2 ~both~


 私は走っている。

 前へ前へ。

 少しでも進むために。

 1人で走っている。

 どうして1人なの?

 だって、ママとはぐれちゃったから。

 前へ前へ。

 少しでもママに近づくために。

 一生懸命走る。

 早くママに会いたいから。前へ前へ。

 どうしてそんなに走るの?

 走らなくてもママに会えるのに。

 そんなこと分かってる。

 ママも私を探してくれる。

 私もママを探している。

 すぐに会えるんだ。

 でも、走らないと。

 だって。

 走らないと。

 ママに会えなくなる。

 だって。

 走らないと。

 ……ここで、殺されてしまうから。







 俺は角から顔を出した‘モノ’の姿を確認する。こういう時、一番頼りになるのは視覚情報だ。

 俺の眼に、黒い者が写った時、事態は最悪。6回目の恒例行事が始まりの合図を鳴らす。いや、俺の中では既にいつでも鳴らせる状態だった。

 しかし、最終的にそこから出てきた‘人間’は、不思議の国から飛び出してきたかのような、真っ白い洋服に身を包んだ少女だった。

「……あれ」

 正直、拍子抜けした。ポケットの中の物を取り出す羽目になると思っていたからだ。結果はただの勘違い。まったく、自分の鼻に呆れる。なにが鬼だか。

 その、肩掛けの付いた白い冬服を来ている少女は俺のいる方の道に曲がってきた。リズミカルに足音をたてながら俺の脇を通り抜けていく。

 と、袖が何かに引っ掛かった。

「ん」

 釘でも出ていたか、と引っ掛かった方を見る。

 そこには、袖を引っ張っている金色のロングヘアーをなびかせた白い服の少女がいた。厳密には、袖を引っ張るというか俺の後ろに隠れるようにしている、の方が適切な表現かも知れない。

 その少女に「……何してんだ」と言おうとした時、少女は叫んだ。

「助けて!追われてるの!」

 ……一体、何のことやら。

「……何の遊びか知らないけど―――」

 と、その瞬間。

 俺の鼻が‘肺を直接縛られるような悪寒’を嗅いだ。

 心臓が高鳴り、額からは汗が流れる。今の瞬間から少女を気にしている余裕は無くなった。全神経を先ほど少女が走ってきた角に向ける。

 直感で分かった。

 そこに。

 黒い者がいることが。

 そして、これから取るべき行動が。

 手をポケットに再度入れる。

 さらに耳あてを取る。犬耳でも人の耳よりはよく聞こえるらしいからだ。

 状態は万全になった。さぁ、どっからでもと言いたいところだが正面から限定でかかってこい。

 そんな俺の動揺なぞ気にも止めず、黒い者は足音もたてずに姿を現した。

 顔が見えないほどフードを深く被り、右側が開けているとても長い、漆黒のローブを纏ったそれ。体の近くに日本刀のようなものが浮いている黒い‘モノ’。

 紛れもなく、俺の考えていた最悪の状況だ。

 黒い者が俺の方を向く。そのとき初めて俺に気が付いたような反応で俺の顔を確認する。

「……異端者……ダナ」

 擦れた声というか、嫌な音がフードの奥から発せられた。分かっているくせに確認をするのはいかがなものか。

 浮いていた刀が黒い者の右手に近寄っていく。

「異端……ハ……排除」

 来る……!

 黒い者は右手で刀を掴んだその瞬間に跳ね、俺に切り掛かってきた。

 それを俺はポケットから取り出した飛び出し式の長めの‘ナイフ’で受け止める。来ると分かった上で、6回目ともなると受けとめるのはそれほど難しくなかった。

 ガキィン、と鋭い金属音が飛び散る。

 勢いが止まり、つばぜり合いのような状態になったが、両手でナイフを握り直し、全力で日本刀を弾き飛ばした。

 が、黒い者も簡単に得物を放す訳もなく、後ろに大きく跳ね、勢いを殺しながら後退しただけだった。

 だが、それでいい。

 これで逃げる時間ができた。ほんの少しだけ時間があれば逃げ切れる自信はある。

 体勢を整えている黒い者を完全に無視し、踵を返す。

 そこには予想外にも、先ほどの少女がいた。

「え!?逃げちゃうの!?」

 予想外の事態に驚いている。そんな顔だが、こっちだって予想外だった。なんで逃げてないんだ!このガキ!

「逃げるが勝ちだろ!」

 足に力をこめる。

「え!?助けてくれないの!?」

 ああ、もう!そんな問答してる場合じゃないだろ!

「助けて欲しいなら黙ってろ!舌噛むぞ!」

 それだけ言うと、少女を抱き抱え、おもいっきり跳んだ。

「ひゃぁあ!?」

 見事な跳躍でそこにある家の屋根に飛び乗る。

 人様の屋根に飛び乗るのは正直気が引けるが、そんなこと言ってる場合じゃない。

 さっきの黒いのが出現するときは決まって近くに人がいない。多分人払いの能力でもあるのだろう。とにかく、人に見つかる心配はないから心置きなく屋根の上に飛んだ。

 その屋根から次の屋根へ飛んでいく。全く、こんな時は自分が鬼であって良かったと心底思う。

 いや、元々鬼じゃなければ普通に暮らせるんだから良いと思うのは間違いかもしれない。

 取り敢えずそのままある程度距離を稼ぐことにした。ここらへんはあまりビルが無くだいたい屋根の高さが同じだから、このほうが早い。

「これなら逃げ切れるかもな…!」

 ほっほっ、と次々屋根から屋根へ移動した。

 結構な数の屋根を飛んだのでそろそろ地面へ降り立つことにしよう。後は人払いがされていないところまで走れば一旦黒いのから逃げ切った事になる。

「はっ!」

 ダン、と良い音を立て道路に降り立つ。

 黒いのから遠ざかるため今進んでいた方向にさらに走りだす。恐らく、もう少し離れれば誰かしら人に会うだろう。今回は以外と楽に逃げることが出来た、と気分が高揚した。割と俺もやれるようになった。

 そんな自分に酔い痴れている俺に、誰かがぽつりと語り掛けて来た。

「……いいの?」

「ん?」

 声の主は今俺が抱いている(というより持っているに近い)少女だった。

「このまま走ってると人払いの範囲出ちゃうよ?いいの?」

 こいつ、事態が分かっていないのか。とも思ったが、‘人払いされている’と知っているところを見ると、この少女も恐らく‘異端者’なのだろう、と思った。いや、ほぼ間違いない。人払いの範囲内に入ることができるのは人じゃないものだけだからだ。

「……いや、その為に走ってるんだろ。範囲外に出れば一応逃げ切れたってことだからな。何か都合の悪い事でもあんのか?」

 なるべく丁寧に話してやる。相手は異端者といえどまだ子供だ。そう思っていたら予想外の答えを返してきた。

「私は無いんだけど、お兄ちゃん耳隠さなくていいのかなって」

 がっ、と体が金縛りにでもあったかのように硬直する。危うく少女を落とすところだ。

 少女を(落としそうになった勢いのまま)下ろす。

「そうだった。いや忘れてたぜ。助かっ……」

 俺は今耳あてをしていない。こんな耳のまま人にあったら鬼だとは思われないだろうが、怪しい奴には変わり無い。

 そこで耳あてをしようと思って気が付いた。

 耳あてが、無い。

「……あれ」

 どこかで落としたのかと記憶を探る。

「……あ」

 思い出した。ナイフを両手で持つために一回放した。

「……ヤバイ」

 つまり、さっきの黒いののところに落として来てしまったのか。

「……どうしよう」

「これを探してる?」

 少女が何か手に持っていた。それは紛れもなく俺の耳を被い隠すためにいつも付けているものだった。

「あ!?何でお前が!?」

「だって大切なものなんでしょ?拾っておいてあげたの」

 なんたる幸運。子供もたまには便利なもんだ。

「いやいや、助かった。サンキュ」

 と、耳あてを受け取る。

 はずなのに少女は耳あてを俺に渡さない。上目遣いで俺を見ている。

「……どうした?」

「……私ね、今、困ってるんだ」

 ……まさか。

「…………で?」

「助かったならそれなりにお礼の仕方があるんじゃないかな……」

 前言を撤回する。やはり良いことしようとガキはガキだ。

「……私のお願い、聞いてくれる?」

 可愛らしくお願いしているように見えるのかもしれないが、目は「聞いてくれないならこれは返さない」とはっきり告げている。

 だが助かったのは事実だ。取り敢えずどんなお願いをするのかだけ聞いてやることにした。

「……何が望みだ」

 少女は表情を明るくさせて元気に言った。

「人探しして欲しいの!私のママ!」

「…………人探し……か」

 取り敢えず聞いて、無理だとそのまま耳あてを奪い取ってやろうと思っていたのだが、気が変わった。この鼻のためか人や物を探すのは十八番だからだ。

「分かった。それならいいだろ」

 にっこり笑って少女は言った。

「お兄ちゃんならそう言ってくれると思ってた!」

 耳あてを返してもらう。取り敢えずこれで問題は解決。さっさと黒いのの人払い範囲から脱出する事にした。

 少女の走るペースに合わせて(それでも結構速い)道を走り抜けていく。暫くしてすれ違った老人になんとも形容しづらい不審な目で見られたが、取り敢えず範囲外に来たようだ。

 一息ついていると、少女はこっちを何か期待するような目で見ている。

 ……さっさと探し始めた方が良さそうだ。周りを見ると偶然にも公園があったため、そこのベンチに腰掛け事情聴取をする事にした。







「ほら」

「わーい。ありがと」

 公園の自販機で買ってきたつめたいペットボトル茶とあったかい缶コーヒーのうち、コーヒーを少女に渡す。

 人探しをする時はまず情報収集に限る。だから少女から話を聞くために公園のベンチに腰を落ち着ける事にした。そこで何か買おうと思い少女に何がいいか聞いたところ、元気に「あったかいコーヒー!」という返事を返され、運良くそこの自販機に見事にあったかいコーヒーがあったのだ。

 ベンチに腰掛け、それ以外にする事も無かったので話を切り出す。

「で、ママを探して欲しいってことか」

 コーヒーを手で弄びながら少女は笑顔で返事をする。

「うん。ママとはぐれちゃったの」

「で、その時にあの黒いのに見つかって、逃げてるうちに完全にママから離れちまったってことか」

「そうなの。あの使い魔そんなに動きは速くないんだけどしつこくって」

 まだ缶を開けずに手で遊びながら返事をする少女を複数の意味で真剣に見る。睨むに近いかも知れない。

「……あんまり簡単に‘使い魔’とか言うな。お前にそれなりの知識があるのは認めるが、もし俺が一般人だったらどうする気だ」

 その言葉に手を止め、少女はこっちに向き直り拗ねるように言った。

「普通じゃない人になら問題無いもん。お兄ちゃんが鬼だってことぐらい知ってるんだから」

 ちょっと驚いたが、俺の耳を見て「何それ」ではなく「隠さなくていいの?」

と言った少女だ。異端者や魔術師などの‘裏の知識’をしっかり持っているのだろう。

「分かってるならいい。いや、そういう知識は無いのかと思ってな」

 私がそんなことも知らないと思ってたの?とでも言いたげなあまり納得していない顔であったが、むー、と一度俺を睨んでから目線をコーヒーに戻した。

「まぁ、人払いの中にいたし、俺が普通じゃないことぐらい分かるか。全く、武藤サンとこは仕事熱心だ。」

「熱心過ぎるのも考えものだよ」

 小さくため息を出しながら少女はコーヒーを手で包む。

 ちなみに‘武藤’とは、日本の魔術家系の1つ。異端者や超越種と呼ばれる人でない者を退治する‘退魔一族’の1つだ。先ほどの黒いのはその武藤の人間が使う‘使い魔’だ。異端者を見つけるとああして人払いをしては退治するのだ。

これで俺は奴に6回見つかり、逃げ切った事になる。

「……とりあえず、本題に戻るぞ」

 話が脱線しかけたので元に戻すため少女に話しかける。

 少女はコーヒーをくるくるさせているだけで返事をしない。多分拗ねている。そんなにさっきのことは気に触ったのか。

「……そうだ、名前は?まだ聞いてなかった」

 宥めるように優しく聞いてみた。すると、拗ねていた顔が一変して、びっくりしたような顔になった。

 聞いてはいけないことだったかと思って緊張する。

「……名前?」

 ぽかんとした顔で呟く。

「名前……」

 もう一度呟いてから、難しい顔をして黙ってしまった。

「……おい?」

「……とりあえず、ママは私をローレンって呼んでるけど……これが名前かなぁ……」

 そんな少女の呟きに、それが名前でなくて何だってんだ、と言いたくなったが、また拗ねられたら面倒くさいので黙っておく。

「ローレンか。男みたいだな」

「そうだよね。ローレンってあんまり女の子に付けないよね」

 何か納得いかないような顔で俺に返事をする。母親のネーミングセンスを疑っているのかもしれない。

「じゃ、ローレン。何の手がかりも無しじゃ探すに探せない。とりあえずお前がママと別れた経緯を教えてくれよ」

 納得いかないような感じの顔が今度は待ってましたと言わんばかりに明るくなる。コロコロ表情が変わるなぁと思った。

「えっとね、ママが迷子になっちゃったの」

「……それはお前が迷子になったんだ」

 迷子になる子供は必ずこう言うと聞いたことはあったが、まさか本当だとは。

 そう考えていた俺に怒ったように言い返してくるローレン。

「違うよ!ホントにママが迷子になったの!」

「……どういう事だよ」

「いま日本にはママの知り合いが滞在してるから、その人の所まで私が案内してたの!そしたらいつのまにかいなくなってたの!」

「……」

 子供の嘘は矛盾がたくさんある。大人にかかれば嘘を暴いてやることなんて簡単だ。

「……何でママの知り合いの所在地をママが知らなくてお前が知ってるのかな?」

「え?当たり前じゃない」

 さも当然、と言わんばかりの顔で俺を見る。そして、あ、と口を押さえた。

「しまった。言っちゃいけないんだった」

 それだけで簡単に判断できた。

「……魔術か何かか」

「……え……う……うん……」

 心配そうな目で口を押さえたまま俺を見る。

「心配すんな。言っちゃいけないなら黙っててやるよ」

「……うん」

 そう言うがそれでも心配なのか、その顔のまま俯いてしまった。

「ていうか、その能力でママの現在地とか分かんないのか?」

「……まだ……分かんない」

 俯いたまま言う。

「そうか。じゃあお前とママが別れたところに案内してくれよ。そこを拠点に捜すから」

「……え」

「だからお前がママと別れたと気が付いたところに案内してくれって」

「……」

 困った、という顔で俺の方を向くと、さっき黒いのと会った方向を指さして、言った。

「向こうのほう……」

 ため息が出た。全く、こういうところはガキで困る。

「……分かんないのか」

 少女が申し訳なさそうに頷いた。となるともうあの手を使った方がいいか……。

「じゃあ仕方ない。あの方法を使おう。それが速そうだ」

 それだけをローレンに言うと、頭にクエスチョンマークが浮かんでいそうなローレンの顔に、ずいっと顔を寄せる。

「……なっ……何?」

 顔を離す少女。

「こら、動くな!」

 がっちり少女の頭を両手で掴んで固定する。

「……えっ……」

 ローレンと向き合い、まっすぐに目を合わせる。

「きゅ…急に…」

 ゆっくり顔を近づけていく。ローレンは驚いた様子であわあわ慌てていた。しかし顔は固定されているので逃げることは出来ない。

 さらに顔は近づき、お互いの鼻が触れた。

「……ぁ……」

 顔が真っ赤になり、怒られた子供のようにぎゅっと目をつぶったローレンをよそに、クン、と鼻を鳴らした。しばらくそのまま時間がたつ。

「……これか……見つけた」

 すっ、とローレンから離れ、ローレンから嗅ぎ取った‘匂い’を公園の中で捜す。予想どうりに入ってきたところからこのベンチまで、‘弱々しく’それを感じた。強く感じているものもあるが、それはローレン自身の匂いだ。だから、この弱々しい方の匂いが‘ローレンに付いたママの匂い’なのだ。

「よし。これを辿っていけば会えるだろ。まぁ、ママもお前を捜してくれてるだろうからすぐに会えるさ」

 今から探し始めるぞという意思表示も含めローレンの方を見る。そこには小さな、顔を真っ赤にした少女が恥ずかしそうに俯いて縮みこんでいた。

「……ど……どうした?」

 さっきまで喜んだり怒ったりびっくりしたり困ったりコロコロと表情が変わっていた少女が今度は静かに俯いている。俺が匂いを嗅いでいる間に何かあったのだろうか。

 そんな心配をしてかけよっても全く微動だにしないローレン。

「……びっくり……した……」

 かろうじて出てきた言葉がこれだった。

「……な……何がだ……?」

 何かしでかしてしまったかと思い、聞きなおす。それに少女は冷静さを少しづつ取り戻しながら言う。

「……キス……されるのかと……思った……」

 二秒固まった。

 二秒後、ローレンの言葉が理解出来た瞬間、俺の中にある衝動が沸き上がり、抑えることが出来なくなってしまった。

「……ぶっ!あはははははははははは!!」

 笑いながら、このままだとまた少女を怒らせることになってしまうと考え必死に笑いを抑えようとする。しかしそれを全く寄せ付けず、笑いの波は止まらないままで俺の脳を勝手に操作し、狂ったように笑い続けさせる。

「ははははは!何でそーなんだよあはは!」

 ひーひー言いながら若干呼吸困難になっている俺と、静かに、怒りにその身をたぎらせながら対峙するローレン。

「くくく、あっはははは!あーはははは!」

 そして、ついにキレた。

「笑いすぎだー!バカーー!!」

 ローレンは見事な右ストレートを俺の体のほぼ中心、あばら骨がちょうど無くなるところに的確に放って来た。

「あはぐぅ!?」

 世間一般では‘みぞおち’と呼ばれる人体急所の1つを的確に打ち抜かれた。この少女が一体何に分類される異端者なのか知らないが、相当な実力者だ。

「あが……ははっ……げほっ、おぇっ」

 先ほどまでの笑いと今の痛みとが一遍に呼吸困難になっている俺を責め立ててくる。

 多分推測だが、普通の人間だったら気絶しててもおかしくないかも知れない。そう思えるほど苦しい。呼吸困難時に食らうみぞおちへの重い一撃がこんなにつらいとは思わなかった。

「ローレン……冗談じゃ済まないことが世の中にはあるんだぜ……」

 ゲホゲホと咳き込みながらうずくまっている俺を見下している末恐ろしい少女に向けて言ってやった。

 ところが少女は悪びれた様子もなく口を開いた。

「お互い様なんだからね。お兄ちゃんには言われたくないもん」

 それだけ言うと先に公園を出ようと歩き出してしまったローレン。

「く……訳が分からん」

 血液内の酸素量が気絶という限界値を越える前になんとか普段どおりの呼吸を取り戻し、体内に酸素を順調に取り込む。

 かろうじて立ち上がり、ふらふらしたまま公園の出口で待っているローレンに追い付く。

「遅いよお兄ちゃん。だらしないなぁ」

「俺がだらしなくなっている直接的な原因はお前だ。そしてお兄ちゃんて言うのやめてくんないか。もう20歳なんだぞ」

 ゼイゼイ言いながら、まだ痛むみぞおちを押さえたままの状態でとりあえず言っておくことだけ言った。

「じゃあ名前で呼ぶ?」

「そうしてくれ」

「じゃあオノちゃん」

「……却下だ」

「ケンちゃん」

「ダメだ」

「みみっち」

「耳には触れるな」

「はなっち」

「ふざけんな」

「えーじゃあ何がいいのー?」

 我が儘だ~とでも言いたげなローレンの顔。本日最大のため息が出た。

「あのな、いくら俺でも普通に名前があるんだぞ」

「知ってるよ。だから可愛く名前をもじって呼んであげようと思ったのにみんな嫌がるんだもん」

「もじる必要は無い。いいか?俺には斧塚健介(オノヅカケンスケ)って名前があるんだ。普通に呼べ普通に」

 それに納得していない様子のローレンは先に歩きだしてしまった。

「それだとつまんないじゃない。ふーんだ、ケンスケって呼び捨てにしてやるもんね」

「俺としてはそっちの方がありが……」

 歩きだすローレンを追い掛けようとした時にちょっと気が付いた。

「……なぁ、ローレン?」

 3mほど先に行っているローレンを呼び止める。ローレンはその場で立ち止まりこっちを向いた。

「お前……俺の名前……知ってた……のか……?」

 驚きと言うか頭の整理機能が働いていないのか、よく分からないせいで言葉がしっかり定まらない。

 そんな俺を見ていたローレンの顔が、いたずらが成功した子供もように笑顔になっていく。

「私、物知りなんだよー。びっくりした?ケンスケ」

 明るい笑顔で心底楽しそうに笑う。こっちのびっくり顔を馬鹿にしているかのようだった。実際、驚いている本人が笑われるような顔をしてるんだろうなと自覚していたほどなので相当おかしな顔だったのだろう。

「……一体なんて魔術なんだ……」

 主にローレンによってもたらされた呼吸困難などの状態異常から回復した俺は、それでもまだ完全回復ではないことを主張するような足取りでローレンの後に付いていく。

「ほらケンスケ、案内してよー」

 今さっき逃げてきた道から元気な声が響いてくる。それを見た瞬間、これからローレンのママ探しを‘ローレンとする’ということに覚悟を決めなければならないなと思った。

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