1 ~oneself~
爽やかな朝の光で夢から醒めた。
なにやらずっと見ていたかったと思えるぐらい幸せな夢を見ていた気がする。
「はぁ……」
よいしょ、と出すつもりもない生理現象のような独り言を漏らしながら布団から体を起こす。
全く習慣ってものは恐ろしいと思った。何だって起きなくてもいいはずの休日なのにこんないつもの時間に起きてしまったのだろうか。
だったら、と二度寝も考えたが止めておくことにする。休みになったら色々しようと思ってた事が。
……無いな。
まぁ、何かするさ。
そう思い、狭い部屋にいっぱいに敷かれた布団をたたみ、押し入れに詰める。そして顔を洗って頭をさっぱりさせるため洗面台へ向かった。
人間ならば朝、顔を洗うときに鏡をみるのはほぼ当たり前だろう。
今日も俺は格好いいなぁと鏡で自分の顔を確認したりとか。
何で俺はこんなに見事なアンバランス加減で不細工なんだろうかとか。
色んな事を思うだろう。
俺だってそういう普通の人達と同じだ。毎朝、家で鏡を見るたびに、それこそ痛いぐらいに思う事がある。
「こんなもん、なければいいのに……」
そう。鏡に写る自分から生えている獣耳を見るといつも思う。普通とかけ離れた耳を。障害なんかではなく、れっきとした俺の耳を。
「……はぁ」
信じられないだろうが、世界には俺のような普通ではない人間が存在しているのだ。
魔術師や吸血鬼みたいな空想上の存在。これらは空想ではない。隠れながら実在しているのだ。
ちなみに俺は‘超越種’という人ではない者である。細かい分類では‘鬼’に当たる。鬼とは一般的に角があって、肌が赤くて、しましまの雷パンツを履いているイメージがあるだろう。少なくとも俺はそういうイメージがある。
だが実際の鬼というのはそうではない。多分角のあるそういうのを見た人が「鬼だ!」とか言い広めてしまい、それが一般的になってしまったんだと思う。
ちなみに鬼の厳密な定義は‘動物特異の特徴の一部分を生まれつき有する人型の生物’のことを‘鬼’と言う。俺は犬の特徴を保有している超越種だ。不自然に鼻が高いこともあるのだが、犬耳を持ち、嗅覚が異常発達の域を越えている。これは紛れもなく‘鬼’である。
そんな人間が普通の社会で暮らせる訳もなく、幼いころに父と母が亡くなったというハンデもあってか、引き取られた父の方の祖父母の家で育った俺は自分がどういう存在だかを理解していなかった。
こんな俺だが、父はれっきとした人間だった。でも、母は普通ではなかった。理屈は分からないが、獣の姿になることが出来たのだそうだ。
勿論、普通の人型にだってなれる。つまり、俺より普通の人間の振りができる‘ネアンデルタール人’だった。
普通の人には聞き覚えがない言葉だろう。なんたって原始人の種類の名前だから。
現在の人間の原型‘ホモ・サピエンス’は他の原型の原始人を全て駆逐して生き残った唯一の原始人種なのである。その時完全に駆逐されたのが‘ネアンデルタール人’という原始人種だ。だから、この世界には‘ネアンデルタール人’は存在しないらしい。
じゃあ俺の母は何なのだろう?
簡単なこと。こことは違う、異世界からやってきたのだという。
ネアンデルタール人は駆逐される寸前、異世界への扉をみつけ、そこへ逃げ込んだのだという話だ。
母はそんな異世界からやってきてしまったらしいのだ。俺が‘鬼’なのもそんな経緯の母が原因でなってしまったらしいと聞いている。
とにかく、俺は現代では異端者と呼ばれる、社会的にその事実がばれてはいけない人間なのだ。
そんな話を聞いたのは中学二年の時。祖父母の家の地域の名門家系‘東雲’の家の当主にその事実が見つかり、そこで‘東雲’が有名な魔術家系だ、という話と一緒に聞いた。つまり、その当主は魔術師なのだ。俺と同じ異端者だった。
その話は幸か不幸か。俺は高校へ行く道を強制的に断たれ、仕事をしながら1人で暮らすことになってしまったのだ。
それが今の生活。かれこれもう5年になる。
外に出るときはそれっぽい耳当てをつけ、補聴器、と言い訳している。
会社でもそうだ。他人の目に触れる時、俺は必ず耳当てをする。それが当り前のように。
まぁ、そんな感じで分かってくれたらありがたい。
「って……鏡に向かって何を説明してんだ俺は……」
はぁ、とため息が出る。
それにつられるようにして、ぺしゃん、と耳が垂れた。
とりあえず一通り朝の日課を片付け、久しぶりの休みにすることを頭を巡らせて考える。
……んだけど、部屋は整理するほど大きくもないし、掃除とかは非常にめんどくさい。休みにする事じゃない気がする。じゃあいつやるのか?と言われても分からないが。
脳内にいる自分達(?)によって侃々諤々の話し合いが行われ、考えに考え、買い出しがてら外に出かけることにしようという結論になった。
手早くフード付きの上着を羽織り、財布ともう1つ、物騒な物をポケットにしまう。
支度を整え、窓やガス栓等を確認してから靴を履いた。
外に出て鍵を掛ける。
鍵は俺用の手紙受けの中の死角のところに入れておく。落としたりする訳にはいかないし、別に空き巣に入られたって盗むもんなんかないんだからこれで十分だ。
耳は例の補聴器もどきで隠してはいるのだが、フードをちゃんと顔の側面が隠
れるまですっぽりと被る。
夏だったら怪しいことこのうえないが、今の季節は秋から微妙に冬に足を踏み入れているころだ。寒がりならこれぐらいの服装でちょうどいいぐらいだろう。
ちなみに俺はどっちかと言うと毛深めだし暑がりである。正直に言わせていただくと、暑い。
たが周りにばれて、あんな事になることを考えれば随分ましだと我慢して歩きだした。
俺は車やバイクの免許は無く、自転車さえ無いので、歩きで町の方へ行かなければならない。でも俺は歩くのは嫌いじゃない方だと思う。ゆったり見慣れた景色を眺めながら町へ向かう。
空には青が一面に広がっている。雲はちょっとしか見えないので天気予報では快晴、と報道されているに違いない。
ああ、平和だなぁ。
俺が異端者で‘鬼’だ、なんてこと忘れそうになった。
今日は1日、なーんにもなく普通に終わって、平和を噛み締めるんだろう。
そう思いながら町へ歩みを進めた。
その、町へ向かう間の。
ほんのわずかなただの時間に。
偶然遭遇した出来事が。
‘こんなことに巻き込まれる’ことになってしまうなんて、思ってもいなかったのである。
しばらくぼーっとしながら歩いたと思う。家からここまでにこの青空に小さな雲を3つも見つける事ができたほどだ。
目線を空から地上に戻す。と、ありふれたコンクリートの道。人によっては裏路地とでも表現するかもしれないような道に入っていた。
「あれ、こんな道あったのか……」
そう思っていると、見覚えのある看板を見つけた。ああ、あの場所だったのかと現在地を確認できた。
しかしその時、少しだけ違和感を感じた。ここはいつもなら人で賑わっているところなのだ。なのに少し意識を集中しても人1人いないんじゃないかと思えるほど静かだったからだ。
「まぁ、朝だしな……」
と言ってはみるが自分で自分を叱る。強がりを1人で言っていてもしかたがない。嫌な予感がするのだ。鬼としての動物的な直感が歩く速度を速めさせるほどに。肺を直接縛られているような悪寒。
この感じは以前何度も感じたことがあるのだ。
「……折角休みなのにな……」
歩きながら神経を集中する。特に鼻と耳。
「今日1日は潰れるか。いや、1日ならいい方か」
自分の運の悪さに呆れ返る。折角休みなのだから家でゴロゴロしていれば良かったなと、今さらになって後悔した。
さっきからペースを速めて歩いているが、全く人に会わない。これは普通じゃない。
「ヤバイか……」
このペースではまずい、と走りだすことにしたまさにその瞬間、俺の‘鼻’が前の角から発せられる異変を嗅ぎ取った。
「……!」
本能で脚が止まる。まずい。もう見つかったのか。
音がなくなってしまったかのような道の角から、たったった、と人間が駆けてくる音が徐々に大きく聞こえてくる。
いや、それが‘普通の人間’の可能性だってある。俺の鼻が感じ取っている‘異端者’じゃない可能性は十分にあり得るんじゃないだろうか?
そんな考えを、俺の‘鼻’は俺の器官でなくなり、間違いを指摘する友人のように軽くはねつけた。
「バカ言うな。じゃあ今まさに痛いほど感じてるこの‘臭い’をどう解釈するつもりだ」
そう言われている気さえする。確かに、この‘臭い’は人間じゃない。
‘臭い’と言っても、香りがする訳ではないのだが、俺の鼻はそれが分かる。鼻の機能に第6感を感じる機能が備わっているようなものなのだ。
だから、その鼻がそれを感じているなら、そういうことなのだ。そう頭が理解してしまうと、むしろ頭がすっきりした。
足音はすぐそこまで迫ってきている。だが焦る事はない。人間5回も同じ事をすれば割と慣れてくるものだ。
あと8歩。それで顔が確認できる。
あと4歩。
3歩。
2。
1。
片手をポケットの中へ滑らせ身構える。
そして角から顔を出した‘モノ’を確認した。
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