1-3

 帰りの車内でオウガとミリアは沈黙していた。

 先程まで後ろに見えていた波立つ白い砂海はいつの間にか消えている。

 視界に緑が広がるとオウガはいつも安心した。

 領主、つまりダンジョンマスター専用の大きな馬車。しかし引くのは馬ではなく、四つ足の大型クリーチャーだった。巨木の様な太い足、そしてくるんとねじれた角を持っている。何より特徴的なのは全身をぶ厚い鎧の様な皮膚で覆われている事だ。トルキオンと呼ばれた大きな緑色の獣だが、草食で大人しい性格だった。ハントランクは7。成長度は8だ。

 ハントランクはそのクリーチャーの強さやハントの難しさを表わしており、成長度は文字通りそのクリーチャーのレベルを表わしている。

 どちらも10段階評価で、領主会議へ提出されるハントレベルにも影響する。

 トルキオンは全体の上位に位置するクリーチャーだ。これもオウガの父、ダイクが捕獲し手懐けたものだった。疲れ知らずで長距離を高速移動する脚力を持っており、道中ほとんどのクリーチャーはトルキオンを見ると逃げ去った。大型の肉食クリーチャーでさえ、逃げはしないが、襲ってくる事はない。

 まるで小型の要塞が動いている様だ。その大きな背中には小屋が建てられており、そこに二人は居た。

 テーブルを挟んで椅子に座っていたオウガは窓の外に流れていく景色をぼんやり眺め、正面の席に座るミリアはそんな彼を心配していた。

 窓の外は既に夜となっている。

「・・・・・・話、聞いていただろ?」窓の外を見たまま、オウガはぼそりと呟いた。

 それが自分への言葉と分かりながら、ミリアは黙って下を向き、暗に肯定する。ガラスに映ったミリアを見て、オウガは小さく息を吐いた。その息で前のガラスが一瞬曇る。

「悪いな。駄目な領主で」

 オウガは自分の全てを諦める様にそう言った。

 それを聞き、ミリアはどきりとした。

「・・・・・・・・・・・・謝らないで下さい」とミリアは下を向いたまま言った。

「・・・・・・うん。けど、もし解任されたらお前が困るだろう。今からでも遅くない。他の男に付いたらどうだ? その方がレオンも――」

「領主様」と会話を遮り、ミリアは静かに強くそう言った。オウガは少し驚いてミリアを見つめ、その後、微笑を浮かべた。

「事実だよ。俺はこの上なく不安定なんだ。そういう事もあるさ」

「・・・・・・それでも、あなたの子供を産むのが私の役目です」

 ミリアはそう言ってから自分の言葉に顔を赤らめた。

 それを見てオウガは乾いた笑いで前髪をすくい上げた。体中が鎖で繋がれた様な感覚がして、気持ち悪く思い、また外を眺めた。

 ダンジョン、迷いの森。

 この広大な森を管理してきたのがオウガの一族だった。アッシュフォード家は森の一部を切り開き、街にした。街は栄え、林業や作物など貿易の拠点となった。

 街の名はエルメスダム。緑に囲まれた都だ。

 オウガはそこの13代目の領主となった。

 きっかけは父親の死。先代領主、ダイクはダンジョンの探索中にクリーチャーに襲われ、帰らぬ人となった。

 強く、優しい父は民に好かれていた。その背中を見つめて育ったオウガもいつかこうなりたいと憧れを持つ。そんな時期もあった。

 実際に継いでみると統治というのは一筋縄ではいかず、まだ若いオウガは苦しんだ。政治という生き物は彼から自由を奪っていった。

 束縛と重責がオウガを繋ぎ、森の外へと追いやっていく。

 弱肉強食。

 その自然の摂理が政治にも働き、後ろ盾を持たぬ弱い領主は格好の的となってしまう。

 ミリアはエルメスダムで四家しかない貴族の娘だった。慣習では領主は貴族の中から正妻を決め、正妻の長男がアッシュフォードを継ぐ。つまり次期領主となる決まりだ。

 貴族の娘はミリアの他に三人ほどいる。その中の誰がオウガの子を孕むかでエルメスダムの政治は蠢いていた。そこに恋愛などという甘ったるいものは介入しない。

 オウガは一月後に十八歳となる。その数字は一人前の男を表わし、一年以内に婚礼の儀が行われる歳でもあった。そんな中、オウガの遠征にミリアが同行する。その意味は軽くなかった。

 だがオウガにその気はあまりなかった。貴族の娘を並べた時、一番気が置けない仲なのが幼少期を一緒に過ごしたミリアだったにすぎない。そしてその事をミリアも理解していた。

 窓の外を眺めるオウガ。無言の中、しばらくしてミリアも反対側の窓を見つめた。

 二泊の外出にも関わらず、ミリアは手も出されない。その事を父親に報告するのが億劫だった。ふとミリアの脳裏にアリサが浮かんだ。大きな胸に色っぽい仕草。アリサと自分を比べると、女としての魅力がないのではないかと落ち込んだ。胸に手をやると、そこにはそれなりの膨らみがあった。ピンク色の先が見える程、制服の胸元を引っ張ると谷間も見える。決して小さいわけではない。むしろ普通よりは大きめだ。

 あの女が大きすぎるだけ。そうだ。あの女が悪いとミリアは結論付け、自分を励ました。

「何だ? あれ」

 急にオウガが呟いた。ミリアは慌てて服から手を離す。顔を真っ赤にして動揺した。もしこんなはしたないことをしていたのがバレたら益々正妻の座が遠くなる。

「いやっ! これは、そのっ! 違うんです! 決して一人で慰めていたみたいな事はっ」

 赤面して手をバタバタと動かすミリアだが、オウガを見ると自分の方を向いていない事に気づいた。

 先程同様、窓の外を食い入る様に見ている。その瞳には一瞬でありとあらゆる情景が映し出されていたが、それをミリアが読み取る事はなかった。

 オウガは窓に顔を近づけ、目を見開いた。それでもはっきりしないそれに、窓を開けて身を乗り出す。いきなりそんな事をするからミリアはびっくりした。一軒家より高いトルキオンの背からは地面が随分下に見える。さらに今は時速60キロの走行中だ。外では景色が後ろへ濁流の様に流れている。

「領主様! 危ないですよ!」

「なら握ってろ」

 オウガは外を見たまま左手を伸ばした。ミリアは呆気にとられながらその手をじっと見た。

 するとオウガは次に窓枠に足をかけた。それを見てミリアは慌ててオウガの左腕にしがみついた。胸の谷間にオウガの腕が挟まれる。

 一人ドキッとするミリアを重りにしてオウガは体のほとんどを外へと出した。

 髪が風で大きく揺れる中、月光に照らされ煌めくオウガの瞳はそれに釘付けになっている。

 一体何を見ているのだろう? 疑問が浮かび、ミリアはオウガの体と窓の隙間から外を覗いた。そこには空の半分ほどはある巨大な満月が輝いていた。

 夜空は明るく、森は青白く照らされている。

 少ししてミリアはそれを見つけた。

 満月の光の中に何かの陰が動いている。じっと見つめていたミリアはその正体に気付いてはっとした。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・もしかして、・・・・・・人?」

 その人影は空から斜めに流れる様に落ちてくる。それが向う先にはオウガの迷いの森があった。

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