グレイの手紙と英雄の修羅場

読まれなかったグレイの手紙

 ミストラル大陸の片隅にある小さな町。

 その町にある、特別大きくも小さくもない普通の民家。


 その家の玄関の扉や窓は大きく開け放たれており、そこからはほこりまじりの煙がモクモクとあふれでている。家の内部からはガチャガチャと物音がし、ついで女性の声も聞こえてきた――。


「――ああもうっ!! なんであたしが、一人で家中いえじゅうの掃除をしなきゃいけないんだい! エルストのやつ、出ていくんなら自分の部屋の片づけくらいしていってほしかったよ、まったくッ!!」


 どうやら中年の女性が、一人で家の大掃除をしているらしい。

 家の内部はもうもうと煙が立ち込めすでに戦争状態で、女性のあまりに鬼気迫るほうき使いの様子に、屋内にいた虫たちもスタコラと退散していった。


 ――数刻も経たずに居間の片づけを終えた女性は、今は使われていない、一年前何も言わず家を飛び出したドラ息子の部屋の掃除にとりかかる。

 女性が部屋の扉をあけると、思った通り……。


「……あー、やっぱり埃だらけだよ、エルストの部屋……もうちょい小まめに掃除しとくんだったかねえ……」


 家を飛び出した息子の部屋をなんやかんやそのまま放置していた女性は、今になってそのことを後悔していた。一筋縄ではいかなそうな部屋の惨状に、袖をまくり気合を入れる。


 そして部屋の中に入りぐるりと室内を見回すと、とあるものが中年の女性の目に留まった。

 それは手のひらより少し大きいくらいの木箱で、少し蓋がずれており、そのすき間から白い封筒がはみ出ていた。


 女性はその木箱を手にとりためらいなく蓋を開ける。女性の予想通り、その中には封を切られていない手紙が何通も入っていた。


「……ああ~、これはあれだね、グレイちゃんが言ってた例の手紙だね。エルストったら、読んでもいなかったのかい」


 女性は顔をしかめると、誰もいない家の中をきょろきょろと見回したのち、唯一封の開けられていた手紙をそっと読み始めた――。


 その手紙は、勇者を好きになってしまったかもしれないという文言で始まっていて――。



 ―*―*―



『――悪いとは思ってる。こんなこと書くなんてあたしは卑怯な奴だよな……。エルスト、ちゃんと修行してるか? あたしが今いるデインズの街まで来ることはできないか? あたしも頭の中ぐちゃぐちゃでよく分かんねえんだ。出来ればお前に会いたい……』


『なあ、返事をくれないか。あたしに幻滅したのは分かる。けど、あたしに対する怒りでも失望でもなんでもいい、とにかく返事をくれ……』


『……おい、なんで返事を出さない。いいのか、このままだとあたし、本当に新しい男作っちまうぞ。本当にいいんだな!?』


『てめえ!! なんで何の返事も寄こさねえ! ざけんじゃねえ、なんか言いやがれ!!』


『おいっ! あたしたちは魔王倒したぞ! そんとき勇者に告白されたぞ! あたしは受けたかんな! てめえとの関係もこれで終わりだ! 手紙もこれが最後だ! ……もしこの手紙を読んでるようなら伝えとく。あたしは仲間の皆と共に一番最初に故郷の町に立ち寄る。あたしの勝手な都合だが、その時にお前と会って話したい。こんな中途半端なままだと、あたしは前に進めねえんだ……』




(……まずい。エルストの部屋にあったグレイちゃんからの手紙、つい気になって全部読んじゃったわ。しかし相変わらず、グレイちゃんは気が強いね……)


 ……これ、勝手に読んじゃダメなやつだね。もう遅いけど。

 だけどなるほど、裏でこんなことになっていたとはねえ……。



(エルストが町を飛び出したのも、もう一年も前になるのか……)



 子供の頃からよく知っているグレイちゃんが勇者一行に加わった時も確かに驚いたけど、魔王を討伐した知らせが国中に届いた時はもっと驚いた。しかもまず初めにこの町に立ち寄るっていうんだから、町中がお祭り騒ぎだったね。


 でも、グレイちゃんは魔王討伐の旅から帰ってきたあとしばらく町に逗留していたんだけど、再会するなりどこかに行っちまったエルストがいつまでも帰ってこないと分かると、だんだんと顔色を悪くしていった。


 数日後、うちの家に来たグレイちゃんは顔面蒼白で、二人の間に何があったのかをあたしに話したあと、思いっきり頭を下げ「探してくるッ!!」と言いながら、止める間もなくうちを飛び出していってしまった。



 まああたしも最初はかなり心配していたんだけど、そのうちエルストから生存報告の手紙が届いた。いわく、生きてるから心配するなという内容だったね。


 傭兵をやっているらしいけど、生きているならそれだけで十分だよ。

 宛先不明だったから返事は出せなかったけど、それから数カ月ごとに、エルストからの手紙は届いている。



 グレイちゃんからも手紙は届いた。エルストよりその頻度は多いくらいで、いろいろな場所に行きエルストを探しているようだった。

 だいたいの手紙は『まだ見つからない、けど必ず見つけ出す!!』という内容で、エルスト生きているみたいだし、別にそこまでしなくていいよと返事を出したんだけど、グレイちゃんは聞きやしなかった。本格的な捜索はやめたらしいけど、今でも行く先々で情報を集めているようだ。

 ……あの子も、かなりの頑固者だからねぇ。子供の頃から一緒に育ってきたエルストが心配なんだろうし、ケジメもつけたいんだろう。



 送られてくる手紙を見ると、エルストが失踪したことに対して、グレイちゃんもかなり責任を感じているようだった。

 ……でもねえ、グレイちゃんに責任があるのはもちろんそうなんだけど、人の心は移ろうものだから……。


 人は変わるから。何年も会ってなければそれはもう知らない誰かで、想いつづけるのは難しい。例外もなくはないけど……。

 グレイちゃんがしおらしく謝っても、それで両方が納得できるような問題でもないしね。



 しかしこの先、グレイちゃんがエルストに会えることは、あるのかどうか……。

 エルストがどう反応するかにもよるけど、もし会えたらその時は――。

 


 あの二人、子供の頃からあまりケンカはしてこなかったけど、今回ばかりは大喧嘩は避けられないだろうねえ。

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