9話目 異界のグルメ ザクセン地方パウエンの虹色ガエルのから揚げ

「プハーッ! うんめえええっ!!」





 ジョッキをあおり、ゴクゴクと喉をならして黄金色に輝くビアを飲み下す。





 喉に突き刺さるようなキレのある刺激と爽快感に思わずオッサンのような声が漏れる。





「喉越し最高だな、このビアは」





 口の周りについた泡を手の甲で拭いながらもだえるように雄太はいい笑顔を見せた。





「確かにこのビアは旨いですね。香りは控えめなものの、このキレとコクの深さが喉越しの爽快感を一層深めているようです。パウエンは王都に向かう者たちが立ち寄る宿場街で、肉体労働者も多いことから、香りの華やかさより一日の疲れを吹き飛ばすような辛口の刺激と飲みやすさが追求されたのでしょうね。あ、ちなみにこの世界ではアルコールは15歳から認められているので、私や勇者さんがお酒を飲んでいても全く何の問題もないんですよ」





 ギルが異様に説明口調にツラツラと語りだす。





「この世界に来て、初めてこの手の飲み物を飲んだけど、このビアが一番旨いな」





「いいなー、わたしも飲みたい……」





 上機嫌にジョッキを傾ける雄太を物欲しそうに見つめながら、ピリカはオレンジジュースをちびちびと舐めている。





「そうそう勇者さん、言おう言おうと思って忘れていたのですが、あなた自分が別の世界から来たってこと、あまり他人に言わない方がいいですよ?」





「え、なんでだ?」





「だって、異世界ですよ異世界。ここは魔法が常識として存在している世界ですが、別世界から人が来るというのはあり得ることではないんです。まあ、普通の人なら信じるまでもなく勇者さんの頭の方を疑うと思いますけどね。だからと言って一緒にいる我々まで頭のおかしい人種だと思われたらたまったもんじゃないですからね」





「なんだよ、俺は頭おかしいと思われても良いっていうのかよ」





 小バカにしてくるギルに悪態をつきながらまたビアをすすると、一杯目のジョッキが空になった。





 雄太は空になったジョッキの底をしげしげと見つめる。「でも、普通の人は信じてくれないけど、お前は信じてくれるんだな──」と、そう言いかけたところで、ドン! とテーブルの上に大皿が置かれた。





「お待たせしました! 特製ソーセージの盛り合わせです!」





「おおーー!」





 思わず三人の声がハモる。トリーシャのはつらつとした声とともに目の前に置かれた大皿から熱々の湯気が上がっている。今まさに茹で上げたばかりであろう腸詰の肉がはち切れんばかりにテカテカとその身を光らせている。





 少し色の薄いもの、中にハーブが練りこまれたもの、赤い色をしたもの。長短、数種類のソーセージが大皿にぎっしりと山盛りになっている。





 こいつは食いごたえがありそうだと、さっそく雄太がフォークを持った手を伸ばす。そのまま赤色のソーセージに突きさし、豪快にひとかじり。パキっと、弾力のある肉がはじけるように気味いい音を立てて、肉の凝縮された旨味が口の中に広がってくる。





 「うまい!」





 思わず声が出る。茹でたての熱さに口の中をやけどしてしまいそうだったが、手が止まらない。





「──っ!」そして、遅れてきた刺激に雄太は思わず目を見開いた。辛味だ。咀嚼して飲み込んだ、肉の旨味を後を追いかけてくるように辛味がやってくる。三口目には、もう辛さと肉汁が口中で混然一体となっている。雄太が食べたのはチョリソーだった。





 辛い、でも美味い。そして暑い。かなりの辛味に、思わず額に汗が浮いてくる。雄太はジョッキに手を伸ばすが、しかしジョッキの中身は空だった。





「ビアおかわり!」





 ジョッキを掲げて叫ぶと、「はいよ!」と威勢のいい声が喧噪の中に響き渡る。そして間もなくしてきれいな泡の立った、新しいビアが運ばれてきた。





 辛味とソーセージの濃い味で乾いた喉に、ゴクリゴクリとビアを流し込む。





「プハーッ!」と先ほどにも勝る、唸るような叫びが自然と湧き出してくる。もう、最高だった。





 ビア最高。アルコールまじ最高、ソーセージうまし。





 もはやアル中のような思考が脳裏を駆け巡る。ギルもピリカも、同様にソーセージをかじってはジョッキを傾けと、とてもご満悦の様子だった。














 酒も進み、しばらく経ったところで、また皿が運ばれてきた。





 次は三人それぞれの前に皿が置かれていく。





 雄太の前には店おすすめのビーフシチュー、ギルの前には鉄板の上でジュウジュウと音を立てるハンバーグ、そしてピリカの前にはころもが黄金色に輝くから揚げだった。それぞれが自分の食べたいものをと頼んだものだ。





 雄太が目の前に置かれた皿に目を凝らす。ボルドーワインのような、深みのある赤色をしたシチューがなみなみと注がれている。とろけるほどに煮込まれた玉ねぎと大きめに切られた牛肉。そしてニンジンなどの野菜がスープから顔をのぞかせている。デミグラスソースの濃厚な香りが鼻孔をくすぐり、食欲がそそられる。





 そっとスプーンでシチューをすくってみる。シチューは思っていたよりもサラサラとしていて、牛肉からあふれ出たであろう旨味脂がキラキラと輝いていた。そして一口。牛肉の旨味とブイヨンが口の中に広がる。赤ワインの深みのあるコクと香りが牛肉の獣臭さを消すとともに、肉を柔らかく仕上げている。歯をあてがうだけでほろりと崩れる牛肉の脂と肉のハーモニー。





 こんな大衆酒場のような店でありながら、その繊細な味に雄太は脱帽した。場所が場所であれば、シェフを呼んで謝辞の一言でも述べたいところだった。





 次に付け合わせのパンを一口大にちぎり、それをシチューに静かに浸すして食す。





 パン自体は堅めのフランスパンを軽くトーストしたものだったが、シチューにつけたとたんあっという間にシチューがパンに染み込んでいく行く。それはまるで荒れ地に水を撒くかの如く、ひたひたになり、あの堅かったフランスパンが崩れ落ちそうなほど柔らかくなった。





 そしてそれを口に運んでいく。





 噛んだとたんに、じゅわりとシチューが口の中にあふれ、一緒にプランスパンのほぐれていく食感。これもまた至高である。





 付け合わせのパンが堅めのフランスパンだったのは、シチューがサラサラのスープ状であるからだろう。スープが染み込むがゆえに、柔らかなパンでは崩れてスープの中に落ちてしまうし、食感にも粘り気が出てしまいシチューの良さを損ねてしまう。元が堅いフランスパンであれば、シチューの良さを殺すことなく堪能することができる。そして更にスープがより染み込みやすいようにトーストしてあるという徹底ぶり。





 ギルの方に目をやると、ハンバーグの付け合わせのパンはソフト系の丸いパンだった。ハンバーグのしっかりとした濃厚デミグラスソースを食すならやはり、ふっくらソフトなパンがベストだろう。鉄板に残ったソースまで余すことなく絡めていただくことができる。





「どうです? お口に合いますか?」





 給仕の合間にやってきたトリーシャが笑顔で尋ねる。





 三人はそれぞれの皿にかぶりつきながら、口々に感嘆の声を上げた。





「あらー、うれしいわあ、腕によりをかけて作った買いがあったってものよお」





 そこへ突如野太い声が割って入る。ドスのきいているのに、わざとらしいなよりをきかせた身の毛の逆立つような声に思わず振り返ると、そこに立っていたのは身長がゆうに二メートルを超えているであろう、巨大な男だった。ゴリゴリの毛深い腕にシルバートレイを抱え、トリーシャと同じ給仕服を着ている。しかし、その服はあまりにもパツパツに引っ張られていて、よくよく見なければ同じものだとは分からない程無残なものだった。上下から見える胸毛とすね毛は全くもって見るに堪えない。





 つまりこれはアレである。まさに絵に描いたような大柄なオカマであった。





「ありがとねん」





 と、思わず殴りたくなる衝動にかられる濃い青ヒゲの残るオカマが言う。





「あ、ゴリコさん」とありえない名前を口走りながらトリーシャがその巨大オカマに微笑みかける。トリーシャはこちらに向き直って、





「紹介しますね、この人はゴリコさん。この酒場と宿の給仕長をしてる人でオカ、……みんなのお母さんみたいな存在なの。料理もほとんどゴリコさんが作ってるんですよ」





 途中何かを言いかけて慌てて口をつぐんだトリーシャは、なんとなくうまい感じにまとめ上げてゴリコを紹介した。ゴリコはそんなことには気に止めることもなく、





「聞いてるわよお? あんたが街でトリーシャを助けてくれたって子ね」





 そう言って、ぐいんと顔を雄太に近づけてくる。





「い、いえ……ぼ、ぼくはなにも……」





 肉迫するオカマに思わず雄太はしどろもどろになる。卒倒しそうになるのをこらえるのに必死だった。顔の肌は見た目に反して事のほかきめ細かったのもトラウマものだった。





「あら、あんた冴えない地味な引きこもりに見えたけど、近くで見るとなかなかかわいいじゃなーい?」





 雄太は冷や汗ものである。突っ込む勇気すら湧きもしない。ゴリコはウフンとウインクを一つして、瀕死状態の雄太から顔をやっと顔を離した。





「マスター! この子達にとびっきりのドリンクお願い。私からのサービスで」





 ゴリコがカウンターに向かって声をかけると、シェイカーを振っていた黒ベストの小柄な初老の男が静かに頷いた。





 それを確認してから「それじゃ、ごゆっくりい」とまたウインクをしてからゴリコは去っていった。





 その間、見たことがないほど巨大なオカマに目を輝かせていたピリカの一方、ギルは一切の気配を消し去り、まるで無関係の人間のように食事を続けていた。





「すみません、驚かせてしまいました?」





 心臓のバクバクを必死に押される雄太に、トリーシャが苦笑いを浮かべる。





「ゴリコさんとても良い人なんですけど、やっぱり初対面だとビックリしちゃいますよね……。でも怖がらないでくださいね。ゴリコさんもマスターも、私のとってもお世話になってる人だしとっても優しい人たちなので」





 一礼してトリーシャもまた給仕に戻っていく。





「すごい巨人のおじちゃんだったねー」





 ピリカが目を輝かせながら、厨房に入っていくゴリコの後姿を見つめる。





 しかし、あのゴツイ容貌でこの繊細な料理を作り上げたかと思うと全く驚きである。





「そういえばギル、お前ずいぶん静かだったな」





「いえ、ああいう色物はどうも苦手でして。あそこまであからさまに突っ込み待ちだとイジリがいも何もないですからね。自分がでしゃばる場面でもないかと……」





 そう言って、ハンバーグを口に運ぶギル。こいつはまるで進行と場を考えたような妙なことを言う。





 まあ、そんなことはいいか。今はこの絶品料理を堪能しなくてはと、雄太は料理に集中しなおす。作った人間のことはできるだけ考えないようにして。





 と、そういえばふとピリカの料理が気になった。





 そう、それは件のから揚げである。最近は異世界ものではおなじみとなったモンスター料理。





虹色ガエルのから揚げ。





そもそも雄太は虹色ガエルを見たことがないが、ピリカの言うところによると馬ほどもある大ガエルで、皮膚が虹色に光ることからこの名がつけられたらしい。





それのから揚げ……





普通のカエルですら食べたこともないのにそれを食すなんて、想像するだけで恐ろしい。





ちらりとピリカの方を見ると、ちょうどピリカがから揚げを頬張るところだった。





から揚げと言いながらその一つ一つはかなり大きく、骨付きの肉だった。それをフライドチキンのように手でもって、豪快にかぶりついている。





あふれ出る肉汁と脂がピリカの唇をテラテラとテカらせる。





……うまそうだ。





思わずよだれが出る。





雄太が頼んだビーフシチューの繊細な味とは明らかに違うであろう、にくにくしい肉。まさに豪快な男の料理といった様相。それにかぶりつき、思い切りビアで流し込む。





ビアを飲むならばソーセージもよかったが、から揚げは何といってもその油、そして脂。相性は考えるまでもなくバツグンだろう。





ピリカのから揚げを頬張る姿から思わず目を逸らせなくなる。





そしてとうとう、





「な、なあピリカ、そのから揚げ一つくれないか?」





「えー、これは私のだよ。勇者様さっきはこんなの無理って言ってたじゃん」





「いや、だってさっきはもっとゲテモノゲテモノしたものが出てくるもんだと思ってたから……な、頼むよ。俺のビーフシチューも食べていいからさ」





 そう言って、ビーフシチューの皿をピリカの方に差し出すと、「それなら」とピリカも虹色ガエルのから揚げが盛られた皿を寄こしてきた。





 から揚げの盛られた皿を目の前に据える。それはカリカリに揚げられたころもとうっすらとまとった油で黄金に輝いていた。





 あふれそうなよだれを抑えながら手を伸ばす。





「アツッ!」





 熱い、思わず手を引っ込めてしまうほどから揚げはアツアツだった。





今度は慎重にゆっくりとから揚げの骨部分を手に取る。気を付けていてもかなり熱い。触っただけで、手が油でベトベトになる。こんなものを口に入れたら口の中がやけどしてしまうのではないか? これはソーセージの比ではない。





だが、どうしてもかぶりつきたい。思い切り、欲望のまま、思うままにかぶりつきたい。その誘惑にあらがうことができない。





そして、雄太は思い切りかぶりついた。





かじりついた瞬間、サクッとしたころもの食感と、すぐにその下にある肉のプリッとした食感。そして溢れ出る肉汁に雄太は思わず悶えた。





「うまーい!」そう叫びそうになりそうになるのを抑えて、から揚げにむしゃぶりつく。





 カリカリに揚げられたころもが上あごに刺さり、舌が肉汁でやけどする。でも、それでも止まらない。そんなことは関係ない程にこのから揚げはうまい。





 この虹色ガエルの肉、味は淡泊だが鶏肉のようにパサパサしておらず、プリプリとしていて歯ごたえがいい。獣臭さもないため、から揚げにするには最高の肉なのではないだろうか。特有のカエルの泥臭さは、下味につけてあるハーブで消しているのだろう。どうしても油っぽくなってしまうから揚げのくどさを無くす隠し味としてもこのハーブが活躍しているようだ。





 かなり濃いめにつけられた下味の中には、ハーブのほかにもショウガ、ニンニク、そして醤油に似たような風味も感じられる。それが虹色ガエルのプリプリとした肉から溢れる肉汁と相まって、口の中で広がってく。サクッ、プリッ、ジュワーの重層的な食感。





 これほどまでに完成された料理を雄太は今まで食べたことがなかった。





 あっという間に一本を食べきり、二本目にてを伸ばそうとしたところで、皿が目の前から逃げた。





「勇者様ダメだよー、一個って約束でしょお?」





 ピリカがプリプリしながら、から揚げの皿を自分の元に引いていた。





 雄太の目の前にはビーフシチューの皿が戻ってきている。





 雄太は葛藤した。このビーフシチューは確かにうまい。至高の一品と言っていいほどの品だ。上品で繊細で、高級料理のような品。





 でもどうだろう。自分がいま食べたいのはなんであるか? きどったワイン片手に食べるような料理なのか?





 ……答えは否だ。自分が求めているのはもっと豪快で、ビアにあう、気取らない大衆料理!





「すいませーん! 虹色ガエルのから揚げ追加! あとビアも!」








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異世界勇者の苦悩 ~ドSプリーストと幼女ウィザードを添えて~ 四条建る @takeru-shijo

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