第二章 ヒロインの条件

7話目 もけけフレンズ

 巨大な門を通り雄太たちが街へ入ったのは、ちょうど宵の闇に空が染まりだしたころだった。





 石造りの統制された街並みに、ちらちらと明かりが灯っている。





「わあ、すごい! 大きい! キレイ! 夜なのに人がいっぱいいるよ、勇者様」





 山奥の村で生まれ育ったピリカは、居並ぶ煉瓦づくりの家々と、街を歩く人の多さに興奮気味だった。田舎者丸出しのお登りさんで、恥ずかしいったらない。





 街は、イメージ的にはヨーロッパ、特にドイツ辺りにありそうな街という感じだったが、等間隔に立てられていた街灯の明かりは、炎でも電気でもないように見えた。純粋な光そのもののような明かりは、たぶん魔法によるものなのだろう。





「しかし腹減ったな。昼飯もろくに食べてないんだ、なんか飯食おうぜ」





 思えば今日はここまで歩き詰めだった。雄太が腹に手を置きながら訴える。





「いえ、まずは宿を探しましょう。もう時間も遅いですし、街に来てまで野宿するのはゴメンですからね。宿を決めてからゆっくり食事をとりましょう」





「飯より宿、だね」





 ギルの提案に同意するようにピリカが言う。雄太もこれには同意だった。今日は久しぶりにふかふかのベッドでゆっくり寝る。これは確定事項だ。





 いざ、今宵の宿を求め行かんと歩き始めた時だった。路地から急に人影が飛び出してきた。





 雄太は避ける間もなく人影にぶつかり、お互いに驚きの声を漏らした。衝撃は大したことはなかったがものの、思いがけずぶつかってきた人影を抱きとめるような形になってしまった。





 それは、亜麻色の美しい髪をした少女だった。





 年の頃は雄太と同じくらい、十六、七に見える。全体的に小柄で、ぶつかった拍子にふわりと舞い上がった長い髪から甘い香りが鼻孔をくすぐった。髪と同じ色をした瞳には涙がにじんでおり、上気した顔で雄太を見上げる。





「ご、ごめんなさい。私、焦っていて全然前を見ていなくて……大丈夫ですか?」





 少女は雄太の腕に抱かれる格好のまま謝罪の言葉を述べるが、どこか怯えたように今飛び出してきた路地の奥を何度も振り返っている。





「…………」





「あの……大丈夫、ですか?」





 何の返答もよこさない雄太に不安になり、少女がまた問いかける。





「…………」





 雄太は、固まっていた。生まれてこの方、女性とお付き合いなんてしたことがない。まして美少女を抱き止めるなんて、小学校でのフォークダンス以来の衝撃的出来事に、雄太の思考回路は完全に停止していた。壊れたロボットのように、明後日をの方を見ながら、口から煙を吐いている。





「お怪我でも……」





 申し訳なさそうに少女は言うが、雄太はポンコツのままで埒が明かない。





「勇者さん何やってるんですか、まじ気持ち悪いですよ」





 見かねたギルが後ろから雄太に強めの蹴りを入れて耳元でささやく。





 雄太はハッと我に返り、





「いや、全然! 全然大丈夫だから問題ないよ! 全く痛くもかゆくもないし、全然平気だから……それより君は大丈夫?」





 最後のにやっとこさ気の利いたことを言えた雄太が、抱き止めるようにしていた少女から離れようとすると、しかし少女は雄太にさらに身体を寄せるようにしてきた。よく見ると、少女の身体は小刻みに震えている。





「大丈夫ですか? ずいぶん焦っていたようですが、なにかあったのですか?」





 少女の様子にギルが優しく声をかける。





「何があったか分かりませんが、はやくこの男からは離れたほうがいいですよ。この男は見かけのままに童貞で、女性に触れたことなんて運動会のフォークダンスくらいでしかないような男です。そんなに密着していると、サルほどの理性なんていつ吹っ飛んでしまってもおかしくないんですから、何をされるか分かりませんよ。そもそも今だって、あなたの髪のにおいを執拗に嗅ごうと必死──」





 ギルに優しさなんてなかった。良いか悪いか、ギルの声は震える少女にはあまり聞こえていなかったよう。辟易した雄太はやっと落ち着きを取り戻し、饒舌に雄太を罵倒し続けるギルの姿を背中に隠しながら少女に再度問いかけた。





「震えてるみたいだけどどうしたの? なにか危ない目にでもあった?」





「……あの、私、その路地を歩いていたら、後ろからずっと誰かに付けられているようで……」





 少女は肩を震わせ、雄太の胸に顔を埋めるようにしながら訥々としゃべりだした。





 少女の言葉に雄太は路地を覗き込むが、誰かがいる様子はない。細い路地で暗がりになっており、奥までは見渡せないが、少なくとも人が潜んでいる様子は感じられない。





 ピリカが路地に顔を突っ込みキョロキョロとしていたが、結局何もなかったようで首をかしげてこちらを見ている。





「誰もいないみたいだけど……?」





 雄太が言うと、少女の震えが気持ちおさまった気がした。





「きっと、変態の更に上をいく勇者さんを見て、変態も逃げ出してしまったのでしょう。変態を意図もあっさりと退散させるとは、さすが伝説の勇者!」





「え? 勇者様が追い払ってくれたの? 勇者様すごーい!」





 一通り雄太を罵倒しきり、気の済んだのであろうギルが大げさに入ってきて、ピリカがまたそれに乗っかってくる。





「勇者……様?」





 二人の会話に不思議そうに少女が首をかしげる。





「あ、いや、勇者っていうのはあいつらが勝手に呼んでるだけで、別にそんな……」





「えー! 勇者様は勇者様だよ。勇者様はすごいんだからね! 魔王を倒すんだよ! お婆ちゃんが呼んだの」





「そうですよ、勇者さんはあの伝説の勇者です。我々が勝手に呼んでるだけだなんてそんな謙遜なさらないでくださいよ、勇者様」





 ピリカはアホのように喜んで、自分のことのように勇者を自慢するが、それに重ねてくるギルからは悪意しか感じなかった。





「やめろよ、お前たち。俺は勇者なんてそんな、戦闘だって全然だし……」





 無駄に囃し立てる二人に雄太が口ごもる。





 すると、やっと震えも落ち着いた少女が雄太の腕から離れるように軽くステップを踏んだ。





「そんなことありませんよ、だってあなたは暗闇で付け狙う悪者から私のことを守ってくれたんですから。ね、勇者様」





 中世ヨーロッパの町娘を思わせるスカートがひらりと揺れ、また少女の髪からの甘い香りが鼻孔をくすぐる。少女の笑顔はどこまでも清浄で、見ているだけですさんでいた心が洗われていくようだった。





 雄太は少女の笑顔に目を奪われ、思わず声を失った。後ろから「勇者さんマジきもいっす」とかギルが言っていたが、もはや雄太には聞こえていたなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る