第18話 怠惰な夢の時間

白い廊下をひたすらに歩く。

 図書館にあの少女、アゾートがいると考えるだけで心が安らぐ。

「……詩集もあると良いなぁ…」

 癒されたい。

 切実に。

 心の闇をそぎ落とす…のは無理だとしても、緩和したい。

 最近、私は悪夢を多く見ている。

 それに慣れない場所にいるせいか、ストレスが蓄積している。

 これ以上、ストレスが溜まれば私はどうなるかわからない。

「ストレスという概念なんてこの世から無くなってしまえば良いのに…」

 刺激はいらない。

 心を苦しめる諸々は悉く消え去れば良い。

 ストレスが無くなればきっと、人間は楽になるだろう。

 進歩も無くなる。

 皆が、怠惰になる。

 何もしなくなる。

 そうすれば、何もしない私のような存在も珍しくなくなりこの世から創造的な分野も事務的な分野も全て停止し、全てが無くなる。

 全人類がごく潰し化。

 文明は徐々に衰退し、いずれ人類も滅ぶ。

 そして、地球は美しい緑溢れる姿を取り戻す。

「……どうなんだろ、これは」

 想像が明後日の方向にいってしまった。

「でも、まあ想像だし」

 明後日の方向に行ってしまうことはよくあることだ。

 しかし、内容が内容だけに気分が削がれる。

 私は別に人類に滅んで欲しい訳ではない。

 ただ単に、私が怠惰であることを許して欲しいだけだ。

 何もしなったことを認めて欲しいだけだ。

「そもそも…働きアリだって何もしない奴が圧倒的に多いじゃないか…」

 蟻は許されているのに、人間が許されないのは納得出来ない。

 そもそも、雄の蟻は働かなくても存在を許される。

 その代わり、交尾と共に死ぬことになるが。

「…それもどうかと思うけどな…」

 腹上死。

 生物としての本懐は遂げていると言えよう。少なくとも、生物的には後続を作り、先を作り出したのだから万々歳だろう。

「蜂や蟻の雄は羨ましいんだか、羨ましくないんだか…わからないな」

 怠惰を貪り、後続を続けさせることしか目的の無い生。

 女王蟻や、女王蜂も似たりよったりかもしれないが。

 子を産み続ける生。

 子供を生み出せなくなれば、終わりの生。

 生物としては、良いのだろう。

 ただ、これを人間に置き換えると………。

「傲慢だな、この考えは…」

 人間は、生物として間違えている。

 仕事というものを生み出し、それに尽くし死ぬのもそうだが、まず種の存続を放棄するようになった時点で間違えている。

 芸術や科学、哲学、そういったものを生み出した時点で。

 人間は生物から遠ざかって行ったのかもしれない。

 どんどん楽を追求し、何処に向かうというのか。

 私にはわからないし、わかる必要のないことだ。

 真っ白な廊下はまだ続く。

 気を抜けば、狂ってしまいそうなほどに床や壁は白い。

 気を逸らさなければ、本当におかしくなってしまいそうだ。

 現実を見ないのは得意だ。

 だから、図書室に向かうまで空想や妄想で気を逸らすことにしよう。

 例えば、私の目の前に柄の悪いチンピラが現れるとする。

 そして、そのチンピラ共はか弱い女の子を脅している。

 空想の中の私はそのチンピラ共を見過ごさない。

 何らかのカッコイイ武器を手に、チンピラ共を血祭りに上げる。

 武器は…何だろう。

 木刀もアリかもしれないが、糸とかもカッコイイだろう。

 そして、私はか弱い女の子にお礼を言われる訳だ。

 ハッピーエンド。

 素晴らしいな、本当に。

 空想は楽しい。

 妄想は至福だ。

 しかし、この妄想をするのは何百回目だろうか。

 そろそろ飽きてきた。

 でもこれといって、妄想でしたいことはない。

 ヒーローになったり、ハーレム作ったり。

 色々やり過ぎて、飽きた。

 何か、新しい妄想ネタを補充しなければなるまい。

 そう、考え始めた所で、図書室の前を通り過ぎていたことに気が付いた。

「いかんいかん…」

 没頭しすぎると、これだから。

 余り、良い傾向じゃないな。図書室の扉に手を掛ける。

 図書室は、矢張り様々な本が詰まれている。

 この場所の本の多さに関しては素直に羨ましい。

 私は多分、ここに永遠にいようと思えばいれそうな気もする。

 だが、しかしあの少女の美しさに耐えれればの話だが。

 アゾートはいた。

 相も変わらず、本を読んでいる。読書する少女は好ましい。

 美少女なら、猶更だ。別にロリコンではないけど。

 俗世とは切り離らされた美しさは心を癒してくれる。

 ここに来て良かった。

 この世もそんなに悪くない、と錯覚が出来る。

 目の保養になる少女は宝石並に価値がある。

 アゾートはこちらを見ていない。

 幸運だ。

 これで思う存分、美しいオブジェ扱いが出来る。

 そして、少女を横目に詩集を探すことにした。

 案の定、色々あった。

 中原中也もあった。

 高村光太郎もある。

 萩原朔太郎もある。

 ハイネもあった。

 暫く、読むのに困らない。

 私はまず、萩原朔太郎の月に吠えるを手に取った。

 詩を読んでいくと、現実から徐々に離れていくような心地がした。

 海月が月を横切る光景を幻視した。

 言の葉の一つ一つが、私の心を解きほぐしていった。

 私の空想が広がっていくのを感じる。



 夢のような時間が始まる。

 

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