春場所・中日【美人】

 –−−手刀てがたなこころは、特殊な環境で育ったといえる。


 心の母が彼女を身籠って何ヶ月かが過ぎた頃、近くの神社の秋祭りに、大きなお腹を抱えて散歩がてら出かけた。

 神社の正面に貝塚があり、その脇になんとかという、馬にまたがった武将の石像が立っている。

 その向こうに土俵があった。

 秋祭り恒例のちびっこ相撲の最中だった。

 大相撲の舞台でもそうあるように、その界隈のしきたりとしても、土俵に上がるのは男性だけ。女の子たちは周りで応援をしている。お母さんたちもテントの下で事務作業を手伝ったりして、相撲をとるのも裁くのも男の役回りだ。

 賑々しくちびっこ相撲が繰り広げられる様子を、心の母も輪の中に混ざって観ていた。

 その時だ。

 母が急に産気づいた。

 予定日までまだ日があるはずだったが、相撲の熱気に煽られたのか、もうとても病院まで我慢できる状態ではなかった。

 すぐに土俵脇のテントに運ばれ、幕が巻かれた。幸いにも秋祭りの人出である。

 医者も産婆も警官も神主もいる。

 母親は病院で診てもらって男の子だと確信していた。家族を連れていなかったので、町内の顔見知り連中が集まって、元気な男の子が産まれると囃し立てた。

 大きな産声をあげ、心は産まれた。

 すぐに行司が抱え上げ、ちびっこ相撲の参加者や相撲好きな男衆の手を渡り、土俵の中央で天高く掲げられた。

 秋祭りの土俵で産声を上げた赤ん坊。

 それが手刀 心だ。

 産まれてすぐ、女人禁制の土俵の上で名付けられた女の子、手刀 心。

 しかし、村のしきたりである。

 心は男の子だったと言い聞かせ、村の背教は防がれた。本人もずっと自分は男と信じて生きてきた。

 美人なのに−−−


 これがぼくが軟式テニスのプリンスこと、三段目くんに聞いた手刀先生の生い立ちだ。

 軟プリくんは、美人についてのありあまる情報量を誇る。堂々と誇られてもどうかと思うが。


 校長室での彼女の主張はこうだ。


「園山先生のひとりやふたり…どころか、園芸部には顧問が自分を含めて2人しかいない。とはいえ部員も4人だけ。どうせ相撲部の顧問に移されるなら自分にしてほしい。園山はああ見えて彼なりに園芸部に情熱を持っているから」


 その発言を聞いて、ぼくは驚きを隠せなかった。

 相撲嫌いで有名なあの校長を向こうに回し、相撲部の顧問を買って出る教師なんているはずないと思っていた。園山先生はその点、いつも気の無い受け答えで、それが逆に保身でも野心でもない、ニュートラルな存在感をぼくらに植え付けていた。園芸部だけに。


 しかし、この手刀先生という女性は、生い立ちから察するに、相撲と縁の深い人生を送ってきているらしく、それを校長が知ってか知らずか、園芸部でひっそりと顧問としての日々を過ごしてきたようだ。

 それが何かのきっかけで相撲熱に目覚めたようで、ぼくらの話の途中で勇ましく校長室まで飛び込んできた。相撲部の顧問になりたい、と。


 それからぼくらは校長室を後にした。

 校長には取りつく島もない態度で追い出されるわ、手刀先生は興奮したまま言いたいことだけ言ってそそくさと姿を消すわ、結局、顧問の話題は進展したのか悪化したのかわからない状態で、そのまま解散してしまった。


 翌朝、廊下で顔を合わせたぼくとしきりちゃんは、あいさつより先にそろってため息をついてしまった。とても15歳とは思えない、まるで老夫婦のような朝の光景に、ちょっぴりおかしくなって笑えてきた。

「あー、マエミツくん笑った…!」

「ごめんごめん、バカにしたわけじゃなくて…」

「でもねぇ、今週なーんに前に進んでないよね」

「90年代に、舞の海って関取が立会で後ろに下がったことあったけど、前に進まないってすごい度胸だよねぇ」

「千代大海や豪栄道も、ツッパリで出世した大関に限って、衰えてくると引きで墓穴を掘るよねぇ」

「へいへいふたりとも!たぶん相撲の話なんだろうけど、明るく行こうぜぇ!」

 軟プリか。

 今週、新入部員がオマエしかいないことが、ぼくたちをどれだけ暗くさせていることか。さすがに口には出さないが。

「ほらほら、美人にあいさつしなよ!さ、先生どうぞ!」

 え?

 軟プリくんの後ろからスラっとした美人が顔を見せた。手刀 心先生だ。

「相撲部の顧問さんだぜぇ?オレたちラッキーだよなぁ、こんな美人に…」

「チャラチャラしたあいさつは抜きよ。部の成立まで、あと何人必要なの!」

 う、うわっ。なんだいきなり熱血モードなのか?

「えぇと、一年生が3人、二年生が1人、三年生が2人必要…ですかね、今んとこ」

「マネージャーは決まってるの?」

「マネージャーはぼくです一応…」

「一応って何よ!グズグズ言ってんじゃないわよ!」

「す、すいませんっ。ていうか、先生、大丈夫なんですか?」

「失礼ね!これでもマシな方だと思うんだけど!そんなに頭おかしい女に見えるの!」

「い、いえ、頭が、じゃなくて。相撲部の顧問になったら校長から良く思われないんじゃ…」

「西強山?あの弱虫がアタシに何か言えるもんですか!」

 そういえば、校長室に来た時も、校長はこの先生にはちょっと手を焼いている様子だった。ま、今の発言からすると手を焼いているどころか、手もつけられないほど暴走気味なんだと想像できるが。

「しきりさん!アナタ部長なの?」

「部長っていうか、部屋頭?」

「上等よ!残りの部員、気合い入れて集めるわよ!」

 停滞していた相撲部設立が、一気に前に向けて加速するのを感じるとともに、早朝のテンションではないな…とぼくだった。


 つづく

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