第3話 落ちた上履きと掛け時計
その後のことはあまりよく覚えていない。
頭に血の上ってかっとなった僕は、いつの間にか机も椅子も飛び越えて茂木和義のことを拳で吹っ飛ばしていた。
元々血の気が多く頭に血の上りやすい茂木は僕の一発で理性を失って、僕のクラスは大乱闘となる。
気がついた時には二人の男の先生が僕と茂木の体を引き離していて、取り押さえられていた。先生に抱えられている茂木和義はそれこそまるで動物園のゴリラのようで、餌でもやっとけよというセリフを吐いてやる。僕のその言葉に茂木はもう一度顔を歪めて「……んだとっ!」と勢いよく身を乗り出したが、所詮は小学生大人の力に叶うはずもない。 いつの間にか他のクラスのやつらも僕らの周りに集まっていて、出入り口やら廊下側の窓からと色々な所から覗き込んでいた。
僕は上がった息を整えながら、目の前にいる茂木和義を観察する。
茂木は興奮状態がまだまだ続いているようで、それこそ野獣のようにふーふーと全身で呼吸を行っていた。
鼻と口と至るところから出血をしていて、悪趣味なシャツも襟の辺りがびろびろに伸びていた。こめかみの辺りにでかいタンコブができている。ああ、あれは僕が全力で叩きつけたところだ――とどこか冷静に確認をする。
目の前にいる茂木和義も大分傷だらけだったのだが、僕だって相当ボロボロだった。
シャツは擦り切れているし上履きだって片方飛んでいた。口の中が切れて鉄の味がしていたし、体のいたるところに青痣やら赤痣やらたくさんできていた。
茂木はぐっと奥歯を噛みしめると、床の上に何かを吐きだした。汚ねぇな、と僕は思う。唯一自由の利く足を動かして、左足に履いていたもう片方の上履きをあいつの顔に向けて投げてやった。
「やめなさい、渉!」
先生が僕の頭を押さえこんだ。
荒れた教室の隙間を縫って、僕たちは別々の部屋に連れて行かれ別々の部屋で治療されて、お説教を受けた。
教室を出る瞬間に篠原かなでの顔がぼんやりと見えた。
篠原かなでは泣いていた。
僕は会議室でお説教を受けた。
――なにが原因でこうなったのか
――なんで、お前は茂木につっかかったのか
僕は先生に何を言われても答えなかったし、ずっと下を向いていた。
僕と茂木がつかみ合いの喧嘩になった、その原因?
僕の頭に血が昇ってしまった、その理由?
そんな理由、明白だ。
「おい、渉。こっちをちゃんと向きなさい」
先生から目を逸らして時計を見ると、時刻はもう夕方の5時半を回っていた。
荷物を取るために一度教室へ戻ると、ノリとツッチーが僕のことを待っていた。
僕と茂木がスラム街のように散らかしたはずの教室は、クラスの勇士によって元通り綺麗に整頓されていて、僕の机も茂木の机も篠原の机さえも、まるで何事もなかったかのように元の場所に戻されていた。
「あ、あゆむ」
「待っててくれたんだ。ありがとう」
「大丈夫かよ? 結構、長かったじゃん」
「うん。だいぶ絞られたけど。大丈夫」
ツッチーが僕のランドセルを手にとって、渡してくれた。
「こんなか、宿題のプリントとか入ってるから」
「えー? 宿題、多いの?」
「算数ドリルの19から23だって」
「うっわー。俺、そんなできないよー」
「俺もできねーって。畠山先輩、ここはひとつお願いしますよー」
「うむ。五百万円でどうだ」
「うっひゃー。金取んのー?」
一通り馬鹿騒ぎをしてから、僕たちは教室を出た。
「さっきさ、茂木の母ちゃんがきててさ」
「え?」
「ほんと。あゆむは解放されたけど、茂木はまだ絞られてるみたい」
「……へぇ」
低い階段を駆け降りるようにして、ノリとツッチーは先を進んでいく。
僕は一度足を止めて、二人の後を追う。
「……どこで」
「なにー?」
「どこで、やってんの?」
ツッチーは二階の踊り場で足を止めて、大部頭上にいる僕のほうへ振り返った。
「図書室だって」
そう言うと、ぱたぱたと階段を駆け降りた。
その次の日、篠原かなでは学校を休んだ。
茂木和義も一応登校はしていたようだが、僕と会うたびにガンをつけてくるものだから鬱陶しくてたまらなかった。
それを不快感に思っているのは僕よりもむしろ畠山康則であって、僕に引き続いてノリが茂木と一触即発を起こしそうな雰囲気さえあった。
篠原が学校を休んだ理由は、先生から詳しくは言われなかった。
僕の席は、廊下側の一番後ろ。目線をずらせば、彼女の席が見える。 彼女の席は空いていた。
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