初場所・四日目【嫌味】
「ねえねえマエミツくんって相撲詳しいんだよね?こんど市民体育館に、その、なんだっけ、ツアーに来るじゃない?」
何気ない質問だった。
ぼくが相撲に詳しいって知ってるのはごく一部の幼馴染だけだし、「前頭玉光」を「マエミツ」ってアダ名で呼ぶのも昔からの遊び仲間くらいだ。
だから中1のとき、クラスの女子からこんな会話を切り出されたのも、顔馴染みのたわいないトークだったわけだ。
「好きなだけで、詳しいかどうかは…」
「詳しいよー、小っちゃい頃から相撲の選手の名前たくさん知ってたし!
でさ、聞きたいんだけど、相撲の試合って同じチームの選手同士は戦わないって本当⁉︎」
「あ、あぁそれね、あのね…」
「それからさ、試合の後、リングでレフェリーに名前呼ばれるよね?あれって練習のときもするの?あ、練習の時は監督がするとか?」
「ちょっと待てって!!!」
ぼくはつい声を荒げてしまった。
我慢できなかったんだ…
「あのねぇ!『選手』じゃなくて『力士』ね!それから『ツアー』じゃなくて『巡業』!」
「そ、そうなんだ?ごめんごめん…」
「それとさ、『試合』じゃなくて『取組』、『チーム』じゃなくて『部屋』でしょ?あとなんだっけ?『リング』と『レフェリー』って『土俵』と『行司』のこと?」
「あ、それそれ…」
「『練習』と『監督』じゃないでしょ!『稽古』と『親方』でしょ!」
「ごめん…もう、いいや、バイバイ」
あーあ、やっちゃった…いまだに思い出しては落ち込んでしまう、あの光景。
バイバイ、と言った彼女のうんざり、といった表情。
それ以来だと思う。
日常会話に相撲に関連するワードが出ると、ひとりでブツブツと解説するようになったのは。
一種の精神安定法なんだと思っているが、聞かれるとかなり恥ずかしい。でも言わないと気が済まない。
でも、そのおかげでぼくはしきりちゃんと知り合えたとも言えるのだから、まぁ悪くはなかったのかも。
しかも結婚…だなんて!
えへ…へへ…
「前頭さん、また変な笑い方してる…」
「ハッキヨイ!し、しきりちゃん、これはあの…あれだよ、部活がいよいよできるかと思うと、ついつい…」
「でも前頭さん、まだ校長室にも入ってないですよ?」
「あのさ…その、前頭さんっての、やめようよ」
「イヤでしたか?アタシなんか十両だっていうのに…」
「アタシなんか、って言われても…なんか他人行儀じゃない?」
「じゃ…玉ちゃん?」
「…それはイヤだな。ふつうに『マエミツ』でいいよ、みんなそう呼んでたし」
「いいですねえ、マエミツ!大事ですもんねマエミツは。ユルフンなんて糞食らえですよ!」
「『ユルフン』相手にマワシを掴まれた時、力が伝わりにくいようにわざと緩くマワシを締めること。力士としては許しがたい行為」
「まさにその通り!」
あー、また声に出して解説してたか…それにしてもユルフンが糞食らえとは、フンドシだけにかなり汚い表現だなぁ。敬語になってもしきりちゃんの口の悪さは健在だ。
そんな話をしていたら校長室のドアが開いた。
今まさにノックして中に入ろうとしていた僕らは、驚いてお互いの顔を見合わせた。
え?入れってこと?そんな表情で二人してそぉーっとドアの向こうを覗き込もうとしたところで「あんたたちねぇ!」と女性の声に遮られた。
「校長室の前で相撲の話してるなんてどういうつもり?…あら、しきりじゃない。入学式では恥ずかしいマネしてくれたわね!」
それは制服を丁寧に着こなした、品の良さそうな女子生徒だった。
ちなみにしきりちゃんは制服の袖を肩の辺りまで捲り上げている。細身の身体ながら二の腕の筋肉はキレイに盛り上がり、さすが関取の孫といった鍛え方がうかがえる。
「隣にいるアナタがマエミツくん?」
「な、なんでぼくの名前を…⁉︎」
「今さんざん話してたじゃない。ふーん。『マエミツ』って割にはヒョロい身体してんのね。『サガリ』のが似合ってんじゃないの、ホホホ」
しきりちゃんを知っているのはおかしな事じゃない。入学式でさんざん目立ったんだから。
「とにかく、あんたたち、中に入らない方がいいわよ。痛い目にあいたいなら、どうぞ。ホッホホ」
嫌味たっぷりの笑い方で彼女は廊下の向こうへ歩いて行った。カツ、カツ、という足音までプライドの高さを物語っているかのように。
「なにあれ、カンジ悪い女!」
「いや、でも彼女…タダモノじゃないと思うよ…」
「え?なんでわかるんですかマエミツさん!」
「それだよ…」
「え?」
「小さい頃のアダ名なんだマエミツって。みんなはただ前頭玉光を縮めてそう呼んでるだけなんだけど。意味も知らず。」
「そうなの?マエミツを⁉︎」
「知らないよ普通の人は。しきりちゃんは相撲に詳しいからすぐに『ユルフン』に結びつけて、マエミツは大事、とか言えるけど」
「だって大事ですよ、マエミツ!マワシの前に当たる部分ですよマエミツは!頭から当たって行ったらマエミツ狙うのが正攻法じゃないですか!」
「そう。大事な相撲用語だ。さっきの彼女『マエミツ』って聞いてすぐ『サガリ』のが似合うって嫌味を返した」
「そういえば!」
「知ってるんだよ彼女。相撲を。それもかなり詳しく……『サガリ』…大相撲で取組の時、マエミツの隙間に差し込んである飾りの紐のこと。引っかかったり激しく動き回るとすぐに抜けて、行司に土俵外へ投げ捨てられる…」
「マエミツさんがヒョロヒョロだからって、そんな言い方…やっぱりヤな奴!」
うん、しきりちゃん、ヒョロヒョロとかやめようね…
ただ単に相撲が好きな女子なんだろうか…でも相撲好きってカンジじゃなかったような…むしろ毛嫌いしてるみたいな口調だった。
でもこれから相撲部を作ろうとしているぼくたちにとっては、もしかして貴重な人材だったりして。
「おい!扉の向こうで何のおしゃべりしとるんだ!用があるなら中は入らんか!」
さっきの子、わざとドアを開けっ放しにしてったな…。
よし、いよいよ土俵入りってカンジだ!
ぼくはひとつしこを踏んでから校長室に足を踏み入れた。
つづく
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