第十二回 精神科医になりたかった私

 前回ほんの少しだけ触れましたが、私小さい頃精神科医になりたかったんです。というのも、父の家系が医療の家系なんです。もちろん医療の道に進んでいない身内もいますが、父は精神科医で母が看護婦です。母は父のクリニックで働いています。

 とはいえ、あまり特別なことはありませんでした。強いて言えば、すぐに薬が手に入るとか、インフルエンザの予防接種は家でするとかそのくらい。職場に行くことはあっても、父の仕事ぶりを見ることは当然ありませんでした。なので父の仕事が私に与えた影響は少ないと思います。

 精神科医になりたい。その思いが自分には身分不相応だと知ったのは高校の入学式の朝でした。母と一緒に学校へ向かう途中、電車をホームで待っていた時のことです。

 私と母が並んでいたところに二十代後半くらいの男性が来たんです。おそらく軽度の障害を持っていたんだと思います。一人でしたし、日常生活に支障はないのでしょう。都会で電車によく乗る人ならば、そういった人を見たことがあると思います。

 私たちのところへ来た男性は母に何か話しかけていました。たしか、これから来る電車の種類についてだったと思います。そして自分の被っている帽子について自慢気に、嬉しそうに話していました。

 私は(もともと人見知りなこともありますが)緊張して、どのように接すればいいか分からずなんだか曖昧に下手な笑顔をしていました。しかし母は普通にその男性とお話をしていました。普通に。「そうなんだ」「へえ、すごいねー!」そんな風に相槌をうっていました。

 自分が恥ずかしかった。

 もちろん母は普段の仕事で慣れています。ですが、自分の「精神科医になりたい」だなんていう思いは本当に、たかが「夢」だったのだと、そう思い知ったのです。私は本当に緊張していただけだっただろうか?怖かったんじゃないか?一日中、彼らと一緒にいる仕事だ。出来るのか?お前に。夢だけ言うのは楽だよなあ?学力とか、それ以前だよ。


 そうやって諦めました。私は電車で彼のような人を見かけても何もしません。話しかけられたらスマホを見て無視するかもしれません。最低だ。私は結局、区別する。


 驚くのは(私の夢の部分は省いた)このエピソードを人に話すと、その後の展開の多くが「私が電車で出会ったこんなおかしな人々」になることです。なんなんでしょうね、これ。私が話したのは自分の不甲斐なさと母への誇りなのですが、それを精神障害者エピソードトークへと改悪する彼女たちが本当に嫌でした。

 そういう時の彼女たちは淡白で冷たく、不誠実。自分の手の届かない範囲の人々であれば彼らの人生の一部を会話のネタとして提供する。私もきっと同じことをしている。大人はどうか知らないけれど、私たちには圧倒的に想像力がない。足りないどころの話じゃない、無いのだ。

 日々、目に入る人々すべてが独自の思考と意思をもつ、個性のある一人の人間たちだと思えない。それが知り合い以上の存在でなければ認識できない。景色。エンタメ。娯楽。

 駅の連絡通路でたくさんの人とすれ違う時、たまに思う。「これ全部生きた人間なのか。意思をもって動いているのか」その時になんとなく違和感をもつ私もまた、想像力が無い。無い中で、いつまでも嘆いている。


 ここで昨日と同じところに帰結する。人間として至らないことを嘆くくらいなら消えたい!もしくは木になりたい!

 私はずっと木になりたかった。いつからかというと中学生くらいから、ずっと。体の末端から植物と化す奇病があればと考えていた。素敵だと思ったんだ。魂が消えても、ずっと木として生きていけるなら。

 水を吸い、日を浴びて、少しの呼吸と光合成をして成長して長い年月を過ごす。人間みたいに不要な思考に蝕まれることもないなら、なんて素敵かと。


 私の考えは仏教に近いかもしれない。

 誕生日はキリストと同じですけど……なーんちゃってーーー。



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