設定編(人物)

【第二章】

【ペトルス】

46歳。赤毛の大柄な西方人男性。

放浪の医師である。帝都イストザントに移り住む以前には、スヴェナ・パラエスティウム・クレオナイ・アルキュオニア・カルガヌムといった人口稠密な都市に居を構えていた。

その技量はまさに天才と呼ぶに相応しい。古今の医術に通じ、あらゆる医学領域の知識を体得している。東西両『帝国』でも彼に比肩しうる医師はほんのわずかだろう。

彼の医院では貧しく余命幾許もない患者を率先して受け入れることから、医聖と呼ばれることもしばしばある。だが、それはあくまで表の顔にすぎない。

ペトルスが人体実験にのめり込み始めたのは、まだ修行半ばの十代の頃だった。ひたむきな向学心が若き医学生を禁忌へと走らせたのだ。最初は無許可の死体解剖から始まり、やがてその対象が生きた人間へと移るのにさほどの時間は要さなかった。犠牲者を言葉巧みに誘い、油断したところで強引に拉致し、みずからの探究心の赴くままに肉体を切り刻んでいった。およそ人倫に外れた行為の数々がペトルスの技量を向上させ、当代随一の名医と称されるに至ったのは皮肉でもあろう。生理学と臨床医学に関する研究記録はこの頃から始まっている。彼が転居を繰り返したのは、当局の目を逃れるだけでなく、『東』の各地方に居住するさまざまな人種を実験対象とするためでもあった。

ペトルスにとって、西方人の男性という生来の属性は最大の武器だった。支配階層である西方人に好意を向けられれば、大抵の東方人は容易く籠絡されたからだ。まして堂々たる偉丈夫となれば、そうそう拒めるものではない。そうして声をかけられた者のうち見込みがあると判断された者は弟子に加えられ、それ以外の者は実験材料としてされる運命を辿った。本編でアレクシオスに対して見せた好意も、あくまで計算ずくのものであることは言うまでもない。西方人へのコンプレックスを抱く東方人の青少年に言葉巧みつけ入り、心酔させた上で「判断」を下すのがこの男の常套手段だった。

ペトルスは聖者と猟奇殺人者という二つの顔を兼ね備えていた。決して本性を偽っていた訳ではない。医師として真摯に患者に向き合っていたのも一面の事実である。みずからの探究心のために罪もない人々を犠牲にすることと、死を待つばかりの貧民に救いの手を差し伸べることは、少なくともペトルスの中では確固たる整合性を持って共存していたのだ。

各地で弟子を迎えたが、その多くは転居に伴って殺害された。あまりに多くの弟子を抱えれば、それだけ治安当局に察知されるリスクが増大するためだ。実のところ、ペトルスは何者も信用していなかった。長年付き従ってきたケイルルゴスとイアトロスも例外ではない。弟子の筆頭格である二人に期待を寄せていたのは事実だが、それもあくまで研究を進めるための道具としての価値を見出していたにすぎない。ケイルルゴスとイアトロスが心の拠り所としていた師弟の情愛は、ペトルスの側には欠片も存在していなかった。

ペトルスとその一派が人体実験を通して蓄積した研究資料の価値は計り知れなかった。もし研究が途絶することなく続いていたなら、長い停滞期にあった東方医学は長足の進歩を遂げていただろう。後世において西方で医学が再興されると、旧態依然とした東方医学の優位は失われ、次第に両者の立場は逆上していった。


【ケイルルゴス】

本名はカリム。

25歳。浅黒い肌の東方人の男性。

『東』のなかでも最も南に位置する州の出身。

裕福な商人の一人息子として生まれたが、その幸せも長くは続かなかった。

彼が五歳になるかというころ、故郷の街を悪性の流行り病が襲ったのである。

流行り病によって家族をことごとく失った彼は、医師として現地を訪れていたペトルスによって保護された。以後はペトルスの下で医術を修めつつ、助手としてその活動を支えるようになる。

やがてペトルスの粛清によって兄弟子が次々と消えていくなかで、ケイルルゴスは事実上の一番弟子へと登りつめていく。ついにはペトルスの後継者を気取るまでになったが、イアトロス(ミハイル)が弟子入りしたことで状況は一変する。

二番手に追いやられたことに鬱屈した劣等感を抱く一方、イアトロスの卓越した技術にはそれなりの敬意を払っていた。

鳥の仮面は彼が自作したもの。動物を模した仮面を身につけることは、弟子のなかでも彼とイアトロスだけに許されている。クチバシの部分には各種の薬剤に加えて、目を保護するガラス板が収納されている。

幼い頃からペトルスに付き従って各地を転々としてきたため、ペトルスには実の親子同等、あるいはそれ以上の信頼と敬愛を寄せている。それは一番弟子の地位がイアトロスに移った後も変わらず、むしろいっそう強固なものになった。自分と師は他の弟子とは比べ物にならないほど深い絆で結ばれていると信じ込むことが、ケイルルゴスに残された唯一のアイデンティティだったからである。


ケイルルゴスとは「外科医」を意味する。


【イアトロス】

本名はミハイル。

24歳。切れ長の目をした東方人の男性。

東方辺境の海沿いにある小さな村落の出身。

幼い頃に相次いで父母を失った彼は、親戚の間を転々とする子供時代を送った。

誰に教えられることなく読み書きを習得するなど、幼少期から天才の片鱗を覗かせていたが、僻地の寒村ではその才能が認められることはなかった。

十三歳のある日、たまたま近くを通りがかったペトルスに見出されたことで弟子入りを果たす。以後は門下生のなかでめきめきと頭角を現し、ついには弟子の筆頭と目されるようになる。

同年輩の兄弟子であるケイルルゴス(カリム)とは、何かにつけて反目しあいながらも互いに実力を認めあっていたようだ。

狐狸キツネの面はもともと彼の出身地でよく見られるもの。豊穣を祈願する神事に由来するというが、『帝国』の統治下で東方の土着信仰の多くが失われた今となっては判然としない。あまりいい思い出のない故郷の品をあえて選んだのは、彼なりの覚悟の表れであったかもしれない。

イアトロスにとってペトルスは故郷で不遇を託っていた自分を拾い上げてくれた恩人であり、実の親以上の親愛と尊敬の対象であった。そのため、幼い頃から付き従っているケイルルゴスに対しては常に劣等感を抱いていた。

ペトルスもそれを見越した上で二人を競い合わせていたが、弟子二人の競り合いはやがて最悪の結末を迎えることになる。


イアトロスとは「医師」を意味する。


【特別編】

【マリウス】

28歳。西方人。赤毛に近い金髪を短く刈り揃えている。

辺境軍の将校。もともとは南部の都市キュレオナイに駐屯する第27軍団に所属していた。

裕福な農場主であった父親の下、六人兄弟の末っ子として生まれた。物心ついた頃には兄たちが家業を継いでおり、末弟である彼には家を出て生きることが求められた。その後、長じるにつれて軍人を志すようになり、十四歳の時に最寄りの軍学校に入学を果たす。

軍学校の同期生から「お針子」とあだ名されるほどの優れた裁縫の腕をもつが、これは幼い頃に祖母から教わったもの。祖母は若い頃に服飾工房で働いており、年老いてからは息子や孫たちのために衣服を作ることを生きがいとしていた。兄たちと歳が離れていたマリウスにとって祖母は唯一の遊び相手であり、彼女のもとに通ううちに自然と針仕事を覚えていったのである。

カルルシュとは軍学校以来の付き合い。入学からしばらくはさほど仲がいい訳ではなかったが、たまたま寄宿舎の部屋が同室であったことから距離が縮まった。性格も嗜好も正反対の二人であったが、不思議と気が合い、気づけばいつも行動を共にするようになっていた。

軍学校を修了し、念願かなって辺境軍の将校となってからは、カルルシュとともにめきめきと頭角を現していく。前向きで人好きのする性格も手伝って、いつしか第27軍団の若手筆頭格として将来を嘱望されるようになっていた。

軍人として忙しい日々を送るなかで、マリウスはドリスという娘に出会う。当時彼女は基地の近くの酒場で給仕をしており、何度も通ううちに二人は親密な関係となっていった。結婚はマリウスが25歳の時だった。身分の低い酒場の娘と結婚したマリウスを、口さがない同僚は愚か者と呼んだ。軍高官の娘を娶れば出世に有利に働くにもかかわらず、マリウスはあえて愛する女性と一緒になる事を選んだのだった。

数年後、カルルシュの招きに応じて北方辺境に出発した時、彼はまだ自分が父親になったことを知らなかった。マリウスの妻ドリスと彼女が産んだ娘は、その後も故郷で暮らしつづけている。


【カルルシュ】

29歳。西方人。緩やかなウェーブがかかった黒緑色の髪。

代々軍人を輩出してきた上流家庭に生まれた。父と兄は海軍の高官。それにもかかわらず彼だけが辺境軍に志願したのは、幼い頃から優秀な兄と比べられてきた劣等感の裏返しである。

生まれついての皮肉屋であり、歯に衣を着せない物言いのために軍学校でも嫌われ者だった。そんな彼に唯一親しく接してくれたのがマリウスであり、態度にこそ出さなかったが、カルルシュも内心では無二の親友であると思っていた。

卒業後はマリウスと同じくキュレオナイの第27軍団に所属していたが、七年前に突然北方軍への転属を希望し、マリウスの前から姿を消した。

当時マリウスとカルルシュは軍団司令部で練兵を担っており、それぞれ部隊を与えられて訓練に当たっていた。カルルシュがあくまで厳しい規律によって部隊を統率すべきだと考えていたのに対して、マリウスの持論は部下との信頼関係を重んじるべきというものであった。当初は演習においてもカルルシュが指揮する部隊の方が好成績を収めていたが、次第にマリウスの部隊との差が縮まりはじめ、とうとう逆転されるようになった。事あるごとにマリウスを「甘い」と評していたカルルシュはプライドを打ち砕かれ、逃げるようにして北方軍への転属を申し出たのだった。

北方軍でのカルルシュはこれまでの威圧的な態度を改め、マリウスの持論を取り入れて兵士との信頼関係の構築に努めた。やがて彼の部隊は北方軍随一の精鋭と称されるようになり、カルルシュも指揮官として大きな成長を遂げたのだった。

しかし、それも長くは続かなかった。戎狄との戦いが始まった時、カルルシュ率いる部隊は最先鋒として前線に配置された。千五百人の部下のなかから選りすぐった三百人を自らの指揮下に置き、カルルシュは戎狄を迎え撃った。

その後の経緯については、語るまでもないだろう。彼が練り上げてきた戦術は戎狄にはまったく通用せず、手塩にかけて育てた兵士たちは一人残らず殺戮された。戦場を脱出出来たのは、カルルシュと数名の副官だけだった。彼はただ部下たちが殺されていくのを眺めていることしか出来なかったのである。

その後、戎装騎士の参戦によってかろうじて戦線は持ち直した。部下を失ったカルルシュは酒に溺れるようになり、もはや指揮官としての任には堪えないことは誰の目にもあきらかだった。前線から外された彼に新しく与えられた任務は、最強の戎装騎士オルフェウスの監督役であった。部下たちを殺した戎狄と大差ない存在である戎装騎士の監督を命じられたことで、カルルシュの心は決定的に壊れてしまう。怒りと怨恨の矛先がオルフェウスに向けられたのも当然だった。言葉もろくに喋れず、人間らしさに欠けた彼女をカルルシュは徹底的に冷遇し、鉄檻に入れて水中に沈めるという虐待行為にすら及んだ。それでも、物言わぬ少女を虐げるたび、みずからの心がいっそう冷え込んでいくのをカルルシュは感じていた。

そんな時、脳裏をよぎったのはマリウスの存在だった。自分とは正反対の、太陽のような男。あいつなら、自分の心を、そして人間のなりそこないである少女を救えるかもしれない。そんな淡い期待を胸にカルルシュは第27軍団に書簡を送り、マリウスの出向を要請したのだった。

その後はマリウスに対して皮肉な態度を取る事もしばしばだったが、それは彼なりの照れ隠しであり、心中では以前と同様に自分のたった一人の親友と思っていた。それだけに彼の訃報に触れた時は、深い悲しみに暮れたのだった。

自分が北方辺境に呼びつけたことで彼を死なせてしまったという自責の念に苛まれ、しかしそのことによってカルルシュの精神は徐々に立ち直っていった。酒に溺れても罪悪感は消えず、結果的により苦しむだけだったからだ。オルフェウスに対しては相変わらず冷淡に接していたが、マリウスの遺言を守り、以前のような虐待に及ぶことは決してなかった。

戎狄との戦いが終わった後は軍を退役し、そのまま姿を消した。戦後のカルルシュの行方は杳として知れない。

なお、マリウスの遺族の元には軍からの遺族年金とは別に、差出人不明の仕送りが途切れることなく届いている。

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