第19話 少女との一時は白昼夢のように終わる
「ねぇ」
……。
「…あの、すみません」
鈴を転がしたような美しい声。
いや、この世にあるどの楽器よりも美しく響く声だ。
「聞いて、ますか?」
「はい、なんでしょう」
どうやら、アゾートに話しかけられていたようだ。
異常事態だ。
美しい存在がまた私に話しかけてくるとは…。
どうすればいいのか、わからない。
このような経験が少なすぎるからだ。
アゾートはあどけない表情で私を見る。
頼むから、私を見ないで欲しい。
綺麗なものに見られるのは苦手だ。
自分の醜さを自覚してしまうからだ。
「何の本を読んでいるのですか?」
「…詩だよ」
少女はやはり美しい。その美しさに陰りは見えない。…まあ、一日で陰りが見えるような美ではないだろう。思うに、アゾートの美は劣化することのない石の彫刻だ。彼女の造形は名のある芸術家の手によって作り出されたと言われても私は信じるだろう。アレは、至上の美と形容できるモノだ。私のような人間が目にしている時点で何かが間違っている。
というか、この少女はこの世にいる時点で間違っている気がしてならない。
この少女が、この薄汚い現実にいるということを真面目に考え始めたら、私は耐えられなくなりそうだ。この世に居続けるれば、いずれアゾートが穢れてしまいそうで。
私自身が殺されるよりも、恐ろしく感じる。
「あの、顔色が優れないようですが…?」
「キミ、天使とかだったなら、悪い事は言わない。天に帰りなさい。あと、終末のラッパを鳴らすことをお勧めする。この世はもうダメだから。あと、次の世界を作るんであれば、神様に出来るだけ時間掛けて造るように言っておいてくれ。まあ、一番良いのは世界を造らないことだけどさ」
……一気に捲し立ててみたが、この狂ったとしか思えない戯言は何だ。アゾートの顔を見ると、美しい顔が引きつっていた。
そりゃ、そうだ。
「……えっと………」
「すみません……。でも、本音です。貴方は美しいんですから、こんな世界にいないで下さい…」
「あの…私は人間ですよ?」
またまた、御冗談を。
「信じてませんね!!? 私は人間です!!ホモサピエンス!!!間違っても……天使…なんかじゃ…ありません!!」
はは、御謙遜を。
私の表情で察したのか、アゾートは頬を膨らませて言う。
「酷いです!!あんまりです!!じんけんしんがいですっ!!!!!!」
「大丈夫。天使とかそういう美しい存在としてカテゴリしてるから。元よりキミを人間として認識していない。だから、人権侵害という言葉は当てはまらないよ」
「な、なんて身勝手な言葉を…!! 恥ずかしくないんですか!!!?」
「こんなことで恥を覚えているようなまともな神経を有しているなら、私はここにいないよ」
私は、人として間違っているからここにいるんだよ、少女。
「……貴方、卑屈なんですね」
「まあ、それなりにね」
少女は憐んだような表情を浮かべる。
私のような屑人間に、憐憫の情を持つとは。途方もなく優しい少女だ。まるで、聖母のようだ。
ここでQ他人に優しい人とは、どういうことか?
A.他人を気に掛けるほどの余裕があるということ。
彼女はどうやら、真っ当なようだ。
私とは、大違いだ。
私は、それほど他人を気にすることがない。
自分自身で、埋め尽くされているから。
「やっぱり、キミは天使だよ」
私にとっては。
私の中で人間とカテゴリするには、アゾートは美し過ぎる。私の中で人間と認めるには汚れのレベルが全然足りない。神聖さなら、カンストしているが。
正直に言えば私は、目の前の少女を人間と認識したくない。
「私がが君を人間と認識しないのは、キミの美しさに敬意を表しているからだよ」
「人間扱いされない敬意なんて、私は嫌です」
「キミが何を思うかなんて勝手だけど、私がキミを人間扱いしないのも、また勝手じゃないかな?」
「サイテーです!!!そんな人とは思いませんでした!!」
……どうやら、買い被られていたようだ。
私のような人間に対してどんな幻想を抱いていたのか。ここに来るまで落ちぶれたのだから、何かしら理由があるとでも思ったりしたのだろうか。
だとしたら、大したものだ。そして、強烈な罪悪感が湧いた。果たして真実を言っていいものだろうか。美しい少女の、美しい幻想を破壊する行為は…非常に罪深い。
しかし、思い直すことにした。
目の前にいる少女は、人間ではないのだと。
そうすると、胸にあった罪悪感が綺麗さっぱり無くなった。そして、自分のどうしようもなさに嫌気が刺した。
「…貴方は、何をしにここに来たのですか?」
唐突に、何を言いだすのか、この美(ア)少女(ゾート)は。
目を逸らしたかったが、汚れの一つもない宝石のような目に、釘付けにされた。
美しいものは、心を癒す。しかしそれは、度を過ぎなければだ。度を超した美は、毒へと変わる。人を容易く壊せる劇物へと、変化する。
「…答えてくれませんか?」
「……それは………」
私は、何故ここにいるんだろう。
真っ当な人間になるため。
社会の一員になるため。
……だけど、妙に引っかかる。
酷く、嘘くさいのだ。
私は、社会がわからない。
働くことは、害悪でしかないとも思っている。
だが、少女の前でそれを言う事は躊躇われた。
少女の美しさを損なってしまうような、気がしたからだ。
だが、考えても考えても、目の前の無垢な少女を落胆させてしまうような言葉しか出てこなかった。私が私である所以だろう、きっと。
仕方ない。
自分は所詮、自分でしかない。
自分を超える存在にはなれないし、自分を超えるような言葉も出せないのかもしれない。
仕方ない。
嘘偽りの無い言葉を言おう。
そうでないと、彼女は許してくれないだろうし。美しく彩られた嘘よりも、生々しくどうしようもない真実を彼女は御要望のようだし。
……こんなことを考えてる時点で自分の人間性が透けて見えるな。
さっさと言ってしまおう。
「何もしなかったからだよ」
「何もしなかった?」
「うん」
「……本当に、何もしなかった…? ただ、それだけのことだけで?」
「そうだよ。だから、社会から見捨てられたんだよ」
自分を高めようとも、他人を貶めようとすることも、何かを変えようと思うことも、変えようと行動することも、周りを変えようとすることも、自分の考えや、行動を変えようとすることも、一握りの勇気ある行動も、一かけらの悪事も、良いことでも、悪いことでも。全て、全て、何もしなかったから、私は今ここにいるんだ。
全部、自業自得。
そして、私はアゾートから眼を逸らした。
アゾートがどんな反応をしたのか、見たくなかったからだ。
ただし、ガッカリさせてしまっただろうな、ということはわかる。年端もいかない少女にダメ人間っぷりを見せつけてしまった。
人間として、まず許されてはならない行為だろう。
しかし、私に夢を見られても困る。無垢な、人間ではない少女に夢を見たって許されるだろうが、社会から外れ切った先の無い人間に夢を見るのは駄目だ。
それは、夢見られる存在と全く対極的な存在なのだから。
何も、生み出すこともない。
利益も、不利益も生み出すことのない人間は、この世に存在していけないのだ。
そして、そんな存在してはいけない存在に夢を見てはならない。
存在しないものに、夢を見続けるのは、許されるのであろうが。
そこが、存在しないものと、存在してはいけないものの差なのだろう。
少女は、言葉を発さない。
失望、しれくれたのだろうか。
だとしたら、一安心だ。
同時に、心苦しい。無垢な少女に傷を付けてしまった。
でも、これ以上の傷を負わずに済んだかもしれない。この私という人間を知ることで。
これ以上、期待しなくなるだろうし。
期待されるということは、大概の人間にとって、重荷にしかならないのだから。それはもう、身体を動かせなくなるどころか、心を再起不能にすることすら、容易に出来てしまう枷なのだから。
少女は相変わらず、何も言わない。
私は、これ幸いと足音を消して図書室の扉を開けた。
「…もう、帰っちゃうんですね」
なんてことだ。
アゾートがまた喋った。
「…また、来てくださいね?」
「………………はい」
私は、そう答えることしか出来なかった。
アゾートは、何を思ってそんな事を言ったのだろうか。
私に、幻滅していないのだろうか。
あんなダメ人間っぷりを露わにしたというのに。
アゾートの表情を知りたい。けれど、私は振り向けない。
美しいもの過多が過ぎる。
何よりも、純粋な少女を直視したくなかった。
図書室を一旦出て、漸く私は安堵した。
あの美しい存在は、ここにはいない。
ああ良かった良かった。
「……早急に寝たい」
悪夢も見ないほどに、ぐっすりと。沈むように眠りたい。
一番良いのは、眠ったまま目覚めないことだが、そこまでは望めまい。
そして、私はそのまま誰とも会わず、自室に戻り眠りについた。
寝る間際、ドッペルゲンガーに受けた殺戮の恐怖を思い出したが、そのまま眠りに落ちた。
不思議なことに、何の夢も見なかった。
夢をみなかったにも、関わらず起きた私は憂鬱だった。
私にとって、何もなくても目覚めるという行為そのものが、鬱屈に繋がるらしい。
…生き辛い。
「今日は、何処にいこうか」
そういえば、前に朝礼で会った人々は一体、何処にいるんだろう。
余り、会っていない気がする。
殆どが引き籠もっていても、私は別に驚きはしない。
「…しかし、私が引き籠もってもな…」
またイルが来ないとも限らない。
そもそも、私はもう大分と引きこもり続けた気がする。
その果てに、この場所に来ているのにここでも引き篭もるのはどうなんだろう。
「何か、やりたいことでもやるか」
やりたいこと。
我ながら、あやふやな言葉だ。
でも、やりたいことは頭に浮かばない。
前と同じだ。
夢も、やりたいことも、無い。
誰かの為になるようなことも、ちっともやりたいと思えない。
私ぐらいの年齢だと、社会貢献することが世間の常識だが。
……傲慢で、怠惰で、屑だと自分自身を定義付けている私だが、社会貢献とは一体なんなんだろう。
私は、社会がわからない。
だから、そのわからない社会に貢献するということは、ハッキリ言って意味不明だ。
そもそも、貢献する価値があるんだろうか。
誰もかれもが、自身の仕事を嫌だと感じていたり、反対に誇ったりしている。
根性論が尊ばれ、効率が軽視され、唾棄される。
衰退する一方で、何もしない。
正しいことを言う人が報われず、同町圧力で押しつぶされる。
皆が皆、考えを持たないように生きている……ように思える。
私のような、屑が思うことだ。きっと、戯言でしかないのだろう。
「あーあ……」
死にたい時に、パッと楽に死ねるという権利は、無い。安楽死も導入されていない。
もし、そんな権利がこの国に導入されたら、多くの人間が死んでしまうのだろう。
いや、全世界から人の姿が消えてしまうかもしれない。
「…究極の地球温暖化防止策、的な…」
極論だ。
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