第四十三話 火蓋
「――ぜえ、はぁ。フゥ~~……そろそろ、グレイあたりが出てきてもいいんじゃないか……」
死屍累々(いや、死んでないか)といった感じで周りに倒れ伏す兵たちを視界に収めながら、呼吸を整えるため長く息を吐き出す。
すでに、俺が敵部隊のど真ん中に飛び降りてからそれなりの時間が経っていた。
周囲では打ち倒した兵たちが、地面にうずくまりながらうめき声を上げている。
これすべて、俺が倒した兵たちだ。自分で言うのもなんだが、なかなかの戦果である。すごいな俺。
……でもちょっと息が上がってきたので、グレイにはもうそろそろ出てきてほしいもんだ。
(これだけ暴れれば敵も、俺の存在を無視できないはず。そろそろ、何かしら手を打ってくる頃だ。グレイの性格から言って、その時は自ら出張ってくる可能性が高い……)
サラの方も今頃は、そう遠くない場所で暴れ回っているはずだ。
さすがに、勇者とグレイの二人を同時に相手にするのは無望を通り越して自殺行為なので、サラには勇者をなんとか引き付けてもらえるように頼んでいた。
上手くいけば俺の方にグレイ、サラの方に勇者と割り振られるだろう。
(……でもあれ? そういえば、どうやって勇者を誘い出すんだ?)
サラが「わかった! まかせて!」と頼もしく返事をしたので聞かなかったが、よく考えるとそれって、かなり難しくないか?
サラは普段の天然ぽい言動からは考えられないほど、実は賢い。
なので、おそらく大丈夫だとは思うのだが……そこはかとなく不安である。
――そんなことを考えながらも呼吸を整え、油断なく、いまだ俺の周りをとり囲む兵の壁へと視線を向ける。
(フゥ。だいぶ減らしたけど、まだまだいるなぁ…………んん?)
……今まで気付いていなかったが、よく見ると包囲網が、少しずつ俺から離れていっている。
俺をとり囲んでいた兵たちが、じりじりと後退し始めているのだ。
(ありゃ、ついに遠距離からの射撃に切り替えたか…………いや、そんな様子でもないな)
だいたい、俺の周りにはまだ倒れている兵がそれなりにいるし、彼らを巻き込むような弓射は行わないだろう。
一体どうしたのかと周囲の兵の動きを眺めているうちにどんどん距離は離れていき、いつの間にか俺の周囲に、ぽっかりと広い空間が出来ていた。
その後、兵たちは俺を無視して隊列を整え、そのままどこかに移動を始めてしまう――。
「……えええぇぇ。なんだコレ、どうしろってんだ……」
想定していなかった状況に、どう動けばいいのか混乱する。
(……よく分からんが、こうなったら敵部隊に突撃して、またちょっかいでもかけるか)
いくらなんでも、無視されるのはさすがに困る。
そう考え駆け出そうとした時、ぽっかり空いた空間に、聞き覚えのある凛とした声が響いた――。
「そんぐらいにしてやんな。今こっちの軍は混乱で手が足りてないからね、あんた一人にかかずらってるわけにもいかないんだよ」
(……ああ、やっと来たか……)
振り向かずとも、声だけでだれが来たのか分かる。
「――よお、エルスト」
砂塵が舞う、戦場にぽっかり空いた空間のなか、グレイがゆっくりと歩みを進め、その姿を現した――。
――長剣はすでに引き抜かれ、だらりと右腕に下げられた状態。
大声を上げなくとも、声がとどく程度の距離を置きたたずむ彼女は、里で会った時と変わらぬ装いで、そよぐ風にその長髪をなびかせている。
懐かしいその姿を正面から見据えても、俺に動揺はなかった。
やるべきことは、分かっている。
前と同じよう、いつもの調子で声をかけた。
「……よぉグレイ。お前の言う通り、すぐ会えたな。しかも、こんなおあつらえ向きな戦場で」
グレイはその顔を得意げに緩め、返事をする。
「あたしが人払いさせたんだ。あんたと本気でやり合うんだからね、できるだけ広い場所がイイだろ?」
突如、そう言ったグレイの身体からオーラが溢れだし、天に向かって立ち昇る――相変わらず、人並み外れたオーラの総量だ。
すでに、
「それに、見なよ周りを。あんたらがゾロゾロと引き連れてきた古竜のせいで、戦場は大混乱だ。手が足りないから、後詰めのあたしらの部隊も戦線に加わらなきゃならなくなった。このままほっといたら、こっちの総崩れも時間の問題だからね」
グレイに言われ、戦場の様子をさっと見渡す。
たしかに、指揮系統は混乱の極みにあるようで、遠く見える兵たちの動きはてんでバラバラだ。空から襲いかかってくる古竜たちから逃げる兵士と立ち向かう兵士で、押し合いへし合いを繰り返している。
上空では、古竜がその長い尾に指揮官らしき人間を三人ほど括りつけ、空を飛んでいる光景が目に映った。どうやら、交渉のための人質を無事捕えられたようである。作戦は順調みたいだ。
「――ま、というわけで、あたしとしてものんびりはしていられないんだよね。さっさとあんたを倒して、他の古竜どもを始末しないといけないわけだ。まったく、忙しいったらないよ」
「……そうさせないために、俺がここに来たんだ」
「あんた一人で? この前二人がかりでも、あたしに触れることすらできなかったじゃん」
そう言ってあきれたように首を振るグレイ。
しかしその軽い口調とは裏腹に、彼女から漏れ出る殺気は、いやがおうにもその度合いを増していく。
(……気圧されるな。ビビったら、そこで終わりだぞ……)
その後グレイは一拍置き、ゆっくりと語り始めた――。
「――しかし皮肉なもんだ、なあエルスト。あたしたちは一度は将来を誓い合った仲だっていうのに、悲しくなるな」
俺は答えない。軽口につきあう余裕がない。グレイから発せられる、ひしひしと
「でもまあ、今は戦場で出会っちまった敵同士。あんたは傭兵として、あたしもいろいろ背負っちまったもんのためにここに立っている。なら、戦るしかねえよなあ……」
……風にたなびく金髪、鋭く細められた青い瞳。
相変わらず絶世の美少女と言っても過言ではない彼女の口から放たれるのは、あらゆる敵を威圧する戦士の言葉。
これほどきれいな子がこんなに強い言葉を使ったら、普通は違和感を覚えるだろう。
だが彼女が、グレイが言うとそれが当たり前であるかのように、何の違和感もなくピタリと当てはまる。
――懐かしい。
この世界でただ一人、誰にも真似できない個性と剣技を引っ提げ、その輝きで周りの人間を引っ張っていってしまう小さな英雄、グレイ・ハーネット。
その余人を寄せ付けない凛とした在り方に、俺はずっと憧れていた。
今、その少女と、戦場における敵同士として対峙している――。
なんとも言えず、不思議な気分だった。
「……ま、そうは言っても、あんたとは何かと縁があるからね。半殺しで済ませて、あとは捕虜として身柄を拘束しようと思ってる。安心しな。時期を見て、ちゃんと解放してやるから」
……俺の命まで取るつもりはない、そうグレイは言いたいようだった。
(そりゃあ、願ってもない。そういうことなら、安心して……)
――お前に全力でぶつかっていける。
「グレイこそ安心していいぞ。俺の方も、お前を殺さずに止めてやる」
「……言うじゃないか、エルスト……このあいだは全然変わってないと思ったけど、そうでもなかったみたいだね」
唐突に、グレイの纏う雰囲気が変わる。
身震いするような殺気を引っこめ、ほんの少しだけ目を伏せる。
その表情は幼馴染みの俺も見たことがない、沈痛な面持ちだった。
その所作が、俺の知っているグレイとはかけ離れており――。
(――へ? 目の錯覚か? 心なしかあのグレイが、しおらしくしているように見える……)
俺が、グレイには全く似合わないその仕草に動揺しているさなか、彼女はうつむいたまま話しかけてきた。
「……なあエルスト。あんた、あのあとどうしてたんだい……」
……あのあとって、あの、俺が振られたあとのことだよな。
どうって、肉体的にも精神的にも、一度死にかけたけど……。
まあ、そんなことを聞きたいわけでもないか。
「……町を飛び出して、そのまま山向こうの隣町まで逃げた。そのあと色々あって傭兵になったけど、今はそんなに後悔してない。大変だったけどな」
俺の言葉を聞き、グレイは顔をますます俯かせた。
そのまま絞りだすように、口から小さく言葉を発する。
「……あたしは、謝らねえからな」
「……いいよ別に。そんなことして欲しいとは思ってないし、お前だけが悪かったってわけでも、ないのかもしれねぇしな」
サラがいるからか、今ならそう思える。
(……てか、こんな話し込んでていいのか? グレイの奴、急いでたんじゃ……)
俺としては時間を稼げるから、それはそれでありがたいけど。
ここら一帯、周りには俺が倒した兵士が数人寝転がっているばかりで、遠くから怒号や轟音は響いてくるが、戦場としては異様に静まり返っている。グレイが人払いしてくれたおかげだ。
つまり、しばらく話し込んだとしても、さほど問題にはならないわけだが……。
グレイが言葉を続ける。
「……あたしは謝らない。けど、悪いのはあたしなんだろうね……でも、あんただって……あんただってッ……」
グレイの肩が、小刻みに揺れ動く。
それはまるで、何かを懸命に堪えるかのような震えで――。
そして結果、火蓋は、グレイの方から切って落とされた――。
「――手紙の返事も寄こさないで、あたしがどんだけヤキモキしたと思ってるんだ!! 何か返事さえしてくれれば、あたしだって……」
…………ハアァァアアアア゛ッッ!!?
一瞬で、頭に血が上る――。
そんなつもりはなかったのに、堪え切れず、俺は反射的に言い返していた。
「ちょっと待ったッ!? それはさすがに、聞き捨てならねえぞ!! お前、勇者のこと好きになったって、その手紙に書いてたじゃん!!」
「はあ!? あたしは、好きになったかもしれない、って書いたんだよ! そのあと返事が来ないから、あたしがどれだけ悩んだと……」
「いやいやいや! お前は昔から、全っ然デリカシーが足りてねえッ!! 普通そんな手紙が届いたらビビるだろうが! 俺なんか、数日寝込む羽目になったんだぞ!!」
「……ふん、子供の頃からよわっちいヤツだね。そっちこそ、鍛え方が足りないんだろ!!」
「は゛あ゛ッッ!! テメエみたいな怪物と一緒にすんなっ、このオトコ女!!」
「あ゛あ゛ッッ!! てめえこそ女々しいんだよ、そのナヨナヨした性格を少しは直しやがれ!!」
――もし、グレイとこうやって再会する時が来たとしても、昔のことを蒸し返す気は俺にはなかった。もう終わったことだと、何もなかったかのように、自然体で接する気だった。
でも、だけど。
こうまで好き勝手言われて、ありのままの感情をぶつけられて。
心の奥底でくすぶっていた様々な感情が噴き出してくるのを、俺にせき止められるだろうか?
――無理だ。
「……ふざけるなよ……!」
こぶしを、固く握りしめた。
―*―*―
「お前っ……あの時俺が、一体どんな気持ちで……お前に明るく勇者を恋人ですって紹介された時の、俺の気持ちが分かるかあっ!!!」
「う……、あの時は確かにあたしもテンパってて、ちと対応をミスった気もするが……でも、それを言うなら――」
以後、言い合いが続く。
怒号が飛び交い、竜が舞い、土煙が漂うその戦場のぽっかり空いた空間で、二人はいつまでも言い合いを続けていた――。
「あたしは旅立つとき言っただろうがっ、修行して早く追いついて来なって!!」
「あれ本気だったのかよ!? 普通本気にしねえよ、あんなの!!」
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