???


 姫穂ちゃんのお家を訪ねると、玄関に彼女のお母さんが現れ、「今朝から、姫穂の様子が変なのよ。寧々香ちゃん、ちょっと部屋まで来てもらえるかしら?」と、家の中へ私を招き入れました。


 姫穂ちゃんの様子がおかしい日というのは、特別珍しいことでもありません。例えば、お気に入りのお人形の腕がとれちゃったから、その日一日全くご飯を食べなくなる、などの「奇行」は、月に一度は見られます。今回もそのたぐいだろうとタカをくくり、どういう慰め方をしようかと考えながら、二階にある彼女の部屋の前に立つと……やはり聞こえてきました。いつもの"悲鳴"です。


 「わあぁぁあああーーーーっ!!!?」


 そして、いつものパターン通りだと、次に頭をかきむしりながら、壁にガンガンと打ち付けるでしょう。そうなる前に、私が止めに入らなければなりません。


 「姫穂ちゃん、おはよう」


 ガチャリと扉を開け、あいさつをしながら中を覗くと……いました。

 洋服タンスの横にある、姿見すがたみの前。うさぎさん柄のパジャマ姿のまま、床にペタンと座り込んでいる姫穂ちゃん。前髪をくくり上げていないので、髪型はボサボサショートヘアです。

 

 今まさに、自分の頭をかきむしろうとしているところに、私は鉢合はちあわせたようでした。

 まんまるな目をさらに丸くして、こっちをじっと見ている姫穂ちゃん。第一声はおそらく、「にぇにぇかちゃぁ~ん!」。


 「にぇっ、ねねかっ……!?」


 あれ?

 いつもと違う。姫穂ちゃんは、私を呼び捨てにはしないハズ。

 私が驚いている間に、姫穂ちゃんはバタバタと立ち上がり、体勢を崩しながら私にすがりついてきました。


 「むぇ、目が覚みぇたら、こうなっちぇたんだっ! 何が起きてりゅんだよ、これぇ!」

 「……?」


 必死なうったえでした。しかし、彼女が私に何を伝えようとしているのか、さっぱり分かりません。姫穂ちゃんは普段から脈絡みゃくらくのないことを突然言ったりしますが、今日は特に難解です。彼女の身に、何か不測の事態が起こっているようにはうかがえるのですが……。

 姫穂ちゃんは、自分の体を恐る恐る見下ろした後、再度私の顔を不安そうな眼差まなざしで見つめ返しました。


 「どうしたの? どこか痛いの? 姫穂ちゃん」

 「なっ……!? や、やっぱり、おりぇが、ひめほに見えりゅのか……?」

 「えっ? どういう意味?」

 「お、おりぇは、ひめほじゃないっ! しゅーきだっ!」

 「え? 周輝、くん……?」


 私は自分の目をこすり、もう一度目の前にいる人物を確認しました。姫穂ちゃんと周輝くんを間違えるだなんて、そんなこと……。

 しかし、やっぱり私の目の前にいるのは、ほどよく脂肪のついた柔らかく丸い印象の女の子、姫穂ちゃんでした。シュッとした細身で、どこか鋭い印象を持つ男の子の、周輝くんではありません。何度見直しても、それは変わりませんでした。

 

 「うーん……? 姫穂ちゃんだと思うけど……?」

 「うしょ、うそだっ……! こんにゃこと、ありゅはずがないっ……! ゆめ……なにょか……!?」

 

 姫穂ちゃんは頭を抱えてふらふらと後退あとずさりし、今度はそばにあった姿見に掴みかかりました。そして、自分の顔を見ながら、目をつぶったり何やらブツブツとつぶやいたりしていましたが、事態は一向に良くならない様子でした。


 「うしょだ……。これは、ひめほだ……。おりぇじゃない……」

 

 それから、「嫌だ」「嘘だ」という呟きを繰り返して、10分。状況は未だによく分かりませんが、そろそろ家を出る時間です。

 私は、いつもやってる通り、少し強引に話を進めることにしました。


 「あ、もうこんな時間。ねぇ、姫穂ちゃん? それは学校に行ってからじゃ、だめ?」

 「うりゅしゃいっ! いま、そりぇどころじゃないんだよっ!!」

 「でも、そろそろお着替えしないと、間に合わなくなるよ」

 「黙ってりょ……! ぐうぅ、これじゃあ、おりぇ、ひめほにしか……」

 「ほら、またびしょ濡れになってるから。『じゅるる』、して?」

 「は……? な、なに言っちぇるんだ……? びしょ濡れ? 『じゅるる』?」

 「うん。自分で気付いてないの? 首元、胸。その鏡で見て」

 「わぁっ!? なんだこりぇ!? なんで、このパジャマ、こんなに濡れて……あぁっ!?」


 『じゅるる』とは、口からあふれだしたヨダレをすする行為のことです。姫穂ちゃんは、唾液だえきを飲み込むことが苦手なので、常に口のはしから垂れ流しています。最近、やっと『じゅるる』ができるようになり、ヨダレかけを卒業したのですが、時々今みたいに『じゅるる』するのを忘れて、口の周りや喉元のどもと、そして胸の辺りまでびしょ濡れにしてしまうこともあります。


 「あぁんっ、ヨダレが、溢りぇてくりゅ……。ごぽ、こぽぽ……!」

 「制服に着替えさせてあげるから、バンザイしてね」

 「き、着替えくりゃい、自分一人でぇ……」

 「できないでしょ? ほら、バンザーイ」

 「うぐぅ……。じゅるる……」


 胸の辺りのぐしょぐしょが、あまりに不快だったのでしょう。やっと大人しく両手をあげた姫穂ちゃんから、私は濡れたパジャマをすっぽりと引き抜いてあげました。

 正面の鏡には、上半身はだかの姫穂ちゃんが映っています。

 

 「うぅあ……。これが、おりぇの体……?」

 「どうしたの? そんなにじっと見て」

 「じゅるる……。おりぇの……むね……」

 「うん。前よりおっきくなってるね。成長してるってことだよ」

 「……」

 

 姫穂ちゃんは鏡を見つめたまま、自分の膨らんだ胸にゆっくりと触れていきました。揉んだりいじったりするわけではなく、少し持ち上げてみたり膨らみの始まりの部分を撫でたりと、とても優しくです。

 これもよくあることで、姫穂ちゃんは一度何かに集中すると、とても静かに、そして周りが全く見えなくなります。なぜ、見慣れているはずの自分のおっぱいに興味を持ったのかは分かりませんが、彼女を着替えさせるなら今がチャンスと言えるでしょう。


 「じゃあ、下も脱いじゃおっか。脱がしてあげるね」

 「ん……」

 「ふふっ。よし、じゃあ次はパンツはこっか」

 「ん……」

 「はい、最後はキャミソールだよ。バンザイして」

 「ん……」


 全て脱がして裸にし、新たに学校行きの無地の下着を着せるまで、姫穂ちゃんは鏡に集中していてくれていました。催眠さいみんにでもかかったかのように、私の言うことに従順じゅうじゅんに動いてくれましたが、キャミソールを着せられて自分のおっぱいが見られなくなると、ハッと我に返り、私の方へ振り向きました。


 「いっ、今にょは……!?」

 「うん? 何のこと?」

 「あ、あたまが、きゅうに、ボーッとして……。ありぇ? 服が変わってりゅ……」

「よく分からないけど、着替えさせるね。はい、シャツと靴下」

 「くちゅした……? わっ、わああっ!?」


 私がハート柄の可愛い靴下を履かせてあげると、姫穂ちゃんは声を上げました。

 

 「な、なんだよ、このくちゅしたはっ!? やめりょっ!」

 「え? この靴下、姫穂ちゃんのお気に入りじゃなかったっけ?」

 「だから、おりぇはひめほじゃないっ! しゅーきなんだって! おりぇに、こんな服を着せりゅなっ! ぐじゅ、ずるる……」

 「そう言われても、どこからどう見ても姫穂ちゃんだし……」


 二度目の「俺は周輝なんだ」発言。

 「周輝」役に成りきって、自分をそう思い込んでいるのか。本物の周輝くんのように見えなくもないくらい、熱のこもった演技です。もし周輝くんが、突然姫穂ちゃんになったら、こんな反応するだろうな……。

 もう少しこの遊びに付き合ってみたいところですが、残念ながら時間がありません。私は、さらに強引に話を進めることにしました。


 「じゃあ、あなたが周輝くんだって、証明できる?」

 「じゅるる……。しょ、証明……? そんなにょ、どうしゅれば……」

 「例えば、本物の周輝くんの目の前でも、そう言い続けられる? 『おれは周輝だ』って」

 「ほ、ほんものぉ……!? 本物も何も、おりぇ以外にしゅーきなんて……!」

 「言えるの? 言えないの? ハッキリして」

 「言えりゅっ! 当たり前だりょ……! こんな姿、何かの間違いなんだ……!」

 「じゃあ、今から周輝くんのお家に行きましょう。それでいいよね?」

 「あ、ああ……!」


 周輝くんの真似まねをする姫穂ちゃんなんて、本物の周輝くんが見たら、きっと怒るでしょう。しかし、とにかく彼女をこの家から連れ出すことが最優先なので、仕方がない策です。きっかけは何でもいいから、早く彼女を制服に着替えさせて外に出さないと、学校に間に合いません。


 「はい。じゃあ、すぐにこれに着替えて」

 「制服……? って、こりぇ、姫穂のセーラー服じゃないかっ!」

 「そうだよ? それ以外に何を着ていくの?」

 「お、おかしいって! おりぇが女子の制服なんてっ!」

 「ごめんね。もうそのお話を聞いている時間がないの。着せてあげるから、じっとして」

 「じゅるるっ……! い、嫌だっ! やめりょよっ!」


 ジタバタと抵抗されましたが、私はもう、こういう事態には慣れきっています。姫穂ちゃんの手の動きや足の動きを逆に利用し、ササッと薄汚うすよごれた紺色こんいろのセーラー服を着せた後、少し黄ばんだ白いスカーフを着けてあげました。

 

 「うぅっ、あ……。おりぇが、姫穂の制服を……スカートまで……」

 「よし、準備完了。はい、カバン持って」

 「くんくん……。おえっ、この服、少しくしゃい……」

 「あなたが服で拭いた鼻水やヨダレの#臭__にお__#いで、ね。ほら、行くよ」

 「うわわっ!? て、手をひっぱりゅなっ!」

 

 引っ張るなと言われても、時間がないので仕方ありません。朝の支度したく即座そくざに済ませ、その勢いのまま、私は姫穂ちゃんを連れて家を飛び出しました。

 外の道路では、早めに登校する中学生たちが、まばらに歩いています。

 

 「はぁっ、はぁっ……! にぇ、ねねか、もうしゅこし、ゆっくり……」

 「周輝くんの家に寄る時間を考えると、もっと急がなきゃ。さぁ、走って」

 「ま、待ってくりぇ!! しゃ、さっきから、め、目が、ちくちくして、痛いっ!」

 「え? 急にどうして……あっ!」


 忘れていました。忘れ物です。

 私は姫穂ちゃんを道路に残し、急いで彼女の部屋へ戻って、を取ってきました。

 

 「ごめんごめん、忘れてた。これだよね」

 「な、なんだこりぇ? ちょうネクタイ?」

 「何言ってるの? 姫穂ちゃんお気に入りのピンクリボンだよ」

 「えっ……!? おりぇの髪の毛に、こ、こんなものを……!」

 「はいはい。ちょっと待ってね」


 そうなんです。

 姫穂ちゃんは瞳が大きく、さらに前髪も長いので、デコ出しヘアーにしてあげないと目にちくちくと刺さるのです。私は急いで彼女の前髪をくくり上げ、大きなピンクリボンをつけてあげました。


 「はい、可愛くできたよ。急がないとね」

 「うぅ……」

 

 姫穂ちゃんは何か言いたげでしたが、無視して先に進みます。時間がありません。

 

 それから周輝くんの家につくまで、彼女はきょろきょろと周囲の目を気にしては、頭のリボンを隠そうとしたり、スカートのひらひらを押さえたりと、とても恥ずかしそうな様子でした。しかし、いつもみたいに突然大声で発狂はっきょうしたりはしなかったので、私としてはひとまず落ち着くことができました。


 * *


 コンコンと、二回ノック。

 私と姫穂ちゃんは、周輝くんの家に上げてもらい、二階にある彼の部屋の前までやってきました。彼のお母さんいわく「周輝、まだ部屋にいるみたいなの。何をやってるのかしら」、だそうです。


 「はーいっ」


 ノックをすると、周輝くんの返事が聞こえてきました。しかし、朝の支度したくに焦っている様子ではなく、眠たげな様子でもなく、やけに元気なお返事です。

 私と姫穂ちゃんは、扉を開けて中へと入りました。すると、そこにいたのは……。


 「おはよう、周輝くん」

 「わぁ、寧々香ねねかちゃんだぁ。おはよー」


 周輝くんです。確かに、周輝くんですが……。

 あれ?

 彼は私を「寧々香ちゃん」とは、呼ばないハズ……。

 

 周輝くんは、私たちの正面にあるベッドに腰かけ、クッションのようにまくらをぎゅっと抱きながら、にへらぁ~と笑っていました。服装は、上は黒いTシャツ一枚に、下はトランクス一枚……。


 「あっ!? ご、ごめんなさいっ! まだ着替えてる途中だった!?」

 「えー? ううん、着替えてないよぉ。今はね、『ここはどこかな~?』って、お部屋を見てたの」

 「えっ……? どういう意味?」

 「ひめ、起きたらここにいたの。でも、寧々香ちゃんが来てくれて、よかったぁ~」

 「な、何を言ってるの? 周輝くん……?」


 普段の、男らしい荒々あらあらしいしゃべり方ではありません。まるで幼い子どもみたいな、女の子みたいな、そんな雰囲気です。周輝くんに、こんな一面があったなんて。

 

 「どけっ! にぇ、ねねか!」


 私がそんな周輝くんを眺めていると、後ろから男らしい荒々しい口調くちょうの姫穂ちゃんが、私を押し退けて、部屋へと入ってきました。何やら焦っているようで、血相けっそうを変えています。


 「おいっ! 何なんだよお前っ!! お前は、だりぇなんだっ!?」

 「ふぇ? ひめは、姫穂だよ。そっちは……あれ? ひめ!?」

 「なっ!? お、お前が姫穂っ!? 本当なにょか……!?」

 

 姫穂ちゃんと周輝くん。

 二人は顔を見合せ、お互いにびっくりしていました。私には、何がなんだか分かりません。


 「じゅるる……! 鏡っ!! 鏡だっ! ねねか、クローゼットから、鏡を出しぇっ!」

 「う、うんっ……!」


 なんで周輝くんのクローゼットのことを姫穂ちゃんが知ってるのかは分かりませんが、彼女の言う通りにクローゼットを開けると、中に姿見がありました。私が姿見をコロコロと運び、二人の前まで持っていくと、二人はそれを食い入るようにまじまじと見つめました。


 「わぁーーっ!! ひめ、ひめじゃなくて、周輝くんみたいになってる! ねぇ、なんで!? なんでなのっ!?」

 「う、うるしゃいっ! お前、やっぱり姫穂なのか……!? お、おりぇが、ひめほ、で、ひめほが、おりぇに、なってる……? そんなバカなこと、ありゅはずが……」


 まださっぱり分かりません。

 鏡の前で大騒ぎしている二人に、私はハテナマークを浮かべながら聞き返しました。

 

 「え、えっと……? どういうこと?」

 

 「お、おりぇが、ひめほの体に……!」

 「えっとね、ひめが、しゅーきくんなんだよっ!」


 結論。

 

 「つまり……い、入れ替わってるってこと……?」

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