十一、自我
どうしてこうもあっさりといなくなるのだろうか?
彼女は予定よりも少し早い、今日の朝、亡くなった。
僕は部屋から運び出される彼女の姿をぼーっと見ていたことを覚えている。
ジョスとマルセルは一日中泣いていた。僕には彼らの側にい続けることしか出来なかった。
ジャンさんはいつもニコラが槍を振るっている平地に穴を掘った。どうやら彼女の遺体を安置するための墓穴らしい。コラリーさんは彼女に白い羽織のようなものを着せた。それは死者を弔う際に魂の平穏を願うためのものだそうだ。
ニコラは呆然とカルメンの部屋に立ち尽くしていた。
◇◇◇
次の日、彼女の葬儀は簡易的に行われた。
ジャンさんによってカルメンが入った細長い木製の箱が墓穴に置かれる。
「…最後にお別れの挨拶を言いましょうね。」
コラリーさんが言った。
僕たちは箱の中を覗き込む。そこにはカルメンの姿があった。彼女の髪は生き生きと色づいており、とても落ち着いた笑みを浮かべていた。その表情は悔しんでいるようにも悲しんでいるようにも見えなかった。そのため、死に直面してまでその表情を浮かべる彼女に僕は敬意を抱いた。
僕はようやく実感が湧いてきたようだった。心の臓がこれでもかと音を刻み続ける。
「死」と漠然と聞いてもこの姿を見るまでは彼女がひょっこりと目の前に現れるような、そんな気がしていたのだ。
もちろん、そんなことはありえない。
そこにあるのは他の誰でもない、カルメンの遺体だったのだ。
「ガ…ガル゛メ゛ン゛ぢゃぁんっっ!!」
「なっ…な゛ん゛で起ぎな゛い゛の゛っっ!!」
ジョスとマルセルはいち早く彼女の手を握り、呼びかける。
顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。どこまでも素直に彼女の死を嘆き続けている。
ジャンさんとコラリーさんはもう別れを済ませたのだろうか。少し離れた位置でその姿を見守っていた。
ジャンさんは大きな掌で目頭を押さえ、コラリーさんは目尻を布で拭っている。
「…俺はお前に認められるような人間じゃなかったかもしれない。でも、これから頑張るから…見ていてくれ。」
ニコラは静かに彼女の顔を眺めながら呟いた。カルメンの頬には水のようなものが伝っていた。
「…ニコラ。」
僕はこんなにも強く生きた彼女の死を嘆きたくないと思った。
…でも、それは正しいのだろうか?
彼女は自分の運命を受け入れようとしていた。しかし、他の皆は違う。
彼女は自分が思っている以上に愛されていたのだ。
…僕には彼女にかける言葉はあるのだろうか?
もしもかけるのなら…その言葉は…
「…死後の世界とか生まれ変わりとか…僕には想像もつかないけれど…今度こそ君に平和が訪れますように。」
葬儀はあっという間に終わった。少なくとも僕はそう思った。
◇◇◇
…気づけば外はすっかり暗くなっていた。
僕は愚かだ。1人になっていくら考えても考えがまとまらない。
カルメンの意思を尊重したい気持ちもあるけれど、皆んなが彼女の死を嘆く事実もわかる…でも、それまでなのだ。僕はその狭間で揺れ動いている。揺るがない自分の考えがないのだ。
…記憶と同じ。確固たる自分がないんだよ。もし思い出すことが出来れば僕も……
「おにいちゃん?もうねちゃった?」
ジョスの声だ。扉を遠慮がちに叩く音も聞こえる。
なんだか彼女らしくないけれど、今日は無理もないだろう。
「起きてるよ。何かあったの?」
「…う、うん。そうじゃないけどねっ…あのね…マルセルはすぐねちゃってね…それでね……」
もじもじと服の裾をいじる彼女はとても愛らしい。
薄緑色の髪がゆらゆらと揺れている。眠れないのだろうか?
「眠れなかったの?」
「…うん。だっだからっ…おにいちゃんといっしょに…ねようとおもってっ……」
彼女は遠慮がちにちらちらと僕の様子を伺う。
そうだ。不安なのは僕だけじゃないのなんて当たり前なんだった。
ジョスもそれで眠れなかったのかもしれない。
「もちろん大丈夫だよ…あ、この部屋の布団、ちょっと狭いけど…」
「だっだいじょうぶっ!!それでもいいよっっ!!」
彼女は少し前のめりになっている。彼女が大丈夫なら別にいいかな。
ジョスと一緒に布団に潜る。向かい合うような形でである。
自然と僕を彼女が見上げるような感じになっていた。なんだか少し距離が近いようにも感じた。
「…カルメンちゃん…いなくなっちゃったね。」
「…うん。そうだね。」
彼女の体が少し震えていることがわかった。瞳は潤み、僕の服の裾を弱々しく握る。
…その様子を見ていると、僕が落ち込んでいる場合じゃない、と思うのだ。しっかりしないと。
「おにいちゃんはかなしい?」
「…うん。もちろん。凄く悲しいよ。」
「わたしも…ずっと…いるとおもってたから…」
死なんて滅多に直面するものじゃない。
ましてや彼女は幼い…僕も幼いけれど…
今、ちゃんと感じることが大切なのだろう。
「そうだね…ジョスはカルメンのこと好きだった?」
「うん。いつもねてるけど、すごくやさしかったんだよ。もっとおはなししたかったのに……」
「そっか…」
「おかあさんはっ…今でもカルメンちゃんは見まもってくれてるって言ってたっ…それならなんであえないのっ?どうしてうめちゃったのっ?」
ぐす、と鼻を啜る音が聞こえる。
彼女は死というものがよくわからないだろう。
でも、それを必死で理解しよう、知ろうとしているんだ。
僕とは違う。
僕は死後の世界とか生まれ変わりとかあまり想像が出来ない。
全く見当がつかない、というのは正しいだろうか。
だから、彼女に面と向かって彼女が見守っていると断言することも出来ないのだ。自分の意思でないと口に出したくはない。家族…彼女に対する言葉には責任を持ちたいのだ。
僕は彼女の頭を抱えるようにして引き寄せる。彼女の体の震えを少しでも抑えたかったのだ。
ジョスの体がピクリと跳ねる。
「…ジョスは『死んじゃう』ってことがどんなことかわかる?」
「えっ…おかあさんは…とおくのばしょに行って、わたしたちを見まもってくれてるってっ…言ってたけどっ…よくわからないよぉ…」
「そっか。難しいよね。僕にもよくわからないんだ。死んじゃった後にどんな所に行ってしまうかなんて僕たちにはわからない。もしかしたら消えちゃっているのかもしれない。」
「…」
「…でも、彼女のこと、僕たちがちゃんと覚えていたら…カルメンはずっとここに居るんじゃないか。消えないんじゃないかって、そう思うんだ。」
「…うん。」
「カルメンと過ごした時間は楽しかった?」
「うんっ!」
「それなら、カルメンも同じ気持ちだったと思うよ。楽しい思い出を覚えていてあげたら、カルメンはジョスの中で…ずっと生きているんじゃないかな。」
「わたしのなかで…」
月並みな考えだったけれど、僕にはこれが精一杯だった。
ジョスは僕の背中に手を回す。感情を堪えるように僕の胸に顔を埋めた。
僕は彼女の頭を撫でる。彼女のさらさらとした髪が心地よかった。
「ねぇ?おにいちゃん?」
「ん?」
「おにいちゃんは…いなくならないよねっ?」
「…もちろん。いなくならないよ。」
…記憶が戻った後、僕自身がどう考えるかわからない。
でも、許されるのなら僕はずっと皆と一緒にいたいとも思う。
拾われた身でこんなことを言うのは図々しいかな?
「よかったぁ〜〜…」
彼女は顔を上げ、にっこりと微笑んだ。
僕の背中に回された手に力がこもり、僕の手に頭をぐりぐりと押し付けた。少し良い匂いがした。
「…今は寝ようか。考えすぎると…疲れちゃうからね。」
「…うん。ありがとう。おにいちゃん。」
彼女がカルメンの死についてどう考えているのかはわからない。
でも、今は側に寄り添って彼女を支えていたかった。
それが今、僕に出来ることなのだろう。
僕は彼女が寝息を立て始めるまで頭を撫でる手を止めなかった。
◇◇◇
次の日、僕はいつもより少し早めに目が覚めた。
すやすやと気持ちよさそうに眠るジョスを起こさないように布団を抜け出す。
彼女の表情は惚けたように緩んでおり、口からよだれが垂れている。
昨日感じたような不安は感じさせないもので、僕は少し安心した。
家の中はしんと静まり返っていた。まだ皆んな眠っているのだろう。
僕の足は自然とカルメンの部屋へと向かっていた。
部屋の真ん中にはぽつりと少年が膝を抱えて座っていた。
ずっと起きていたのだろうか?彼の背中からは疲労が感じられる。
「ニコラ。ずっとここにいたの?」
「…あ…あぁ。センか。ビックリした。」
ニコラはちらりとこちらを見ると、すぐに今はもう誰もいない布団を眺めていた。それからは今さっきまで誰かが寝ていたかのような生活感を感じた。
「…俺さ。自分で思っていた以上に…カルメンの事、好きだったみたいだ。覚悟していたつもりだったが…こんなにも堪えるなんてな。」
「…ニコラ。」
「…お前は知ってたんだろ?俺がカルメン好きだって。」
「…なんとなくは、だけどね。」
「俺は何をやっていたんだろうな。指を咥えてみてることしか出来なかった。」
「ニコラだけじゃないでしょ…誰にもどうすることも出来なかったんだ。」
「…センの言う通りだ。でも、俺にはそう簡単に割り切れない。」
そう言うとニコラは立ち上がった。
その顔はやけに落ち着いたものであった。なにか決心したような…
「俺、この家を出ようと思う。」
「えっ!?なんで!?」
「…俺はもうこんな経験したくない。そのために力が欲しい。
それにカルメンと約束したしな……」
「そんな…」
ニコラは僕の目をまっすぐに見つめていた。本気なのだろう。
僕はもちろん驚いたし、彼には行って欲しくない。でも、きっとそれは僕が引き止めただけで諦めるほど薄い覚悟ではないのだろう。
「…僕はもっと君と一緒にいたいけれど…止めようとは思わない。」
「…ありがとう。セン。」
「きちんと皆に言うんだよ?」
「…ああ。」
「ちゃんと最低限のものは持って行くんだよ?」
「ああ。」
「それから…」
「あ〜もう!わかってるって!」
ニコラは呆れたような顔をしてそそくさと部屋を出て行った。
お節介だったかな?でも、心配だ…
ぼーっとしているとすぐにニコラが戻ってきた。
何か忘れ物でもしたのだろうか?打って変わって慌てた姿に僕は少し笑ってしまった。
「忘れてたっ!セン!」
「ふふっ…どうしたの?」
「何笑ってんだっ!ほらっ!」
彼は右手を僕に差し出した。どういう意味だろう?
「また会おうなって…握手だ。」
「…あ。そうだね。また会おう。」
僕は彼の手を握り返す。ひどくあっさりとした別れだ…でも、これは今生の別れじゃないだろう。握手なんかしたけれどまだ支度をしているはずだから出発はまだ後だろうし。僕はそんなに気張ることじゃない、と思いながら気楽に彼に別れを告げた。
その時はそう思っていた。
◇◇◇
花言葉は『暖かい心』。とても有難いのだけれど過ぎた名前である。
僕は彼女の部屋にあった使い古された植物図鑑をペラペラとめくる。
これが
窓際に目を向けると、そこには
「お名前預からせて頂いております。」
僕は恭しく頭を下げると、その小さな植木鉢を手に取った。
これはカルメンが育てていたものだろうか?
水やりを欠かしたこともないのだろう。綺麗な緑色をしている。
でも、少し元気がなさそうかも。こいつも何か感じ取ったのかもしれない。
「おーい。お前のご主人、いなくなっちゃたぞ。」
指先で少し突くと、びっしりと生えた棘でくすぐったい。
…このままでは枯れてしまうかも。これからは僕が育てようかな?
図鑑には乾燥している大地や雨の少ない土地などのような植物の育ちにくい環境でも生育出来るよう、葉、茎、根に栄養を蓄えているらしい。
道理で変わった形をしていると思った。それもまた愛らしいけれども。
「なんだか可愛く見えてきたぞ。」
直射日光は良くないけれど、日光を沢山当てて下さい、とも書いてあった。
この部屋は少し日当たりが悪い。外に持ち出したら元気が出るかな?
少し散歩に行こう。
何だか靴に違和感を感じたが、そのまま靴を履く。
そして、僕は玄関からあまり音を立てないようにして出た。朝だからね。
僕は呑気に鼻歌なんて歌いながら歩き始めた。気を紛らわそうとしたのだろう。
その時、僕は誰かにつけられていることに全く気付かなかった。
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