第六章 価値観

「すごいよエルストっ! まさかおじいちゃん相手に二十秒近くも逃げ切るなんて!」

『ホッホッホ! 久しぶりに才能のある若者を見た気がするのお。里の若い者にも見習わせたいぐらいのオーラじゃったわ』

「……ゼエ……ハア……ゼエ……ハア」


 ……うるっせえよ古竜ども。人がどんな気で逃げ回ってたかも知らないで……。



 ――戦闘直前、目の前の怪物が来ると分かった瞬間、俺は後先考えず全力で逃げ出した――。


 一瞬でも気を抜いたら途端に肉塊となることを肌で感じながら、全神経を使って嵐のような攻撃を避け続けたのだ。

 気力体力を全て絞りきって体が動かなくるまでの約二十秒間に、軽く十回は死線を越えた気がする……。


 俺が動けなくなったと同時に老竜が攻撃を止めたから、何とか生き残っているだけだ。

 もう、二度とやらない。


『これほどの才能をこんなところで殺すのはさすがに惜しいのう。強き者には敬意を払わねばな』

「うん、よかったよ! せっかく里の外に友達ができたのに、すぐ死んじゃったら悲しいもんね」


 友達と呼んでくれてありがとう、サラ。

 でも俺はしばらく、お前を信用しないからな。


『しかしどうするかの。殺さないとは決めたが、このまま里の外に出すわけにもいかんのじゃが……』

「……ゼエ、ハア。そのことについては、少し、話したいことがあり……フウ」

 よし、ようやく息が整ったきた。


 この場合、俺がこの里のことは絶対誰にもしゃべらない、なんて約束しても意味はないだろう。それ自体になんの保証もないのだから。

 だったら真実を話して、とりあえず状況を変えてみるしかない。


「……まず前提として、この場所は遅かれ早かれ誰かに見つかります。オーレス側の傭兵もこのあたりを探索するだろうし、戦争が終われば空白地帯に人の手が入ることは避けられません。俺の口を封じたとしても発見が遅れるだけで、この里を離れないつもりなら根本的な解決にはなりえない」


 全て本当のことだ。もし里を捨て違う場所に移住するつもりがないのなら、もっと抜本的な対策が必要になる。


『ヌシの言うことは正しいのだろう。だが、この里を捨てるくらいなら、わしらは誇りにかけて人間と戦う道を選ぶ。なに、老いたワシでも千人ぐらいは道連れにできるだろうよ……』

「おじいちゃん……わたしも頑張って百人は殺すよ!」


 そう、そこがこの里の恐ろしいところだ。ほんと怖い。


 戦力が減っているといってもここは数多くの古竜が住んでいる里。まともに攻めようとすれば、一体どれだけの戦力が必要になるか……。


『なんにしても、こちらもいささか時間が欲しい。すまんのう、やはりまだヌシをこの里から出すわけにはいかんようじゃ。里の者たちとの話し合いがすんだら、ヌシを必ず解放すると約束しよう。しばしの間、里の中で暮らしておくれ……サラ、案内してやってくれんか』

「わかった! じゃあエルスト、いこっか」


 サラの後について天然のドームの中から出ていく。振り返り際、里の長である老竜は険しい表情で虚空の一点を見据えていた――




 外に出て日の光を直に浴びると、生きている実感がじわじわと湧いてきた。


(ほんと、よく生きてるよ、俺……)


 ――サラの爺さんであるあの老竜は、この大陸の中でも確実に、生物の頂点に位置するであろう強者だった。

 あのプレッシャー。あの威圧感。

 相対した感じ、あれ以上の化物はおとぎ話の中にだって存在しないと断言できる。


 古竜という強大な力を備えた種族の中において、さらに異質な力を持った竜――。

 案外、サラの爺さんだったら簡単に魔王も倒せたんじゃないだろうか?

 もし魔王があれ以上の怪物だったとしたら、洒落にならんレベルで大陸がやばかったと思う……。


 まあ何にせよ、この里の竜たちの話し合いとやらが終わるまでこの里から出ることはできないらしい。また流されてるなぁと感じつつ、しかし逆らうのはどう考えても得策ではないのでサラの後を素直について行くしかない。一応、命の保証はしてもらったしな!(またいつコロッと変わるかもしれんが……)


 先程の古竜の試練(そう考えることにした)を経て、俺はおそらく里の竜たちにに認められたということになるのだろう。この際だから大手をふって古竜の里を見て回ることにしようと思う。


 この里は気になる光景がそこら中に転がっていて、なんだかウズウズする……!


 俺が里の中をじろじろと見ているあいだ、サラは道行く古竜たちに次々と声をかけられ、その全てに笑顔で受け答えをしていた。

 人型だったり巨大な竜だったり、その姿かたちは様々だ。 


『あんや~サラちゃん、その子が外から連れて来たっていう人間かい? ここにいるってことは長老様に認められたんだねえ』

「おーいサラ、日が落ちる前まででいいから後で炊事場に寄ってくれないか? 火を起こしてほしくてよ」

『サラおねえちゃん、飛びかた、飛びかた教えて! ズビュン、ズバンて感じのやつ!』


「う~んごめんねえ、今はちょっと無理かなあ。お姉ちゃん、人間さんを泊まる場所に案内してる途中だから……」

 サラは小さな体で周りを飛び回る子竜たちにも律義に受け答えしている。さすが長老の孫、里の古竜たちからは随分と慕われている様子だ。


 彼ら古竜を見ていると、その生活が人間とほとんど変わらないものように感じる。(いや、人間の街ではドデカい竜が通りを歩いてるなんてあり得ないけど……)


 住居は大小様々だが人が住むようなしっかりした家もちらほらと見えるし、人間の姿をとっている古竜たちは皆、簡素な貫頭衣ながらちゃんと服を着ている。

 人(竜?)付き合いについても人間と変わらないように見える。


「見えるん、だけどなあ……」

「うん? なにか言った、エルスト?」

「いんや、なんにも」


 今の時代、人間にとって古竜は〝狩るべき魔物〟だ。

 言葉は通じるはずだが、関係と呼べるほどの交流は両者にはない。というか、人間側が一方的に古竜のことを狩るべき存在と決めつけているから、交流など生まれようがない。


 彼らの生活をチラっと眺めただけだが、今や俺はそのことに疑問を感じ始めていた。


「……なあ、サラ。その、竜の体からとれる素材のために古竜を狩っている人間たちは、やっぱり憎かったりするのか?」


 サラは一瞬きょとんとした顔で振り返ったが、すぐに前を向き、歩きながら話し始める。


「わたしは里の外のことを実際に見て聞いた来たことはないけど、おじいちゃんたちから話だけは聞いているから、外のことを全然知らないわけじゃないんだ。……人間に狩られちゃう仲間はさ、事情があって里に居られなくなった〝はぐれ〟か、もしくはどうしても外の世界を見たくなった若い竜たちなんだよね。彼らは里から出た時点で覚悟はしているし、襲われれば当然相手を殺しもする。

 ――そして強い方が生き残る。仲間が死んじゃうのは悲しいけど、里から出るっていうのはそういうことだから」


 ……さっきも感じたが、やはりサラたちの考え方の根底にあるのは弱肉強食。人間とそう変わらない情を持ちながらも、その野生の真理がぶれることはない。



「でも、里を出ていく若い竜たちの気持ちも分かるんだ……。だって、見てみたいじゃん、そと!!」


 急にキラキラした瞳でこちらを覗きこんでくるサラに、思わず顔をそむけてしまった。なんだか頬が熱い――。


「そ、そうか? 外に出たっていいことがあるとは限らねえぞ? いやなもんを見ることになったり、面倒なことを背負しょい込む羽目になったり……」

「それでもいいの! それならそれで、全部見終わったあとこの里に帰って来ればいいし、帰って来たいんだよ! ここが一番だって知りたい!」

「そっ、そうか、分かった、分かったから、そんなに近づくな……」


 近い近い近い!! ちょ、俺、必要以上に女性に近づかれるとトラウマでジンマシンが……。あれ、出ない?


「でも、おじいちゃんは絶対里の外に出る許可をくれないし、どうしたものかな~って……。だからエルストには、外の話をいっぱい聞きたいんだ!」

「お、おう」


 そんなはじけるような満面の笑みで嬉しそうに言われたら、よしよし俺の知っていることならもちろん全部話してやるぞ! と言ってしまいたくなる……。


 やっぱ可愛いな……イヤイヤイヤ、そんなことあるか! しっかりしろ、俺!



 ――もうこの時点でついさっき殺されかけたことを忘れ始めているという事実に、頬を赤くしたエルストが気付くはずもなかった――。

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