第20話 好奇心は誰を殺す
何故、社会は何もしないでいたい、という望みを許さないのだろうか。私以外にもこの望みを抱いている人間は数多くいるだろうに。
……そういえば、子供の頃、何もしないをしているんだよ、みたいな台詞を言っていた少年がいた気がする。
その少年には、大親友の熊のぬいぐるみにお別れをした。
本では、そうだった。
だが、少年と熊の物語をアニメ化した作品では、ずっとずっと熊のぬいぐるみとお別れすることなく、愉快に楽しく暮らしていた。
ズルいと思った。
いや、少年と熊の物語だけではない。
幼い頃の私は、あらゆる物語のキャラクターたちに嫉妬した。
可愛くない子供だ。
きっとあの頃から、手遅れだったのだろう。
あの頃の自分に忠告をしたとしても、きっと何も変わらないのだろう。
「………後悔し続ける、か」
いつまでも、いつまでも、前進しない。
停止したまま。
「ダメ人間め…」
自分自身に言ってみる。
その通りだな、としか思えなかった。
「……ダメ人間め!!」
もう一度、怒気を込めて言ってみる。
…やっぱり、そうだなとしか思えない。
……ダメ人間。
「…あ」
廊下の先に、知っている人がいた。
アーネスト氏だ。
よく見てみると、酷い憂い顔だ。
何か、あったんだろうか?
あんな真っ当な人でも憂い顔をするんだな、という純粋な驚きと好奇心もある。
まあ、人間は誰しも悩みを抱える生き物らしいし、珍しくは無いのだろうけど。
「どうかしたんですか? アーネストさん」
「あ…佐藤さん…。恥ずかしい所を見せてしまいましたね…」
俯き、言葉を濁すアーネスト氏。
「…………何かあったんですか?」
「…佐藤さんには、関係がないことですから…」
「そうですが……」
気になる。
最低だが、好奇心が刺激される。
この人は、私が知る中で、まともな大人だ。
そんな人が憂い顔で、悩んでいることとは何なんだろう。
気になる。
私自身がまともな人間じゃないからか、かなり気になる。
一体どんなものなのだろう。
まともな人間の悩みって。
人間関係とかだろうか。
仕事とかの問題?
或いは、プライべートの問題とか?
気になる……。
「話してみたら、どうでしょうか? 私で良ければ聞きますよ」
興味本位で。
アーネストさんは、少し戸惑っている。
そりゃ、そうか。
でも、説得していけば話してくれそうな気がする。
押しに弱そう、というか。
……もう少し、粘ってみるか。
「話してみるだけでも、楽になりますよ」
「そうなんですが……」
「…もしかして、ここにいる人間には聞かせられないような事だったりするんですか?」
アーネスト氏の顔が明らかに強張ったのを私は見逃さなかった。
「いや、そういう事では…」
「だったら、話してくれても良いじゃないですか…」
「………誰にも言いませんか?」
「言いませんよ。それなりに口は固い方なんです」
「……そうですか」
よし。聞き出せそうだ。
さあ、常識的な大人は何を悩んでいるのか。
「私、ここで勤め始めたのは最近なんですが……そろそろ限界かもしれないんです」
「やめればどうですか? ニートは良いものですよ」
「やめる気なんてありませんよ!! 何て事言うですか!!」
チッ。
折角、私と同じような日陰の人間が増えると一瞬でも思ったのに。
「やめたい訳じゃないんですか? やめられない、ではなくて? そもそもどうしてこんな場所に務めているんですか?給料が良いとか?一応、公的機関だし」
個人的にやめられないのはかっぱえびせんだけで十分だと思う。
「そういう訳じゃないんです。やめたい訳でも、やめられない訳でも無いんです。でも……」
「でも?」
「何かが、限界に近づいているというか……」
「へぇ……」
…何だろう。
全然、わからない。
アーネスト氏の言葉と表情からは、困っているということがひしひしと伝わるのに、何に悩んでいるのか本当にわからない。
やめたい訳じゃないという意味もだ。
この人、仕事を人生の生き甲斐とか、目標とか思っているタイプなんだろうか。
だとしたら、私とは一生話が合わない気がする。
そんなもの、私には無い。
生きてて、二十数年、感じたことのないものだ。
そして、知らない事は理解することが出来ない。それを知らない限り。
アーネスト氏の憂い顔は、晴れない。
「限界ですか…そうですか…」
「…心苦しいものです、限界を認めてしまうことは…」
「はぁ……」
「自分自身の否定のようなものです……。コレは…」
「自己否定ですか…」
「自分自身の機能の限界を認めてしまうということは…自身を否定していくのに近いものだと思います。似ているだけで、本質はまた違うものなのですが…」
「………………」
自己否定。
それなら、私の得意分野だ。
一体、何度、自分自身を否定してきたのか。
「……ごめん」
「え?」
唐突に、謝られた。
「………ごめんなさい……」
「いきなり何ですか…?」
「ごめん…。貴方に言ってもどうしようもないって事はわかっているんだ……」
「はあ……」
「ごめんなさい…。力不足で、ごめんなさい……」
アーネスト氏は、今にも泣きだしそうだ。
人が悲しんでいる表情を見るのは、嫌なものだ。
その人と関係が全くないのに、何故か痛くなっていく。
……目の前にいる大人は、誰の為に悲しんでいるのだろうか。
私にはわからない。
空気が何となく嫌なものに変わっていく。湿っぽくて、暗いものに。
何か、この状況を変える手立てはないものか。
…適当に何か質問するか。
「あの、アーネストさん…」
「なんでしょう…」
涙声になっている。………嫌だなぁ。
「…いや、前に集会があったじゃないですか? アレってまたやるんですか?」
「……ああ、教えておく必要がありましたね、佐藤くんには。アレはもう、やりませんよ」
「やらないんですか」
「ええ」
「そうなんですか…」
あの時に起こった騒ぎの所為なのだろうか。
でも、それだけで朝礼というものは、無くなってしまうものなのだろうか。
アーネスト氏の対応を見るに、上からの命令っぽいが。
「…そっか、朝礼もうやらないのか…」
「そうですよ。嬉しいですか?」
嬉しいかどうかで言えば、まあ嬉しい。
朝起きるのは、ぶっちゃけ怠いし。人がいっぱいいる場所とか苦手だし。
……ふと、疑問が湧き起こる。
この質問はして良いのだろうか。
でもこの機会を逃せば、一生聞き出せない気がする。…一生は言い過ぎかもしれないが。
この湿っぽい空気を払拭するには丁度良いものだろう。
私は、意を決してアーネスト氏に尋ねた。
「そういえば、朝礼にいた有象無象の人達は何処にいるんですかね。余り、見かけませんけど」
アーネスト氏の表情が、また強張った。
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