飲んで話して、また一杯
塚本ハリ
1杯目 留袖
――タウン情報誌「春日タウンガイド」連載記事【今月のおすすめ飲み屋】より
春日銀座商店街2丁目にある「小料理屋 すず子」。女将の山本涼子さんが一人で切り盛りしている。日替りのおばんざいは全て涼子さんの手づくり。ナスの煮浸しやきんぴらごぼうなど、庶民的だが優しい味わいの手料理と、おいしいお酒が堪能できるお店だ。また、涼子さんの穏やかで聞き上手な人柄も相まって、ファンが多い。
この涼子さんが行っている、ちょっと変わったサービスがある。それは「何か一つ、面白い話をしてくれた人には、一杯サービス」というもの。「人の話を聞くことが好きなんです。それで、お礼の意味も兼ねて一杯ごちそうさせてくださいと言ったのが、いつの間にかこんな風になっちゃって…」と涼子さんは照れ笑い。今夜も女将は、お燗を付けながら面白い話を待っていることだろう。
「リサイクルショップ・買い取り屋コナカ」店主・小中悟の話
俺ね、2年前に遺品整理士の資格を取ったんだ。まぁ、資格っていっても、業界団体のだからね、そんなに難しいもんじゃない。こういうご時世だし、あれば便利だろうなって軽い気持ちさ。で、資格取った後にチラシ作って新聞に折り込んでね、問い合わせがあったらラッキーかなって程度だったけど。
それでも資格の強みかねぇ、チラシ広告を見た人から「母親と兄の遺品を整理したい」って電話があったの。うん、ここから車で30分くらいの住宅街の一軒家。電話してきたのは娘さんね、40過ぎくらいの。しっかりした感じでね。最初はゴミ屋敷みたいなの想像していたんだけど、見積もりで訪問したら、思っていたよりも整理整頓されてきれいになっていたな。娘さんが片付けていたみたいでさ。それでもね、あの年代の人…って、その亡くなったお母さん…うーんと70って言ってたかなぁ?やっぱり「捨てられない」世代なんでしょ? タンスとか食器棚とか、まぁモノが多かったねぇ。娘さんもだいぶ整理したらしいけど、さすがに一人では手に負えないからって。聞けば、お母さんとお兄さんが同居していたらしいんだけど、相次いで病気で亡くなったって。
でまぁ、食器とか家電とか家具とかは「引き取ってくれるだけでもありがたい」って感じだったな。実際、そんなに高いものはなかったからね。
ただねぇ、お母さんの着物は結構いいものがあったの。しかもかなりたくさん。その中に、しつけ糸すら取っていない留袖があったのさ。しかも畳紙に書いているお店が、うちのカミさんの実家。そう、カミさんの実家が呉服屋でね。あれ~っと思って他の着物も見たら、畳紙に有名デパートの名前が入っていたり、素人目にも高そうな着物だったりでさ。こりゃ俺よりもカミさんが分かるなぁと思って、一旦預かることにしたんだよ。
カミさんに話したらびっくりしてさぁ、幸いっつーか、カミさんのおふくろさんもまだ元気でね。ちょっとばかし足腰が悪いが、目も耳も達者なんで、みてもらうことにしたんだ。そしたらさすがだねぇ。おふくろさん、ちゃーんと覚えていたんだよ。ひと目見て「ああ、これねぇ!」だと。客の着物一枚一枚全部覚えているのか、記憶力ハンパねぇなと思ったら「そこまでアタシも物覚えがいいわけじゃないよ。この留袖が印象的だったんだよ」って。
なんでも、その依頼主のお母さんが、相当この留袖に思い入れがあったみたいでね。生地選びから何から相当こだわって仕立てたらしいんだ。
「アタシも長年この商売やってきたけど、あんなに凝った留袖はなかったね。また、あのお客さんのこだわりもすごかった。まぁ、当時は景気も良かったんだろうし、お金のある家だったんだろうねぇ。それにねぇ、仕立ててお届けに上がったときはすごい喜んでいてね。『これを着て息子たちの結婚式に出るのが楽しみだ』って、ニコニコしててねぇ。見ているこっちも苦労して仕立てた甲斐があるから嬉しくってさぁ、『お式挙げたら、お写真を見せてくださいね』なんて言っていたんだけどさ」
…って言うんだよ。だからかねぇ、おふくろさんってば、しつけ糸も取っていないままの留袖を見て「一度も着られなかったのかい、残念だねぇ、かわいそうだねぇ」ってため息ついていたよ。
恐る恐る当時の値段聞いたらさぁ、たまげたよ。ちょっとした車一台買えるぐらいだって言うんだもん。そこまでカネかけて仕立てて、一度も袖を通してないって、そりゃあんまりだろうってさ。でさ、一度も袖を通していないってことは、その息子さんも娘さんも結婚していないのか、式を挙げていないのかなー?って。
ぶっちゃけ、着物って中古になるとかなり高額なものでも、そんなに高く売れないみたいなんだ。有名な作家物だと査定によっては数十万くらいの値がつくけど、それでも元の価格は数百万だったりするからねぇ。そういや、女将もけっこういいもの着ているけど?…えー、ポリエステルの着物なの?ああ、汚れても洗えるもんね、そりゃいいや。
まぁそんなわけで、後日カミさんも連れて、その留袖やら他の着物なんかを持参して、娘さんのとこに赴いたんだよね。で、わけを話してお値段の話とかもしてさ。うちはたまたまカミさんとおふくろさんのおかげである程度価値がわかったけど、せっかくならうちみたいなリサイクル業者じゃなくって、着物専門の査定ができるところに見てもらった方がいいですよって。
で、カミさんの方は「ただ、せっかくのお母様のお着物ですし、せめて留袖だけでも形見として残しておくのもよろしいのでは?」って言ったんだよ。正直、俺もそう思っていたけど、俺が言うより、同じ女のカミさん、しかもその留袖を仕立てた店のことも知っている人の方が説得力あるからさ。
そしたらその娘さん、じーっと留袖を見て「そうですねぇ…」って。その後、ちょっと笑ってさ。
娘さん、お母さんがその留袖を仕立てていたのは知っていたんだって。で、つねづね「あんたたちの結婚式にはこれを着ていくからね」って言っていたらしいんだ。ところが、お兄さんはいわゆる引きこもりで結婚どころか仕事もしていない状態だったんだって。そして娘さんの方は、結婚こそしたけれど地味婚って奴で、入籍だけ。式も披露宴も挙げなかったんだとさ。
「母は子離れしていない人でね。私たちの結婚だというのに、式場はどこそこで、ウエディングドレスはあれで、お色直しはこれで…って、一人で盛り上がってはしゃいで…。はしゃぐくらいならまだ可愛いんですが、全て自分の思い通りにしようとするから鬱陶しくてねぇ」
って。結局、あれこれ口を挟まれるのがいやで、入籍だけで済ませたら、お母さんがものすごく激怒して、一時は絶縁状態だったんだってさ。
「だから、この留袖見ているとその頃のことを思い出してしまうんですよ」
…って言うからさ。結局それらの着物は、専門の買取屋に売ることになったわけよ。たぶんね、売っちゃった方がこの人の気持ちが安定するんだろうな…ってね。こっちもリサイクル関係で着物に詳しい人がいるから、そっちを紹介しますよって話になって、うちらは帰ってきたんだ。
で、その帰り道にカミさんから聞いた話なんだけどさ。ちょうど俺、その時に携帯で知り合いに電話していたんだよ。そうそう、着物専門の業者さんとかにさ。その間に、カミさんがその娘さんと二人で着物を畳んだり、衣装箱に納めていたんだよな。
そしたら娘さんがさ、苦笑しながらこう言ったんだって。
「高いカネかけて、一度も袖を通さないで、子どもたちの晴れの日も見ることなく死んじゃって…」
その声がだんだん小さくなって、声も震えて、うつむき気味でさ。カミさん、てっきり娘さんが後悔して泣いているのかなと思ったらさぁ…本当に小さい声だったんだけど、ハッキリ聞いたんだとさ。
「ざまぁみろ」って…。
その後の留袖のこと?ああ、知人の業者に任せたよ。本当はカミさん、その留袖を自分で買い取ろうかと思っていたみたいなんだけど、あの一言でやめたってさ。
ああ、すまないね。こんな後味の悪い話で。え、いいの?いやこりゃ、どうもどうも。じゃ、もう一杯、同じのを。
えー、面白かったって?いやぁ、女将も趣味が悪いねぇ…。
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