第九話「エピローグ」

 光もなく音もなく、その場所は恐ろしく冷たい。

 それは四方を闇に閉ざされた空間であった。

 堅固な柵があるわけでもなく、恐ろしい門番がいるわけでもない。

 ただ深い闇が広がる世界。


 四つの勢力が争った神々の戦争は、「秩序」の勝利で幕を閉じた。

 敗れた「混沌」の勢力とそれに加担した一部の神は、秩序の神によってこの闇の牢獄へと幽閉された。


 ここは神の力を持つものを封じる檻であり、敗北者を辱める棺であった。



 かつて、秩序の神と同じく光の祝福を受けていた神“アスタロト”も、他の敗北した神と同様この闇に捕らえられていた。


 力が使えない神は、体を癒すこともできない。

 戦いでついた体の傷からは休むことのない痛みが、敗北でついた魂の傷は無限の屈辱が神を苦しめていた。

 死ぬことも出来ず、ただ朽ちて弱り果てていく魂と躯を眺める時間が永久に続く。

 このまま神の座も追われ、闇の住人として堕ちていくだけ。


「なぜ負けた……我は何故負けた……なぜ……なぜ彼は裏切った……」


 悲しみや怒りの叫びとは異なる誰に届くこともない呟きが、呪いのように闇へ放たれては吸い込まれていく。




 だが、闇の沈黙は突然破られた。




「ア……様……タロ様……」


 聞き慣れた声だった。

 それでいてここでは決して聞けるはずのない声でもあった。


 自分を探し求める少女の声が暗闇の中から聞こえる。


「アスタロト様、わが主様!ご無事ですか?」


 腰まである長い黒髪の少女は、全身をボロボロにさせて這うように近づいてくる。

 身に纏うぼろ布は、かつて本人が望んだゆえに与えた物のなれの果てであった。

 リボンやフリルのついたメイド服、今は原型をとどめていない。

 そのことはここまでの道のりが、人間である少女にとって命を懸けた結果であることを示している。


 その昔、地獄と呼ばれていた地上で出会った少女。

 幼くも美しい顔立ちの中には、生への渇望と力を求める強い意志が感じられた。

 他の神から戯れとも揶揄されたが、アスタロトはこの少女に与えられるすべてのものを与えた。



 命を懸けようやく成し遂げた再会に喜んだのも束の間、傷つき力を封じられた主の姿を見て泣いている少女にアスタロトは問いかける。


「アリス……なぜここへ来た……神の力を持たないお前が、この場所に来ることは出来ないはずだ……」


 この闇は膨大な神の力を封じる監獄。

 闇に紛れ目に見えはしないが、秩序の神によって様々な術式が組まれている。

 もちろん力なき者もその影響を受ければただでは済まない。


「何をおっしゃいます主様、あなた様がおられるところが従者である私の居場所でございますよ?」


 アリスはやれやれといった表情で笑みを浮かべる。

 争いが起こる前、あの暖かな安らぎと静かな時間の流れの中、大切にしてきた笑顔がそこにはあった。


「馬鹿な!秩序の神に見つかれば、お前の魂はその力によってかき消されるぞ!早く逃げるのだ」


「出来ません。私は主様をここからお助けするために参ったのです!」


 主であるアスタロトが戦に負け闇に堕ちたと知り、アリスは恐らく想像を絶する苦難の果てこの地にたどり着いた。


「人であるお前がここに辿り着いた事自体が奇跡……」


 アスタロトはかつての従者をなだめる様に言い聞かす。


「私は敗軍の将なのだ。他の散っていった者の為にも、その報いは受けねばならぬ」


 アリスは傷ついたアスタロトの体に軽くおでこを付け語り掛ける。


「アスタロト様、転技の術をお使いください」


「転技!?だめだ!それは……」


 神の力はそれぞれで異なる能力を持つ。

 生まれつき備わるものと、後から身に付けるもの。

 それぞれの能力を他者へと譲渡する秘術が存在するという。

 一説によれば譲渡などという生易しいものではなく、他の神の力を妬んだ者が無理やり力を奪うために作られた禁呪と聞く。



「主様の力……私に渡して下さい……そうすればこの檻に捕らえられるのは私。アスタロト様はここから出る事が出来ます。」


「何を言う!人であるお前に神の力など魂が負担に耐えられん。闇に堕ち、魔と化した力はお前の魂を未来永劫貪り続けるぞ。それがどれほどの苦しみかお前には分からんのだ!」


 アリスはこれまでの従者としての礼節と冷静さを捨て、再び涙を流し感情を爆発させ主に訴える。


「分かっていらっしゃらないのはアスタロト様です!!私はあなた様に拾い上げられ、たくさんのものを与えていただきました!私の命は主様の物です。主様と共にあること以外に意味などない!主様様の命が今日までなら・・・私の命も今日まででいい!主様の魂が少しでも救われるならば、私の魂は救われなくてもいい!!」


「アリス……」


 少女は意を決し、ボロボロになった服をすべて脱ぎ捨てる。

 一糸まとわぬアリスの体は、闇の中においてなお命の光によって淡く光っている。

 それはこの場所では恐ろしく脆くもあり、、それでいて神の目をも虜にする程に美しかった。


「準備は出来ております……主様を救う力は……すでにこの中に……」


 アリスは自らの下腹部に触れ、やさしく微笑む。


「まさか!禁呪の種子を体内に!!」


 アスタロトがアリスの犯した禁忌を理解した瞬間、少女の唇が神の唇を遮ぎった。

 神と人とが一つに繋がり、アリスに宿った禁呪の種が弾け力が解放される。


「きゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!」


 アスタロトの力は大きな濁流となってアリスへとなだれ込む。

 その力はかつての光に祝福されたものではなく、闇に放り込まれた災いと呪いの象徴「魔力」。

 アリスの体を無数の闇が蹂躙し、魂を穢れさせていく、その苦痛と絶望はアスタロトの想像をはるかに超えていた。

 だが、神の力を持ってしてもその禁呪を止めることは出来ない。

 美しかった従者の姿を禍々しく変えていくその力に、アスタロトはただ力を奪われていくしかなかった。


 そして少女の断末魔はこの牢獄中に響き渡り、何も存在しないと思われた闇が生き物の様にうごめく。

 侵入者に気づいた暗闇から黒いローブ姿の死神が姿を現した。


 アスタロトの強大な力に捕らえられたアリスは、徐々に人の形を変えていき、異形のバケモノと変化していった。

 呪いと化した神の力は堕ちていく少女をあざ笑うかの様に、より一層の苦しみを与え続ける。


 迫りくる黒い死神に取り囲まれ、さらに天よりまばゆい光の槍が姿を見せる、秩序の神にも気付かれたのだ。



 絶望という渦の中、アリスは僅かに残った“人”としての理性で喜びの声を上げる。


「あぁ、これでいい。これが、これこそが、私がアスタロト様に救われた理由、私が生き続けた理由……」


 闇の使いが波のように押し寄せ、アスタロスとアリスがいる場所を無数の光の槍が貫く……。


 全ての存在が滅されたと思われた瞬間、槍が放たれた場所には闇より深い「無」の空間が現れていた。

 その「無」は闇の力ごとアリスとアスタロトを包み小さな光へと変化していく。

 力を奪った人間と奪われた神が無の空間に飲まれたかと思われたその時、小さな光は神をも捉える事ができない速さで闇の牢獄を飛び出した。


 暗闇の死神と光の槍をかいくぐり、牢獄を脱出した後、秩序の神々が支配する世界をも抜け出して地上へと降り立つ。


 その様子は神の世界と闇の世界、そして地上からも確認が出来た。

 後にそれは流れ星の様であったとそれぞれは語り、神話に記されることになる。



 二人がたどり着いた地上は、神々の争いに巻き込まれ各地に傷跡を残していた。

 美しかった自然は荒れ果て、わずかに残った人々はただ奇跡を願った。


 荒れ果てた大地の中にあって、唯一その存在を汚されなかった大樹の根に、傷ついた少女と黒い獣がお互いを庇う様に倒れていた。

 少女は目を覚まし、痛みと苦しみが消えたその身を不思議に思った。


「アスタロト様?私……どうして……」


 徐々に取り戻す意識の中、かつての主の名を呼ぶがその姿はどこにもなかった。


『目覚めたか。お前が吸い尽くした私の力、それを魔力のみ私が取り返し何とか脱出できたのだ』


 アリスは黒く小さな獣と化した主に驚愕の目を向け両手で抱え上げる。


「そんな……あのまま逃げてくださっていれば……もし貴方様が取り返した神の力を闇が捕らえれば、私もあなた様も二度と戻れなくなっていたのに……」


「良いのだ、私の力……戦闘技術や魔法の術はお前が。そして神の力……今は魔力か、それは私が持っていよう。そうすることで二人とも闇に捕らえられず逃げられたのだから」


「アスタロト様、それでこんな哀れなお姿に……」


「良いのだ……お前の方こそ苦しかったであろう。それに美しかった黒髪が……相当の傷を残してしまったな」


 そう言いアスタロトはその小さい足で、少女の長い銀髪を優しく撫でた。



 荒れ果てた大地で銀髪の少女と黒猫はお互いを見つめ合う。


『生きろアリス、私の命が続く限り』


「生きて下さいアスタロト様、私が最後の日までお供いたします」


 かつて強大な力を持った神とその従者は、姿を変え神の目を欺き、これから始まるであろう“世界”へと足を進めた。

 それは破壊から立ち上がり、歴史を刻む地上の人々との出会いの旅であり。

争いの果て、自らの姿を陥れた神々へと立ち向かう旅でもあった。




『だがしかし、この姿で主従の形はおかしかろう。他の者の前では猫と飼主でよい、秩序の奴らの目もある、アスタロトという名前はまずいな……何かいい名前を。そうだ闇猫とかどうだろう』


 アリスは主人が身に着けていた服を羽織り、再び共に居られる喜びを現した顔で振り返る。


「名前はタロにしましょう。今の主様にはお似合いです。ぐずぐずしてたらその皮ひん剥いて売り飛ばしますよ?」


『適応力ありすぎだろ!!!』


 銀髪の少女と黒猫は、ようやく差し込んだ光に向かって歩き出した。

 その影は儚くも力強い少女の姿を、もう一つは禍々しくも優しく少女に寄り添う悪魔の姿をしていた。




【美少女占い師と死者行進 ~完~ 】

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