第八話「噂の真相」

 神の威信を語った謀略は、銀髪の少女と金髪の女騎士によって幕を下ろした。

 ソフィアは噂の大元を捕らえたと中央に報告した後、足早に駆けつけた教会騎士団に神父を引き渡し事後処理の為に奔走した。

 あの神父は裁判にかけられ、近くあの男たちの後を追うのだろう。


 ソフィアの調べでは、神父は代々この街の教会を任された家系だったのだという。

 治世の時代もあったと人は語っていた。

 だが時代は流れ、人々は神への信仰のみで生きていくことにはならなかった。

 街の発展と共に商人ギルドが力をつけ発言力も大きくなっていった。その現実が、神の信仰こそが全てとする神父には耐えられなかったのだろう。


 彼なりに大事なものを守ろうとした結果、その大事な神の使いによって断罪される羽目になった。

 大昔に元々この街を仕切っていたギルドも、他のギルドとの争いに敗れた結果ではなく、移り行く時代のやり方になじめず、間違いを犯し神の使いによって滅ぼされたのだ。

 それを知った神父は自分の教会の行く末を、その風景に重ねたのかもしれない。


 真意は測れない、今となっては恐怖で正気を失った彼だけが真実を深層に抱えている。

 それが表に出ることは無いだろう。


 中央から派遣された女騎士、ソフィアの報告が全てである。

 こんな小さな街のたわいもない“噂”すら把握し、必要とあらば実力行使もいとわない教会騎士団。

 その全容は見えない。


 一方アリスは教会へ足を運んでいた。

 廃れた礼拝堂には、見習の青年が神への祈りを捧げていた。


 絞り出すように神への懺悔を行う。


「神父……いえ、あの方は……確かに悩んでいらっしゃいました。でもそれは……教会の権威が落ちることではなく、街の人々が信仰を失ってしまうことに対しての憂いだったと……今も信じております。何が彼をあんな狂気に走らせたのか……」


 アリスはゆっくりと祭壇に向かい、青年の祈る場所まで来るとその真実を伝える。


「信仰……でしょうね」


「!!」


 見習の青年は恐らく反論したかったであろう唇をぐっと噛みしめ祈りに戻る。


 アリスは更に足を進め祭壇に辿り着く。祭壇にはたくさんの蝋燭や花、小物などが並んでいた。


「これは……?」


 アリスは蝋燭のそばに備えられていた小物の一つを手に取り青年に尋ねる。


「ああ、この街で亡くなられた方はこの教会に蝋燭とその遺品を収める風習があるのです。そんな風習も最近は少なくなったと聞きます。そこにあるものは先代の神父様が生きておられた時代の物でしょう。



 手に取った髪飾りを見つめアリスは呟く。

「先代の時代……ですか」


 少女と青年にそれ以上の会話はなかった。

 見習の青年もまた、狂った神父と同様の問題に立ち向かうことになるのだ。

 時代の流れはますます加速することになるのだから。



一礼し教会を出たアリスに、偶然を装って明らかに出待ちしていたであろうソフィアの抱擁が待っていた。


 軽い会釈の後、足早に去ろうとするアリスにソフィアは街で一番のお茶をご馳走するといい半ば強引にテーブルを囲んだ。


「それでねー、事の顛末についてはギルドひとつひとつに説明して回ったよー、小さい所は大きな三つのギルドが何も言わなきゃ問題ないだろうからさー。まあ何とか矛先は収めてくれたみたいー」


 噂の真相を知ったギルドの反応は様々だったらしい。


 軍隊上がりの商人は憤りを隠せはしなかったが、時代に取り残された存在をどこか自分たちと照らし合わせていたようだった。

 東の大ギルドはただ淡々と話を聞き、解決したのならとひどく冷静に対応していた。

 新興の女性ギルド長はその野心溢れる印象とはうらはらに、共存の道もあったのではないかと神父の没落に胸を痛めていた。


「どちらにしてもさー、今後も教会が管理していくことに変わりないんだよー。この街には新しい仕組みが必要なのかもー」

ソフィアはお茶とケーキを交互に口へ運びながら、どこか自分の言葉ではない様な事を話していた。


「信仰と経済のバランス……でしょうか?」


「そう!それー!何かそんな事言ってたー!」


「バカ犬」

『バカ犬』


 同じくお茶とケーキを交互に口へ運ぶアリスとミルクを舐め続ける黒猫はシンクロした。


「それで、この街の神父は……あの見習の方はどうなるのでしょう」


「あーそれねー、しばらくは中央から教会の人が来て色々やるみたいよ。あの青年も修行を続けていけるんじゃないかなー」


 信じていた、全てであった物の失墜。

 折れた心を彼がなんとか元に戻すことが出来れば、教会の威信とギルドの利益という二つの柱を両立する世界もあるのかもしれない。

 アリスは確信からは程遠い、だが淡い期待を心のどこかに抱いていた。


「騎士様はこれからどうなさるのですか?」


「アリスたんと一緒にいるー……と言いたいところだけど、私は中央に戻って報告書の作成や事後処理が待ってるのー……そうだ、私と一緒に中央に行こうよー!」


「申し訳ございませんが、私が行く場所とは方向が異なりますので……」


「えーどこ行くのー?」


 アリスは飲み終えたティーカップを静かにサークルへ戻した。


「騎士様、この度は大変お世話になりました。またいずこかでお会いすることもありましょう。それまでご健勝であれ……」


「うぅぅ……ほんとにだよ?ほんとにまたどこかで会おうね。そして結婚しようね。子供とかつくろうねー!」


 真顔で足早に去るアリスを尻目に、青空にはソフィアからの求愛がいつまでもこだましていた。




 アリスの向かった先、それは教会からも、昨晩の騒ぎがあったところからも離れた所にその場所はあった。

 本来であればこの場所こそ何より訪れるべきだったのだろう。

 死者が復活する噂、その舞台であるこの墓地に。


 周囲の木陰を揺らす風が、アリスの銀髪を撫でる。


 黒猫はアリスの肩に乗り墓地をにらみつけた。

 人の目にはみえずとも、悪しき呪いは魔力の濁流となって彷徨い続ける。


『姿を現せ、外道のものよ』


 黒猫が呟くと、墓地に吹く風は強さを増し、突如として薄暗くなった周囲には息づく生物さえ姿を消した。

 たちまち鼻を突くような異臭が漂う、整然と並んでいた墓石はひとつ、またひとつと倒れていく。

 土は盛り上がり、根を張った草が瞬時に枯れ果て、ついに地中から死者が目を覚ます。


『やはりか……』


 死者の復活は神父の計略から生まれた“嘘”であった。

 だが、少女と黒猫が出会った女の子は“嘘”ではない。


 墓地に眠っていた死者は体の一部が腐敗し失いつつも、こちらへ向かって歩きだす。

 悲鳴とも咆哮とも区別のつかない叫び声をあげ、何かを求めるように、何かを失うように。

 数百とも思える墓地中の死者は全て黒猫に呼応しているかのようだった。



 アリスは祖母を殺してほしいと願った少女“ステラ”から預かった髪飾りを取り出す。

 迫りくる死者の中から同じ髪飾りを付けた老婆の姿を探し出した。


「あなたね……」


 アリスと黒猫が哀れな死者の行進の前に立つ。


『はるか昔、あの大戦で数々の兵士が生まれた。そのいくつかはこの地上で魔物や亜人と呼ばれ生きていると聞く。だが彼らは……違う……戦争末期、追い詰められた“混沌”の兵は僅かな命から繰り返し兵を作り倒した。結果出来上がったのは、心を持たない虚ろな入れ物。魂を擦り切らした歩く死者だった』


 凄惨を極めた神々の争いは、終結して時間が経った今でも地上に暮らす人間にその爪痕を大きく残している。


「泣いている……」


 アリスは目の前の光景にあの日の戦争を照らし合わせる。


『この地に眠る死者は、そんな戦争の遺産より生まれた……いや未だ繰り返す魂を削り続ける輪廻の中に囚われた者たち』


 黒猫はアリスの持つ髪飾りを口に加え、老婆に向けて放り投げる。


『あの日、占い師を訪ねたお前の体から発された匂いは……間違いなく“混沌”の力【魔力】』


 黒猫の全身より禍々しい力が湧き出る、その力は一瞬にして周囲を闇と化し、死者の行進を止めた。


『そうだな?ステラ……』


 浸食される闇の中、髪飾りは消えてしまいその際の薄い光に照らされて、老婆は女の子へと姿を変える。

 その顔は泣き崩れ、苦しみもがいていた。


『ステラ、お前が眠りについたのは、先代の神父が生きていた頃……おそらく死した後、彷徨った魔力の依り代となってしまったのだろう。魔力に取りつかれた苦しさ、加えて次々と周りの死者の眠りを妨げ彷徨い続ける重たさ』


 黒猫はアリスの肩へと戻る。


『お前が助けを求めた者たちは、お前を見ることができなかった。耳を貸すことが出来なかったのだ……』


 恐らく何十年という年月、あてもなく救いの方法を探していたのだろう。

 その間にも安らぎを求める魂は際限なく削り取られ、かつて愛した街の者もその苦しみに捕らえられていった。

 終わりなき苦しみの中にあってもステラは助けを求めた。

 同じ匂いのする黒猫を見つけるその日まで。


『お前に魔力の匂いがあったからこそ、今回の事件が死者のものではないという確信が持てた』


 黒猫を覆う禍々しい力が一瞬で収束する。


『アリス、受け取れ』


 黒猫から発せられた魔力が、闇の濁流となってアリスの体へ流れ込む。

 それは少女の体で受け止めるにはあまりに大きい闇の力であった。体中が震え、時折痙攣するのをアリスは堪え魂が闇に犯されまいと抵抗する。

 そして“それ”は完全にアリスのものとなったのを見届けると黒猫は確認するかのように語る。


『私は何もできない小さな獣、アリスは何も持たない哀れな人形、だが今は神の御業と闇の魔力を持ち自在に扱う【最強の従者】』


 アリスは闇を纏う体で死者の前に立ちふさがる、死者はその巨大な力に逆らえず、その場で立ちすくんだ。

 大きく、だがかつて崇めた神の魔力に死者は一斉に声をあげた。


「モウネムリタイ……モウキズツケタクナイ……ハヤクコロシテ」


 その刹那、辺りが炎に包まれる。青く力強い魔力の炎、地を這う蛇のようにうねりをあげ死者を包む。


「もうおやすみ……私もあなた達と同じ、魔力に囚われた傀儡……せめて私の手で……」


 アリスから放たれた炎の大蛇は、死者を残さず焼き払い、真の眠りに旅立たせる。


「ナツカシイ……アタタカイ……チチヨ……ハハヨ……カミヨ……」


 炎が包む死者の鎮魂の中、塵と変わっていくステラがまっすぐとこちらを見つめる。


「ありがとうお姉ちゃん」


 数匹の炎の蛇は死者を焼き尽くすと、合わさって一つの龍に変化し空へと昇って行った。


 墓地を包んだ闇は元の景色を取り戻し、穏やかな風と静寂が戻った。


『泣いているのか……』


 ただずっと炎が昇った空を見ていたアリスに、黒猫が言葉をかける。


 彼らは犠牲者だ。

 神々の争いには無関係な。

 人としての天寿を全うし光へ導かれるべきものだったのだ。


「泣いてなどいません……」


 その体に纏われていた闇の力が消えた少女は肩が僅かに震えている、空を見上げ何かを押し殺す少女に黒猫がそっと近づいた。


『アリス……私を見ろ……』


 気づかれないように顔を拭い、恐る恐る少女は黒猫の方を振り向く。


『アリス……なぜ俺まで巻き込んで焼いた?』


 そこにはチリチリになった黒猫が怒りに震えていた。

 アリスは必死に笑いをこらえ震えていた。


「タロ様、今良いシーンですよ?」


『台無しだよ!!!!!!!!!!!!!!!』


 アリスは笑いながら黒猫を抱え上げ抱きしめる。

 目に大粒の涙をためて、そして新たに空を見上げた。



「さあ、タロ様次の街へ向かいましょう。その陰毛みたいな体は私がきれいにして差し上げます。毛のない猫なんかも気持ち悪くて高くで売れそうですね」


 少女は黒猫を地面に戻しチリチリになった体を優しく撫でた。


『毛無は寒そうで嫌だなあ……次の場所は温かい街であればいいが……』


 教会とギルドの事件。

 そして死者復活の噂。

 何一つ交わらなかったこの街の二つの出来事は、結果的に銀髪の少女と黒猫が解決した。


 だが、残酷な神と時間の流れは、この他にも地上を生きる者たちに様々な暗い影を落としているのだろう。

 そしてそれに関わる度にアリスの魂は傷を背負っていく。



 黒猫は無力な己の現状を嘆くよりも、今この瞬間に従者を抱きしめてやることができない獣の体を呪った。



 その後。すぐにアリスと黒猫は街を出た。

 誰にも告げず、次の街を探して再び旅路へつく。


 だが、その様子をじっと身を潜めて見ている者がいた。


「あはーん?」


 その者がまとう三つの光が走る騎士の鎧は身を守るものではなかった。

 騎士の鎧はその者が騎士であり続けるための箍であった。



 ソフィアと呼ばれた教会の女騎士は、これまで味わったことのない感覚に支配されていた。


「やっぱりただものじゃないって思ってたのぉー。すごい……すごすぎる……アリス……あれは魔法!……しかも詠唱なしの超々高等魔法!!」


 蛇のような舌なめずりで恍惚の表情を浮かべるソフィアは、憧れや羨望とは違う、獲物を狙う目とも違う。愛しい者を見つめる酔いしれた目でアリスの後姿を眺める。


「恐ろしい……恐ろしい……強く美しく残虐な……【神の力】!あの娘が欲しい!貪りたい!しゃぶり尽くしたい!!!……あの小さな体の中身を引きずり出すとき……どんなかわいい声で鳴くんだろう……」


 おぞましい欲求に支配された後、アリスの姿が見えなくなるとソフィアはいつもの表情にもどり、道化の鎧を再び身にまとう。


「このことは報告しないでおくねーアリスたん。二人だけの秘密だよ……」


 振り返るソフィアの豪奢な金髪は炎の様に揺れ、また蛇の様にうねった。


「また、会おうねぇー……」

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