黒い箱の中で眠る妖精
蔵入ミキサ
●●●
『
このクラスでの、私の役割です。と言っても、誰かから
*
「おはよう、姫穂ちゃん」
「あっ! おあ、おしゃようごさいましゅ、
「今日は、体の調子はどう?」
「じゅるっ……。昨日、あたま、いたかったの、治ったよ。今日は元気ーっ!」
「そう。それは良かったね」
ボサボサの髪。前髪はピンク色のリボンでくくり上げているので、おでこ丸出し。瞳はまん丸で大きく、まるでビー玉のよう。ヨレヨレでしわしわなセーラー服に身を包んだ、この女の子こそが、『姫穂ちゃん』こと「
「あれっ?」
「なぁに? にぇ、寧々香ちゃん」
「今日はスクールバッグを持ってきてないんだね。教科書や筆記用具は、どこにあるの?」
「うぇ……? あうう、きょーかしょ……? きょーかしょ……」
「もしかして、おうちに忘れちゃった?」
「う、うんっ……。ううぅ、わあぁぁーーー!! お、おうち、
「大丈夫、落ち着いて。私のを貸してあげるから」
「ふぇっ!!? いひっ、いいの……? 寧々香ひゃんの……」
「うん。1時間目が始まる前に、姫穂ちゃんの教室まで届けにいくね。だから、大丈夫」
「ぐじゅ、ずずっ……。うあぁ、あ、ありがとぅ、寧々香ちゃぁん」
「うん、じゃあまた後でね」
そろそろチャイムが鳴るので、私は姫穂ちゃんと別れ、3年2組の教室へと戻りました。
「……」
私の教科書は、ボロボロです。一部のページは、変な折り目がついてたり、ふやけてたり、破れてたりもします。
姫穂ちゃんに貸した物は、いつもこうなるんです。しかも、私から
正直に言うと、もう疲れきっています。
彼女に悪気がないことは分かっていますが、毎度私物がまともな状態で返ってこないのは、精神的に辛いものがあります。すぐに
私のお母さんは「あなたや周りの人間が、姫穂ちゃんを支えてあげなきゃダメよ」なんて言いますし、学校の先生は「みんなで力を合わせて、誰もが幸せに暮らせる社会を作りましょう」なんて、聖人みたいなことを言いますが、そばにいる私は、早く『姫穂ちゃん係』をやめたくて、義務教育の終了を待ち遠しく思っています。
姫穂ちゃんは、●●●。
学年が上がるにつれて、私はその言葉の意味を真に理解するようになりました。
*
「先生? ちょっと、相談があるんですけど……」
「あら、どうしたの?
ある日、私は思い切って先生に伝えることにしました。
姫穂ちゃんのことで、私が大変な思いをしているということ。このままではろくに勉強ができず、高校受験に支障が出てしまうということ。先生はいつもの
そうして変化があったのは、次の日のホームルームでした。
「今日から新たに、このクラスに『共生係』を作りたいと思います」
先生が打ち出した
簡単に説明すると、『姫穂ちゃん係』の表面化と増員です。これにより、『姫穂ちゃん係』は正式にクラスの係となり、男女一名ずつの配置が必要となりました。
『共生係』に立候補する子は誰もいなかったので、女子は自然な流れで私に決定したのですが、問題は男子の方でした。みんな、やっと部活を引退して、さぁこれからは自分の時間だという時に、こんなことで時間を奪われてはたまらないのです。もれなく男子全員、それらしい理由をつけて拒否したので、最終的には先生が
「……では、『共生係』は、
「はい」
「はーい……」
指名されたのは、春草周輝くん。
運動神経は人並み以上にありながら、試験ではいつも学年トップクラスの成績を修める、
「おう、皆森」
「よろしくね。春草くん」
「周輝でいいよ。みんなそう呼んでるし」
「そう? じゃあ、私も寧々香でいいよ」
「しかし、なんでこんな面倒なこと押し付けられちゃったかなぁ。大変だろ? 姫穂の世話係なんて」
「うん、正直言うとね……。でも、私はもう慣れちゃったかも」
「そっか。お前ら、いつも一緒にいるもんな」
「周輝くんは、姫穂ちゃんと話したことある?」
「いや、顔を知ってるぐらいかな。俺が通ってる
「えっ、そうなの? 姫穂ちゃんが塾に……」
聞くところによると、姫穂ちゃんと周輝くんは『
「でもさ、さすがに塾のことまで面倒をみる必要はないよな? 『姫穂係』は、学校にいる間だけの話だろ?」
「うーん……。でも、係の活動概要には『学内および学外での、
「は、はぁ!? どうしてそんなことまでしなきゃならないんだよ! 聞いてないよ!」
「でも、先生はそのつもりで、この『共生係』を作ったんだと思う……」
「俺、先生に仕事内容を確認してくる! 学校の外でまで姫穂の
「か、介護……」
そっか。私は、周りの人から見たら、姫穂ちゃんの介護士だったんだ。そんな言葉を自分の中で
*
そして始まる、『共生係』としての活動の日々。
主な活動場所は、姫穂ちゃんのいる「特別な教室」です。
姫穂、周輝、寧々香。私たち三人の雰囲気は、常に最悪でした。
「あ゛あ゛あーーーんっ!! やぁっ、嫌ああぁーーーっ!!」
「お前、何度言ったら分かるんだよ! プリントをぐしゃぐしゃにするなっ!」
「だ、だってぇっ、分かんないもん゛っ!! む、むじゅ、むじゅかしぃよぉーーっ!! わあぁーーーーっ!!」
「うわ、汚ねぇっ!
「じゅるっ、もっど、やざじぐ、おじえでよぉ……! うぅ……!」
この
「なあ、もういいだろ? こいつは何回教えても理解しないよ。代わってくれ、寧々香」
「私はいいけど、もし先生に見つかったら、あなたの評価が……」
「くそっ! また評価の話かよ……!」
先日の周輝くんの抗議に対して、先生は彼の「評価」を持ち出しました。
「『共生係』は、あなたを評価する場でもあるのよ。あなたが積極的に活動するなら、『ボランティア精神を持ち、人のために動くことのできる生徒』だと評価するし、あまりこの活動を嫌がるようなら、『強い差別意識を持ち、人間性に問題あり』と評価するわ」と、釘を刺したのです。
周輝くんの第一志望校は、学力の高さに加えて、ボランティア精神というものを重視するらしく、ここで先生からマイナスな評価をされてしまったら、受験の際に不利に働くでしょう。
「ひぐっ、しゅ、しゅーきくぅん……。怒りゃないでよぉ……」
「全くよぉ……! ほら、怒ってないから、さっさと座れ。急いで終わらせるぞ」
「う゛んっ……。ひめ、がんばりゅね……。じゅるる……。プリント、プリント……うう゛う゛う゛う゛!!!」
「うわっ、今度はなんだ!?」
「おにゃ、お腹、痛いぃぃ!! トイりぇ、トイレ、トイレぇぇーーっ!!!」
「はぁ!? お、おい、寧々香っ! すぐにこいつをトイレに連れていけっ!」
私は首を縦に振ると、急いで姫穂ちゃんの腕を掴み、近くの女子トイレまで連れていきました。
一人で
「あぅ……。にぇ、寧々香ひゃん、ごめんね……」
「ううん、私は大丈夫。それより、トイレに集中して」
「じゅるる……。ひめ、しゅ、しゅーきくん、こわいの……」
「うん、今は怒ってばっかりだよね。でもね、周輝くんだって姫穂ちゃんのためを思って言ってるつもりなんだよ。お互いに、もっと相手のことを理解したら、きっと良いお友達になれると思う」
「うにゅ……。仲良し、なりぇる……?」
「うん! そうなれるように、私も応援するから」
「そっかぁ……。ひめ、もうしゅこし、がんばりゅね……」
そう言うと、姫穂ちゃんは少し笑ってくれました。
二人の仲を取り持つのは、今までの倍ほど疲れます。しかし、いつかは周輝くんも、姫穂ちゃんへの理解を示してくれると信じて、私は二人の間に立ち続けました。周輝くんと姫穂ちゃんが仲良くなりさえすれば、私への負担が軽減されると信じて……。
*
しかし、状況は悪化していきました。
「い゛や゛ぁぁあ゛ーーーっ!! か、かみのけ、い゛ぃだい゛ーーっ!!」
「おらっ!
「あうぅ……! やだぁっ、やめてぇぇ!! じゅるる……」
「俺だってこんなことやりたくないのに……! おい、姫穂! 静かにしろ。もうすぐ先生が来る」
「しぇ、しぇんしぇ……?」
「ああ。分かってるよな? 大人しくしないとどうなるか」
「うぅっ……!」
周輝くんはこの仕事に慣れ、先生の見ていないところで姫穂ちゃんを
それを見過ごすわけにもいかず、さすがに私も周輝くんに注意をしようとしたのですが……。
「ねぇ、周輝くん? もう少し、優しく接してあげることができないかな……?」
「そのやり方で……言うことを聞くか? この●●●が」
「分かりやすく、丁寧に教えてあげれば、きっと……」
「ああ、もううんざりだ!! 俺のやり方に文句言うなら、お前も●●●だぞ!? 黙ってろよ!!」
「そ、そんなっ……!」
「これでいいんだ……! 姫穂を人間だと思うから疲れるんだよ。動物のしつけだと考えれば、お前も疲れないさ」
「なんて酷いこと……」
「酷いかもしれないけど、現に姫穂は、動物並みの知能しかないじゃないか。それともお前がやるか? 寧々香は一生、こいつの面倒をみてくれるのか?」
「……」
私は、言葉を返すことができなくなってしまいました。
周輝くんの言ったことは、決して
*
「どうすればいいのかな……」
その夜、家に帰った私は、一人で空を眺めていました。
先生に相談しようとも考えましたが、仮にそれで周輝くんが『共生係』を外れたとしたら、また大きな負担が私にかかるでしょう。このまま黙って見過ごすか、姫穂ちゃんを助けてあげるか……考えても、答えは出ませんでした。
「なんでこんなことに……。はぁ……」
ため息をつき、私は布団に入りました。
「明日になったら、この面倒ごとがキレイに片付いていたらいいな」という、淡い希望を抱いて。姫穂ちゃんと周輝くんがもっとお互いのことを理解して、仲良くなってくれたら、なんて、考えながら……。
*
翌日の朝。姫穂ちゃんのお家に彼女を迎えにいった時、私は驚きの光景を目にしました。
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