第13話 物体Xとの邂逅と教室

 白い廊下がいつまでも続くような恐ろしい錯覚を覚えそうな廊下を二人で歩く。

 白を何時までも見ていると、頭が痛くなる。地に足が付かない不安定な感覚が延々と続くのは、私にとって拷問に等しい。何だって、ここまで白くしてしまったのか。病院でもないのに。ああ、気持ちが悪い。

 隣にいるイルは平然としている。

 …私ほど、神経が繊細じゃないのだろう。羨ましい。

「…どうした、佐藤。顔色悪いぞ」

「…いや、何でもない」

「なら、良いけど。……吐いたりするなよ」

 誰がするか、と言いかけて飲み込む。

 今すぐに、ずぶとい神経が欲しい。

 望むべくもないものだとわかっているけど。それでも欲しい。

 白の清潔さに押しつぶされてしまいそうだ。

 私は、ここまで弱い人間だっただろうか。

「…なあ、佐藤」

「……なんだ」

「アレ」

 そう言って、イルは前方を指さした。

 そこには、もさもさとしたよくわからない黒い塊のようなものがいた。

 若干、動いているようにも見える謎の物体に、私は見覚えがあった。

 確か、昨日の朝礼で見たような…。

 もぞもぞと動く物体。

 中身は恐らく、人間なのだろう。

 そして、黒いのは恐らくいつまでも切っていなかったであろう髪の毛。この物体を見れば禿の人でも羨ましがる所がドン引くこと請け合いだ。

「………どうするよ」

 怪訝な表情で、イルは私を見た。

 そんな目で見られたって困る。

「決まっているじゃないか、そんなの…」

 よくわからない何かに対処する方法。

 恐らく、日本人の誰もが一番良く使う方法だ。

 無視。スルー。放っておく。

 これが、何よりも有効だ。

 相手の視界に入らず、相手の土俵にも上がらず。

 君子、危うきに近寄らず。これは、何よりも正しい。

「さあ、先に進むぞ」

「えー…お前はあの謎の物体が気にならないのか…?」

「あんなのに関わったらロクなことないだろう」

「臆病者」

「だったら、お前が行ってこい。その場合、私は部屋に戻る」

「お前も着いて来いよぉ…」

「馬鹿も休み休み言え」

「ひっどいな…」

 そんな会話をしながら、謎の物体の横を通り過ぎて行く。

 通りながら、奇妙な視線を感じた。

 夏の鬱陶しい湿度のような、じわりと張り付く視線。

 イルも感じているのか、顔を若干引き攣らせている。

 私は、通り過ぎながら何となく中身の人間の性別は女性だろうなと思った。

 何となくでしかないのだけれど。

「…ここって、変な人しかいないのか…」

「アレ、人なのかね? なんか、怪物とかそういうカテゴリに入りそうだけど」

 失礼だな、と思うと同時に納得する。

 アレは怪物とか、妖怪と言われてもおかしくはない。

「…なんだったっけなー毛の妖怪がいた気がするんだけど」

 いるのか、そんな妖怪。

 だとしたら、矢張りさっきの物体のように毛がうぞうぞとしているような妖怪なのであろうか。…嫌だな。

 白い廊下は、まだ続く。

 延々と続く白い廊下を見るうちに、あることに気が付いた。

「……窓が無い」

「えー、佐藤、今更気付いたのか?」

「ああ…。…何で、無いんだ?」

「さあ? 知らないなあ?」

 あっけらかんと言われてしまった。

 ここまで露骨に知らないと言い切られると理不尽に腹が立つ。相手が相手だからかもしれないが。

「まあ、理由は何となく、察しが付くよ」

「理由?」

「ああ。理由。そもそもおかしいだろ。この病的なまでの白い施設内とか、まともな訓練が無いとか、ここにいる人間とか」

 それは、まるで前提を覆す様な言の葉。

 どこか、遠い場所を見るような目付きでイルは話を続ける。

「お前だって、気が付いてるだろ? おかしさに。それは、正しい。物凄く正しい」

「……理由を話してくれよ、早く」

 私は、話を急かす。

 聞きたいようで、聞きたくない話だ。

 しかし、知らない訳にはいかない。気がする。

 好奇心は猫を殺すらしいが、猫ではない私には関係が無い。そもそも、これは好奇心じゃない。


 私を今、拝聴へ導いているのは、義務感だ。

 何故、こんな義務感を抱いているのかはわからない。

 ただ、私の中の深層が話を望んでいる気がする。

 私は、イルの話の続きを待った。

 やがて、イルは歩みを止めた。

「…後で、話すわ」

 気付くと、教室の前にいた。

「教室に入ってからでも良いだろ、そんな話」

「…ああ」

 私は直感する。

 多分、イルは教室に入ってから、続きを有耶無耶にしてしまうのだろうと。

 だから、私は何も言わずにイルに続いて教室に入って行った。

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