初場所・十日目【頭数】

 水曜の朝。

 しきりちゃんには会えなかった


 二時間目の前に廊下でチラッと見かけたから、たぶん遅刻してきたんだろうな。

 彼女のことだから朝稽古でもしてたんだろう。


 力士の朝は早い。


 起きてすぐ身体を動かし、汗をかき、朝稽古の後にはお腹ペコペコ。そこから遅めの朝食を摂る。山盛りでどんどん食べる。どんどん吸収されて、身になる。そこから昼寝。寝てる間にしっかりと肉がつく。


 力士が太りやすい生活パターンを送っているのは身体に肉をつけるためだけど、その運動量と体幹バランスは、思いのほか筋肉を鍛える結果を伴い、太っているように見えてその筋肉量は多く、特に下半身は驚くほどスラっとしている。

 お腹周りを太くするのは取組のとき、懐に深く差されないようにするためだし、前に出る圧力にもなる。

 力士は単に大飯食らいのデブではないのだ。


 実際、しきりちゃんは細身だ。

 女の子だし、ウエストにあんまり肉をつけたくないのかもしれない。


 これは相撲マニアとして言わせてもらうんだけど、胸はかなり良い形をしていると思う。

 ほんとコレやらしい意味じゃなくて、だってそんなにちゃんと見てるわけじゃないし、どっちかと言うと個人的にはボンキュッボンッなカンジよりミニマムなのが好きなんだしぼく。

 でも、いいと思う。


 そのときぼくがニヤついていたのは事実だ。でもそれは理想的な筋肉だなーって、そうゆう微笑ましい妄想からであって。


「廊下でチラッと見ただけでニヤけちゃって。キモ!」

 昼休みののどかな時間帯を引き裂く嫌味たっぷりな罵声。

 校長の孫、西山カイナさん。

 しきりちゃんの幼なじみで『魁皇ちゃん』と呼ばれてた子。なぜかいつも上から目線でぼくたちに難癖をつけてくる。


「別にそうゆう目で見てたんじゃないし!」

「そうゆう目ってどうゆう目よ」

「だから胸が…」

「胸?」

「ち、ちがうよ、あ!あれだよ!稽古で相手をしてやることを『胸を出す』って言うじゃない?しきりちゃんも朝稽古で胸を出してたんだろうなって、そうゆう目!」

「…キモ」


 だめだ。完全に頭イカれた男だと思われた。

 ま、イカれてますけど。


「そんなワケで今日はコイツら連れてきたから。ありがたく思いなさい」

 え?

 よく見ると西山さんの後ろでモゾモゾしてる男子が4人。

「ほらさっさと自己紹介!」

「ひぃ!…3年の鎌谷です。」

「ぼぼぼぼく3年の小泉」

「3年の…」

 4人はビビりながら名前を告げた。全員3年生だ。

 その奇妙な光景のせいで名前がまるで頭に入らない。なんなんだこの人たち。西山さんの知り合い?家来?子分?


「で、どうすればいいのかしら。まだ稽古場とかないでしょ?マワシもないんだろうし。ま、いっか。廊下で股割りしてりゃ」

「ひぃ!股割り!」

「あ、股割りってのは力士の基本の稽古で、柔軟体操みたいなもんだよ。怪我しにくい身体を作るための大事な運動なんだ。基本的な稽古っていうと、あとは四股踏みかな。四股と股割りを繰り返さないと蹲踞そんきょもできないし」

「そ、そうなんですか。ぼくたちあんまりスポーツしたことないから…」

「へえ、ぼくもスポーツはそれほど…いやいや、てゆうか!す、相撲部に入ってくれるんですか先輩たち⁉︎」


 何をいまさら、という顔で西山カイナが答える。


「新入生はまだ勧誘できないんでしょ。だったら3年か2年を入れるしかないじゃない。そいつら美術部なんだけど、ろくに活動してないし、3年の今から移るなら創設間もない部の方が気楽でしょ。戦力にはならなそうだけど、頭数にはなるでしょ」

「待って待って西山さん!もしかして相撲部の勧誘してくれてんの?相撲キライなんじゃ…」

「相撲キライなのはあのひとでしょ」


 西山さんのいう『あのひと』とは校長先生のことだ。


「そんなワケで、って言われたけど、なんのこと?」

「あんたホント馬鹿ね。だらしない目でしきりを見てたでしょ、相撲部早く作りたいなーって。だから早速コイツら入れたらどうなの、ってこと!」


 確かに昨日陸上部を見学させてもらったけど、上級生を今から相撲部に連れてくのは難しそうだった。

 でもなんで西山さんがわざわざ勧誘を…?


「な、なによその目!ホントやらしいわねアンタ!私べつにあなたのために部員集めてきてるわけじゃないんだから!しきりに貸しを作っておくのも後々悪くないかなーって、それだけなんだからね!」


 おや、そんな目してたかなぼく。


「マネ連のやつらに聞いてみたのよ、部活に入ってるけど、たいして参加してないやついないかって。そしたら美術部にとりあえず入部してるだけのやつらがいるって聞いてね」

 わざわざ聞いてくれたんだ。しかも実際に連れてきてくれるなんて。

「マネ連の連中、他にもこうゆう暇な部員抱えてそうだったから後はアンタが直接言って聞いてきなさいよね!」

 ぼくはさりげなく聞いてみた。

「魁皇ちゃんは相撲部入らないの?」

「1年は来週からでしょうが!あ!てゆうかなんでアンタがそのアダ名知ってるのよ!しきりね?ペラペラと余計なことを…!アンタなんかに呼ばれる筋合いないんだから!」


 このひと、ホントにいつもキレ気味なんだよな。

 ん?来週からでしょってことは、来週になったら入部してくれるってこと?


「じゃあね!マネ連明日でしょ!聞き忘れんじゃないわよ!あと、私のことはカイナって呼びなさい!」

 マネ連って、昨日先輩に教えられたやつだよね?モノマネ芸人連続殺人事件、だっけ?そこに行くとヒマな部員の情報が聞けるの?


 わかわかんないけど、とりあえずはお礼を言わなきゃな。


「ありがと。カイナ」

「きゅ、急に呼び捨てにしないでよ。なによアンタ…!」

「いや、カイナって呼べって言われたし」

「口ごたえすんな!とにかく明日ちゃんと勧誘しなさいよサガリくん!」


 …また言ったな、『サガリ』。『マエミツ』だっつうの!



 つづく

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