第五章 鈍く輝く灰色の老竜

 意を決して足を踏み入れた超巨大大木の内部は本当に広く、半径五十メートルほどの空間だった。

 天井からは折り重なった樹木の隙間から漏れ出た光が降り注いでおり、下の地面は緑のコケに覆われていてなんとも言えぬ神秘性を感じさせる。


 ――そして、その中央にでんと居座る、見上げるほど巨大な鈍く輝く灰色の老竜。


(これが、古竜の長……)


 伏せている状態でこれだけ大きいのだから、起き上がったら一体どれほどの――。


『これは珍しい客人じゃ。孫娘が外から連れてきたので一体何かと思えば、まさか人間とは……。この里に人間が訪れたのは何百年ぶりかのう』


 どこからともなく響いてきた不思議な声に驚いたのもつかの間、老竜の大きなまなこがこちらをひたと見据えた瞬間、俺は反射的に槍を構えていた。

 ……汗が頬を伝い、顎から流れ落ちる。


 ――根源的な恐怖。

 おそらく、目の前の老竜は俺に敵意など向けていない。ただこちらを見ただけ。

 それだけなのに、身震いするほどの圧迫感。存在の格がまるで違う。


 戦えば自分などありのように踏み潰されることが、空気だけで伝わってきた。


『……そんなに警戒するでない。孫娘がヌシをここに連れてきたということは、何かワシに用事があるのじゃろう? 里の外での出来事までは、さすがにワシも感知できんからのう』

「うん、ちょっと大変なことになってて、エルストから直接話を聞いてもらいたんだ」


 そう言われて少し冷静になる。槍を下げ構えを解く。


 まさか逆らうわけにもいかないので、俺は自分の目的と外の状況を事細かに伝えた――。

 

 ~~~~~~~~~~


『ふむ、まさか里の外でそんなことになっていたとは……。まずいのう、今は里の力が弱体化しておるというのに……』


 現状を説明し終わったあと、老竜はそう言い低く唸った。


 確かに、この里の近くで戦争が起こるというのは相当まずい事態だろう。

 空白地帯を欲して争い合っているクエルト国とオーレス国にとって、古竜の里はただ邪魔なだけの存在だ。


 古竜の里の存在がもし知られれば、自制の利かない傭兵団が古竜の素材という宝の山であるこの里を襲撃するかもしれないし、最悪両国が力を合わせてまず里を潰しにかかる可能性すらある。


 ……あれ? 俺傭兵なのに、いつの間にか古竜の側でものを考えてないか?

 まあ何にせよ、この里の場所が割れるのが一番まずい事態だな……。


 …………。

 ――そういえば俺、ここら辺の地形を調査しにきた傭兵だった。


『さて客人よ。ならばヌシをこの里から出すわけにはいかんのう』


 ……そうなるよな。


「おじいちゃん! エルストは結構強いから気をつけてね」


 …………あれ? 


『すまんのう、お前の連れてきた客人を喰らうことになってしまって……』

「ううん。わたしも、何となくこうなるような気はしてたし」


 ……えーと、サラとは少なくとも敵対はしていなかったはず、だよな?


「……あのーサラ? これは一体……」

「うん、エルストも頑張ってね! おじいちゃんと戦えるくらい強かったら、きっと生き残れるよ! わたしも、君にはあまり死んで欲しくないし」


 変わらぬ笑顔のサラ。裏表の感じられない素直で素敵な表情だ。


 どうやら彼女の中では、俺を殺すつもりがないことと、目の前の怪物を俺にけしかけることは、別段矛盾しないらしい。ハハッ。



 ――何やら致命的に、俺達人間とは考え方がずれているようだった。


 そういえばサラ、こんなことを言っていたなあ。

(若い竜たちはほとんど帰ってこなかった……。まっ、人間たちの方が強かったんだから仕方ないんだけどね)


 おそらく、仲間意識は強いが、生き死にに関しては恐ろしくストイックな価値観しか持ち合わせていないのだ。強ければ生き弱ければ死ぬ、みたいな。


 まさに野生。そういえば相手は竜人だった。

 弱肉強食は世の習いですかそうですか。


「フウ……」

 やれやれ。


 信じるんじゃなかった――。

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