりはいただけないな。せめて様をつけると、いくら怒ってても見せかけだけは丁寧になれるぞ」


 見せかけが取り繕えないほど怒ってるからこうなっているんですが!?


「このままべったりされると困ります。勉強だって集中できないし、ただそこにいるだけで見世物にされてるようで落ち着かない」

「む、お母様迷惑だったか。はしゃぎすぎてしまったようだな」

「分かってくださればいいんです」


 と、強めの口調で注意をすれば、しゅん……と頭を垂れる少女。


 そんないたいけな(見た目は自分もだが)少女の姿で落ち込まれると罪悪感が半端なく膨れてくるからやめてほしい。

 一体全体、前の世界からこちらの世界にきて再開するまでの間に何が合って、どうしてこんな残念な母になってしまったのか。まったく分からないが、何を考えていたとしてもこの世界でまで母親面をされたくなかったし、過度な干渉を受けたくなかった。


「俺の母親は、グレイヒューズ家の生みの親だけです。分かったなら金輪際、変な絡み方しないでくださいよ」

「そうか……嫌だったか。むぅ、すまぬ」


 しゅぅぅぅん……と水やりを忘れられた植木の花の様にしなびていく。

 だから、そんな激しい落差で落ち込まないでほしい。


 罪悪感で要らぬ同情と共に余計な事をくちばしってしまいそうだ。


「子離れの時期だな。仕方あるまい。涙を呑んで受け止めよう。だが!」


 母(自称)の少女はくわっと目を見開いて、こちらへ詰め寄って来た。


「実はお母様ちょっぴりずっしり、息子に関して未練があったのだよ。それを解消してからでいいだろうか」

「未練? まあ、少しだけなら」


 少しなのか大分あるのか分からない言い方だったが、真剣な声音と表情で頼み込まれ、俺はつい頷いてしまう。


 こういう所で甘い顔をするのは何となく良くないだろうなと言う気はしたのだが、あまりにも寂しそうな顔をして落ち込むものだから、つい譲歩してしまったのだ。


「うむ、心が躍るな!」


 先程の様子が嘘のように笑顔になって、にぱーっとなる。

 物凄くわくわくしているようで、落ち着きがなくそわそわしていた。

 何が、なのやら……。


 未練、と言ったが想像できない。

 一体どんな心残りが、あの母親にあったと言うのだろうか。


 頭の中で疑問符が踊り狂うような(……なんて奇妙な表現を使うのは、もうすでに自称お母様の影響を受け始めているのかもしれない。こわい)感覚にさいなまれていると、少女は花が咲く様な笑顔を浮かべてその言葉を口にした。


「息子よ、おはよう!」


 はあ?


「おはようだぞ、ほら返事は」

「え……っと、おはよう」

「じゃあおやすみ」

「ええっ、何で?」

「いいから、ほら」

「お、おやすみ」


 なんだこれ?

 理解が追いつかないまま、少女によって、「行ってらっしゃい」「行ってきます」「おかえり」「ただいま」「いただきます」「ごちそうさま」などの挨拶の言葉を交わしていく。


 一段落着いたところで、母(自称)は満足げに額の汗をぬぐった。もちろん喋っただけなので、物理的にはそこには何もないのだが。


「ふぅ、これでお母様は満足だ。きれいさっぱり心残りが無くなったぞ。安心すると良い」


 それは良かった。

 ……なんて、言えるか。

 なんなのか今のは。


「今の奇妙な挨拶合戦は何なんですか、一体」

「別に大した理由なんてないぞ、息子。言ってなかったから言っておきたかった。それだけの事なのだよ」

「言ってなかったって、そんな事……」


 反論しかけるが、記憶をさらってみて気づく。


 子供の時はどうだったかは覚えてないが、確かにあいさつらしい挨拶を、母親と交わしていなかった気がする。父親とも。


 家を出る時に見送る人はいなかった、母も父も仕事で早くから出ていたから。

 帰って来る時も、俺よりもうんと遅くて……。寝ている時になると言う事もあったぐらいだ。


 たまに休みで家にいるときもあるが、挨拶なんて交わした事が無かった。

 そうだ、最後に出かけるあの時も……、母は家にいたのに、俺とは特別言葉を交わしたりなんてしなかった。


「そんな事なんか、わざわざ……?」

「心外だな。挨拶だってお母様と息子の交わす大事なコミュニケーションだろう。こういうのは年上から始めてやるという暗黙のルールがあったのだ、だからお母様はお母様失格だったな。すまなかったな息子よ」

「いや、そんなの……」


 別に失格だなんて思ってはいなかった。

 今も昔も、だ。


 ちょっと冷たい人だな、とは思っていたけど俺にとっては母親はちゃんと母親だったのだ。

 ご飯もちゃんと作ってくれるし、不便が無いように必要な物はちゃんと買い与えてもらっていた、仕事に出ている時も何かあったら連絡する様にって言ってもらっていたから。


 けれど失格とまではいかなくとも、ほんのひと時、ちょっとした瞬間にたまに寂しさの様な物は感じていたかもしれない。


 それは、友人と母親がするような会話がない事に気が付いた事だったり、進路を巡ってケンカしたりいがみ合ったり、心配されたりと、そういう交流が無かった事だったり……。


 母はそんな事を気にかけて、この世界へわざわざ転生しにきたのだろうか。

 それは、前の世界での人生を途中で諦めることになるというのに。


「さて、お母様はお母様を満喫できたことだし、去るとしよう。息子よ。お母様が構ってやれなくとも強く生きるのだぞ」


 先程より一回り小さくなったように見える少女は、そんな風に言ってその場を去っていく。


「あ……」


 俺はその背中に何かを言おうとしたんだけれど、結局何を言えばいいのか分からなくて、ただ突っ立っている事しかできなかった。


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