初場所・五日目【対面】
「ヨイショー!」
僕たちは勢いよくしこをふむと、校長室に足を踏み入れた。
校長の西山先生がこちらを睨んでいる。
かつて「最強の横綱」と呼ばれた男の威圧感。そして入学式で言い放った「相撲から足を洗った」宣言。
初めて「結びの一番」で横綱と当たる関取はこんな気持ちなのだろうか。
ドアを閉めようとしたぼくの腕がノックの音とともに止まった。
色白の女性…先輩だろうか?
濃いめの縁のない眼鏡をかけていて、目元は見えない。肩に『陸上部』と刺繍されたジャージを着ている。
「お取り込み中だったかしら?」
「ええ!取り組み中よ!」
「しきりちゃん!まだ取り組み前だよ!」
しまった、取り組み、じゃなくて取り込みだった。いや、実際は校長と一言も会話を交わしていないので、取り込んでもいないのだが。
「あなたが東十両さんね?入学式で騒いでらした?」
「ふふん、近々『前頭』に昇進しますけどね!」
わあ、堂々と結婚宣言!しきりちゃんにそんなつもりはないのだろうけど、ぼくは顔が真っ赤になった。
「ごめんなさい。アタクシ校長先生に急ぎの用があって。お時間いいかしら?」
そう言うと、返事も聞かず校長の机の前まで進む。
「まだ時間前よ!」
「あらよかった。じゃ先に用件済ませるわね」
「はあ⁉︎」
しきりちゃんは眉間にシワを寄せてるけど、今の会話は仕方ないよ
「時間前…相撲の取組前には制限時間があって、十両で3分、幕内では4分。時間いっぱいまでしきりを繰り返し、時間になると呼び出しに「時間です」と告げられ、立ち会いとなる。時間前に立ち会うことも禁止されておらず、今のしきりちゃんの発言は『私たちの取組前だからあなたは時間いっぱいまでそこで待ってなさい』の意味だったと思われる」
「へえ。解説ありがとう。あなたたちの時間よ、ってことね?」
「木暮さん、どうぞ話を」
校長が割って入った。
さっき廊下のぼくたちを怒鳴りつけた声とはうって変わった落ち着いた口調だ。
「どうも。部費の相談なんですけど、よろしいかしら校長」
「もちろんだ」
「ハードルの物山君が全国大会出場を決めたので、その遠征費を頂きたいと思いまして」
「それは素晴らしい。見積もりはあるかね?」
「ええ、こちらに」
すると校長はたいして目も通さずに判を押し「活躍を期待しているよ。体調管理よろしく頼みますね」と優しく労った。
「ありがとうございます」と頭を下げ、その場から下がる彼女。話を聞いた感じだと、陸上部のマネージャーだろうか?全然日焼けしていないし、選手ではなさそうだ。「木暮さん」と呼ばれていたな…。
それより、校長先生だ。思っていたよりずっと優しくて話のわかる人物みたいだ。
「お時間取らせてすみませんでしたわね。アタクシお相撲のことは詳しく存じ上げませんので」
「オッホホ。何言ってんのかしらこのひと!ぞんぜんあげませんかしら?」
しきりちゃんは丁寧な口ぶりが理解できていないらしい。
「かちあげませんと深く差せませんのは当たりが低くないからでございません?オッホホ」
「しきりちゃん!立ち会いで肘打ちのように相手の腕を押し上げないとマワシの深い位置を掴めないのは、相手に向かって頭を下げて低い体勢でぶつかりに行ってないからじゃないですか?って言っても意味がわからないよ!」
「??」
「木暮さん、悩む必要はないですよ。相撲のことしか頭にない人たちのようですから」
どうやら校長は本当に相撲に良いイメージを持っていないみたいだ。そういえばさっきすれ違った高飛車な女生徒も相撲を小バカにしたような口調だった。
…もしかしてこの『
「校長、いや、元横綱・西強山さん!アタシの話を聞きなさいよ」
「しきりちゃん、ぼくから話すよ」
ぼくはしきりちゃんを制し、校長の机の前に
立った。
「実はぼくたち、すも」
「断る」
「へ?」
「断る、と言った」
「いやいや、ぼくたちこれからこの学校にすも」
「諦めろ」
「ちょっと!まだマエミツくん何も話してないでしょ!ひとの話聞いてんの?」
「聞いておる。部活動のことじゃろう?」
「ええ、そうです。ぼくとしきりさんで、すも」
「やめておけ」
これは参った。
相撲部どころか、すも…から先を口にする間もないとは。
「確かにワシは元横綱の西強山じゃ。しかし、相撲からは完全に足を洗った。相撲のすの字も聞きたくない。教室に戻りなさい」
「アタシがそんなことで引き下がるわけないでしょう!そのためにこの学校に来たんだから!」
そうなの?しきりちゃん?
ぼくは相撲部ないの知ってて、わざわざ調べてここに入学したんだけど。
そういえば隣町の高校には強い相撲部があるらしいし、相撲やりたいならこの学校選ぶことないのに。そこはまだ聞いてなかったな。
「帰りなさい」
「帰りません!なんならここでアナタと一番とってもいい覚悟よ!」
「ワシと一番?冗談はよせ」
「よしなさい東十両さん」
陸上部の木暮さんがしきりちゃんの肩を叩いた。このひと、まだ居たんだ。
「話は聞かせてもらったわ。ねえ校長、この子たぶん死んでもここから動かないと思うの」
「そのようだな。困ったもんだ」
「部員集めだけでもさせてみたらどうかしら。おかしなことしないようにアタクシがついて回るから」
「木暮さん、なぜ君がそんなことを?君には陸上部のマネージャーの仕事を頑張ってもらいたいのだがね」
「もちろんマネージャーの仕事はきっちりこなしますわ。この子たちには『マネ連』の見習いをさせようと思ってますの。例の件任せてみても悪くないかと」
「ほう、それもいいな。それじゃあここは君の案に乗ろう。しかし、期限を設けるぞ」
「そうしてくださいな。アタクシも暇じゃないですし」
「ほ、ほんとですか校長先生!ぼくたちの活動認めてくれるんですね?」
「部活動を認めたわけじゃない。そこの木暮さんに世話を任せただけだ」
「上等よ!二週間で部員集めてみせるわよ!」
「一ヶ月やろうかと思ったんじゃがの」
「一ヶ月でお願いします!ね?しきりちゃん?」
「望むところよ!」
なんでいきなり二週間とか言い出したんだこの子は。しかし、一ヶ月か。まだ部活を決めてない一年生を中心に声をかけていくしかないな。
「それじゃ校長、失礼しますわ」
「うむ。よろしくな木暮さん…それとマエミツくんだったかな?」
「はい。前頭玉光です」
「力東の孫娘をしっかりと見張っておれよ」
「しきりちゃんを?まあ確かに暴走しがちですけど、見張るだなんてそんな…」
その会話を聞いていたしきりちゃんが静かに校長を睨みつけた。見たことないほど険しい表情で。
その後の校長の言葉に、ぼくは驚いて「ハッキヨイ?」と小さくつぶやいた。
「おい、力東の孫娘。まだワシを恨んでおるのか?」
つづく
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