♡♡♡
そうして、計画を実行に移したのは、数日後の放課後。
10月に特別教室で行われるイベント、「やきいもパーティー」に向けて、私と周輝くんと姫穂ちゃんの三人で、パーティー用の飾りをおりがみで作っていた時のことです。
「ひめほっ! ほら、おりぇにもできたー!」
「すごいね、周輝くん。上手だね」
すっかり『姫穂ちゃん』としての生活に染まった周輝くんは、おりがみで作ったクサリ(輪っかをつないだもの)を手に持ち、にっこりと笑っています。きっと、自分一人でハサミや
かつての周輝くんなら、頭脳
「うぅあ~。のりが、ベタベタで、むじゅかしぃ……」
「周輝くん。ひめ、ちょっと行ってくるね」
「えっ? どこにぃ?」
「となりの空き教室。寧々香ちゃんと一緒に」
「にぇ、ねねかとぉ?」
「すぐ戻るから。何か困ったことがあったら、となりの教室に来て」
「ふぅ~ん。分かったぁ」
私と姫穂ちゃんは立ち上がり、この部屋の隣にある教室へと向かうことにしました。姫穂ちゃんは部屋を出る前に一度だけ振り返り、周輝くんの顔を見つめましたが、周輝くんは相変わらずおりがみに集中しているようで、見つめ返してはくれませんでした。
「行こう、姫穂ちゃん。これからはもう、『周輝くん』だよ」
「うん……」
*
周輝くん……ではなく、『姫穂ちゃん』が私たちのいる教室にやってくるまで、そう時間はかかりませんでした。さっそく、何か困ったことがあったのでしょう。
「じゅるる……! ひめほ~。おりがみ、なくなっちゃった~」
重たい扉をガラガラと開け、彼女は中へと入ってきました。目の前の光景を脳で処理するまでの数秒間だけ、
「えっ……?」
そこで『姫穂ちゃん』が見たのは、私と『周輝くん』でした。
「周輝……くん……」
「ね、寧々香……」
穏やかに差し込む陽の光。ふわりと風に揺れるカーテン。他に誰もいない教室。
私と『周輝くん』は、静かにゆっくりと唇を重ねました。どこかの●●●の子みたいに、必死に強引にではなく、互いにそれを望んでいるかのように、ほんのりとした愛を確かめ合うかのように、柔らかく軽い口づけを。
「……」
「……」
「ひめほ……!? なっ、なにやってりゅんだっ!!?」
「……!」
しかし『周輝くん』は、声を上げた『姫穂ちゃん』を見つめて、無言のまま。仕方がないので、私が代わりに説明してあげることにしました。
「何って?」
「にぇ、ねねかっ……!? おまえ、ひめほになにしてりゅんだよっ!!」
「今のを見て分からないの? もう一回見せてあげようか?」
「なっ!? や、やめりょっ!! どういうことなのにょか、せちゅめいしりょっていってるんだっ!!」
「『せちゅめい』? アハハ、説明ね。説明しても理解できないんじゃない? 今のあなたは、すごく頭が悪いから」
「じゅるるっ……! ばっ、バカに、しやがっちぇ……!! とにかく、そばに立ちゅなっ!! おりぇのひめほから、はなりぇろよぉっ!!!」
『姫穂ちゃん』は激昂し、私と『周輝くん』との間に割って入るかのように
しかし私は、あえてその全力突進を肩で少しだけ受け止めました。
「きゃっ!」
私は
「いたた……」
「はぁ、はぁ……。なにをかんがえてりゅんだ、おまえはっ……!」
「ふふっ、あなたと同じだよ。私も周輝くんのことが好きだったの。ねぇ、『姫穂ちゃん』」
「あぁ……? 『ひめほちゃん』? おりぇのことか?」
「そうだよ。あなたは『姫穂ちゃん』。●●●の女の子」
「ちがうっ、おりぇは……!」
「何言ってるの? 自分の姿をよく見て。髪にリボンをつけていて、薄汚れたセーラー服を着ていて、口からヨダレを垂らしてる女の子は、姫穂ちゃんしかいないよ。自分でも分かってるでしょ? もう誰も、あなたを周輝とは呼ばないことぐらい」
「しょれはっ、か、体がいりぇかわってりゅから……」
「その事実を知ってるのは、私と本物の姫穂ちゃんだけ。つまり、私たちが事実を
「なっ!? じゃあ、ひめほも、そりぇを分かったうえで……!?」
「ふふふ。今あなたの後ろに立っている男の子も、もう姫穂じゃないよ。ちゃんと名前で……『周輝くん』って、呼んであげて」
「う、うそだりょ……!? おい、ひめほっ……!!」
『姫穂ちゃん』はくるりと振り返り、『周輝くん』の反応を
ショックを受けた『姫穂ちゃん』は、再び怒りの視線を私に向けました。
「じゅるる……! おまえっ! ひめほに何かしただろっ!」
「別に? 助けてあげただけだよ。私は『共生係』だからね」
「たしゅけりゅ……?」
「うん。●●●を介護するのに疲れたんだってさ。だから、私に助けを求めてきたの」
「●●●……? そ、そりぇって、おりぇのことじゃ……」
「そうだよ。あなたのこと。あなたはもう、誰からも見放されたんだよ」
「う、うそだっ! ひめほが、しょんなこというわけない……! お、おりぇとひめほは……!」
「まさか、本当に男女の仲になれると思ってたの? 涙、唾液、鼻水、糞尿。それを拭く側と、拭いてもらう側の関係なんだよ? あはは、“●●●を同じ人間だと思うから疲れる”だなんて……言ったのはあなただよね?」
「じゃあ、ひ、ひめほは、おりぇのことを……」
「その通り。あなたを同じ人間だとは思ってない」
私は『姫穂ちゃん』に、事実を突き付けてあげました。すると、『姫穂ちゃん』の顔はみるみるうちに真っ赤になっていき、頭をぐしゃぐしゃと
「うしょっ、うそだっ……!! うそだ、うそだぁっ……!! うしょにきまっちぇるっ!! ふじゃけんあぁぁっ……!!!」
「あらら。落ち着いて」
「黙りぇっ!!! おりぇと、ひめほは……!! おりぇはっ、ひ、ひめほとぉっ……!! くしょっ、ひ、がち、ゔ、ゔぅぅああああーーーっ!!!」
「あはは、どんどん言語を失ってるみたい。ねぇ『周輝くん』、とりあえずこの危険な『姫穂ちゃん』を、私から遠ざけてくれる?」
『周輝くん』は黙ったまま小さくうなずくと、暴れだそうとしている『姫穂ちゃん』を後ろから
「『姫穂』、じっとしてて」
「お、おりぇが、ひめほ……!? くしょがっ、はなしやがりぇっ!! おりぇは『しゅーき……で……! ありぇ? お、おりぇは『しゅー……き……? お、おりぇは……おりぇは……『しゅーき』くん……? しゅーきくん? ううぅっ、あたまが……いたいぃ……」
「俺が『周輝』で、お前は『姫穂』。そう決まった」
「ちがう……ちがう、ちがう゛っ!!! ひ、ひめ゛ほは、ひめ゛は、お、おり゛ぇはしゅーきなん゛だあぁぁっ!!!! ひ゛め゛は、しゅーき゛くん゛、なの゛ぉおおおおっ!!! ゔわ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーっ!!!!」
「……!」
しかし、我を失った『姫穂ちゃん』は大声を上げながら凄まじい力を発揮し、『周輝くん』の拘束を振り払って、さらには思い切り突き飛ばしてしまいました。
その攻撃の反動で、『姫穂ちゃん』自身も後ろにドスンと転び、彼女のポケットからは、おりがみでできた短いクサリと工作用のハサミが飛び出し、バサッと床に散らばりました。
私はすぐに『周輝くん』の元へと駆け寄り、彼の様子を窺いました。
「『周輝くん』、大丈夫?」
「大丈夫だよ、寧々香。これでよかったの?」
「うん。『姫穂ちゃん』が“かんしゃく”を起こすことは、想定の範囲内。でも、一つだけ考えてなかったことが……」
「うん? それは何?」
「ハサミ」
『姫穂ちゃん』は右手でハサミを掴むと、まるでゾンビのようにウネウネと立ち上がり、異常なほど充血した真っ赤な目玉をギョロギョロと動かして、私たち二人を視界に捉えました。
「いひっ、い゛ひひ……! ゔぎぃい゛い、ぎひひっ……!!」
涙を流しながら笑い、
「も゛ちゅ、も゛ちゅ、んっ……! じゅるるっ……! う゛ぷっ、んああぁー……」
ハサミの刃を口の中に入れ、べちゃべちゃと舐めたあと、それをゆっくりと取り出し、
「はぁー……はぁー……、う゛があ゛あ゛ぁっ、ん゛あ゛あ゛あ゛あぁぁ……!! ぐう゛お゛ぉあ゛ああ゛ああ゛ぁあ゛ぁーーーーっ!!!!」
口から血と唾液をボタボタ垂らしながら、『姫穂ちゃん』は私たちの方へと向かってきました。右手に持ったハサミで、私たちを刺し殺すつもりのようです。
「ねぇ『周輝くん』? あれ、何に見える?」
「入れ替わる前の……俺だよ。決別したい過去だけど」
「ふふっ。じゃあ、今日で過去の自分とはお別れしようね」
「寧々香は? 寧々香は、『姫穂』をどういう目で見てるの?」
「私? 私にとって、今の『姫穂ちゃん』は……」
────────
────
──
* * *
「
しばらくして、あの日の出来事にそんな名前がつけられました。
負傷者5名、死者1名。
「赤い鎖」とは、女子生徒が事件現場に落としていったおりがみのクサリのことで、血で真っ赤に染まっていたことからそう呼ばれています。今では、「夜の12時、とある教室に落ちている赤い鎖を見てしまった者は、ハサミを持った女子生徒に背後から刺し殺される」という、ちょっとした怪談として、日野外中学校の学生たちの間で語り継がれているそうです。
* * *
──
────
────────
3月の中頃。
先日、中学校では卒業式が行われました。卒業した中学三年生たちは、日に日に近づく高校の入学式にドキドキしながら、春休みをのんびりと過ごしています。
ガタンゴトン、ガタンゴトン……。
電車で2時間揺られ、私と周輝くんは、のどかな田舎町へとやってきました。駅の周りには寂れた個人商店がいくつか建っているだけで、人の気配すらほとんどなく、少し背伸びをして見える景色には田んぼが広がっています。
「周輝くん、バスが来るまであと何分?」
「30分かな。それまでどこかで時間でも潰して……って、この辺りは何もなさそうだけど」
「ふふ。じゃあ、バス停のベンチに座っておしゃべりしてようよ。二人きりで落ち着いて話せる機会なんて、最近あんまりなかったし」
「そうだな。ここのところ、ずっと受験やら卒業式やらで忙しかったもんな」
「でも良かったね。二人で同じ高校に受かって」
「うん!
「
「……」
周輝くんは視線を降ろし、自分の左腕にある
「『赤い鎖事件』……」
「5人の負傷者のうちの1人が、周輝くんだよね」
「ああ。そして死者が1人」
「若い女の先生だっけ? よく覚えてないや」
「女子バレー部の
「暴れ続ける姫穂ちゃんを止めようとして、ハサミでドスッと一突き。私、人が死ぬところ初めて見たよ」
「俺もだよ。一歩間違えたら、俺がああなっていたのかも……」
「ふふっ。それ、被害者ってこと? それとも加害者?」
「両方だよ。自分が●●●の女だったなんて、今ではもう信じられない」
「あはは、そっか。じゃあ、周輝くんもやっぱり気になってるんだ? 姫穂ちゃんの現在」
「……」
それから30分後、私たちの前に一台のバスがやってきました。そのバスの行き先は、「
* *
「うぅ……うあぁ~……」
「秋沢さーん。秋沢姫穂さーん。どうされましたかぁ?」
「じゅるる……。んんう……?」
「文字を書きたいの? クレヨン? えんぴつ?」
「くうぇ……よぉん……? くうぇよん……!」
「はい。じゃあこの赤いクレヨンをどうぞ。落とさないように、しっかり持って」
「うあぁう……。むふうぅ……。ひめ……? ひぃ~いっ、めぇ~えっ!」
「机には書かないでくださーい。紙に書いてね」
水族館みたいな
ガラスの向こうにあるその部屋は、2~3歳くらいの子が遊ぶためのおもちゃなどがあるプレイルームのような場所でした。姫穂ちゃんは、施設職員のお姉さんにサポートしてもらいながら、せっせと机に文字を書いています。
「ひめ……の……」
「うん? どうしたんですか、秋沢姫穂さん」
「ひめの……おなうあぇ……?」
「お名前? そうですね。平仮名で『ひ』『め』『ほ』と書いてみましょうか。ひらがなパネルをよーく見て」
「むむむ……。ちし、ちしゅてっ……! うりゅりゅ~……?」
「そうそう。ゆっくり丁寧に『し』『ゅ』……あれ? 『ひ』『め』『ほ』ですよ?」
「あは、あははぁ……。んふふ、んふっ……」
「どうしたの? ほら、ここに『ひ』、『め』、『ほ』って」
「や、やあっ! やんっ、やあっ……! んきゃああぁーーーっ!! ひぐっ、ぐすっ、わああああぁーーーんっ!! わああああーーーんっ!!」
姫穂ちゃんは突然、大声で泣き出してしまいました。
しかし、施設のお姉さんはプロなので、慌てず騒がず対処しています。暴れ出そうとする姫穂ちゃんからサッと離れると、すぐにポケットから小型マイクのようなものを取り出し、どこかに連絡を始めました。
「……」
「……」
私と周輝くんは、その様子をガラスの外から見ていました。
「姫穂ちゃん、元気そうだね」
「うん……」
「元の体に戻りたい?」
「いや」
「だよね。ふふっ、あの人はこうなる運命だったのかな」
「……」
「ねぇ、周輝くん。目をつぶって?」
「ここでやるの? 姫穂の前で? おいおい正気かよ」
「うん。だって、ここでするのが一番興奮するもん」
「はぁ……。分かったよ。一回だけ、付き合ってやる」
「ふふ。大好きだよ、周輝くんっ♡」
周輝くんは静かに目を閉じ、私は背の高い彼に届くように少しだけ背伸びをしました。
「あ゛あ゛ーーっ!!? や゛ああ゛あ゛あぁーーーんっ!! ら゛ぁめ゛ぇえ゛え゛えええーーっ!!!」
姫穂ちゃんは私たちの姿に気付いたらしく、泣きながらガラスの壁をドンドンと叩いて、何かを訴えています。しかし、濃密な幸せを感じている私たちに、その訴えは届きません。
「ん゛や゛ゃあ゛ああぁーーーっ!! やあ゛っ!! や゛むぇてぇえーーーっ!! ひぐっ、ぐきゅっ……! はぁっ、はぁっ……」
「はい、すぐに
「はぁ、はぁ……。やえてっ……て……! ひぃっえぅ……のい……。ううぅ、うきゅっ……」
「叩くのをやめました。でも、まだ様子が変ですね。いつもなら、これくらい暴れたら疲れて寝ちゃうハズ……」
「はぁー……、はぁー……。うぅ、んっ……ふ……。ひくっ……んふっ……」
「あっ! クレヨンの先で、股間をグリグリと刺激しています。気持ちを落ち着けるための自慰行為だと思いますが、これは止めたほうが良さそうですね。一旦切ります」
*
●●●だった姫穂ちゃんと、そんな彼女をバカにしていじめていた周輝くん。私は今回の一件を通して、●●●の子をバカにしたりいじめたりするのは良くないことだと、改めて実感しました。
黒い箱の中で眠る妖精 蔵入ミキサ @oimodepupupu
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