第十九回 ねこの尻尾
前に書いた気がしますが、私は演劇部に所属していました。その影響で、よく観劇もします。最近はあまり見れていませんが。
ちなみに好きな俳優は森山未來、好きな女優は満島ひかり。これは舞台の「100万回生きたねこ」を観た時からです。森山未來さんが100万回生きたねこ役を、満島ひかりさんが少女(作中のねこの首を締めて殺してしまう少女)役を演じていました。
その舞台はミュージカルで、あの原作をどのように舞台化するのかと疑問に思いつつ観に行きました。少しストーリーを変えて上演するのだろうと思っていたら、内容はほとんど変わっていませんでした。
最近、満島さんが踊っているMVが美しいと話題になっていましたが、舞台でも満島さんは美しく舞っていました。舞うというより、しなやかな身体表現と言った方が正しいのかもしれません。
ただ、森山未來さんのしなやかさも素晴らしかった。美しかった。
ねこを飼っている王様が語るシーン。ねこは壁際の棚の上で話を聞いているんだかいないんだかよく分からない態度で横になっていました。ねこの尻尾がゆっくり、ゆらゆらと一定のリズムで揺れているのが見えました。私はその時「衣装の尻尾の部分に機械を仕込んでいるのか。手が込んでるなあ」と思ってその動きを見ていました。
しかし、ずっと見ているうちに気がついたことがありました。それは、揺れていたのは尻尾ではなく「森山さんの脚」だということ。彼はそのしなやかさをもって自身の脚をまるで猫の尻尾のように動かしていたのです。これには感銘を受けました。私はその表現能力の高さに圧倒され、そこからは彼から一秒たりとも目が離せなくなったのです。
そして舞台は終わり、カーテンコール。私はカーテンコールでは役のまま挨拶してもらうのが好きなのですが、森山さんはねことしてこちらに挨拶をしてくれ、そのおかげで最後まで私は目を話すわけにはいかなくなりました。
私にはあのような才能はありません。そこまで自分を高める努力もできない。ただ、それを見て、気づくことはできる。私は絵を描くが、絵を描く人というのは描かない人と見ている世界が違うらしい。そんな大層なものを見ているとは思えないが、おそらく着眼点ということなのだろう。
美しいものを見ていたいと思う。生きているかぎり。美しさに気づいていたい。人の心に対する美のアンテナが弱っているのか、なんだか最近は心の中で吐く暴言が以前よりすぐに出るし、語彙も少ない気がする。うっせ、バカ死ね!ハゲ!(ハゲてない)とか。些細なことでこのくらい思う。
死ねはあまり良くないと思っているから、心で言ったあとにはいつも必ず「ウソウソ!死なないで!!」と言うようにしている。心で。言霊を信じているので、心霊(ココロダマのつもりでしたがこれではシンレイですね)もあるのではないかと危惧しての配慮である。
……これは自分なりの哲学かもしれない。「自分を見つめる」がこのエッセイのテーマなので今日は正しい書き方をしたと言える。
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