十、カルメン・ロロット



僕は夕食後、彼女の部屋を訪れた。

息を深く吸い、吐く。いつものように軽く扉を叩き、中に入る。


「カルメン。ちょっと外に出ない?」


「…セン。いいですよ。」


彼女は布団から立ち上がるが、少し足元がおぼつかない。

きっと長いこと横になっていたからだろう。


僕は彼女の前に屈むと、彼女は少し躊躇したようだったが僕の背中に体を預けた。




◇◇◇




外は月明かりで微かに明るく、じんわりと湿気った匂いがする。

虫は遠慮なくジリジリと鳴き、なんとも騒がしく感じた。


「…夜に外に出るのは久々です。高揚しますよね。」


「本当はニコラも連れて行きたかったんだけど。遠慮されちゃった。」


「…昼間に色々ありましたからね。恥ずかしいんですよ、きっと。」


僕は背中のカルメンを背負い直す。彼女は軽いので以外と大丈夫だった。

時々、服の首元をぎゅっと握られるのが少し気恥ずかしい。


僕は彼女にしっかりと注意を払って、森を進む。夜はあまり慣れないけれど足場はそう悪くはない。あの崖は家からそう遠くはないし、魔獣が出るとされている範囲には入っていないはずだ。


「体調は大丈夫なの?」


「…ええ。悪くはないですよ。

そういえば聞いていませんでしたが、何処に行こうとしているんですか?」


「すぐ着くから内緒!」


「…わかりました。」


彼女はきっと今、困ったように笑っているだろう。

最初は気だるそうな、人に興味のないような人なのだろうと思っていた。

でも、本当は世話焼きなのだ。自然とそれが出てしまう。

少し距離を取っているのにジョスとマルセルから好かれていることからそれがわかる。


やや森が深くなってきた。わらわらと茂った木々が月の光を遮る。

夜の森はこんなにも暗くなるものなのか。初めてだから知らなかった。


「カルメン。この前の光って出せる?」


「いいですよ。−照らせ、我と共に歩む魂よ…リュミエール。」


また白いような黄色いような光の塊が目の前に現れる。その光は強く、思ったよりも視界が開けた。草臥れた木々や荒い小道が鮮明に見える。


…でも、やっぱり違和感を感じる。何か引っかかるんだ。この光。


「…どうかしましたか?」


「この光…精霊だっけ?なんだか変な感じがするんだ。」


「変な感じ…ですか?」


「なんだか見られているような…話しかけようとしているような……あ。」


「…?」


どうして僕は気がつかなかったのだろう。この違和感は既視感だったんだ。

この光に似たものを僕は見たことがあるんだ。


「ルクレール。そうだっ!ルクレールと同じなんだっ!」


「…この光がですか?」


「そうだよ!この光を見ていると彼女と話をしている時と同じような感じがするんだ。見られているような…」


「…やっぱり。」


「やっぱり?」


「…いえ。それならば彼女は精霊なのかもしれませんね。」


「どうして彼女は僕に話しかけてくるんだろう?」


「……」


「カルメン?」


急に彼女が黙ってしまった。慣れない外に疲れてしまったのだろうか。

僕はより安定するように手の位置を調整し、彼女を背負い直した。


「…精霊と一括りに言ってもその生態は様々です。人を嫌うものの居れば、森精族エルフを嫌うものもいる。人と同じですね。きっと気まぐれでしょう。」


「そっか。珍しいことでもないんだね。」


「まぁ…そんなところです。」


な〜んだ。それは悲しいような嬉しいような。それなら彼女が思わせぶりな口調なのはからかわれているのだろうか。そうとなると彼女が僕の過去を知っている可能性は低いかもしれないのっだろうか?


僕はようやく目印となる崖に到着した。

彼女を背負って下りることが出来るか心配だったけど、思ったよりもすんなりと下りることが出来た。


やっとのことで目的の場所に到達である。この前、たまたま見つけた見晴らしのいい場所だ。

前に見たときよりも辺りが暗いため、街を彩る暖色の光はより美しく僕らの目に映った。


「…綺麗ですね。こういうの…久しぶりです。」


「たまたまニコラと見つけたんだよ。」


「…これを見せるために連れてきたんですか?」


「うん。僕はあんまり気の利いたことは出来ないし、何を言えばいいのかも思いつかないけれど、カルメンにこれを見て欲しかったんだ。」


「…そうですか。」


じっとその景色を穏やかな顔で見つめている。

彼女は今、何を考えているのだろうか。僕は彼女を芝生の上に降ろし、隣に腰掛けた。


「…なんだかあっという間だね。カルメンとはこの前話すようになったばっかりなのに。」


「…色々ありましたね。いや、そうでもないかもしれません。」


「そうかな?名前もつけてもらったし、魔法も教えてくれた。」


「結局、出来ませんでしたけどね。」


「いやいやっ!これから出来るようになるよ。」


「…少し考えたんです。まだ試す可能性のある魔法が残っています。」


「え、それってなに?」


「精霊の奇跡です。森精族エルフの固有魔法。」


「…?固有魔法なのに僕でも使えるの?」


「あなたはルクレールのお陰かもしれませんが、精霊を認識することが出来ています。これは森精族エルフにとってもこの精霊の奇跡を学ぶ上での第一条件です。その点においてはセンは森精族エルフの子供と同じ位置に立っていると言えますね。」


「えぇ!?人でも使えるの!?」


「…どれほど使いこなせるかはわかりませんけどね。他種族の魔法を使う者は稀にいるみたいですよ。」


そんなことがあるのか!どの魔法にも適正のない身からすると素敵なお話だ。僕にも出来るだろうか?


「教えてくれるの!?」


「…でも、それはとても時間のかかることです。」


「あ〜…そうだよね。」


魔法自体、教えるのに時間がかかりそうだしね。僕が精霊の奇跡を学ぶのはもっと時間がかかるだろう…きっと彼女に残された時間じゃ無理なのだろう。


「だから私は一つに絞ってあなたに教えましょう。」


「え!?」


彼女の顔は非常に真剣なものだった。こんな状況でも彼女は僕なんかの手助けをしようとしてくれる。


「守護を司る大精霊護女神ヴァリキロスの奇跡、『結界障壁』です。」




◆◆◆




もう外はすっかり暗いです。しかし、月の姿はほとんど見えません。

…このまま順調にいくと、私は新月の日、明日にでも死ぬのでしょう。それは順調とは言いませんかね?


私は帰ってきてから、いつもより少し皆んなと接するように過ごしました。


ニコラと話した後はジョスとマルセルと一緒に絵本を読みました。そのあと、夕食を食べ、コラリーさんとセンと一緒に食器を片付け、ジャンさんとたわいもない会話をしました。


ジョスとマルセルには言っていないと思いますが、皆んな、普通であるように努めている、そう思えました。申し訳ない気持ちもありますが、嬉しい気持ちも大きいですね。


突然、今日も部屋の中にかすかに人の気配を感じました。きっと彼女でしょう。


「ルクレール。」


『ご機嫌ようカルメン。調子はどうかな?』


「…気分は悪くありません。でも、死は近づいているでしょうね。」


『君の死は私にとって大きな損失だよ。ひどく悲しい。』


「…それ本気で言っていますか?確かにもうセンに魔法を教えることは出来なくなるでしょうね。」


『でも、最低限の知識は教えたんでしょ?』


「…どの魔法にも適性がないとわかった時は驚きましたが、あなたが教えろと言ったんです。何か他にあるのだろうとわかりました。」


『それが精霊の奇跡…か。予想外だったよ。』


「…嘘つき。」


『それは別にいいんだ。今日は君に話したいことがあって来たんだよ。』


「…私たち森精族エルフの命が何のために使われてきたのか。」


『そう。』


「…待っていました。私も多少はあなたの正体について考察していたんです。

さぁ…教えてください。アンネリーゼ・エステン。」


『…まったく。やはり君は聡明だ。昔からね。』


「…久しいですね。私のたった1人の友人。」


『君がそんな風に言うとはね。大変光栄だ。』




◆◆◆




私は彼女と時間も忘れて長い長い話をしました。辛かったこともほんの少し楽しかったことも含めて思い出しながら。私はやっと知ることが出来ました。これでより安らかに死ぬことが出来るでしょう…そうですよね?


「…こんな気分は久しぶりです。」


『君は一生懸命気張っているからね。でも、すぐにボロが出る。』


「…どういう意味ですか。」


『ふふ。君は死の事を考えて、皆を遠ざける。でも、情が湧いて優しく接してしまうんだ。それが君の本質だから。』


「…返す言葉もありませんね。」


なんとも恥ずかしいです。その通りなのですから。


『…ごめん、カルメン。君の命を延ばす方法は皆無なんだ。』


「…謝らないでください。あなたは悪くないのですから。」


『君は強いな。私とは違う。』


「それは違いますよ。どの選択をしても苦しみは訪れます。私から見るとあなたの判断の方が強い、そう思えます。」


『過大評価だよ。』


「それに私は……私は…」



最後に会った時から彼女は何も変わりません。

…止めてほしいです。私は決心したのに。もうどうすることも出来ないって受け入れたつもりなのに。どうしてこんなにも揺らいでいるのでしょうか。

…これは…駄目ですね。



『…カルメン。』


「誰も…誰も好き好んで死ぬわけじゃないんですっ!出来ることなら…私は生きたい…生きたいに決まってるじゃないですか!?」


『…』


「…私は贅沢を言っているわけじゃないんですっ!普通に生きたいだけなんですよ!?どうしてそれすらも叶えてくれないんですか!?私が死ぬ今もあいつはのうのうと生きているっ!どうしてこの世界はこんなにも不公平なんですか!?」



どんどんと感情が溢れ出します。自分でもこんなに感情を持っていたことに驚いています。


私の人生は長くも短くもありませんでした。でも、温かい家族、友人。最近は悪くなかったです。


だからこそ、未練を感じるんでしょうね。



『…』


私は彼女と思わしき光に手を伸ばします。その光は暖かく、私の手を包み込みます。言葉がなくてもわかりました。彼女の気持ちが。


こんなに取り乱したことはありませんでした。彼女は何も悪くないのに。八つ当たりですね。


そうだ…今、見つけました。私に出来ること。


私は空っぽの魔力を体内から捻り出します。まだ出ます。まだ…

…そういえば彼女のことでセンに嘘をついてしまいましたね。彼女は精霊でありながら、精霊ではありません。だからこそ、違った視点からの接触で彼女の存在を大きく変えることが可能でしょう。


…忘れかけていました。私は優秀なんです。


『…?』


私は彼女の変化に意識を傾けます。様々な魔力の流し方を試し、様子を伺うのです…あ、これです。思ったよりも早く探り当てることが出来ました。彼女の存在を想像して…構築。生成。やや複雑な作業でしたが、慣れてしまえば容易なものです。後は彼女の意思だけですね。


「…あなたにはきっと目的が…あるのでしょう?これで少しでも…力になれば…いいのですが…」


『…』


その光は徐々に実態を帯びていき、人の形を成し、私の手を取り、そのまま床に片膝をつきます。


ふわふわと少し毛先のうねる透き通るような白髪。

鋭いけれど、大きくくりくりとした金色の瞳。私は彼女の長く伸びた下睫毛が好きです。

頭からすっぽりとかぶることが出来るような一枚の布で出来た真っ白な服だけは彼女に似合わず質素なものです。


…やっぱり彼女は美しい。私はいつも思っていました。


視界がぼんやりと歪みます。

最後に彼女を一目見るために残り1日程度の命を使う。そんな我儘を通してもいいですよね?


彼女の瞳はただただ真っ直ぐに私を見ていました。


『…私には君を慰めることも哀れむことも出来ない。ただ君の境遇を知るものとして君の平穏を祈ることしか出来ないだろう。』


彼女は自身の胸元に弧を描くと、私の手の甲に額をつけます。それはひんやりと冷たく感じましたが、彼女の言う通り私には安らぎが訪れます。どんどん私の瞼は重みを増していきました。



『汝に溢れんばかりの安らぎが訪れんことを。』



これからも皆が健康に過ごせますように。


…祈ることは好きではありませんが、彼女に祈るのなら…今日くらいいいですよね?





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