最終話 日曜日のデート

 すごかったなー。


 ぺろっと言った俺も俺だと思うけど、その時の茜のオーバーアクションは一生俺の記憶に残るだろう。顔が真っ赤になるどころの話じゃなく、激しく鼻血を吹きながら仰け反った茜は、その勢いでベンチから後ろ向きダイブして思い切り後頭部を打ちつけ、そこからも出血。どたまと顔面を血塗れにしたまま一目散に逃げ帰った。


 俺は……ぼーぜん。


◇ ◇ ◇


 茜のいい返事は期待してなかった。俺はずっと想いを溜め込んでおくのがしんどかったんだよ。でっかいゴミを片付けて、棘を倉庫に格納して。そしたらあとは言うしかないじゃん。好きだって。そんな感じ。俺はちゃんと言えた。それでよかったんだ。

 でも、そっから先がどこまでも茜だった。茜は、本当は俺以上に感情を溜め込むのが嫌なんだろう。だから、あいつもでっかいゴミをどかして俺を見てくれた。これまでいろいろあっても、がちをがちで返してくれたのはケンだけ。今朝そういう直電がかかってきて。俺はそれだけでもめっさうれしかったんだけど……続けて予想外の探りが入った。


「あのさ」

「うん?」

「あたしも……ケンを好きだって言ったら……信じてくれる?」

「うおっしゃあああっ!」


 俺がでっかい雄叫びをあげたのにびっくりしたんか、向こうでまたぞろ派手にぶっこける音がした。


「おい、もう鼻血吹くなよ。えらいことになっぞ」

「ううう」

「信じるもなにもねえよ。俺は、茜に嫌われてなけりゃそれでいんだ」


 返事を聞いてほっとしたんだろう。茜が鼻をすすり上げる音が聞こえた。


「でもぉ、今までみたいにできんくなるのかなあ」

「いや、これまで通りでいいじゃん。いつでもどこでもどんぱちで。ただ」

「うん」

「周りに迷惑かけん程度にうまくやろうぜ。今までのはやっぱやり過ぎだ」

「う、そっか。そだね」


 十年以上変わらなかったことが、一日で全部変わることなんかないよ。でも、どんぱちの行き先が今までと違えば、俺はそれでいいと思う。時々は、お互いの棘でちくちくするだろうけどさ。おっと、そうだ。


「で。早速だけど」

「うん?」

「今日、少し慣らしとこうぜ」

「どゆこと?」

「デート」

「なっ!」


 向こうで派手な転倒音が響いた。まあたぶっ倒れやがったな。茜は、俺がいきなりそこまでかっ飛ぶとは思っていなかったらしい。あほう。それには、ちゃんと理由があるんだよ。


「ちょ、それわあ、心の準備が……」

「てか、今のうちに慣らしを入れとかんと、クラスで保たんくなるぞ?」

「あああっ! そっかあ」

「あんたらいつの間にラブラブになったんとか、シゲや美山に一日中イジられてみぃ?」

「う。む、むり……かも」

「だろ? 俺はこれから部活で使うバンテージとか買いに出るからよ。どっかでばったり会ったっていうスジにして、落ち合おうぜ」

「あ、それナイスだ! じゃあ、どっかでお昼食べる?」

「そうすっか」


 駅前の本屋で待ち合わせ、スポーツ用品店寄って、ファミレスで飯食おうぜ。そういうことにした。色気なんざこれっぽっちもないけどさ。いんだよ。最初はそんなもんで。俺たちゃどうせ必ずどんぱちになるから。


◇ ◇ ◇


 案の定。双方向のコクり成立って言っても、やっぱこれまでの黒遺産はずっしり重い。口を開けば、どうしてもとげとげちくちくが出る。でも、今まですぐエスカレートしてたど突き合いの中身は、相手をなじる言葉の代わりになぜどうしてに変わった。

 分かんないからアタマにくる。決めつける。でも分かってくれば、あっそうかで済んだり、へえーおもろいなーと見方が変わったり。今はまだまだ棘の海に浮き沈みしてるけど、俺たちはやっとまともなキャッチボールができるようになったと思う。そして、それはめっちゃ楽しい。


 お互いの買い物に付き合ったあと駅近のファミレスに入った俺たちは、席についてすぐにこれからの話をした。


「なあ、茜。おまい、来年文クラだろ」

「そ。ケンは理系?」

「んだ。クラス、割れるな」

「うん……」

「ばらけるから、オフでは一緒に行動しやすくなっけど、その時間自体が少なくなるよなあ」

「三年だもんね」

「うー、つまらんなー」


 もっと早くにコクっておけばよかったと思ったけど、時間はもう戻せねーし。ちぇ。


 茜が、拳だこの浮いた俺の拳をじっと見てる。なんだあ?


「ねえ。ケンは、大学行っても空手続けんの?」

「やらん」

「どして?」

「空手は、自分の心をコントロールしなきゃなんねーんだよ。俺はずっと自分を押さえ込んできた。もうやだ」

「そっか。そういうことかあ」

「なんでもいいけど、自分空っぽにして楽しーって思えること探したい」

「なるほどなー」

「おまいはどうすんだ?」


 一瞬で般若のような顔になった茜は。額に青筋を浮かべて、俺ではなく自分自身を全力でどやした。


「論外よっ!」

「なにが?」

「こんだけケンに噛み付いてきたのに、まあだ何も決めらんない自分がっ!」


 あーあ。思わず苦笑い。

 茜がケンカを売る相手は、もう自分自身しか残ってない。それじゃあ、こいつは先々ずーっと苦労するだろなあ。でも茜らしいなあと……思った。


「まあ、まだ時間あるし。ゆっくり決めればいんじゃね? 俺だってまだ専攻決めたわけじゃねーし」

「く……絶対、あんたよりは先に決めるっ! うぐぐっ」

「はっはっは!」


 と。そこまではよかったんだ。

 でも、俺の後ろの席から誰かがぬっと顔を出して、俺たちに声をかけた。


「よう、お二人さん」


 げえっ!? クラスの連中に見つかっても、なんとかごまかせると思ってたけど、よりにもよって関谷先生じゃん……。凍りついた俺たちは、一瞬で借りてきた猫になっちまった。


「二人とも、少しは棘をコントロールできるようになったか?」

「う……す」

「ううう」

「まあ、上手にやれ」


 先生のイジリを防ごうと思って、話を変えた。


「今日はどうしたんすか?」

「ああ。かみさんが二人目の出産で、昨日からちび連れて実家に帰ってるんだ。今は俺一人なんだよ。飯作るのがめんどくさくてな」

「あ、そうなんですかー」


 と言って、ひょいと伸び上がった茜が真っ青になった。誰かを指差してる。


「ちょ、先生、なんで佐藤先生……と?」

「ん? たまたまかちあったんだよ。佐藤先生のダンナは、今子供連れてトイレに行ってる」


 関谷先生の説明は、嘘やごまかしではなかった。二、三歳くらいの小さな男の子と手を繋いだ佐藤先生のご主人が、こっちに戻ってくるのが見えた。佐藤先生とよくお似合いの、すっげえイケメンのご主人だ。


「先生、待たせて済んません。俺らはこれで失礼します」

「おう。俺も昔話が出来て楽しかったよ。うちが落ち着いたら家族で遊びにきてくれ」

「そうさせてもらいますー」


 先にレジに向かったご主人と子供を追いかけるように席をたった佐藤先生は、俺らの方に小さく手を振って、そのまま早足で離れていった。無言で。笑顔もなく。


 俺は指導室で関谷先生の昔のことを聞かされたあと、それと佐藤先生がなんとなくリンクしちゃって、ずーっと違和感があったんだ。でももしかしたら、俺の直感は外れてないのかもしれない。


 俺の変顔と先生の疲れたような顔。それをこわごわ見比べていた茜が、こそっと先生に聞いた。


「あのー」

「うん?」

「先生は、佐藤先生を前から知ってたんですかー?」

「付き合いは短かったけど、元カノだよ」


 やっぱ、かあ……。


「えええーっ!?」


 なんとなく予感してた俺と違って、茜には地雷踏んづけちまったくらいのびっくりだったらしい。またぞろ派手にぶっ飛んで、頭を思い切りパーティションにぶつけていた。あいつの頭は、野球部やラグビー部の給水ヤカンみたいにぼこぼこになってるんちゃうか?


「そ……んな」

「あいつがここに赴任してきた時には、死ぬほどびっくりしたよ。あいつも、参ったなあと思ったはずだ」

「うわあ」

「でも、昔は昔、今は今、さ。それを無神経にいっしょくたにされると困る。そう言って、さっき直接引導を渡したんだ」


 げっ! それで……佐藤先生の表情が硬かったのか。

 立ち上がって俺たちのボックス席に移ってきた先生は、茜を追い出して俺の隣に座らせた。


「まだガキだった俺らは、互いに立てた棘をどうしても調整できなくて、温め合いたいのに傷だけ残した。でも今の俺らなら、棘を飼い慣らすことができる」


 それって……。俺も茜も、ざあっと血の気が引いた。俺たちの表情を見て、先生が弱々しく笑った。


「ははは。『できる』と『する』は違うって」


 俺らのレシートを持ってすうっと席を離れた先生が、自分自身に言い聞かせるように呟き続けた。


「俺もあいつも、今は守らなければならないものがいっぱいあるんだ。それを壊さないようにするためには、どうしても今、でっかい棘を立てないとならないのさ」


 先に店を出た佐藤先生の残像にぶつけるようにして、関谷先生がぐんと右手の中指を突き立てる。それから、俺らの顔を見ないでぴしっと言い捨てた。


「中途半端な熱が残らないよう、きっちり突き離すためにな」


◇ ◇ ◇


「なんか……すっごいショック」

「ああ」


 デートの始まりの時には、それなりに盛り上がっていた俺たちだけど。関谷先生と佐藤先生の修羅場に出くわして、こちこちに固まってしまった。


 恋が始まったばかりの俺たち。恋を強制終了してしまった関谷先生。


 俺らはいつも感情の甘い部分、優しい部分を見てしまうけど。実際には、そんなに生易しくないんだろう。寝かせたり立てたりはできても、俺らの棘自体がなくなるってことはめったにない。それは、俺と茜がずーっと棘をぶつけあってきたことで分かる。そして。なくせたと思った棘を、あえて自分で作って立てる……それが必要な時もあるってことか。


 ファミレスを出てすぐ、茜に袖を引っ張られた。


「ねえ、ケン」

「なんだ?」

「あたしたち……うまく行くんだろうか?」


 さっきのを見て、茜がぶるっちまったんだろう。気持ちは分かる。


「まあな。でも関谷先生のキツい言葉……棘は、俺たちへの応援だと思うぜ」

「そなの?」

「やってみて、うまくいくこともいかないこともある。でも、先生はそれをこなしたんだろ。だから、今があんじゃね?」

「そ……っか」

「俺はさ」


 両拳をがつんと突き合わせる。


「入口入ったばっかなのに、そこで引き返すなんてやだな。負けたくねえ」


 勝ち負けにこだわるって言ったのに、すぐ弱音を吐いたこと。茜はそんな自分自身にむかっ腹が立ったんだろう。すでにぼこぼこになってる頭に、追加でげんこをみまった。


「くっそおっ!」

「おいおい、それ以上どたまぶつけると、受験まで保たんぞ?」

「うぐぐ」

「はっはっは! まあ、いいじゃん。俺らは俺らのやり方で。俺らには最初っからばりばり棘があんだよ。棘も味のうちさ。ジレンマなんか知ったことか」

「ううー、それもそっかー」


 ふと立ち止まった茜が、指で空中に文字を書きながら五七五を並べた。


「ハリネズミ とげとげなのは あたりまえ」


 振り返って俺の方を見たから、茜の耳元に下の句を吹き込んだ。


「とげとげだから かわいいんだよ」



【おしまい】


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