2杯目 食事記録

――春日中央病院【いきいき健康講演会のご案内】より

 今回のテーマは「糖尿病」。自覚症状がなく、気づいたときには様々な合併症を引き起こす糖尿病についてお話します。講師は内科部長・今野敬三(日本糖尿病学会研修指導医)。参加は無料です。


春日中央病院 看護師・渡辺清美の話


 とりあえずビー…いや、やめるわ。焼酎にします。焼酎のお湯割りください。それに鶏のから揚げ…うーん、やめた。冷奴とイカ納豆にする。あ、このヒジキの煮たのも。

 え、珍しいって? うーん、私もトシだしね。少しカロリー節制しないとさ。

 …実を言うとね、この前、うちの患者さん見て、ちょっと身につまされたのよ。え、聞きたい?女将さん、物好きねぇ。でも、一杯おごってくれるなら…。うん、一応患者さんのプライバシーは考慮してね、他で喋ったらダメよ。


 半年くらい前の話なんだけど、うちに救急搬送されてきた男の患者さんがいたの。たぶん、50代くらいかなぁ。もう、全身がボロボロだったの。大ケガっていうのじゃないのね、内臓がボロボロ。何の病気かって?糖尿病と肝硬変、それもかなり末期の。目も見えなくなりかけていたし、腎臓もやられていたわ。そして足のつま先が黒っぽくなっていてね、壊疽って言うんだけど、腐りかけていて…いやねぇ、食事の話じゃないわ。

 あのね、糖尿病って最初の頃は自覚症状がないのね。だから気づかないで放っておくと、どんどん進行して合併症が出て来るのよ。そりゃあ酷いもんよ~、目が見えなくなったり、さっき言ったようにつま先から腐って足を切らなくちゃならなかったり。そうそう、腎臓もダメになって人工透析しないといけなくなるんだから。

 肝臓も同じ。「沈黙の臓器」って言われるくらい辛抱強い臓器で、ずっと我慢しているのよね。だから病気になっても自覚症状がなくて、気がついた時は手遅れになっていることも多いの。その患者さんも顔は土気色だし、腹水が溜まっていたし…。まぁ、回復の見込みはなかったな。

 どうしてそんなになるまで放っておいたかって? ふふ、先生みたいな言い方ね。

 そうね、今言ったとおり、自覚症状がないでしょ。大抵の人は、会社の健康診断なんかで、「血糖値が高いから検査しましょう」とか「肝臓の数値が悪いから再検査ですよ」とか、発病する前の段階で指摘されるから、初期段階で手を打てるわけ。

 ところがねぇ、この患者さん、ひきこもりっていうのかな、ずっと家にいて、長いこと仕事もしていなくて、そういう健康診断なんかを受ける機会もなかったのよ。

 それに、40歳過ぎると市から「健康診断のご案内」とか、診察券クーポンとかが来るでしょう。会社勤めしていなくてもああいうのを受ければいいのに、あれも無視していたみたい。ほら、女将さんも子宮がんとか乳がんの検診クーポン受け取ったことあると思うけど。ちゃんと行ってます?…ダメよぉ、行かなくちゃ。早期発見・早期治療が肝心!

 あらら、脱線しちゃった。まぁ、そんなわけでその患者さん、これまでろくに健康診断なんか受けていなかったのよ。

 どうやって暮らしていたのかって?ほら、あれよ、親のスネかじっていたんじゃない?実はね、その前にその患者さんのお母さんも、うちで入院していたのよ。お母さんの方は胃がん。こっちもだいぶ進行してから病院に来たみたい。…うん、結局亡くなったの。

 それでね、その息子さんが見舞いに来ていたかというと、全然!もろもろの看病は娘さんがやっていたわよ。名字が違っていたから、結婚していたのね。お母さんのためにかいがいしく面倒をみててねぇ。毎日のように替えの下着とか持ってきて通っていたわ。娘さん?そうねぇ、40過ぎかな。控えめだけどテキパキしていて働き者って感じ。ご臨終の際も、うちの先生たちと、その娘さんしか立ち会っていなかったんだから。親不孝者でしょ?

 それで、そのお母さんが亡くなってから四十九日もたたないうちに、今度は息子さんが担ぎ込まれたってわけ。もう、びっくりしたよ~。ついこの前まで付き添っていた人が、今度は別の人の付き添いだって言うんだから。聞けば、患者さんはお兄さんだって言うじゃない。

 とりあえず診察して処置して、先生が診断結果について娘さんに全て話したのね。当の本人は、意識こそまだあったけど、ベッドでウンウン言っているだけだし。もっとも、先生が説明しなくても、娘さんは分かっていたみたいね。

 実は娘さん、お母さんの看病するために実家に戻ってきて以来、ずーっと日記を付けていたのね。毎日のお母さんの容態はもちろんだけど、その日使ったお金の明細とか、To Doリストとか、毎日どんな料理を作ってお兄さんに食べさせていたかも、事細か~く記録していたのね。

 それがさぁ、日記を見せてもらったら、先生も「こりゃ死ぬために食っているようなもんだろう!」って呆れちゃって。すごいのよ、もう。朝から大きな菓子パン3個をカフェオレの1リットルパックで流し込んで、目玉焼き3個とウインナー炒めをがっついているとかさぁ。昼はスパゲティにハンバーグのせたやつを大盛りとか、夕食には生姜焼き2人前にどんぶり飯かき込んで、夜食に豚骨ラーメン食べているとか。1日3食におやつと夜食が加わって、さらにお酒やペットボトル入りのジュースやコーラをガブガブ飲んで…なんだもん。そんなのが3カ月も記録されているんだから、たまったもんじゃないよ。もう、読んでいるだけでこっちが胸焼けしそうだったわ。

 それで結局、お兄さんも入院したまま2カ月もしないうちに亡くなったってわけ。立て続けに親兄弟を亡くしてしまうなんて、娘さんも大変だなぁと思ったわよ。


 …でもねぇ、あのすさまじい食事記録を見て、ちょっと思ったのよ。

 もしかしてあの娘さん、わざとあんな高カロリー・高脂質な食事を出し続けていたんじゃないかな…ってね。


 いや、想像よ、想像。あくまでも想像!

 …けどさぁ、私なら仕事もしないで家でゴロゴロして、母親の見舞いはおろか臨終にも立ち会わないような男、絶対にイヤだよ。それでいて、豚みたいにガツガツ無駄飯を食い荒らすようなのが身内にいたら、頼むから死んでくれって思っちゃうもん。

 あーあ、私も気をつけなくちゃね。30過ぎると代謝が落ちて、なかなか痩せられないんだもん。

 えー、こんな話で一杯ごちそうしてくれるの?女将さんもいい性格しているなぁ…。あ、お酒じゃなくて、ウーロン茶にしてください…えへへ。

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