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 客室を改築したその会議室からは三方向に通路が延びている。どの通路も白く長い。壁には絵画や美術品が掛けられ、それを天井のシャンデリアが照らしていた。

 赤いカーペットが敷かれた通路に出てきたオウガが少し歩くと、先程帰りたいと言い出したにも関わらずアリサが壁にもたれ掛かり待っていた。天井に張られたカラフルなタイルを眺めている。

 明らかに彼を待っていたにも関わらず、不機嫌だったオウガは約束をした覚えはないと無視して通過した。そんなオウガをアリサはまるで子供でも見る様に微笑んで追いかけた。

「お礼の一つがあってもいいんじゃない?」

「頼んだ覚えはない」とオウガは前を向いてすたすた歩く。

「そう言うと思った。本当に可愛いんだから。拾って来た子猫みたい♪」

 先程の会議とは打って変わり、アリサは可愛らしく笑った。氷が溶けた後の様に温かみがある。

 そんなアリサに付き合ってられるかとオウガは先を急ぐ。もう目の前に出口のドアが見えてきた所だ。ここを出ればエントランスが広がっている。オウガがドアノブに手を掛けた時だった。

「待って」とアリサがオウガの手を掴んで止めた。

「何だ?」

 オウガは前を向いたまま尋ねた。アリサはオウガの手を両手で触れる。その手はびっくりするほど冷たかった。オウガは氷に触れた様な錯覚を覚える。

 同時にアリサはオウガの温かな手に心酔していた。

「ジエンの話も間違いじゃ無いわ。あなたがダンジョンマスターになってから、エルメスダムはハントレベルでずっと最下位じゃない」

「いつから俺達は互いに説教しあう仲になったんだ?」

「あら、会った時からずっとよ」

 アリサはとろんとした目つきで頬を赤らめる。

「そもそもお前だって五位やそこらを彷徨っているじゃないか」

 オウガはむっとして振り向いた。出来ない事を指摘されるのはエリートにとって屈辱だ。こういった自分に責任がある事柄では尚更である。

 ハントレベル。それは二ヶ月毎に集計され、報告されるダンジョンでの成果の事である。

 クリーチャー。すなわちダンジョン内にいるモンスターはランク等で細かく評価されており、ポイントが割り当てられている。ダンジョンマスターは二月ごとに集計し、その合計を競っていた。

 オウガのダンジョン、迷いの森ではそのハントレベルがここしばらくずっと最下位だった。就任前、つまり父親の時代には常にトップを争っていたというのに。

 全世界で最も豊かとさえ言われる迷いの森で成果が上がらない事に、オウガの手腕を疑問視する者も少なくなかった。

 自分の事を棚に上げるオウガを見て、アリサは苦笑した。

「そういう話じゃないでしょ。これ以上この成績が続けばあなたの資質が疑われて解任請求案が出されかねないのよ? それでいいの?」

「いいよ」とオウガは即答した。「別に好きでやってるんじゃない」

「・・・・・・呆れた。民が可哀想ね。・・・・・・ま、そこも可愛いんだけれど♪」

 そう言って可愛く笑うとアリサはオウガの腕を引き、次に壁に体で押し当てた。大きな胸がむにゅりと形を変えてオウガの体に押しつけられる。しかしオウガは顔色一つ変えなかった。

「あなたがいなくなると、あたしが寂しいわ」

 アリサは色っぽくそう言う。その頬は紅潮し、先程まで冷たく思えた体が熱くなっていた。上目遣いで誘うアリサをオウガは冷たい目で見つめた。だが、それもアリサには逆効果だった。

「熱い視線・・・・・・。溶けちゃいそう・・・・・・」

 とろける様な顔になり、息を荒くするアリサは更にオウガへ体を押し当てた。

 ドレスの股の辺りを情熱を我慢する様に右手でぎゅっと掴む。アリサの唇が徐々にオウガの唇へ向う。背伸びをするアリサ。一方オウガはそれをじっと見ていた。二人の唇が重なりそうになる、その時だった。

 がちゃりと音がしてオウガが開けようとしていたドアが開いた。そこからオウガと同い年くらいの少女が入って来た。少女は二人を見て、驚いて顔を赤くし、目を逸らした。

「・・・・・・りょ、領主様・・・・・・。申し訳ありません・・・・・・。他の領主様達より遅いので何かあったのかと・・・・・・」

 口元に手を当てて恥じらう少女。金色の髪は前髪をお洒落に切り揃えられ、頬に沿う様に左右が長く伸びている。長い後ろ髪は結ばれていた。しっかり者で意志の強い彼女の瞳も、今はただの少女のものになっている。スタイルはいいが、アリサとは違って胸はそれほど大きくない。首元まである軍服の様な制服を着ているが、腰辺りを見るとスカートが足下まで伸びていた。その左側には一本のレイピアが備え付けられている。ぶ厚いブーツを履き、胸には勲章がついていた。名をミリアと言う。

 ミリアを見てオウガはアリサの肩を無粋に押し、乱暴に自分から引き離す。

「何もない。帰るぞ」

 オウガはそう言ってドアの方へ向い、本当に何もなかったかの様にエントランスへと出て行った。それを見送ったミリアと引き離されたアリサの目が合う。

「そんな顔しないでよ。可愛い侍女さん」

 小首を傾げ微笑むアリサに、ミリアは目を細めて頭を下げた。

「・・・・・・失礼します。氷洞の領主様」

 そう挨拶してオウガの後を追うミリア。その背中を見て、アリサはまた微笑を浮かべた。

「ふふ♪ また逃げられちゃった・・・・・・」

 アリサは自分の唇を口惜しそうに指でなぞった。その後ろではパキパキと音を立て、通路は凍り付いていた。

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