第4回 【傘の下】ラジオ

 【雨降る夜、僕はひとり、街路樹の下で佇んでいた。

  その時、「きゃー!」という女性の悲鳴が響いた。

 女の子の声だ。北東を真っ直ぐ進めば会えるかもしれない。

 雨がやまないこの町で、傘を差し出す役割を担ってから、僕は悲鳴を聞き取れるようになった。

 まだ、生きている人間がいるかぎり、僕の役目は終わらない。】





 


ウ)「……ハッ。ここはいったい……ワタシは雪が積もる平原で……あ、そうだ、あれは夢だ。とても、悲しい夢だった。それにしても、なぜ電気の点いていないカフェの中にいるんだろう」



蛙)「雨が降っていたからお邪魔したんだよ。うずらちゃん大丈夫? 元気かい?」


ウ)「カナモリの声が聞こえるのに隣には蛙しかいない」


蛙)「そのカエルがなんとカナモリだよ。雨水を浴びてカエルになっちゃった」


ウ)「大雨だな。ここにいたらカフェの人に怒られるから、人が来る前に外へ行こう」


蛙)「今は行かない方がいいよ。窓から見てごらん」


ウ)「外に人がいる。だんだか慌てて走って…って、ええ⁉︎ 後ろから真っ黒いブヨブヨしたゴム風船みたいな巨体は追ってきた!」



蛙)「ああやってからうずらちゃんは気をつけて」



ウ)「……なんだあのバケモノ。くわれたら痛いだろうな。苦しみながら死ぬのは嫌だ……」


蛙)「あれはドッペルゲンガーだよ」


ウ)「ええ……ドッペルゲンガーって、自分と同じ姿を見たら三日以内に死んでしまう、都市伝説でしょ?」



蛙)「この世界では死を予告する怪物を指すよ。生きることを諦めたときに出てくるから気をつけて」



ウ)「わかった。不思議なことに、今の私は死にたい気持ちがすっかり消えている。きっとやらないといけないことがあるから」


蛙)「危険でも、外に出るんだね。お供させて」





  【 うずらウツと『死にたがり』の『傘の下』ラジオ 】


蛙)「さて、アジサイの花束を収穫した。あとはあの場所に行けば……ん、なんだアレは?」


蛙)「アレつってなに? ……おや、なんで街路樹に首を括れるように縄を垂らしているんだろう。って、うずらちゃん?近づいていない?まさか死ぬつもりじゃ――」


姫)「やめて‼︎ どっせーい!」


蛙)「え、ナニ? 突然フリフリのドレスを着たお姫様がやってきて、うずりちゃんに関節技くらわせているよ」


ウ)「死のうとしたから止めてくれたのか? しかし誤解だ。気になったから近くで見ようとしただけななに」


姫)「死ぬなー! や、約束しろ! 二度と首を吊らないと約束できるか!」


ウ)「うぎぎー、姫様に首を締められて死んでしまうー」



蛙)「うずらちゃんの顔が青紫に変色して膨らんでいる! 早く助けないと。えっと…………く、くらえ! カエルキーック!」


姫)「ぶべし」


ウ)「ぶべし」


蛙)「しまった! うずらちゃんまで吹っ飛ばしてしまった。二人とも大丈夫かな?」



ウ)「いてて……。なんだこの怪力ゴリラは! 殺しにきてるぞ!」


姫)「ごめんなさい。死にかけた顔をしていたからてっきり自殺するのかと思っちゃった」


ウ)「死にかけた顔……うん、否定はしない。でも今のワタシは死にたい気分ではない。心配してくれてありがとう変人さん」


姫)「す、好きでこんな可愛いドレスを着ているわけじゃないから!」


ウ)「いやそうじゃなくて、他人なのに自殺を止めるなんておかしいと思って」


姫)「自殺を図ろうとしていたら止めるでしょ? どうしたの? 話くらい、いくらでも聞くよ?」


蛙)「あなたは優しい人だね。本当に、ありがとう」


姫)「お礼を言われることではないよ。そうだ、うずらちゃんはどこかに行くんでしょ。俺なら案内できるかもしれない」


蛙)「それは心強い」


姫)「俺はうずらちゃんよりにここに来たからいろんなことを教えてあげられるよ」


ウ)「じゃあお願いしてもいい? 信号機はついてないけど、その代わりに看板が置かれた小さな横断歩道なんだけど…」





【曇天が永遠に続くこの世界では、傘は希望の象徴だ。

 空から断末魔の叫びのような悲しい鐘の音が響き渡ってから、青空は曇天に覆い隠された。

 降雨は止まず、同時におぞましい怪物が現れるようになった。

 怪物に睨まれたが最後、食べられてしまう。

 太陽の届かない、怪物は繁殖する世界は滅亡する方向へ傾いていった。


 『もう十分。あなたのおかげで今まで生き延びたわ』


 生きてほしかったと思う人の声を何故か思い出した。

 僕が傘を渡した行為を無駄にさせまいと無理に笑った顔が脳裏に浮かんだ。

 あの笑顔のせいで、僕は傘を渡す寸前で必ずためらうようになった。

 






姫)「あー、あそこね。でも悪いウワサがあるよ?」


ウ)「横断歩道を渡った先は、あの世でしょ? 知ってるよ。だから行くよ」


姫)「うずらちゃん……やっぱり死ぬつもりじゃないか!」


ウ)「だから死なないってば。この花を渡すためにワタシは横断歩道を渡るんだよ」


姫)「アジサイ、喜んでくれるといいね」


ウ)「いや、花束なんて生きた人間の自己満足だよ。……アジサイを選んだ理由は単に、ワタシがアジサイを嫌っているからだ」


姫)「え」


ウ)「ワタシは嫌いなものから遠ざかる臆病者だ。自分で動ける範囲を狭めて、遠回りばかりしてきた」


姫)「うずらちゃん」


ウ)「このアジサイは、ワタシが二度とそちらへ行かないよう、自分に言い聞かせる意味も含まれている……おや」


蛙)「向こうに誰かがいるね。気をつけてね」


姫)「あ、あいつは……悪い魔女だ!」


蛙)「なんだって!」


姫)「倒さないと先に進めない! うずらちゃんはここで待ってて、追い払うから」


犬)「よし、カエルから犬に変身してお姫様と一緒に天敵をボコるぞ」


ウ)「犬にも変身できるなんてカッコいいぞ。さすがだカナモリ」


姫)「うーむ。素手は危険だ。何か武器が欲しいな。……む。また誰かが来るな」




?)「だ、誰かあ! ゼーハーゼーハー。もう走れない」



姫)「なんだあいつ、雨が降っているのに傘を抱えて走っているぞ」


ウ)「変な奴だ。逃げよう」


?)「え、あ、待って! ちが、僕は変人じゃないよ!」


ウ)「やべっ、追ってきてる」


姫)「石投げろ、石」


?)「話を聞いてブベシ」









ウ)「なんとかまいたな。で、カナモリ(犬)の活躍で悪い魔女を倒し、横断歩道にたどり着いたのだった」


姫)「本当に渡るの?」


ウ)「あの看板の下に花を置いたら、すぐに引き返すよ」


姫)「『飛び出し注意』。あの看板の言葉を見る感じだと、ここで誰かが死んだのかな?」


ウ)「ここは新塩くんの墓だ。新塩くんはワタシの唯一の友達なんだ」


姫)「友達なのに二度と会わないの? 悲しむよ」


ウ)「相手がなにを思っているかなんて、分からないよ。それに、傷つくくらいなら本心なんて見たくない」



姫)「逃げるんだね……。それで、これからうずらちゃんはどこに行くの?」


ウ)「決まっていない。どうしようかな」


姫)「もしよかったら、晴れた場所にいかない?」


ウ)「ワタシは……この町にいたい」


姫)「危険なのに? この世界は死にたがっている。とどまっていたらどうなるか」


ウ)「でも、ここは落ち着くんだ。たとえ危険でもワタシはここを満喫したい」

 

姫)「そんな……」


犬)「……! 二人とも、ドッペルゲンガーがたくさん来てる!」


姫)「逃げるよ、うずらちゃん!」


ウ)「……人間はいずれ死ぬ。なら、ここで死んでもいいかな」


姫)「諦めるなよ。絶対後悔するって!」



?)「ハアハア……やっと追いついた」


姫)「あ、さっきの傘の人。雨が激しく降りだしたから傘さしなよ」


?)「話を聞いて。この傘は不条理な世界から抗うための希望。だから僕は傘にふさわしい人に渡すのさ」


姫)「はあ? 抗う? 傘で世界を救えるわけがないだろ」


?)「このまま世界は滅んでいく。そして傘には、どこか違うところへ行ったり、怪物と戦う力を与えてくれる。この世界では、“傘”に前向きな意味が込められているんだよ」



姫)「じゃあ傘をちょうだい。これで、うずらちゃんを……守る!」


ウ)「え、そんなこと頼んでいない」


犬)「厄介な子に目をつけられたね」


?)「傘はまだあるけど、君は要る?」


ウ)「もちろんいらない」


?)「そうか。じゃあ、僕は傘を求めている人を探しに行くね」


ウ)「さようなら。……で、あいつどうしようか。ほっといてどこかへ行くのは、お姫様の勇気が無駄になっちゃう」



犬)「不思議な人だよね。相当のお人よしか……うずらちゃんにラブだったりして」


僕)「いいえ。彼があなたに抱く感情は好意ではなく罪悪感です」


犬)「誰?」


ウ)「誰だろうね。あの、ワタシなんかに傘をさささないでください」


僕)「自分は傘をさすために存在する者です。いわば下僕。どうぞお気になさらず」


犬)「ワンワン、頭が雨に濡れて寒いよう」


僕)「てめえは犬だろうが」


犬)「あ、ハイ」


僕)「雨が降ったら傘をさす。それが常識だった頃の世界を生きていた自分は、誰かのために傘をさしています」


ウ)「いろんな人がいるんだね」


僕)「この世界では希望を持つことさえ勇気が必要です。怖くて、雨に打たれ続けることを選ぶ人も少なくはありません。だから誰かが代わりに傘を広げて、雨から守る人がいてもいいじゃないですか」


ウ)「それは……」






姫)「うわあああ!」


犬)「お姫様が吹っ飛ばされた! やっぱり、大勢に立ち向かうのは無謀なのか!」


姫)「それでも戦う!」


ウ)「なにやってんだよお姫様! 逃げた方が安全だ!」


姫)「でも、俺が逃げたらうずらちゃんが死んじゃう」


ウ)「ワタシを生かしても良いことないから!」


姫)「生きてて悪いなんて決めるなよ!」


犬)「あ、お姫様! あ、なんか爆弾っぽいものを手にしているよ!」


僕)「あれはまさしく爆弾です」


ウ)「群集に突っ込んでいく! まさか‼︎」




姫)「(たぶん、俺が間違っている。この行動は、死にたい人間に「生きろ」と説得しているようなものだ。無駄だって分かってる。

 それでも……それでもなあ!)」






  「うずらちゃんには生きていてほしいって、思っちゃったんだよぉぉ!」







ウ)「ま、眩しい!」


犬)「急に目の前が真っ白に光った」


ウ)「あれ? 誰もいない。ドッペルゲンガーもお姫様もいなくなった」


犬」「どこへ行ったんだ!」







【建物の中で休憩をとっていると、白い少女を見掛けた。

 気になって声をかけると、彼女は頑張って作ったカニチャーハンをフユウレイに届けたいのだが、外は雨と怪物で迂闊に出られないと嘆いていた。


 勇気を出して外へ飛び出したものの、数秒で怪物に見つかり命からがら逃げてきたという。


 ずぶ濡れの疲弊した顔を眺めていくうちに、さっきの悲鳴はこの少女があげたのだと気がついた。


 しかし、彼女は落ち着いていた。もうダメだといいながら、その瞳は絶望に染まっていない。


 傘を提供すると、彼女は「金を持ち合わせていない」と大げさに首を振った。


 お金なんていらない。必要なのは立ち向かう勇気だ。

「大丈夫、この傘は対価交換できる物じゃないから」


 僕は、小さな笑みを浮かべながら、傘を差し出した。】



                         ※まさかの続く

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