我が家の庭のエンデュミオン(3)

「たっだいま~! モルト、ちゃんとお留守番しててくれた?」


 早いとこゲームがしたくて、私は家事を大急ぎで終わらせるつもりでいた。


 自分の昼食はコンビニのおにぎり。私服に着替え、デカいくせに室内飼いのモルトを散歩に連れていき、帰ったらそのままの格好で近所のスーパーに買い物へ。買い物が終わったころにはちょうどいい時間になっていたから、裏庭に干してあった洗濯物を取り込みに……というところで気がついた。


 もっこりしている。


 ハンモックにかけておいたガーゼケットが。


 深い寝息が一つ聞こえ、ガーゼケットがはらりと落ちる。


「嘘でしょ……。まだ寝とる……」


 どんだけぐっすりなんだよ!


 空き巣される心配とかして損した! 心配すべきはそのことではなかった。問題はどうやってこいつを叩き起こし、ご退去いただくか、だ。


 昼になったら起きるだろうと考えていたのが甘かった。というか、我が家に上がり込んだのだって、明け方ぐらいだったのかも。夜勤か何かで限界まで働いて、うちのハンモックが見えたから、ついふらふらと寝てしまったのかな。それなら、昼まで寝ていても、まぁ頷ける。


 どう見ても外人だもんね。こんな見た目の子が日本で暮らすには、私にはうかがい知ることも出来ない苦労があるのかも知れない。もっとも、うちのハンモックは外からは見えない位置にあるわけで、その辺りは問いただしてやる必要がありそうだけど。


 しっかし――、


「綺麗な顔してるなぁ……」


 これだけ綺麗だったら、夜遅くまで仕事しなくてもモデルの仕事とかで十分食べていける気もする。っていうか、同い年ぐらいに見えるけど、実はもうとっくに成人していて、ホストか何かをしていて、先輩にしこたま飲まされたとか?


「あんたがここで寝てるのが悪いんだからね」


 せっかくこんな美形がうちにいるのだから、少しぐらいは役得が欲しい。スマホを構えてベストアングルを探す。動画に撮ってツイッターか、写真に撮って壁紙か。まぁ、ツイッターは勘弁してやろう。「ちょwwwうちの庭で誰か寝てるwww」なんて書いて晒されなかっただけ、ありがたく思え。


「あーん。ほんまに美形……」


 何度目かの感嘆のため息が、私の口から漏れた、と、


「わっ!」


 画面の中の少年が突如目を開けた。


「えっ、わっ、ちょっ!」


 吸血鬼みたいに赤い。ぞっとするほど。


 あまりにびっくりしてスマホを取り落とした。慌てて拾い上げ、わずかばかりの胸にかき抱く。こんな珍しい目の色をした人、今まで見たことがない。虹彩に当たった光が乱反射して複雑にきらめいている。


「えと、あの、その……聞いてた?」


 写真を撮ろうとしていたの、バレちゃったかな。苦笑いして、その場をごまかそうと試みる。


「Θ×φ! △π◇β○◎Λ?」


 立ち上がった彼は厳しい表情で声を荒げた。


 え、英語?!


 だけど、何喋ってるのか分かんないよぉー! なんだか、表情を見る限りでは、めちゃくちゃ怒っているように見えるんだけど。ごめんなさい。写真は撮っちゃったけど、後で消します。


「あ、あのぉ~。あなた、私の家で寝ていたんですよ。覚えてます?」


 その時、少年が手に何か持っていることに気がついた。ぬらりと光沢を放つ片腕ほどの長さのそれは……


「け、剣?! ……何それ、本物っ?」


 リアルな質感。それを持つ拳は、鉄の重みを感じさせるかのように筋張っている。


 まさしく本物の剣……な、わけはない。こんなにリアルな剣を持ってるし、特撮の撮影から抜け出してきた外国人タレントか。日本語も出来ないみたいだし、まだ日本にきて日が浅いとか。恐る恐る、彼のほうに近づいてみる。


「Θ×φ! ※◇ΨББЁ!」


 うわー。怒ってる。何だかめちゃくちゃ怒ってる。でも、ALT外国人助手の先生の発音とちょっと違うような気がする。英語というよりは、ママが時々話してくれるフランス語に近い印象だ。


「ええとですね、ここは私の家でして……」


 すると、


 びゅっと風を切る音がして、何かがはらりと私の耳にかかった。


 髪の毛だ。


「何その剣! 本物じゃん!」


 なんなんだ、この異常者! 本物の剣を持って他人の家に上がり込むなんて! しかもあんた、私の家で寝てたくせに。なんで、せっかく気持ちよく寝かせておいてやったこっちが、斬られなきゃなんないんだよーっ!


 じりじりと後ずさりして、リビングへと続く掃き出し窓へと手をかける。


 私は叫んだ。


「モルトーっ!」


 たったったったと、軽快な足音が近づいてくる。


「へっへっはっは!」


 どしん!


 跳びだしたモルトは嬉しそうに金髪の少年にのしかかった。ナイス! パパが尊敬するライターさんから、飼い犬の名前をもらっただけある。お前は偉い!


「こんなものっ」


 モルトが少年を押さえつけている間に、彼が取りこぼした剣を蹴り飛ばす。モルトはまだ一歳半だがこれでもハスキー犬だ。体重は二〇キロ以上ある。私とそう変わらないぐらいの線の細い少年じゃ、すぐさま払いのけるのは難しいだろう。少年の端正な顔はモルトの舐めまわし攻撃によってべっとべとになっていた。


「いい? 変なことしようとしたら、うちのモルトが黙ってないから!」


 通じていないことも忘れて精いっぱい凄んで見せる。


 と、その時、


 ぐぅうぅぅ――――っ


 うちの裏庭に、間抜けな音が鳴り響いた。

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