十三、転調




◆◆◆




何が…何が起きたんだ!?


ニコラは父さんと母さんに家を出るうまを伝えた後、荷造りをしていた。

ただそれだけの短い時間の間に何があったんだ!?


彼は怪我をした父さんと呆然としている母さんを見て、ひどく狼狽えた。

その上、センがいなくなっているんだ。本当によくわからない。


2人は口を閉ざして、何も言わなかった。しかし、その場に居合わせたらしいマルセルはセンが2人を攻撃していた、と言っていたんだ。その言葉が話をさらに訳が分からなくしている。


だけど…ニコラはあれこれと考えることが苦手だった。今、彼が気にすべきなのは混乱するジョスリーヌでも怒っているマルセルでも父さんでも母さんでもない…センなのだと咄嗟に思ったのだ。頭が真っ白だったからかもしれない。


急いで外に駆け出すが、センの足取りなど検討もつかない。

いったいどうすれば…


そもそもセンは何をして何処へ行ったんだ?

はたして帰ってくるのだろうか?


ニコラは足を止める。まず…センが本当に攻撃をしたとする。もしそうだとしてもあいつが何の理由もなく攻撃などするはずがないんだ。これは確信だ。きっと俺には分からない何かが起きているんだ。


センは…もう俺たちの家族なんだ。誰が何と言おうと…


予定通りこの家を出よう…それで…あいつを探して…

でも…センを見つけたとして俺に何が出来るのだろうか?

センの力になりたいと思う反面、自分の力のことを考えてしまう。


弱く臆病な俺が…今、あいつを見つけたとしてもただの足手まといだろう。何をするにしてもこの世を生きるためには力が必要なんだ。


俺は…今…どうすべきか…


答えはわからなかった。でも、彼は足を進めた。自然となのか、意識的になのかはわからないがその足は彼の故郷へと向かっていた。




◇◇◇




『…セン。』


「今は静かにしてて…」


僕は自然と早足になる。早くこの場から離れたかった。

ルクレールはぴょこぴょこと後ろをついてくる。先ほどの少女の姿のままだ。


『2人は本気で君を殺しにきたのだろうか?それは考えなくてもいいの?』


「ルクレールッッ!!」


うるさい。彼女の言う通りなのだ。

何か理由がある…そう考えるのが自然だと僕自身も思う。


彼女たちのためなら…最初はそう考えた。

でもそれは…僕と何かを天秤にかけて…僕を捨てた、ということ。


…もう何も考えたくなかったのだ。



グオォォォッォオォッッッ!!!



唐突に森の奥から知っている魔獣の鳴き声が聞こえた。

僕が噛み潰されようになった魔獣である。


なんだこの鳴き声は…腹が立つ。


『…セン。どうするの?』


「…」


僕は何も言わずに魔獣がいると思われる方に進んだ。

ルクレールも何も言わずに後ろをついてくる。

だんだんと魔獣の鳴き声が近づいてきていた。



グオォォォッォオォッッッッッッ!!!!



凄まじい鳴き声とともに目の前に奴が現れた。

あの時と変わらず、なんとも凶悪な見た目をしている。

牙を剥き、僕を威嚇しているようだ。大方、獲物を見つけたのだとでも思っているのだろう。


「うるさい。」


もう僕の足は震えなかった。どうでも良かったのかもしれない。




◇◇◇




『…もうやめなよ。もう息してないよ。』


「…」


わかってる。この魔獣はすでにこと切れているのだ。

…こんなの腹いせだ。何の意味もない。それもわかっているんだ。

僕は手を止め、それから離れる。思ったほど強くはなかった。

僕は顔に跳ねた血を拭う…この力も…いらない。


ルクレールは視界の隅で膝を抱えて僕を見ていた。


『セン。私からは君が愛されていたように見えたけどね。』


「…それは嘘だったんだ。僕は彼らの家族じゃなかった…それだけだ。」


『…私がさっき君を助けた時に何をしたかわかる?何も特別な攻撃をしたわけじゃない。ただ記憶を思い出させただけなんだ。』


「記憶?」


『君と過ごした記憶。たったそれだけで彼らは躊躇した…ほら。君の履物の中、見てみなよ。』


「…」


僕は何も言わずに靴を脱ぎ、底を見るとそこには折り畳まれた紙のようなものが貼り付けられていた。少し違和感を感じていたけれど、これが原因だったのか。


「これは…冒険者ギルドの…紹介状みたいだ。」


『…どうしてコラリーは君に山菜や薬草の知識を教えたんだと思う?彼らは君を逃がす道も考えていたんじゃないか?攻撃は本気のようだったからあくまで可能性だけれども。』


「…そんなこと…今更知ってどうなるのさ。反撃する前に意図を確認すれば良かったってこと?」


『違う。その点は私が焚きつけたようなものだ。私に責任がある。

…単純に君が落ち込んでるみたいだったから…申し訳ない。』


彼女は僕から気まずそうに顔を逸らし、長い髪の毛先をいじいじと弄っている。



…僕は何をやっているんだ。彼女はただ僕に気を遣ってくれていただけなのだ。

それなのに…僕は八つ当たりのようなことを言って…



「…責めるようなこと言ってごめん。でも、僕はもう彼らのことをあまり信用はできないと思う…こんな気持ちになるなら…もう人と関わるのなんて…」


『セン。』


ルクレールは魔獣の血なんて気にしていないかのように僕の手を取り、子供をあやすように僕を見た。


…なんて美しい瞳なのだろうか。


『君が落ち込んでも私が励まそう。だから…難しく考えるべきじゃない。』


「君はどうしてそこまで…精霊は気まぐれだってカルメンは言っていたよ…君は僕の妄想なんかじゃない。ちゃんと自我がある。自由なんだ。」


『そんなの私が決めることだよ。誰かが推し量ることじゃない。

君の側にいようと決めたんだから。』



…彼女がどんな存在なのか未だにわからない。でも、その言葉は今の僕にとって限りなく温かいものだった。



僕が彼女の手を握り返すと、彼女の体がピクリと跳ねる。

しかし、その手からは体温も感触も感じなかった。


「君のその姿は…実態なの?僕からは触れることが出来ないみたいだけど…」


『うーん…私もよくわからないんだ。でも、君以外には見えていないみたいだよ。』


「そうなの?」


『あの2人も私について触れなかったでしょ?多分そんな感じ。』


「…そっか。あのさ…なんか…色々とさ…ありがとう。ルクレール。」


『…ほら、そうやって笑ってくれないと張り合いがないじゃないか!

無駄に魔獣なんて殺しちゃうしさ。』


「…あはは…それは…」


改めて言われるとお恥ずかしい。がっつり八つ当たりしてしまった。

思わず苦笑いが溢れる。


「どうしようか…これ。」


『食べれるの?食べてみなよ。』


「自分は食べなくていいから適当言ってるでしょ。」


『当たり〜』


彼女はふわふわとした髪を揺らしながらけたけたと笑う。きっと彼女は物を食べることが出来ないのだろう。


とりあえず僕らはここを離れることにした。

魔獣は思ったよりも軽く感じたので、持っていくことにした。




◇◇◇




『こっちの方角みたいだよ。』


ルクレールは腕を組み、僕を先導する。

僕らは一番近い街を目指すことにした。紹介状に記入されていた街だ。


ここはボルベメニルって国の端っこらしいのだけれど、今向かっているのはその中でもベンチュアという街みたいだ。どんな所なのだろう?


こちらの方角にはあまり街はないようで、しばらく森の中を進まなければいけない。

今更逆方向に戻ろうとも思わないし…仕方ないだろう。


「どのくらいかかるかな?」


『まだまだ。』


「なんと…ん?この音って…」


『川が近いかもしれないね。』


予想通りそのまま進むと、やや大きな川が流れていた。長い間歩きっぱなしで喉が渇いていたところだ。僕らはそこで少し休むことにした。やはり僕は体力がないな…


丁度いい機会だったので、僕は少しもたついて手間がかかったけれど、魔獣の血抜きをしておいた。魔獣はそのまま焼くときっと生臭さが強いだろう。血抜きはジャンさんから簡易的に教わったものだ。


「…これで夜には食べられるようになると思う。」


『へ〜…でも、君って火起こせるの?』


「あ。」


そういえば考えていなかった。ロロット家では火炎魔法で事足りていたのだ。僕には使えない!


「し、知らない…」


『世間知らずな坊ちゃんめ。私が教えてやろう。』


「あ、ありがとうございます!」


ルクレールはしたり顔で立ち上がった。なんだか彼女が友好的で嬉しい限りである。そのおかげか、僕は思ったほど心細くなかった。彼女の気遣いなのかもしれないけれど。


まず、彼女の指示に従って僕は結界障壁を使い、小枝を切った。

これは刃物としても使えるらしい。ついでに魔獣の解体も行っておく。もちろん拙い結果だった。




◇◇◇




空はだんだんと暗くなり、肌寒くなってきていた。

まぁ、真っ暗になる前に火をつけることが出来たので良しとしよう。

魔法がないとこんなに手間がかかるものなんだなぁ…


「うーん…微妙な味だなぁ…」


『そんなもんじゃない?』


僕は先ほどの魔獣の肉を早速焼いて食べてみた。

やはり獣臭さが強いのだ…そういえばコラリーさんは肉と一緒に…


僕は立ち上がり、辺りの木々の根元を漁る。

この前見つけたことがある。ここらへんにも割と生えているはずだ。

ルクレールは突然の僕の奇行に驚いているようだった。


「あった!迷香莉ルズマーリだ!」


『…なんだこの葉っぱ。ふさふさしてて…あまり食用には見えないけど。』


「これで肉の臭みを消せるんだよ…これをすり潰して…」


僕は手頃な石でそれをすり潰すと、生肉の表面にそれを塗った。

それはなかなか奇抜な見た目になる。


『おえ…何だか緑色で美味しくなさそう。』


迷香莉ルズマーリは肉の臭み消しとしては山菜の中でも随一なんだ。こうして塗り込んで数分待つだけでも効果が見えてくる。これ自体のクセは弱いし、疲労回復や腐敗防止の効果だってあるんだ。」


『ほー…詳しいね。』


僕は無言で他の肉にも塗り込んでいく。この知識はもちろんコラリーさんに教わったものだった…

ルクレールは寝そべりながら顎に手をついてその様子を眺めていた。


「…」


『こんなに食べきれないな。傷む前に街に着けたらいいけど。』


「そうだね。出来るだけ早く着けるように頑張るよ。」


『その心意気は良し。』


処理をした後の肉はなかなか美味しかった。

やっぱり山菜は良い。様々な用途に使えるものから腹に溜まる食料になるものまで幅広いのだ。


この知識を使ってお金を稼ぐのも良いかもしれない。

少なくともあの力を使うよりは…何倍もマシだ。


いつの間にかルクレールは船を漕ぎ始めていた。精霊も睡眠が必要なのかな?


その姿はいつもと違い、年相応のものに見えて愛おしく感じた。



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