第4話 一ノ瀬 春希という男。


俺の名前は、一ノいちのせ春希はるき

私立 悠蘭ゆうらん高校に通う一年生だ。


ウチは別に貧乏でも裕福でもない

ごく普通の一般家庭なのだが、

5年前に父親が亡くなってからというもの

女手一つで俺を育ててくれた母親に

少しでも楽をさせたくて、

俺は高校入学と同時に学校の許可を得て

母の知り合いが経営するこのコンビニで

週に3回程度バイトを行っている。


只今の時刻はすでに23時50分。

本来ならば今日はシフトが入っていなかったハズなのだが、バイト先の先輩である内山さんが風邪で寝込んでしまったという事で、急遽学校終わりにバイトに出ることとなった。


しかも色々と普段なかなかできなかった作業にまで手を伸ばしていたら、気がついた頃にはこんな時間になっていた。


帰り際、オーナーの奥さんが気を使ってサンドイッチやらおにぎりやらを渡して来たが、今回の残業手当も代休もきちんともらっているので、何だか悪いなぁと思いながら少しだけいただいて帰る事にした。


更衣室で着替えて外に出てみると、多少雲はあるものの、空にはいくつもの星が輝いていた。


「…全ッ然雨なんて降ってないじゃん。」


俺は空に手をかざしながら全く濡れた様子がないアスファルトを見渡すと、今朝家を出る時に『今日は絶対雨が降るから!』と無理やり傘を押し付けてきた母親の事を少しだけ恨んだ。


…だいたい母さんの天気予報は当たった試しがないんだ。


そんな事を思いながらため息をつき

家路へと向かおうとしたその時、

一人の女子高生が人通りの少ない路地へ

入って行くのが見えた。


「あれは…柊さん…?」


ハッキリとは見えなかったのだが

その女子高生の後ろ姿が同じクラスの

柊さんにとても良く似ていた。


こんな時間に

しかも一人で…?


この時間の女の一人歩きは

さすがに危ないだろうと思いながら

その姿を見送っていると

案の定、彼女の後ろからは何やら良からぬ格好をした男の二人組が物陰に身を隠しつつ、

ニヤニヤと彼女の後をつけているのが目についた。


「…大丈夫なのかな…柊さん。」


その子が本当に柊さんだという確証なんてなかったが、心配になった俺は本日開く事のなかった傘の柄を握りしめ、彼らの後をついていく事にした。


細い路地を進んでいくと、

すぐに柊さん達の姿が見えた。


奥にすすむにつれ、この路地はさらに人通りが少なく、徐々に行き先も暗くなってゆく。


静寂なる闇の中…


カランカランカランカラン…


突如柊さんをつけていた男の一人が蹴りあげた空き缶の音が辺りに大きく響き渡った。


その音に驚いた柊さんが、

反射的に後ろを振り向いた瞬間…


もう片方の男が突然柊さんを後ろから羽交い締めにした。


カランカラン…カランカラン…


空き缶を蹴りながら姿を現したのは、なんといって良いか…僕には上手く伝えられないかもしれないのだけれど、毛先という毛先からキューティクルという代物が全面的に壊滅したガッサガサの髪に同じくガッサガサの肌をひっつけた、深海魚並みに退化した小さな瞳がやけに印象的で服のセンスが最ッ悪な何とも気持ちの悪いやからだった。


その男は大男に羽交い締めにされている柊さんに向かって話かけた。


「あれからお前の事を色々と調べてみたら、実はお前が普通の女子高生だって事に気がついてな。こないだは、この世のモノじゃないお方に出逢っちまったかと思って、思わずビビって逃げ出しちまったけどよ…今日はあの時のお返しをしようと思ってな。」


そう言って男はペロリと汚ならしく舌なめずりをすると、身動きが取れなくなっている柊さんのアゴをくぃっと持ち上げ囁いた。


「あの時はよくも俺を騙してくれたな。全く大した女だゼ。俺はお前のそんな機転の効くトコロがものすごく気に入った。さすがにお前の家まではつきとめられなかったけどなァ…お前が毎晩習い事でこの時間にこの道を通る事はもうすでにお見通しだからよ。何の習い事かは知らねぇが、今日からはそんなの辞めて、俺達と一緒に仲良く楽しく遊ぼうゼ。」


遠目からだが、柊さんがものすごく嫌がっているのが見えた。


あんな清楚で、か細い女の子を男二人で襲うなんて…!!


なんて卑怯な奴らなんだ…!!


俺は生まれてこの方、ケンカなどというモノは一度もした事がなかったが、この瞬間から今まで感じた事のない、腹の底からフツフツと沸きあがってくる強い怒りにいつしか俺自身が完全に支配されてしまっていた。


完全に頭にきていた俺の頭の中からは、すでに警察に電話をするなどという真っ当な選択肢すら綺麗さっぱりと消し去られ、俺は柊さんを助ける為に手にした傘を静かに構えると、暗闇に身を潜めたまま、ジッと二人に殴りかかる機会を伺っていた。


相変わらず柊さんは嫌がった素振りを見せている。


そんな柊さんの様子を見て男は汚ならしい笑顔で自分の顔を歪めながら、柊さんにさらに近づいて呟いた。


「オイオイ…そんなに暴れんなよ。

お前は今から俺の女になるんだから…よ…!?」


あまりにも胸クソの悪い現在の状況に、俺の我慢の限界がついに脳天にまで達し、二人に向かって一気に奇襲をかけようとした瞬間…


何故か柊さんを羽交い締めにしていたはずの大男が、何故か柊さんの手によって大きく宙を舞っていた。


そのまま激しく地面に叩きつけられる大男。


そして突然の形勢逆転にポカーンとしたまま固まっているキューティクル全滅男の右頬に、柊さんの見事なまわし蹴りが華麗にヒットした。


たまらずその場に倒れ込むキューティクル全滅男。


目の前で地面に伏せている男二人に向かって、柊さんはうつむいたまま何やらブツブツと語り始めた。


「習い事は何かって…?

…空手に剣道、柔道に合気道。少林寺拳法にボクシングに太極拳にカポエラ…テコンドーにキックボクシングにムエタイに薙刀に弓道に女相撲…」


はじめは何か呪文でも唱えはじめたのかと思い、その異様な光景に正直驚いてしまったのだが、どうやら彼女は自分が現在習っている格闘技の名前をひたすら羅列しているようだった。


「こんなに習い事ばかりしてたらねぇ!

そりゃあ帰る時間もこんな遅い時間になっちゃうに決まってるでしょうがぁぁぁッッ!!」


そう言って彼女は、美しかったはずの瞳を見開き、普段教室の中では決して発する事のないような罵声を浴びせながら、すでに意識のないであろうキューティクル全滅男の背中をげしげしと何度も繰り返し足蹴にしていた。


しばらく足蹴にしつづけた彼女は

やっと気が済んだのか、今度は大男の背中をグリグリと踏みつけながら美しく長い髪をかきあげ囁いた。


「いい?

これはただの正当防衛だから。」


「いやいや過剰防衛だ ―――ッッ!!」


完全に出るタイミングを失ってしまった俺の

渾身のツッコミが静かな夜にこだました。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る