35話 田中は木登り上手 ※降りられるとは言っていない

 なんだろう、この感触。


柔らかく肉厚な何かが俺の唇を覆っている。


それだけじゃない、アゴを持たれ無理矢理にこじ開けてくるんだ。




「ふっ、ふっ、ふっ。……すーはー!」




 リズミカルに体を圧迫される。


俺は朦朧とする意識を覚醒させ、徐々に重たい瞼をこじ開けようとする。


 しかし開かない。




 信じたくない。


そんなはずは無い。 


 また俺の唇に何かが覆いかぶさり、チクチクと何かが刺さるのを感じる。




「ぶほっ! ごはっ、ぶふぅーー!!」




 激しく送り込まれた息吹。


俺は勢いよく水を吐き出した。




「ふぅ……。 本気で溺れるなよ?」




 さよなら。 


俺のファーストキス。




 俺の初めてを無理矢理奪ったおっさんは、口元を拭うと立ち上がった。




「おら、さっさと起きろ。 出発するぞ?」




「……」




 おかしいな。 溺れて意識を失っていた人間に、目覚めて十秒で謎の森に行かせようとするなんて。 体罰ですか? 




「ったく。 早くしないと、また野宿になっちゃうだろ?」




 こんなおっさんと二人っきりで野宿だと……?


そんなフラグ、のり越えられるのだろうか。 なんの躊躇もなく俺の童貞奪われちゃう?


 いやこの場合処女か……。




「急ぎましょう……! サクッと行って夜までに帰りましょう!!」




「お、おおう?」




 急げ俺! 心臓が張り裂けるほどに急ぐんだ!!


俺はおっさんと共に森へと入った。 しかもはやる気持ちは迂闊にも、おっさんの横に並んでしまった。




「ひええ!?」




「おぉ、美味しい蜘蛛だぞ。 よかったな」




 何がよかっただ。 それより助けてくれ。 蜘蛛の巣に引っかかった俺を助けてください。


でかい蜘蛛が顔を這ってるんですよ!?




「ん? 何してる?」




「と、取ってください。 師匠」




 一瞬訝しんだおっさんもすぐに取ってくれた。 意外と優しいのか?




「別に譲ってくれなくていいのに。 弟子とは言えご馳走は自分で捕まえていいんだぞ?」




 違うんですぅ。 美味しい獲物だから師匠に譲ったとかそういうことじゃなくて、単に触るのも怖かっただけですぅ!


 俺は師の影を踏む様に真後ろを歩く。


おっさんは急に方向を変える、すぐに修正しないと棘や蜘蛛の巣に引っかかる。


 なんという訓練。 これがサバイバーへの道か。




「ぷあっ!!」




「足元も注意しろよ?」




 遅いです、師匠。


隆起した根は天然のトラップ。 茶色い地面に顔から突っ込んだ。




「あっ! 師匠! これサトイモじゃないっすか!? 食料っす、芋っすよ!!」




 やったぜ。 おっさんでも見つけられなかった貴重なお芋様をゲットだ。


草木の影に隠れるように見たことのある葉っぱと茎が生えている。 たしかサトイモだったはずだ。




「う〜ん……。 やめておいたほうがいいと思うが……」 




「なんでですか?」




 蜘蛛が平気で芋がダメとかなんでよ?




「毒のあるものもあるからなぁ」




「そんなぁ……見分けれらないんすか?」




 おっさんは溜息を一つ。


そして芋を抜くように俺に指示をだした。


 抜いた芋をうんうん唸りながら観察している。 触りもせず見るだけだ。


案外、臆病なのか?




「確かにサトイモっぽい。 けど所々違う……。 あまり群生してないから、ほんとはやりたくないんだけど」




 そしておっさんはジェスチャーで俺に舐めてみろといった感じで不思議な踊りを踊った。




「んん゛!?」




「えっ!?」




 抜くときに出来た傷から汁が出ていた。 俺は指で少し取り舐めてみた。


そして自分が芋をなめていたことに気が付いた。




「ふぁあああ!?」




 その代償はあまりにも大きい。


触った指は痛痒いし、口の中には激痛が走る。 


歯医者なんて目じゃない。 ボールペンでナイフフィンガーゲームをして突き刺して肉が削れた時の百倍は痛い。 嫁がモブに寝取られた時の心の痛みと同程度だ……!




「においを嗅いでみろって意味だったんだけどな……」




 そういって師匠は水の入ったペットボトルを渡してくれた。


ただただ口を濯ぎ指を洗う。 そして俺は一つの教訓を得た。




(こいつ、ジェスチャー下手杉!!)


 


 気を付けないと、命に関わる。






◇◆◇






 一口にヤシと言っても、その数は三千三百三十三種と膨大だ。


その全てを知っている訳ではないが、特徴から見てこのヤシはサゴヤシの仲間だろうか。




「ひぃ、ひぃ、ふぅぅ……。 はぁ……、ここが目的地ですか?」




「そう」




 近くに小川がある。


水場とは別の水源からきているのか、あまり綺麗ではない。


というよりも平地なので湿地のようになっているせいだろう。




 目的のヤシは太い幹。 遠目で見たよりもかなり太い。


とげのある樹皮は硬く、幹は短いが太い。 葉は非常に大きく、太陽の光を効率よく集める為だろう。




「これは……きついか?」




 手作りの石斧では、相当時間が掛かりそうだ。


まぁ、考えるだけ時間の無駄か。


俺はバナナの葉のバックから石斧を取り出し構える。




――パァン!




 太い幹の下部分を狙い振り下ろす。


樹皮にめり込む石斧を構え直してもう一度。 




「ふぅ……」




 これはきつい。




「……手伝いましょうか?」




「いや、大丈夫」




 下手に打ち込まれて石斧が壊れても困る。




「悪いけど、火をおこしてくれるか?」




「……わかりました」




 これは、今日は帰れそうもない。


田中一郎には悪いが野宿決定だな。 


しかもこの湿地、なんか嫌な予感がする。




「……急ぐか」




 俺は石斧を正確に何度も振るい続けた。


硬い樹皮を裂けば中には柔らかく白い樹幹が出てくる。


これからサゴと呼ばれるデンプンがとれる。 糖分が多くて甘い。




「んむ」




 ほぐした白い芯を食べる。


ほんのりとした甘みが疲れを癒してくれる。






「よし、後少しだ」




 切り倒す方角を確認し、田中一郎に注意しようとしたらいなかった。




「あれ? トイレか……?」




フゴゥ、フゴゥ、フゴゥ。




「ん、こっちか?」




 俺はまるで豚鼻をならしたようなその音に気付き、茂みを見た。


ふんばっているのだろうか? また野糞を覗いても嫌だ、特に田中一郎のなんて。


 野糞が終わるまで待ってやるか、なんて思っていたら突っ込んできた。




「――ッッ!」




「フギィ!!」




――イノシシだ!


 


 地面を這うように猛スピードで突進してくる茶色い肉の塊。


特徴的な豚鼻と逆さに生えた牙。 体毛は少なく、牙は一般的なものよりも凄く立派だ。




「くっ!」




 間一髪。


回避されたイノシシはまた茂みへと帰っていく。




「くそ……」




 迂闊だった。


貴重なタンパク源に逃げられるなんて……。


 イノシシの鳴き声も遠くへいき、落ち着くと汗が噴き出てくる。






「田中は無事か……?」




 やけに静かだ。


まさかやられたのか?




「師匠〜。 無事っすかぁ……?」




 辺りを見渡していると、上から田中の囁くような声がした。


天に召されたのか。




「ここっす、こっちっす」




「ああ?」




 木の上にいた。 結構高い。


やはりハチミツ取りは得意なのかな。


というより、あいつ気付いて逃げたな、一人で。




「降りられないっす……助けて、ししょ〜」




「……」




 辺りを警戒しつつ、サゴを得るため作業を再会する。


火起こしが間に合わなかったら、生で蜘蛛を食べさせよう。




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