第十四回 書くしか出来ない人が愛しくてしょうがない
以前、とある大学の文芸学科の模擬講義を受けた。講義が始まってすぐにされた質問は「待ち時間の間に流れていた音楽についてどのような感想をもつか。またどのような情景が浮かぶか」というものだった。挙手制だったが、私はそこを受験するつもりはなかったので手を挙げずに人が答えるのを聞いていた。手を挙げる人は少なく、(そもそも待ち時間に流されているBGMをきちんと聴いている人がどれだけいたのかも疑問だが)講師はこれでは困ると思ったのだろう「あなたはどうですか?」と目の前の男の子を指した。その子は戸惑いながら「正直、音楽が流れていたことにも気づきませんでした」と言った。実に誠実な態度だと私は思ったのだが、講師はその子の態度も私たちの消極性も気に入らなかったらしく「身の回りの気づきに目を配れなかったり、自分の考えを言うことができない人は物書きには向いていませんね」と言った。腹が立った。
そもそも講師の授業の進め方、その戦略に問題があるのでは?聞いていてくださいとも言われていない音楽を、勝手に流していただけで、ハイ!ハイ!と手が上がると思ったのだろうか?と、嫌気がさしてしまった。
私は、絵でも文でも創作ということに向き合う人は現状に満足できない人々なんだと思っている。想像の世界を新たに付け加えることでやっと満足できる。現実に満足している人間は文なんて書く必要はない。想像なんかいらない。現実で自分の内的世界をツラツラと他人に語れる人は小説以外でもやっていける。それを言えない、文にすることでしか消化できない、だから文を書くんだという人がなぜ「向いていませんね」などという言葉で一蹴されねばならないのか、本当に腹が立った。なので、そこからの講義は聞く気になれなかった。
ちなみに私は待ち時間に流れていた音楽はなんとなくではあるものの聞いていた。中国民謡のような音楽で、私はたいして想像力がある方ではないので「中華料理店で流れる音楽だな」としか思わず、他の子のように「宮廷のお姫様とその豪華な暮らしぶりの物語」とか(他にも何人か別のことを答えていたが忘れてしまった)は思いもよらなかった。それどころか「本当に音楽聴いていた時にそこまで考えていたか?」なんて疑いすら持っていた。日頃、目につくものから想像を膨らます訓練でもしているのだろうか……。もしそうなら素晴らしいことだけど。
でもやっぱり私はあの場で答えられなかった人たちの本を読みたい。自分に近しいからかもしれないが。充実した人の書く物語より、不足感から生まれる物語の方がいい。私だって満ち足りていない時ほど創作意欲が湧く。これは共感してくれる人が多いのではなかろうか……少なくとも木になりたいとかいう願望への共感よりは多そうだ。
物を書く時点でお前らが満たされていない人間なのはお見通しなんだ!講師に促されて挙手するな!!ハキハキ答えるな!!背中を丸めてボソボソと喋って「え?聞こえない」って言われて、もっと縮こまってしまうような、そんな奴の文が読みたいよ私は。人前が苦手で、それでも本を書きたくて、そのために来た模擬講義で運悪くあてられて、一生懸命言っても伝わらなくて、それでも書きたいんだ!って奴の言葉が聞きたいよ。
あの場で黙りこくっていた人々よ、きっと合格してあの講師をギャフンと言わせてやってくれ。
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