4 ~It meet the witch again~


 雲1つない、子供でも簡単に絵に描くことができそうな青1色の空。その下に広がる大きな大地には自然の面影は無く、コンクリートという人工の岩で塗り固められていた。

 その人工的に作られた道をてくてくと歩いている女がいた。大きな旅行用バックを持ち、キョロキョロと不安気に辺りを見回している。目には涙が溜まっていて、その半泣き状態の女は終始ぼそぼそと何か喋っていた。

「うう……誰にも会わないし、どこに行けばいいかも分かんないし……。もっとこう、いろいろ便利な魔術とかチカラの理屈とか習っとけば良かったかなぁ……」

 今にもわんわんと泣きだしてしまいそうな様子のまま、人一人見当たらない道

をてくてくと相変わらずの様子で進んでいく。

「日本でここまで人に会わないことも予想外だったけど、まさかレンちゃんが迷

子になるなんて思ってなかったよぅ……」

 レンちゃん可愛いし、この国じゃ目立つからすぐに見つかると思ったのになぁ……と後悔を口にしている女。その女の耳に突然、爆弾でも爆発したかのような轟音が届いた。

「……?……?……!?」

 驚きのあまり声は出なかった。

 今の日本は平和だと聞いていたし、戦争が日常的に起こっている時代でもない。爆弾なんて物騒なものがこの辺りにあるなんて考えてもいなかったから、しばらく思考は真っ白だった。

 ただ、轟音が聞こえた方に意識を集中すると、何となく強力な‘魔の力’を感じ取った。上位の使い魔、コウモリや蛇みたいな動物でなく、人型の使い魔さえも扱える強力な魔術。

「……レンちゃん……?」

 女は、先ほどとは別の不安を感じて、音がした方へ駆け出した。







「そうか、じゃあ試してやるよ」

 使い魔が刀を振り下ろすために腕に力を入れた。

 その瞬間に健介は力を入れて体をずらした。先読みした刀の軌道を「辛うじて」でも避けておけばまだ逃げる機会はある。

 さっきの発言にしてもそうだ。最後に言った強がりは、往生際が悪い人間を演じていただけ。あの場面であんなことを言うのは起死回生の策があるか、ただの強がりで何もないかのどちらかだからだ。

 俺は前者だ。

 体に力を入れれば振り下ろされる刀を避けることができる自信がある。

 体は重い。殴られた事が堪えている。しかし、その程度の事は想定済みだ。さっき動かなかったことから容易に想定できた。

 しかしただ1つ。体が予想以上に重かった場合の想定はしていなかった。

「……!!」

 予想の10分の1も動かない。もともと体中痛かった。それなのに無理をした事が今になって帰って来たみたいだった。

 これじゃあ、避けられないじゃないか。

 てことは、死ぬ。

 ……死ぬのか。

 まぁ、分かってたけど。

 結局、ローレンのママは見つけられなかった。

 ちょっとだけ、どんな人かな、と気になっていたんだが。

 まぁ、ママの顔は天国で拝ませて貰えばいいや…。

 刀をその身に受ける覚悟が済んだ健介は、安らかな気持ちで真っ直ぐに刀を見ていた。

 その時、振り下ろしていた使い魔の腕を、あろうことかローレンが体当たりしながら掴み掛かった。

「……!?」

 突然の体当たりに驚きを隠せない使い魔。そいつの振り下ろしていた刀は急に軌道を変え、刃はコンクリートの地面に叩きつけられた。健介に傷はなかった。

「ちっ……!」

 掴み掛かったローレンは使い魔の腕を放さない。精一杯睨みを効かして刀の持ち主を睨んだ。

「……ケンスケは殺させない!」

 それに使い魔は口元だけを釣り上げながら言い返した。

「はっ、嬢ちゃんも強気になったみてぇだな。ただ、もうちょっと考えて行動する事をお薦めするぜ!」

 右腕を勢いをつけて振る。その右腕にしがみついていたローレンは簡単に引き剥がされてしまう。

 少女は道に背中から叩きつけられてしまった。

「あうっ……!」

「ローレン……!!」

 体を起こしてローレンの所まで駆け出したかった。しかしまだ体は言うことを聞ける状態ではなかったようだ。

 倒れそうになる体を支えるだけで限界。立ち上がることなんてよっぽどの事がないと無理だ。

「チ、やれやれだ。やっぱり嬢ちゃんを先に始末しとくべきだった…」

 ボソリ、と独り言を言う使い魔がローレンの方を向いた。ちょっと邪魔されたからってローレンを狙うなんてよっぽどの事をしやがるこのブラック野郎。これじゃあ無理だって言った矢先にお前を止めないといけないじゃねぇか。

「……待て!」

 無理矢理立ち上がらせた体はギシギシと悲鳴を上げていた。

 健介の叫びに応じてか、使い魔の動きが静止する。くるりと振り返ったその顔は、見たくもない物を見なければいけない時に人間が見せる嫌な顔だった。

「……ちょっとでいい」

 イラついているという事を子供でも理解できるだろう、と思ったほど極端に低い声を発した使い魔は、一瞬のうちに健介の目の前に移動していた。

「静かにしてろ」

 言うのと同時に、健介の頭をハンドボールの球を片手で持つかのようにわし掴みにする。

「……え?」

 ほうけているハンドボールを、使い魔は強く地面へ向け投げつけた。

 何がなんだか分からないうちに、ゴドンと鈍く音が聞こえた。

「ケンスケ!!」

 続いて耳に届いたのはローレンの叫びとそれに続くゴホゴホと咳き込む声。その叫びで俺が何かされたのだということが理解できた。

 しかし不思議と痛みはない。そこまで大きな外傷は無かったはずだが、分からないだけで内側や神経的にはそこまでヤバイ状態なのかも知れない。

 その証拠に五感の機能がそれぞれに任された仕事を放棄しているみたいだ。

 鼻は何かに包まれているみたいに、近くにいるはずの使い魔の臭いも嗅ぎとることが出来ないし、地面に横たわっている感覚すらも無い。口にはなにやら血の味がするし、使い魔の声はもやがかかっているように聞こえていて言っていることが信じられない。

「黙ってくれたな。それじゃ仕事を続けることにするよ。そこの嬢ちゃんは生かしちゃおけねぇからな」

 とりあえず光だけはちゃんと受信し続けている、そのあまり信用が置けない目が捉えたのは、踵を返しローレンの方にすたすたと歩いていく黒いローブと、その先でぺたりと座りこんでいるローレンの姿。

 間違いであって欲しいのであるが、一応目だけは正常に機能しているみたいだ。正確には正常に機能していないのは触覚だけなのだが、目で見えている事も理解するのに時間がかかる頭ではそんなこと分かっても意味がなかった。

 視覚情報だけでは理解するのに時間がかかっていた健介に、さらに言葉が聞こえた。

「すぐにそいつも同じところに送ってやるから、抵抗せずに安らかに死んでくれ。

‘根源’の嬢ちゃん」

 その言葉に呆けていた脳が覚醒し、寝ている場合ではない事を思い出した。

 頭だけ起こし、視覚をフル動員させる。それに写ったのは、漆黒の刀を頭の上まで持ち上げている使い魔と、側で腰が抜けたように座り込んでいるローレン。

 今の健介には、叫ぶ事が精一杯だった。

「……じゃあな」

 刀が振り下ろされる。

「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 叫ぶ声に混じって、刃が体を貫く大きな音が聞こえた。








 あまりに突然のことで何が起きたか分からなかったが、使い魔の刀の動きが止まったので落ち着いて状況を判断出来た。

 今の音はローレンを切り裂く刀の音ではなかった。

 槍。

 長く細い、黒く細部に渡って赤い装飾の施してある槍。

 それが‘使い魔を貫いた’音。

 使い魔も驚きを隠せないようだった。

「……『ブリューナク』……だと……?」

 使い魔は自身に刺さった槍を見てそんな事を口にした。

 その途端、使い魔の体が炎上し、あっと言う間に全身が包まれてしまった。

 さらに次の瞬間には、コンクリートで固められた大地を割るような衝撃と音が使い魔を中心に健介とローレンを取り巻いていた。

「うわっ!」

「きゃああ!!」

 雷でも落ちたかと思ったほどの衝撃だった。

 普通なら街中で起こる訳が無い落雷が止み、目を開けた時には使い魔の姿はおろか‘臭い’さえなくなっていた。

 消滅したのだろう。

 爆心地近くにいたローレンが体を起こした事を確認し、‘槍’の飛んできた方を見た。

 そこには人間がいた。大きな旅行用バックを傍らに起き、何やらアーチェリーの弓のようなものをその手に持った、赤いだぶだぶの帽子を被っている女が矢を放った後の余韻を感じさせていた。

 そして、こっちではまだ落雷の余韻がある爆心地の近くにいる少女は、その女を見てある単語を叫んだ。

「……ルー!!」

 満面の笑みで。母親だと思われるその人の名を。

 そして弓をいつのまにかしまっているその女も、遠くから「レンちゃーん」なんて言いながら駆け寄ってきていた。

 母親の目には涙。感動の再会。微笑ましいと思った。

 そしてローレンと母親が抱き合うその瞬間、ローレンの綺麗な左ストレートが、あろうことか母親の腹を打ち抜いた。

「ぐふぅ!?」

「えーー!?」

 膝から崩れ落ちるように倒れる母親。俺はその衝撃映像を見てしまったせいで言葉を繋げることができなかった。

「私の案内聞かないで何してたのよ!いい大人が迷子になんてなるな!!」

がぁーっと母親に説教をするローレンは、何か怖かった。

「な……げほっ、なにさ!レンちゃんだって迷子じゃん!」

「迷子はあんただ!私はルーをずっーと探してたの!」

「私だって探してたよ!ルーちゃんいないとウォーフのとこにいけないもん」

「バカ!私がどんだけ心配したと……!」

「……あの……」

ふらふらしながらかろうじて立ち上がり、喧嘩に発展しそうな言い争いに横槍を入れる。というか、自分が置いてけぼりを食らっているこの状態をどうにかしたいと思ったのだ。

健介の呼び掛けで初めてそこにいる男の存在に気が付いたルーと呼ばれたその若い女は、ローレンとの口喧嘩を止め、健介に尋ねた。

「……貴方、誰?」

 そりゃあしかたないっちゃしかたないんだが、いきなりな挨拶だと思う。負けじとこっちも自己紹介した。

「俺は斧塚健介。成り行きでローレンに貴方を捜す手伝いをするよう…お願いというか脅迫というか……された者です」

「あ、そうなんだ!ごめんね?大変だったでしょう?」

 一応お礼を言う母親。その母親にやっぱり違和感を覚えた。

 若すぎる。どれだけ上に見積もっても健介と同い年がせいぜいだ。もしかしたらローレンの姉と言っても納得してしまうかもしれない。

 そんな事を考えていたからか、ふっと口が動いた。

「……しかしローレンの母親にしては若いですね」

 そう言った瞬間、ルーの動きが止まった。

 そして、聞き返してきた。

「……私が?」

 ローレンがちょっと目線をそらしているのが気になったが、素直に言う。

「ええ。ローレンにママを探してくれと頼まれたので」

 言い切るのと同時にルーの手がぐーの形になり、ローレンの頭の頂点へ的確に打ち下ろしていた。

 ごつん、と良い音がした。

「いったー!何すんの!」

「黙れ!私を母と言うなと何度言えば分かる!」

「何よう!ルーが私を造ったんだからお母さんじゃない!」

「まだ子持ちの年齢じゃないもん!!」

「ふんだ!実際は齢200歳越えてるくせに!!」

「あっ!!言ったわね!!まだ子供のくせに!」

「あの……」

 ローレンとルーが同時に健介を見る。こういう時は息ピッタリだ。

「……どういうことですか」

 また置いてけぼりを食らっている気がして説明を要求してしまった。

 ルーとローレンがお互いを見合う。ローレンが小さな声で大丈夫、と言いながら頷くと、ルーはおもむろに口を開いた。

「…かなり複雑でとんでもない話で……長ーくなるけど……聞く?」

聞いてしまった手前、やっぱいいですとも言えない。それに実際気にはなるのだ。聞きたくない理由は無かった。

しかし、ここでゆっくり話を聞く訳にはいかない。

「……聞きます。けど、こんな場所じゃあ聞けません。人が来る前にここから移動しましょう……」

辺りは落雷のせいでコンクリートがボロボロになっているのだ。すぐにここから離れた方が良いだろうと判断した。








ルーを探すための事情聴取に、ローレンと立ち寄った先ほどの公園にまた帰ってきてしまった。だが幸いにも公園は人払いされているかのような静けさを保ったままだった。

「割と良くなったと思ったんだけどな……」

 未だ頭痛がする頭を気にしながら何とかここまでやってきた。来るまでの間、ローレンは俺をやたら心配するわルーさんに詳しい事を説明しているわで大忙しだった。厳密には、ルーさんへの説明が9割だったのでそこまで忙しくはなかったかも知れないが。

ルーとローレンがベンチに座わり、健介は立ったまま話を聞くことになった。

「おほん!それじゃ、詳しい説明をするよ。もう一度言うけど今からする話は嘘

じゃないからね」

わざとらしく咳をし、二度目の確認をしてからルーはおもむろに口を開き、なぜか自己紹介を始めた。

「今の私は‘ルー’って呼ばれてるの。これは私の使ってる武器のせいかな」

 健介には目に焼き付いて離れないほどの心当たりがあった。

「あの槍ですか?確かに凄い槍でしたけど。なぜそんな通り名みたいなのが…」

「それは後で説明してあげる。今話してもどうせ分かんないから」

「……はぁ……」

何が分からないのかがまず分からない健介をよそに、ルーは一息ついてからとんでもない事を言った。

「私はね、‘魔法使い’なの」

「…………………………は?」

突然のカミングアウトに驚きの声を上げてしまった。しかしそれもしょうがない事なのだ。実際「自分は魔法使い」なんてこと、裏の知識がある人間には笑えない冗談にさえ成りえない理由があるからだ。

 この世界には俺のような‘普通じゃない人間’が存在する。その中には鬼はもちろん、生まれつき超能力のような物を持った人間(俺の母親のようなネアンデルタール人)や、魔術の素質を持って生まれ、実際に魔術を行使する魔術師などが普通ではない部類に入る。これらはおとぎ話やでたらめではない。しっかり実在しているのだ。

例えば俺は‘鬼’だし、使い魔を使役する魔術を用いていた魔術家系‘武藤’も実在する。これは襲われたことからも明白だろう。

さてここで俺が驚いたことの核心に触れたいと思う。

‘魔術師’と‘魔法使い’の違いである。

魔術師とは、確かに存在し、‘使い魔の使役’や‘暗示’等の様々な魔術を行使する人間。厳密には色々な定義があるのかも知れないが、俺はそこまで詳しくはない。とりあえず‘理に適っている魔術を行使する’のが魔術師だと理解してくれればいいと思う。

それに対し、魔法使いが使う‘魔法’はたった5つしかないと言われている。


  第一魔法・次元


 第二魔法・無限


 第三魔法・再生


  第四魔法・複製


  第五魔法・絶対


 これには厳密な定義は無い。よく分からないが、例えば第二魔法使いは‘魔力を無限に生成したり’できるらしいという話を聞いた。この5つは理論上、行使不可能とされている。つまり、それを使う事が出来る魔法使いは凄いんだぞー。という噂があるだけの存在。‘魔術師’と違い、存在もしっかり確認されていないのだ。

だから、いきなり「私は魔法使いなんだ」なんて言われても信じる奴は普通いない。だから‘鬼’である俺はその話を信じる事にした。目の前にいる人はあの使い魔を一撃で倒したことから相当な実力者だということが分かったし、それが‘魔法によるもの’ならば納得が出来てしまうからだ。

「……ルーさんが仮に魔法使いだとしましょう。でも、どうしてローレンの母じゃ

ない、とか武器の理由とかになるんですか?」

 優しく微笑む時の目のまま、ルーはローレンの頭の上にぽんと手を置いた。

「私は第四魔法である‘複製’の魔法を使うことができるわ。この子はね、私が‘世界の根源’を人の形に複製した子なのよ。だから、私の娘って訳じゃない」

突拍子もない話に混乱しそうになる健介にさらに話は続く。

「‘根源’とはすべての物事の始まりのこと。食物連鎖でいうプランクトンみたいな物よ。この子はそれと同じと言っても過言じゃない。だからこの子は世界に起こった過去の出来事なら糸を手繰るように何でも知ることができる」

ローレンがえっへん!と胸を張っていた。

「理屈は何となく分かりましたけど…何でそんなことを?それに、そんなことが可能なんですか?」

 ルーは右手をチョキの形にして前に突き出した。

「理由は2つ。便利だからと、旅の仲間が欲しかったから。それが可能かについては、流石に一人では無理だったわ」

 よく分からない中にまた疑問が増えた。

「一人では無理……?誰が……」

「私の知り合いに‘根源’を‘本’にまとめられるチカラの持ち主がいたの。その子の造った本を基盤にこの子を‘複製’したのよ」

「……そんな話、聞いたこと……」

「知らない事も無理はないわ。彼は貴方の母と同じでこの世界の人間じゃない。名前はローレン。ただ2つ名しか使わないそうだから名前はレンちゃんに頂いちゃいました」

てへへ、とローレンみたいなリアクションをする。正直、親子でない事に驚いてしまう。

「別にそれはいいですけど……」

「私はあんまり良くないけどね……」

長いため息を出しながら「もっとかわいい名前がよかったな……」などと言っているローレンをまるまる無視し、健介はルーに詰め寄った。

「…本当なんですか。ルーさん。貴方は本当に……」

「第四魔法‘複製’の魔法使いだよ」

「……じゃあ……」

健介は無茶を言ってみた。

「証拠を……見せて下さい」

「うん」

ルーは簡単に言って、立ち上がった。

そして、キンとする高い音を出しながら一瞬光ったルーの手元には、1m20cm程度の黒い槍が握られていた。

幻術的なモノでも、どこからか取り出したモノでもない。間違いなくこの場所で‘創られた’物だった。

「……………」

恐らくこの人は‘本物’だろうとは思っていた。

 それでもこうしてあっさりと、先ほどの稲妻で無くなったと思われる黒い槍を‘複製’してしまったのだ。驚かないでいられる訳はなかった。

「これは『ブリューナク』。ケルト神話の半神半人の英雄‘クー・フーリン’の父、光の神‘ルー’が用いる投擲槍。そして、今の私が好んで使ってる武器」

 唖然としたまま口を開けた。

「……そんな空想上の武器まで‘複製’出来るんですか……」

「ほんとはブリューナクの元になった槍なんだけどね。実在しないものを複製する事はできないから」

神話や伝説にはそれの元になった何かしらの話があるものだ。だから今の話はこの槍みたいなものから考えられているのだろう。

「……本物なんですね……」

「嘘じゃないって言ったよ~」

話が通じた嬉しさか、ルーは満面の笑みを見せた。

そして驚きは隠せないのだが、健介はなんとなく複雑な気持ちになった。

目の前には、おとぎ話や昔話に出てくる存在である魔術師や鬼でさえ噂だと思っている魔法使いがいるのだ。しかも、その人から突拍子もない貴重な話を聞いた。この人にはもっとたくさんのことを聞きたい。

「そうだ、健介」

ルーが急に何か思いついたようで話を振ってきた。なにやら色々と考え込んでいた健介はその言葉で我に帰った。

「あっ、はい?なんでしょう」

微妙な反応の健介に気付かず、ルーは言葉を繋げた。

「私を見つけてくれたし、レンちゃんを守ってくれたお礼に何かしようかと思ったんだけど……。何か困ってる事って無い?」

 返答するのに時間がかかったが、それは困っている事を考えたからではない。

このローレンみたいな母親にそんな気持ちがあったことに驚いたのだ。

「……大丈夫ですよ。お礼のために協力してた訳じゃないんですから」

笑いながら軽く流そうとしたのだが、ルーは笑い返しながら会話を続けた。

「子供がそんなこと気にしなくていいのにー。とりあえず何でも言ってごらん?」

一応健介は法律上でも立派に大人なのだが、魔法使いは見かけの年齢と実年齢がかけ離れている事がある。そういえばさっきのルーとローレンの口喧嘩の時、20の10倍の数値を聞いたような気がする。それだけ歳の差があれば健介なぞまだまだ子供なのだろう。

「……まぁ、困ってる事は有りますけどね……。耳の事とか、武藤さんに狙われてる事とか…。たくさん有りますが、それはどうにもならんでしょう」

「………うーん」

ちょっと言ってみたが流石の魔法使いでも、こればっかりはどうしようもない。今挙げた2つの事は俺が‘鬼’である限り付き纏うものであるのだから。

そしてその返答は、うなっているルーではなく、隣で話を聞いていたローレンがしてくれた。

「ねぇ、私達といっしょに行かない?」

「…………どこへ?」

と、聞き返すはずが返答してくれた少女は母親にすぱーんと良い音をさせながら頭を叩かれていた。叩いたのは紛れもなくルーだ。

「健介には健介の生活があるの。そりゃあ付いて来てくれれば地方で何かと便利だし、嬉しいけど、そういうことは簡単には言っちゃいけないの。分かった?」

「うー。叩かなくてもいいじゃん……」

ぶつぶつと文句を言っているローレンの言葉がよく聞こえなかった。しかし何の話かは理解することができた。要するに、魔法使いの旅に着いてこないかと聞かれたのだ。魔法使いと一緒に旅をするなんてこと考えてもいなかったから脳が混乱しているのだろう。うまく考えがまとまらなかった。

「ごめんね、レンちゃんが変なこと言って」

「……いえ……」

そんな半端な返事しかできなかった。それを察した訳ではないと思うが、ルーは話を強引に戻した。

「それで、健介の耳の話。もしかしたら何とか出来るかも知れないよ」

「……え?」

混乱したままの頭ではルーさんの言葉も理解出来なかった。ただ、何とか出来るってどういうことですか、と聞き返すのが精一杯だった。

「つまり、貴方を普通の人間に出来るかも知れないってこと」

「…………え」

ということは。

「普通の生活が出来るってこと。レンちゃんから聞いたけど、貴方はその耳のせいで悲しい思いをしてきてる。だからそれを取り払えるかも知れないってこと」

 それは、俺が、斧塚健介という人間が、毎朝毎晩いつもこうありたいと願っていたこと。

 “こんなもん、なければいいのに”

ずっと思っていたことだ。

「貴方の体を基本にして、そのまま‘人の形’に複製するの。うまくいけば普通の人間になれるよ!」

ルーはガッツポーズをしながら言った。

そんなことを元気よく言われても、とんでもないことになってしまったことは変わらない。

 俺は、一体どうするべきなのか。

旅の同伴をお願いする場合、‘鬼’としての能力はあっても邪魔にならない。むしろあったほうがいいから消すことはない。でも魔法使いと旅ができる。それもルーとローレンとだ。今の生活に未練は全く無い。旅をするのは後悔は無いはずだ。ただ1つ、普通の生活が出来なかった事を除いて。

普通の人間にしてもらう場合、‘鬼’として自覚を持ったころからずっと願っていた普通の生活をする事ができる。毎朝毎晩思い、夢にも出てきた事が現実になるのだ。夢が叶って後悔はしないだろう。ただ1つ、色々な場面で助けてくれた‘鬼の能力’を捨てること以外は。

 そして、選択肢はもう1つ。ルーさんに迷惑をかけないように気持ちだけ頂くこと。これからも‘鬼’として今の生活を続ける事だ。

健介は少し俯いてから、まず選択肢の1つを除外する事を決め、ルーにもう一度確認を取った。

「……俺の望み、聞いてくれるんですか……」

ルーは頷いた。

「魔法使いにできることなら何でもね」

その言葉に、健介は顔を上げた。

 今までの自分は初対面の相手に大それた望みを口にするほど厚かましい人間ではないつもりだ。

 しかし、今回だけ、特例にして貰おう。

 選択肢は、初めからどうするか決まっていたのかも知れない。そう思えるぐらいはっきりと、1つの望みを口にした。

青い空に浮かぶ1つの白い雲と、明るい空間を作る太陽と、魔法使い。そしてその連れの少女が、健介のこれからの未来と、そのの流れを大きく変える言葉を見届けていた。

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