秋田編②
老人が、そう言って近付いて来た。郁弥は、一瞬はっとなった。郁弥は普段、あまり人に話しかけることもないし、話しかけられることもない。付いて来いと言われたのが本当に自分なのかも、直ぐには分からなかった。だが、周りには他に人はいなかった。老人はそれ以上は何も言わず、郁弥の前を通り過ぎて行った。悠々と歩く後ろ姿には、雄々しさと気高さが同居していた。悪い人ではなさそうである。郁弥は吸い込まれていくように、その老人の背中の後を追った。老人が喋らなければ、他に喋る人はいなかった。この老人とて、普段はそれほど多くの人と関わりを持っている訳でもない。むしろ寡黙なのだ。だがこの日は老人にとって特別な日であった。だから、目の前で急に叫び出したおかしな若者に声をかけただけだった。その後のことは、何も考えてはいなかった。
2人は、静かに郁弥が元来た道を歩いた。半分ほど歩いて、ようやく目的地に着いた。小さな温泉だった。『駅前の秘湯』という看板があった。派手にデコレーションされていたが、港側からだと定食屋の看板になっていた。だから、郁弥は気付かずに通り過ぎたのだ。郁弥が思い描いていた秘湯とは、少しばかり違うものだった。だけどこの時の郁弥にとっては、有難いものだった。老人が、久し振りに口を開いた。
「地元では有名な温泉でねぇ。だがここも今日で店仕舞いなのさ」
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