第三十二章 再会

 ――古竜の里全体に甲高く透き通っていて、しかし腹の底まで響く様な、この状況を厳しく問い詰める声が響き渡る――。

   

 その声音こわねに、里中の生物が動きを止めた。

 誰もが無視できない迫力が、その声にはこもっていたのだ。


(――おいおい……しかもこの声、かなり聞き覚えがあるんだが……)


 動きを止めた傭兵や古竜たちが、皆揃って同じ方向に目を向ける。

 俺もゆっくりと、声の聞こえてきた方向へと振り向いた――。


 

 向けた視線の先、遥か遠くの上方に人影が見えた。

 崖の上にいるその人影は、遠目には姿まではっきりとは見えない。


 ……見えないが、里中の視線を集めて小揺るぎもしない、堂々とした立ち姿。

 どこまでもよく響く、聞き覚えのある透き通ったような声音。

 そしてこの距離からでもピリピリと感じる、絶対強者特有の気配。


 おそらく、あれは――。



「――サラッッ!!」

『うんッ!!』


 俺の呼び声に答えたサラが、翼を広げ地面すれすれを飛行し、瞬時に俺の傍までかけつける。

 自分の傍を高速ですれ違うサラの背へと、俺は素早く跳んでしがみつき、そのままサラと共に勢いよく上空へと飛び上がった――。

 


(とっさにサラのことを呼んだけど、言いたいことが伝わってよかった)


 崖の上にいる人影が、どうやってここまで来たのかは分からない。

 だが何にせよ、これは作戦上、かなりの緊急事態なのは間違いない。

 あの人影が里の外まで逃げ、もし外で待機している連中に今の里の現状を伝えられでもすれば――今回の作戦は、その瞬間に瓦解がかいする


 だからあの人影が誰であろうと、この里から出すわけにはいかなかった。



 サラの飛行速度はとても速く、崖の上の人影へとぐんぐん近づいていく。

 同時に、人影の容姿もだんだんと鮮明に見えてきた。


 ――陽の光を反射する、風にたなびく金髪と、スラリと引き抜かれた長剣。

 急所を鉄で補強した、動きやすさ重視の革鎧に、女性特有の輪郭――。

 見間違うはずもない、ギラギラとした輝きを宿す、青く鋭いその瞳――。


(やっぱり、間違いない……)


「……グレイッ!!」


 それは故郷を飛び出してからおよそ一年ぶりの、幼馴染みとの再会だった。




 彼我の距離が狭まるごとにサラはだんだんと速度を落としていき、グレイのすぐそばまで近寄ると、翼をはためかせ崖の上に着陸する。


 そのサラに、グレイが引き抜いた剣の切っ先を向ける。

 すでにる気は十分のようだ。


「――あんたらが一番乗りかい? しかし随分ときれいな古竜だね。しかも、強そうだ。背中に傭兵なんて乗っけちゃってまあ……。この里の状況について説明してもらいたいとこだけど、どうだい、話す気はないか? 傭兵さん、あんたでもいい……よ…………」


 飄々ひょうひょうと話していたグレイの口調が、尻すぼみに弱まっていく。

 その視線は縫いつけられたように、サラの背に乗る俺へと定まっていた。



「…………あっ、あ゛ア゛アアアアアアアッッ!!?? おまえ、まさかエルストか!? おいおいおい……なんで、こんなところに……」



 グレイが大きく目を開き、その動揺をあらわにする。かなり混乱した様子だった。

 ここまでグレイが動揺した様子を見せるのは、俺もあまり記憶にないな。


 まあ俺も、事前情報もなしにここでグレイとばったり会ったりしたら、それこそ心臓が止まるぐらい驚いただろうし無理もないか。


 俺はサラの背から飛び降り、数歩分の距離をあけグレイの正面に立つ。


 ――作戦のために、このまま問答無用で切りかかるということも頭に浮かんだが、幼少期を長く共に過ごした幼馴染みにそこまでするのは、さすがに俺も躊躇ためらわれる。


(だがそうでもしないと、ここでグレイを食い止められるかどうか……)


 幼少の頃からグレイをずっと見てきた俺としては、グレイという一個人の脅威度を、低く見積もることは到底とうてい出来なかった――。


 どう動くべきか、高速で頭を回転させながらも、自然と俺の口は開く。


「……ああ、ひさしぶりだなグレイ。俺も、まさかこんな所で会うとは思ってなかった。予想もつかねえところとか、相変わらず全然変わってねえなぁ……」


 思ったことがそのままスルリと、口からこぼれ出ていた。

 思ったよりも気安く話せることに、俺自身かなり驚く。


(状況が状況だけに、昔のことを気にしている余裕もないのか?)


 まだ混乱の最中さなかにいるのか、グレイの方は髪をガシガシと掻き舌打ちをこぼす。


「……ッチ、なんだかよく分かんないけどエルスト、こんな所でいったい何をやってるんだ? ……ていうかその格好、あんた傭兵になってたのか。ということは、どっちの側かは知らないけど、今回の戦争に参加してるんだね……。ところで、あんたがなんでこんなバカ騒ぎの中心にいたのか、説明はしてもらえるのかい?」


 グレイも徐々に落ち着きを取り戻してきたのか、昔と変わらない、挑発的な笑みを俺に向けてくる。



 ……グレイが混乱していたのはここが戦場で、俺が敵なのか味方なのか、はっきり分からなかったからだろう。行方知れずだった幼馴染みがこんな状況でいきなり出てくれば、誰だって混乱する。

 そして、グレイが落ち着きを取り戻したのは、その疑問に決着がついたからに他ならない――。


 ――おそらく、すでに俺が味方ではないと気付かれている。


(グレイは昔から、サラと同じですごく勘が鋭かったからな……)

 わずかな情報と勘を頼りに、俺が側なのか、だいたい勘づいているようだった。


「……説明してもいいが、とりあえず剣をおろしてくれないか? 俺はお前と、したい」

「……ほう? ねえ……」


 俺に向けるグレイの瞳が、途端に獰猛な色を帯びる。


 だが目は逸らさない。ここでもしグレイをこちら側に引き込めれば、荒事にならずに済む。なんだかんだ理由はあるが、やはり俺は、グレイと戦うのは嫌だった。 


「……へえ、いいね。堂々とした目だ。ひさしぶりだが、元気そうで安心したよ。――ちなみに今の話だが、あたしの答えはノーだ。今は色々としがらみも多くてね、あたしもコロコロと立場を変えるわけにはいかないんだよ」


 話も聞かず交渉をはねのけるグレイに、俺は食い下がる。


「いやっ、でも話を聞けば――」

「エルストあんた、古竜の味方なんだろ」


 ――先に確信を突かれた。二の句を継げなくなる。


「……こんな騒ぎを起こす理由は、それくらいしか思いつかないからね。おおかた、古竜たちを傷付けずに外の奴らを撤退させるつもりだったんだろうけど……残念、あたしに見つかっちまったってわけだ。さっき、騒ぎの中心で下の連中を煽ってたけど、もしかしてあんたが発案者かい? あんたこそ相変わらず、突拍子もないことを思いつくね――」


 グレイが言い終えると同時、すぐさま戦闘になることはないと感じたのか、竜の姿だったサラが一瞬のあいだ全身を炎で覆い隠し、次の瞬間には人間の姿に戻っていた。


 そして俺の傍まで近寄ると、少し固い声音で話しかけてくる。


「……エルスト。もしかしてこの人が――」

「……ああ、前に話した、俺の幼馴染みだ」


 パンッ!! サラが両手を叩き、大きな音を立てる――。


「やっぱり!! こんな所で会えるなんてすっごい偶然だね!! ……エルストが言ってた通り、強そうな人……エルストの昔話とか、グレイさんにはいろいろ聞かせてほしいなっ!!」


 ――サラは両手を叩いて、俺の幼馴染みとこんな所で会えた喜びをあらわにしていた。

 ……もしかすると、サラとグレイは少々気不味い雰囲気になるかもと俺はちらっと思っていたのだが、全然そんなことはなかった。完全に俺の自惚れだった。


(いやでもほら、サラって一応、俺に告白してるわけだし……)

 まあでも、サラならこんなもんか。細かいことは気にしない性質たちみたいだし。



 っと、話が脱線しているな。視線をグレイに戻す。

 しかしそのグレイは、こちらの様子をじっと眺め、あごに手を当ててなにやら考え込んでいた。

  

 へえぇ、ふうん、いやなるほどね~などと、こちらに聞こえるようにつぶやくグレイ。いったい何だってんだ?


「……なんだよ」

「いやいや、べっつに~。……ただ、あんたが古竜たちを守ろうとしているのはそののためなんじゃないかと、なんとなくそう思ってね――」

「…………はああああくぁあ!!? ちょ、おま、何を根拠にそんなこと言ってやがるッ!?」


 くそっ、思わず変な声が出た!! 

 てめえグレイ、余計なこと言うんじゃねえよ!!


「いやあ、なんか距離近いし、あんたの好みに近い女の子だからもしかして、って思ったんだけど……昔と変わらず、ホント分かりやすいねぇエルストは」


(クッソこの野郎、団長みたいにニヤニヤ笑いやがって!!)


 思わず殴りたくなったが、必死に自制心を働かせなんとか踏み止まる。

 一人で突っ込んでも、たぶん返り討ちだ。



「――それで、どうするんだい? あたしも色々背負っちまってるもんがあるから、あんたの誘いにホイホイ乗るわけにはいかないんだよ、残念なことにね」


 肩をすくめて、笑みを崩さずに飄々と言ってのけるグレイ。


「……どうしても、無理なのか? 俺は、幼馴染みのお前と戦いたくなんて……」

「無理だね」

 取り付く島もない、完璧な否定。



(……これは俺も、覚悟を決めるしかないか……)


 ――身体の感覚を確かめるため愛用の槍を素振りし、その切っ先をグレイにひたと向け、構える。


 俺の横でサラが、のんびりとグレイに話しかけた。


「……あれ、もしかしてグレイさんて、敵なのかな?」

「……そうだね。あんたら古竜にとって、さしずめあたしは侵略者ってところか」

「――そっかあ」


 そういったサラの身体が、一瞬で炎に包まれる――。

 その炎が消えるとそこには、ルビーのように真っ赤な鱗を持つ、美しい古竜が佇んでいた。


『せっかく友達になれそうだったのに残念だけど、それならあなたを、この里から出すわけにはいかないね』

「……へえ。じゃあどうするって言うんだい?」

『あなたには、しばらく里のなかで暮らしてもらうよ――力ずくでもね』


「……面白いじゃないか。出来るもんなら、やってみなッッ!!!」


 グレイが恐ろしい量のオーラを身体から立ち昇らせ、剣を構える。



 運命なんざ知らないが、もしかするとこの戦いは、避けようがなかったのかもしれない。


 突然の再会に心は動揺を隠したまま――

 後の世に語り継がれるであろう英雄、〝剣鬼〟グレイ・ハーネットとの戦闘が始まった。

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