初場所・七日目【名字】

 ぼくが抱いた不安。


 そもそもしきりちゃんが『結婚して!』なんてこと言い出したのは、単純にぼくの名字『前頭』が気に入ったからで。自分の名字『十両』より格上だから、だ。

 だから『軟式テニスのプリンス』こと『三段目』くんが声をかけてきても相手にしなかったのだ。


 大相撲の階級は大きく6つに分けられている。

 上から順に、幕内→十両→幕下→三段目→序二段→序ノ口、となる。

 幕内の中にさらに階級があって、横綱を筆頭に、大関→関脇→小結→前頭(平幕)となっている。


 ここで問題になってくるのが、ぼくの名字『前頭』ってのは十両や三段目よりは格上だが、それより上に4つもがあるってことだ。


 つまり、いつか『大関』くん、なんて男子が現れたら、まず間違いなくしきりちゃんはそっちになびくに決まってる。


 それが『小結』くんだったとしても、まずありえないことだけどぼくよりヒョロヒョロでぼくより気弱な男だったとしても、前頭より上なら、ぼくに勝ち目はない。


 今朝だって、もし声をかけてきたあの『軟式テニスのプリンス』の名字が『三段目』じゃなくて『平幕』くんだったとしても、同じ階級ならあえてぼくを選ぶわけがない。単純に向こうのがモテそうだし。


 モテるといえば、入学式で騒ぎを起こして、口が悪くて制服の着こなしが荒々しいのが災いしてか、幸いか、意識してる人は少ないかもしれないけど、しきりちゃんはかわいい。普通にしてたらかなりモテると思う。


 プリンスみたいに『かわいーねー』なんて声をかけてくる男も多いだろう。



 結論として、しきりちゃんがこれから先も、今のままぼくを慕ってくれる確率は、かなり低い。なにかあればすぐに誰かに鞍替えしちゃうかもしれないのだ。


 これがぼくの頭をよぎった不安だ。


 これはマズイ。


 相撲にも、彼女にも、すっかり熱を上げてしまって、高校生活どころか、人生をかけて相撲に入れ込もう、なんて意気込んでいたのに。

 名字ひとつでこんなに振り回されるなんて。


 ぼくの名前が『横綱』さんじゃないことを心から後悔すると同時に、『序ノ口』さんじゃなくてホントによかったと心からホッとしているのだった。



 そんなことをアレコレ考えながら午前中の授業をぼーっと受けていたら、昼休みの前にクラスの女子に声をかけられた。


「前頭くん、女子が呼びに来てるけど」

「…しきりちゃん⁉︎」

「ざーんねんでした」

 一瞬、人違い?かと思ったが、すぐ思い出した。一見上品そうに見えて、その嫌味っぽい表情や仕草…。


 校長室の前ですれ違った子だ。


「しきりちゃーん、じゃなくて悪かったわね」

「べ、別にしきりちゃんを待ってたとかじゃなくて、部活の話、をさ…」

「そうそうそれ。相撲部とか、マジ?」

「あの、ごめんなさい。名前とか聞いてないんで、なんて言っていいか?」

「呼び方?そんなのなんでもいいけど。それとも私と話す理由がないとか?」

「単に名前を聞きたかっただけなんだけど…一年生、じゃないよね?」

「一年よ!そんなに老けて見えるの⁉︎」

「そうじゃなくて!入学してすぐ校長室に出入りしてるなんて、新入生じゃないのかなって」

「あんたたちだって新入生のくせに校長室に来てたじゃないのよ」


 なんだこの子。

 なに言っても全部キレ気味で返してくる…なんでこんなに態度デカイんだ?

 一年生なんだよな?


「で、名前を…?」

「しつこいわね!名前マニア?」

 マニアといえばマニアなのかも。

 名字のことでぐだぐだ悩んでたりしたし。


「…西山、よ。文句ある?」

「そんな、文句なんて。で、西山さんはぼくに用があって来たんだ…よね?」

「用ってほどでもないけどね」

 なぜか勝手に疲れた顔で額の汗を拭くマネをした。

「相撲部やるって本気なの?ふざけてんならやめとけば?って言いに来たのよ」

「は?やめとく?なんでさ?しきりちゃんあんなに張り切ってるのに」

「だから!そののためにも、よ!校長と話してみてわかったでしょ?あのひと相撲大っきらいだから!痛い目に遭うって忠告したのに。部員なんか集めても認めてくれやしないわよ!」

「だ、だって一ヶ月で集まったら、みたいに言ってくれたし」

「部員集めを、でしょ」


 確かにそうだ。

 校長から部として活動していいなんて言われたわけじゃあない。でも、それじゃまるで詐欺じゃないか。集めたからには活動させてくれないと…


「部員集めって言うけど、何人集まればいいかわかってんの?顧問の先生だっていなくちゃいけないし」

「何人、って…団体戦に出るなら5人、かな?」

「うちの学校のことちゃんと調べなさいよ。確かに相撲や柔道とかなら5人、野球なら9人、サッカーなら11人…試合ができる人数を揃えなきゃいけないのよ、各学年ごとにね」

「野球やサッカーより少なくていいんだね…ん?か、各学年⁉︎」

「そ。一年にはまだ勧誘できないからとりあえず上級生からって考えてんでしょうけど。上級生はみんなもう部活入ってるからね。それに」

「ちょっとアンタ!マエミツくんいじめてんじゃないわよ!アタシが相手になるわよ!」


 まるで危機一髪助けにきたヒーローのようなセリフ。

 しきりちゃんだ。


「はあ?いいわ、アンタこそよく知ってんでしょ。相撲部なんてあきらめなさい!」


 待って待って!「それに…」の続きが気になるんだけど!あと、しきりちゃんにはぼくがいじめられてるみたいに見えたんだ…。

「あのひとが相撲部認めるわけないの知っててこの学校に来たんでしょ?」

「なんなのアンタ…なんでそんなこと知ってんの?」

 しきりちゃんが動揺している。

「全然覚えてないのね?あたしよ!『西山カイナ』よ!顔を合わせるのは8年ぶりかしら?あ、こないだ校長室で会ったわね」


 いま、気づいた。


 西山って、校長と同じ名字だ。

 まさか、この子…!

 今日ほど名字について頭を使った日はなかった。


 つづく

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