第2話 爪と缶詰

「え、な…。」

「いつまで絶句してるつもりだ。おい、返事をしろ。」

 猫が喋っている。

 箱の中でどっしりと構えた猫は、言葉が出てこない直人に絶えず話しかけている。金色の瞳はもうすっかり出てきた太陽に照らされ瞳孔が鋭くなり、少し怒っているようにも見える。

「おいこら。聞こえているだろう。」

 魔女の宅○便か猫の恩○ししかり、猫が喋る生き物であるという常識は二次元に限ることを直人は当然知っていた。

 ところがどうだろう、今目の前にいるどこかふてぶてしい三毛猫は直人に向かってペチャクチャと偉そうに話しかけているではないか。現実の常識が変わったのか、自分の頭がおかしくなったのか、どちらなのかは明確だった。

「すいません、俺ちょっと病院行くんで他の人当たってもらっていいですか。」

「あ?おい、どこへ行く。おい!」

 猫が呼び止めるのを無視して春人は公園の出口へと歩き出す。

 ちょうど公園を出る時、学校が終わったらしい小学生と数人すれ違った。

「あ!猫ちゃんだ〜。」

 にゃぁ〜。

 小学生の声に返事をするように猫が鳴く。

 ついて来ているらしいが、日本語は喋っていない。やはり先ほどの出来事は自分の妄想だったのだろうか、春人は逡巡しながら来た道を戻って行く。

 にゃぁ〜、にゃぁ〜。

 後ろをついて来る猫はずっと春人に向かって鳴き続けている。これではご近所さんへの印象がいたいけな猫を無視し続ける心なき人間になってしまう。すれ違う人から隠れるように、彼は下を向いて早足で歩き続けた。

「最近本ばっか読んでたからかな…。今から病院って予約取れるかな。」

「病院へ行く必要はないぞ。実際に私が人間語を喋っているんだからな。」

 人通りが無くなった時、猫が再びスラスラと日本語を喋り始めた。

「なんだよ。うわ、妄想に返事しちゃったよ俺…。」

「さっきから妄想ではないと言ってるだろう。いい加減現実を受け止めたらどうだ。」

 諦めるしかないらしい。直人はキョロキョロと辺りを見回し、人影がないことを確認してから猫に返事をした。

「なんなんですかさっきから。ついてこないでくださいよ。」

 上から目線の猫の口調に、直人は自然と敬語で返してしまっていた。

 猫はヒョイと塀の上に登ると、直人の横を歩きながらふふんと笑ったようだった。

「それはできないな。なぜなら私には屋根が必要だからだ。」

「え!うちペット禁止なんですけど。はい無理ですね、さようなら。」

 そういうと直人は走り出す。

 が、さすがに猫の足には敵わない。すぐに追いつかれて背中に爪を立ててよじ上られてしまう。

「いだだだだだ!」

「私はお前のペットにはならんし、うるさくニャーニャー鳴き喚くこともしないぞ。ほら、降りて欲しかったら連れてけ。」

 背中にさらに爪を食い込ませると、猫は交渉に似た脅しを直人にかけた。

 直人の背中に鋭い痛みが走る。いくら暴れても猫が振り落とされる様子はない上に、爪がいっそう食い込むだけだった。

「わかりました!だから降りて!」

 わかればよし、と猫はやっと直人の背中から降りる。

 直人は大きく溜め息を吐くと、とぼとぼと彼の住むマンションへ戻って行った。

 

 マンションの真下まで到着すると、直人はさらなる問題に直面した。

 先ほども直人が言った通り、マンションはペット禁止だった。いくら祖父のマンションとあれど特別扱いはされない。

「防犯カメラもあるし、猫連れてどうやって入ろう。」

 バレれば怒られるだろうし、一人暮らしも無しになるかもしれない。

「…ゔっ!」

 マンションの前で直人が悩んでいると、猫が今度は爪を立てずに軽やかに彼の肩に飛び乗った。ずしり、と見た目通りの重みが彼の肩にかかる。

 「私がお前の首に巻きつくから、その服に付いているフードを私に被せろ。」

 なかなかいい案だった。

 重い猫に少しふらつきながらロビーを通りエレベーターを使い、やっと直人は自宅に到着した。

 やっと重荷を下ろし、ソファーにどさりと座る。

「おい、腹が減ったぞ。」

 部屋をしばらくうろうろしていた猫が、直人の足元まで来て言う。 

「うち猫の餌なんてないですよ。ツナ缶って猫は食べられないんでしょう?」

 その腹についてる脂肪で数日は持ちそうだけどな、という言葉を直人はすんでのところで飲み込んだ。余計なことを言えばまた背中を引っ掻かれそうだ。

「ツナ缶でいい。早くよこせ。」

 偉そうな、と思いつつも直人は立ち上がってしまう。

 棚からツナ缶を出し、缶切りはどこかとさらに棚をごそごそとしていると、再び猫から催促の声が飛ぶ。最初から常に命令口調の猫に、直人は少しいたずら心が湧いてしまう。

「はいはい、お待たせしました〜。」

 そう言いながら、直人は開いていないツナ缶を床に置いた。文明の利器「缶切り」が無ければ人間ですら開けるのに苦労するのだから、猫には到底無理な話だろう。

「はいは一回だろう。…む?」

 ツナを食べようと近づいた猫の動きが止まる。

 クスリと直人は心の中で笑ったが、そんな余裕があったのは束の間だった。

「開いていないぞ。全く、気が利かないやつだな。」

 猫はそう言うと爪を缶の淵に沿って滑らせた。

 




 

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