二十一、食堂へ
「ひっ…人がいっぱいだぁ〜…」
いや、やはりモネさんは正しかった。彼女は街に出た途端、縮こまり、僕の後ろに隠れるように歩いていた。頻りに帽子の位置を確認している。
『私はこっちの方が好きである。』
ルクレールは彼女の精神に圧力をかけるように彼女に肉薄している。見えないからといって好き放題するのは止めておくれルクレール。
「アリエルさん…僕は道がわからないんですが…」
「そ、そうだよねぇ…そうなんだけどぉ…」
彼女は僕の前に出ようとするが、人とすれ違うたびに僕の後ろに隠れる。これは…どうしようか…道を教えてもらえればいいのだけれど、彼女はまだ頑張ろうとしているのでもう少し待ちましょう。
しかし、このことに関しては特にどうとは言えない。彼女が人混みに怯えるのにはそれ相応の理由があるのだ。
先ほどから触れられていた通り、亜人種の差別。
今の彼女やモネさんの様子から想像以上に根が深いもののように感じた。その問題に関して僕に出来ることは普通に振舞うことなのだろう。
「や、やったぁ…着いたよぉ〜…」
彼女は心底疲弊しきったようにそう呟いた。しかし、ただ食堂に着いただけなのである。僕は肩で息をしている彼女を見ていると不安になった。
「ここがそうなんですね…」
そこは思ったよりも寂れた食堂であった。木造の外見は所々に穴が開いており、少々カビ気味である。彼女たちがよく行く、と言っていたのでもう少し華やかなところなのかと思っていた。
立地もあまり良いとは言えないような街の外れである。客足の少なさから察するに繁盛しているとは言い難いようでもあった。
気がつくと、アリエルさんは消えてしまっていた。お店の中に入って行ってしまったようである。僕もそれに続くようにして中に入ることにした。
◇◇◇
「いらっしゃ…あら…アリエルじゃないの…よく来たわね!」
「ど、どうもぉ〜…」
「良い加減人混みに慣れないと駄目よ。」
「わかってはいるんだけどぉ…」
お店の店主だろうか?元気の良い女性が迎えてくれたようだ。
アリエルさんは疲れ切ったように挨拶を交わすとのろのろと席に着いた。店主さんが何も言わなかったのでその席が良く座る席なのだろう。僕も会釈をすると一緒に座る。
「アリエルがモネ以外と来るなんて初めてじゃない?」
「そう!新しいお友達なの!」
「あらら…誇らしげね…」
店主さんは綺麗な赤めの金髪をした女性であった。落ち着いた雰囲気があるが、それ以上に色気で一杯である。立ち振る舞い…と言えば良いのだろうか?いや、表情?まぁ…そんなことはどうでも良い。彼女の外見にはそれ以上に目を引くものがあった。
「アリエルの友達ならちゃんと自己紹介しないとね…あたしの名前はイザベル・シャトリエ。よろしく頼むよ。」
「あ…わざわざご丁寧に…僕はセンと申します。」
「…どうしたんだい?人のことジロジロ見て。」
「いえ…気を悪くされたならすみません…アリエルさんがこの店に良く来る理由がやっとわかったので…」
「ああ…そういうことね。」
僕の言葉に答えるように彼女は自らの頭に生える角のようなものを摩った。露出された手足には所々に鱗のようなものも見受けられる。彼女も亜人族の一種なのだろう。しかし、アリエルさんと大きく違うところがあるのだ。それを一切隠そうとしていない、という点である。
「イザベルさんは竜人族なんですか?」
「ああ…そうだけど…だったら何だって言うんだい?恐いかい?」
「いえ。初めてお目にかかったので…角って木の根っこみたいで良いですね。」
「?…アリエル…この子変な子?」
「ほんのちょっと…でも!良い子なんだよ?優しいし…」
「あんたの帽子の中身も知ってるのかい?」
「うん。」
「そりゃあ…変な子だねぇ…」
彼女はそう言うと噛み締めるようにうんうんと頷いている。なかなか良くはない初遭遇であったようだ。人付き合いとは難しいものですな。ちなみに僕は木の根っこが好きである。なぜなら山菜感があるからだ。
「あの…聞きたいことがあるんですが…」
「それも良いけど…何か注文しなさいな。ここは食堂なんだから。」
「あ!じゃあ二人とも
「はいよっ!」
アリエルさんが僕の分も決めてくれたようだ。特に何がいいとは決まっていなかったのでありがたい。彼女は顔を僕の耳に寄せるように体を乗り出すと小声で囁いた。
「このお店に来たらとりあえず炒飯系にするの…他はお世辞にも美味しくはないんだよ…不味くはないんだけどねぇ」
「アリエル〜!聞こえてるからね〜!!」
「ひっ…またまたぁ〜冗談ですよぉ〜」
アリエルさんの表情からして本当のことを言っていたようである。これ以上失言をしないようにと黙ってしまった。顔から吹き出すように汗を出している…しかし、そこで生まれるのははたして炒飯は美味しいのか、という疑問である。
『匂いは美味しそうじゃん。』
精霊は匂いも嗅げるのか。それなのに食べれないのはやるせないねルクレール。ニコニコと笑っているのに申し訳ない。
イザベルさんはきっと手際も良いのだろう。確かに食欲をそそる匂いがもう店中に漂って来ていた。ルクレールはいつの間にか僕たちと同じ席に座って料理の完成を待っている。
『久々のまともなご飯じゃないか。』
そうだね。匂いに当てられたのか、何だかお腹も空いてきた…最近は
「ひぃぃ〜!!す、すいませんっ!!」
「いつになったらちゃんと器を洗えるんだい!全く…」
厨房の中も少し騒がしいようだ。急にガチャガチャと音がしたと思ったら、何か揉めているようである。他の従業員もいるらしい。
「賑やかでいいよねぇ〜私は結構好きだなぁ」
「これは賑やかと言うんですかね…?」
𠮟られているようだったけれど…気にしなくていいか。
そうこうとアリエルさんとたわいもないことを話している間に料理は完成したようであった。イザベルさんがそれを運んでくる。両手に皿を持っていても隙のない歩き方だ。
「へい!お待ちどさん!」
「ありがと!もうお腹ペコペコだよぉ」
「美味しそうですね。」
色々言われていたので少し不安だったけれども炒飯は確かに見た目は美味しそうであった。口に運ぶと味も非常に美味しい。久しぶりに香辛料の効いた食べ物を食べた気がした。僕はあっという間に平らげてしまった。
「セン君もう食べちゃったのぉ?お腹空いてたんだねぇ…」
アリエルさんはモグモグと口いっぱいに頬張っている。口が小さいのかなかなか減っていないようだけれど。ルクレールは笑いながらその様子を眺めていた。
「作った側からすると嬉しいねぇ…美味かったかい?」
厨房の方からイザベルさんが前掛けで手を拭いながら歩いてきた。どうやら今は僕たち以外にお客さんはいないようであった。
「はい!久々に味のしっかりとした食べ物を食べたような気がします。」
「それは……よ、よかったねぇ」
普段食べるものが味の薄いものばかりなのだ。だからか、余計に美味しく感じたのかもしれない。
「そういえば何か聞きたいことがあったんじゃないのかい?」
「あっ…そうなんですよ。イザベルさん凄く堂々としてるなって思って…」
「?…あぁ!アリエルと違うってこと?」
「はい。」
彼女もアリエルさんと同じ亜人種である。しかし、彼女は自分の種族を隠そうとせず、店で働いているようなのだ。
「そうさねぇ…色々と理由はあるけれど…明確なのは種族の違いだねぇ…亜人種と言っても様々なのさ。彼女は獣人族であたしは竜人族。」
「竜人族は差別の対象ではない、ということですか?」
「少し違う。竜人族も差別の対象ではあるのだけれど、それよりも恐れられているのさ。こう言っちゃ悪いけど獣人族は舐められているんだ。可愛いしさ。」
「なにさそれぇ〜」
アリエルさんは頬を膨らませて機嫌が悪そうである。亜人種と
『竜人族は竜の
ルクレールが補足説明してくれたようである。彼女は本当に博識だったのか?わかりやすいしありがたいルクレール。
「なるほど…それじゃあ、このお店にはお客さんいらっしゃるんですか?恐れられているなら来ないとか…」
「夜は割と繁盛してるのさ。それも今の話と関係があるんだよ。この街の人は差別思考じゃない人が多い。もちろんそういう人もいるけどねぇ」
「え?そうなんですか?」
「そう…この街の冒険者ギルドは大きな権力を持っているからね。ギルドのお偉いさんの思考が街に伝染したってのはあるかもしれないねぇ。それでもアリエルは
「もういいよぉ〜この話やだやだぁ〜〜」
アリエルさんはやっとご飯を食べ終わったのか、僕らの話を聞いていたようだ。机に突っ伏して足をバタバタとさせている。ルクレールもけたけたと楽しそうで何よりである。
「もう…この子ったら…臆病なのさアリエルは。
そんなに後ろ指は刺されないと思うのにねぇ。」
「…聞こえないもんね。」
今度は帽子を強く押さえている。これは…耳を押さえているのだろうか?
しかし、これでよくわかったかもしれない。要は性格の問題のようであるのだろうか?僕が想像していたよりも差別が強い訳ではなかったようである…いや、それも地域や種族によって差はあるようだけれど。
「よくわかりました…ありがとうございます。」
「そりゃあ良かった。でも、どうしてそんなこと気になったんだい?」
「アリエルさんが凄く怯えていたのでどれだけ酷い差別が行われているのかと心配になったんですよ。」
「…だとさアリエル。」
「…うぅ〜」
アリエルさんは何も言わずに机に顔を突っ伏してしまった。お腹いっぱいで眠くなってしまったのだろうか?なんとも欲望に忠実である。
イザベルさんはその様子を伺うと、ため息をついた。
「はぁ…これからもこの子と仲良くしてやっておくれ。友達少ないのさ。」
「もちろんですよ。僕も友達がいないので。」
「じゃあ私は戻ろうかね。これからもご贔屓に。」
イザベルさんが厨房に足を向けようとした時、そちらからドタドタと他の店員さんが駆けてきた。
「また皿を割ってしまった!困ったわい。」
その姿は…あれ?見たことがあるぞ?以前見た時より幾らかは清潔そうな風貌をしているが、僕が見間違えることはない。彼は…いや、あのお方は…!
『ぶっっっ…』
ルクレールが急に吹き出したが構っている余裕はない。
「し、師匠じゃないですかっ!」
「げげぇ!?お、お前さんはぁ!?」
「師匠?」
「?」
僕は反射的に立ち上がる。体が尊敬すべき人を覚えているようなのだ。
師匠も驚いているようである。アリエルさんもイザベルさんも困ったような表情をしているけれど…
「…爺さん。この子と知り合いなのかい?」
「おっ…いやぁ…まあ…そうとも言えるかの。」
「ほぇ〜…世間は狭いものだねぇ」
アリエルさんも目だけを上げて、話を聞いていたようである。どうやら皆さんはこのお方が如何に
ルクレールは何故か笑いが止まらないようだ。
「そうなんですよ!僕はつい先日から師事頂いておりまして…山菜において非常に非凡な才をお持ちなんですよ!このお店で働いておられたとはっ!」
「…爺さん本当に?」
「いやぁ…まぁ…そうじゃのぉ…」
なんと師匠は言葉を濁してらっしゃる!どうしてだろうか…そ、そうか!きっと才能を隠しておられたのだ!ひっそりと山菜を集める…それもまた乙である。流石師匠だ!
「セン君は山菜の話になると
山菜の話に寛容であるアリエルさんは実に優しい。いつかは彼女とともに山菜について学びたいものである。しかし、師匠はなんとも居心地が悪そうにそわそわとしておられる。確かに僕も突然の遭遇で緊張しているのでお互い様であるけれど。
「わ、儂は割った皿を買ってこないといかん!また今度の!」
「…」
あっという間に師匠はお店を出て行ってしまった。やはり隠しておられたのか…不用意な発言だったかもしれない。今後は気をつけなければ…
イザベルさんは師匠が出て行った扉を目を細めて眺めていた。
「いつもここで働いてらっしゃるんでしょうか?」
「ん?…あの爺さんのことかい?まぁ…たまにね。この店を手伝ってくれる友人の祖父なのさ。」
働きながらも山菜採りを学んでいるのか…あのお歳でなんと活動的であろうか…僕はまさに心ここに在らずを体現するかのように感心していた。
この時、イザベルはあまり役に立たないけれど、と言おうとしたが、何かを察したように口を閉ざした。アリエルさんは単純であるため嬉しそうなセンを見て、自分も嬉しくなっているようだ。
ルクレールはと言えば言わずもがな、腹を抱えて苦しそうに肩を震わせていた。
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