8話目 君の名は、真知子巻き
少女はトリーシャと名乗った。
もはや役に立たない雄太を脇に追いやり、簡単に自己紹介を済ませる。
聞けば彼女はこの街にある宿や兼酒場で住み込みで働いているらしい。これ幸いと事情を話し、彼女の働く宿に連れてきてもらったのがさっきの事。そこは街の中心から通り2本分離れたところにある、まだ賑やかさの残る場所だった。
酒場も入っていることからかなり大きな店構えの建物で、一階が酒場、2階から3階が宿となっていた。
「こちらの部屋を使ってください」
トリーシャの案内で通された宿の一室は、板張りの簡素な部屋で、決して広くはないが、掃除の行き渡ったきれいな部屋だった。レースのカーテンがかかる窓枠には、趣味の良い小さな観葉植物が置かれている。
「わーい、久しぶりのベッドだー!」
アホの子がはしゃいでベッドのひとつにダイブする。スプリングがボフンボフン弾んでとても気持ちがよさそうだ。
ベッドの上でとろけたようになるピリカ見てトリーシャが笑顔を浮かべる。
「この宿には自慢の大浴場もありますので是非旅の疲れを流していってください。あと、お食事の際はぜひ一階の酒場を使ってくださいね。今晩は私も給仕に出てますので、冷えたビールをサービスしますよ」
「それではごゆっくりおくつろぎください」とドアを閉めるトリーシャを見送り、荷物を床に下ろす。
やっと休めると思うと、ドっと疲れが来た。
「いやはや、やっと落ち着ける」
妙に爺むさいセリフを吐きながら、雄太はベッドに腰かけ、両手を伸ばしてそのまま後ろに倒れこんだ。
うむ、やはりスプリングがいい感じである。
「──しっかし……」
雄太は頭の中でトリーシャの姿を思い返す。女の子らしい振る舞い、華奢な容姿に優し気な笑顔、そして長い髪と線の細さに似合わず大きく膨らんだ胸……。想像するだけで思わず顔がほころんでしまう。
「なに、一人でニヤついてるんですか勇者さん。エロいこと考えてるのがあからさまに顔に出てて気持ち悪いですよ。モザイクもんですよ、この物語を18禁にするつもりですか?」
「ばっ! おまっ、な、何言ってんだよ、エロいことなんか全然考えてねーし。これまでの旅を思い返してただけだし」
「なにって勇者さん、ごまかそうと必死じゃないですか。そんなよだれ垂らしながらウヘウヘ気持ち悪く笑ってるなんて、エロいこと考えてる以外ないじゃないですか。おおかたトリーシャさんの胸のことでも思い出して妄想にふけってたんじゃないですか?」
ほぼそのまま言い当てられて、雄太は口ごもる。
「もう、ほんと汚らわしいですね。勇者さん、間違ってもここでティッシュを取り出して自ら慰みに励むのはやめてくださいね! トイレはあっちですよ、この変態勇者が!!」
「そんなことしねーから!」
ビシッと人差し指をドアの向けるギルに、雄太が激しく突っ込む。まったく雄太も雄太だが、ギルもなんてことを言ってくれるのか……
「ピリカさん、勇者さんにはしばらく近づいてはいけませんよ。あの人は不浄ですよ不浄。一週間身体を洗っていないオーク並みに不潔で汚らわし人間なんです。もし近づこうものなら、ピリカさんにも変態菌がうつって……。いえ、それ以上にまさか、幼いピリカさんにまで手を……」
「この変態勇者が!!」とテンションの上がり続けるギルがまた叫んでいたが、もはや雄太を相手にすることをやめていた。そしてベッドにあおむけに寝転んだまま雄太は思った。「腹減ったなあ」と。
◆ ◆ ◆
宿が決まれば次は飯。腹が減ってはなんとやらと、意気揚々とやってきた宿の一階にある酒場は、ワンフロアがまるまる店となっていて、かなり広々とした造りになっていた。
宵の口という時間もあってか店内はかなり賑わっており、ホール内にいくつも置かれたテーブルもカウンターもほぼ埋まっていた。一日の労をねぎらうようにジョッキを酌み交わす人々の間を忙しなく給仕の女の子たちが駆け回っている。
あまりの活気と盛況ぶりに圧倒された三人が所在なさげに立ち尽くしていると、それに気づいた給仕の女の子が小走りに近づいてきた。
「いらっしゃいませ! 来てくれたんですね」
明るい笑顔で迎えてくれたのはトリーシャだった。先ほどまでの私服から着替え、給仕の子揃いの制服に着替えている。よくオクトーバーフェスなんかで見られるドイツの民族衣装のような制服で、ブラウン基調のドレスで腰が細く絞られていた。また、ブラウスが大きく開いた、胸を強調するデザインになっていて、雄太は思わず目線がそちらに行ってしまわないようにするのに必死だった。
「お姉ちゃん、その服すごくかわいい!」とはしゃぐピリカに、トリーシャがくるりと回って衣装を見せるなど微笑ましいやりとりがありつつ、席へと案内される。
雄太たちが通されたのは、入り口から最奥のカウンター近く配置された比較的静かなテーブルだった。
年季の入った丸テーブルに各々が腰かけると、トリーシャが小脇に抱えていた手書きのメニュー表を広げて見せる。
「改めましていらっしゃいませ。当店ではアンキリル東部、ザクセン地方の雄大な大地に育まれた素材をふんだんに使用した料理とお酒を提供しています。おすすめはこの街、パウエンの酒蔵で作られたビアとワイン。それから街からすぐのケーネ牧場で育った豚肉を使ったソーセージ、牛肉を使ったシチューが特におすすめです。当店自慢の料理をぜひご賞味ください」
旅行者用であろう謳い文句をスラスラと言い終えると、「またすぐに来ますから、料理決めておいてくださいね」とトリーシャは他の席の接客へと戻って行った。
さて、腹ペコ三人が雁首揃えてメニューを覗き込む。
メニューはドリンクから始まり、スープ、前菜、メイン、デザートと並ぶ。大衆酒場のように見えてデザートまで網羅しているのには驚いた。だがしかし、デザートは後回しだ。前菜とメインに目を走らせる。
季節野菜のサラダ、魚のマリネ、ステーキにハンバーグ、ポトフにシチューと雄太にもなじみの料理も多かったが、それとは区切られて聞いたこともない名前の料理も並んでいた。
スライムのプルプルスープ、大モグラのソテー、コカトリスの砂肝炒めに巨大なめくじのエスカルゴ風……。それ以外にも良く分からない名前がいくつか。
「ここはゲテモノは避けるべきか……」
異世界ものならば覚悟はしていたが、普通の食事があるのならばあえて蛇の道を進む必要はあるまい。モンスターの方が値が張るようだし。と雄太は心の中で一人で納得していた。
「そういえば勇者さん、こっちの文字読めたんですね」
「こっちきてからしばらく暇だったから、一通りの読み書きは覚えた」
メニューから目をそらさずに聞くギルに、雄太も顔を上げずに答える。会話はするものの、意識はこれから何を注文すべきかに集中している。
「わたしコレ、これ食べる!」
ピリカが指をさした文字に目を向ける。
「虹色ガエルのから揚げ? うまいのかよコレ?」
「おいしいよ! わたしの村の裏にある池にもたまに虹色ガエルが出るから、それを村のみんなで捕まえて食べるの! こーんなおっきなカエルなんだよ!」
ピリカが両手をいっぱいに広げて見せる。虹色ガエルは皮膚としたが虹色に光る馬ほども大きさのあるカエルで、一度獲物を飲み込むと、これまた虹色の体液で獲物を溶かして食らうらしい。
「うええー、見た目的にムリ」
想像するだに食欲が失せてくる。雄太は決してこの場での冒険はしまいと心に決めるのだった。
「注文は決まりました?」
そこにジョッキを3つ持ったトリーシャが戻ってくる。ジョッキをそれぞれの前に置き、「これは私からのサービスです」と微笑んで見せる。
「あ、ピリカちゃんはオレンジジュースね」
目の前に置かれた樽型のジョッキに、金を帯びた乳白色のきめ細かい泡がシュワシュワとはじけている。
三人は各々手早く注文を伝え、ジョッキをがっしりと手に持ち天高く掲げる。
「カンパーイ!!」
声が重なり、ジョッキを打ち付け合う音が賑わう酒場の中に響いた。
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