九、準備
何となくわかっていたかもしれない。でも、考えたくなかった。考えようともしなかった。ありえないことなのだと思っていたから。
コラリーさんとジャンさんに呼び出されて、僕らは居間に集まっていた。いつもと違い、静まり返った室内の空気は酷く重たく感じた。
「…カルメンについて話しておきたい事があるの。」
「僕たちだけに、ですか?」
「…ジョスもマルセルもまだ幼いからのぉ…」
2人ともなんだか様子がおかしい。ぱっと見ではわからないけれど、何だか落ち着きがないのだ。コラリーさんは頻繁に額に手を当て、ジャンさんはいつも以上に顎鬚を弄る。
ニコラの方を見ると目が合った。彼も同じように思ったのだろう。冷や汗が額を伝うのがはっきりとわかる。ジョスやマルセルはいないことから察することが少しは出来るだろう。
ニコラは目をぎゅっと瞑ると、一歩前に踏み出した。
「回りくどくなくていい。はっきり言って欲しい。」
はっきりと2人を見て、そう言う彼に僕は頷く。
コラリーさんはジャンさんの方を見て、泣きそうに顔を歪めた。ジャンさんは彼女の背中を摩る。その様子から見て、事態は明らかだった。ニコラの呼吸が早い。
「…カルメン…もう長くないようなんじゃ…」
今まで堪えていたのだろう。コラリーさんは顔を手で覆い、小さく嗚咽を漏らす。ジャンさんは悔しそうに拳を握っている。
それもそうだ。彼らは僕なんかより長い時間、彼女と過ごしてきたのだ。
2人は僕ら子供にとっていつも大きな存在だった。他の皆との方が接する機会の多い僕にとっても同様である。でも、そんないつもの姿が嘘のように彼らの姿は頼りなく、小さく見えた。
ニコラの方を見ると、彼はもうそこにいない。どたどたと階段を駆け上がる音がした。
カルメンのもとに向かったのだろうか?
僕は…僕はどうなんだ?
でも、実感が全く湧かなかった。
カルメンの姿が目に浮かぶ。
うとうとと船をこぎながら本を読むカルメン。
不出来な僕に呆れながらも根気強く魔法を教えようとしてくれるカルメン。
…あのカルメンが…死ぬ?
僕の視界は霞み、額からは汗が噴き出し続けていた。
すぐにカルメンと話がしたい。その気持ちを抑え、目頭を拭う。
コラリーさんは彼女を癒術士に見せに行った。それならば、彼女はカルメンがどんな病を患っているのか知っているだろう。まず、彼女の容態がどんな状態か知りたかった。
「コラリーさん。カルメンの事で聞きたいことが……」
◆◆◆
「嘘だっ…嘘だろっ!」
俺は気がつくとカルメンの部屋の前まで来ていた。必死に息を整える。
所々、ぶつけてしまったのだろう。体にぼんやりと痛みを感じる。
なんとなくそんな気はしていたんだ。センも同じ。でも、現実を突きつけられただけで人間はここまで動揺するのか。
手が小刻みに震えだす。
父さん…母さん…
俺は槍も振れるようになってきたし、自分が成長したと思ってた…そんなのは全く見当違いだ。俺はなんて馬鹿なんだ。
両親の死にすらちゃんと向き合っていなかったんだ。死というものについて考えないように考えないようにって生きてたんだ。
俺は…
カルメンはいつものように布団に腰掛け、いつものように本を読んでいた。
俺に気づくと、気だるそうに目を細めて、気まずそうに微笑む。
彼女にはいつもと何の変化もなく、死が近いことを感じさせない。
…どうして?なんでお前はそうなんだ?
「カルメンッッ!」
「…うるさいですよ。」
「…ごめんっ。でもっっ!」
「ふぁあ…聞いた…みたいですね…」
彼女は口に手を当てて、欠伸を堪えながらそう言った。
頭が混乱する。どうしてこんなに平然としていられるんだ?彼女はこの家の誰よりも落ち着いている。
「…本当なのか?」
「…はい。自分の体ですからね。自分が一番わかります。」
「…何か手があるはずだろっっ!街の癒術師が駄目だったなら別のところにっ!」
「ニコラ。」
その声は静かだが、とても強かった。
その声音を聞いただけで俺はもうどうにもならないだろうことがわかった。
彼女は立ち上がり、俺を見上げて、目を合わせる。こんなにしっかりとカルメンの事を見たのは久々かもしれない。
薄緑色の綺麗に伸びた髪。眠たそうに細められた瞳。やや長く尖った耳。
すっと伸びた脚はかすかに震えており、無理をして立ち上がった事がわかる。
やっぱり俺は…
「カルメン…お、俺はっ…」
喉元まで出かけたところでその言葉を止める。
きっと俺はカルメンの事が好きだ。分かりやすかっただろうか?センはわかっていたみたいだが…
多分、彼女が俺の事が好き、何てことは絶対にない。
今言わないと後悔するかもしれない。でも、今更それを言ってどうなる?彼女に余計なことを考えさせるだけじゃないのか?
無駄な考えが頭の中をぐるぐると回る。
「…ニコラ。どうしました?」
彼女は困った顔をして、こっちを見ていた。
視界がぼんやりとする。目に手をやるとほんのりと湿っていた。
やばい。泣いてる。恥ずかしくなって、急いで涙を拭う。
そういえば、俺は驚いてばかりで泣いていなかったようだ。一度あふれ出したらなかなか止まらない。
彼女はここからいなくなるんだ。
どんどんその感情は大きくなっていく。
皆、俺の前からいなくなっていく…
「…あなたは初めて会った時から何も変わらない。ずっと子供ですね。」
カルメンは俺の頭を抱え、慰めるように背中を叩いた。
母親が子供をあやすように。
…俺はなんでうじうじと考えていたんだ。
彼女は俺なんかと違って強い。死を受け入れ、待っている。
「俺…カルメンの事、好き…なんだ。」
「…そうですか。私も好きですよ。」
「…えっっっ!?」
「…特別な感情ではないですけど。家族として、ですね。」
「」
「皆、好きです。…だからこそ心残りもありますね。ジョスリーヌもマルセルもニコラもセンもこれから大人になっていきます。人生は辛くて楽しくて、やっぱり苦しいものです。それを見送れないのがたまらなく悲しいんですよね。」
「良かった。」
「…何がですか?」
「カルメンはいつも俺たちを避けてるのかと思ってた。だから…俺は嫌われてんのかと。」
「…確かに。避けていました。私は自分の命は長くないことを知っていました。なので、あなたたちと関わり過ぎると死にたくなくなってしまう。そう思っていたんでしょうね。」
「…俺はどうして勝手に慌てて、焦っていたんだろうな。本人はこんなにも堂々としてんのに。」
「…私は悪い気持ちはしないですけどね。でも、ニコラはもう少し落ち着くべきです。実直なのは悪いことではありません。でも、自分を制御する必要もありますね。」
「…うん。」
「そう。そんな風に素直に。」
「うん。」
彼女の胸に抱かれていると何とも言えぬ穏やかな気持ちになる。
俺はいつも気張って、余裕がなかったのかもしれない。
失恋したことも彼女が死ぬだろうことさえも忘れ、俺は静かに目を閉じた。
◇◇◇
僕はゆっくりと腰を上げる。
そんなつもりはなかったのだけれど、盗み聞きのようになってしまった。
僕はニコラがカルメンの事を気にかけていたことは知っていた。これ以上聞き耳を立て続けるのは無粋だろう。
僕は息を深く吸う。
…カルメンは自分の命が短いことを知っていたんだ。
しかし、彼女の見た目は極めて健康的であり、死を感じさせない。
『彼女の体内の魔力が著しく枯渇している。また、彼女はエルフ族であるのに脳内の精霊と対話するための器官の働きが低下し続けている。』
コラリーさんは癒術士にこう言われたらしい。
エルフ族を診ることが少なくないその人にとってもこのような事例は見たことがないという。つまり、原因は不明。治療法も不明。一応、体内の魔力を増加させる薬を処方されたけれど、それは気休めのようなもので、もって2,3日とも言われたそうだ。
彼女がもっと生きるために僕に出来ることはないのだろうか?
そう思い、僕はその方法を探そうとしていた。でも、彼女は死を受け入れ、待っている。
…僕に出来ることなんて何もないのかもしれない。
『なーに暗い顔してるの。』
「うわっっ!」
僕の眼の前にぼんやりと光が灯る。ルクレールだ。久しぶりの登場に僕は心底びっくりする。
「今までどうして出てこなかったの?」
『私にも色々とあるんだよ。』
「…カルメンの命が長くないってさ。」
『そうらしいね。死は避けられないこともある。君が気負い過ぎる必要はないんじゃないかい?』
ルクレールの光がチカチカと明るくなったり、暗くなったりしている。彼女の反応は非常に淡泊なものであった。
「さっぱりしてるね。僕が何を考えていたのかわかるの?」
『そりゃあね。』
「…ルクレールはどう思う?僕には何が出来るかな?」
『なんで特別なことしようとしてるの?』
「え?」
『いつも通りお喋りして、皆んなでご飯食べて、寝る。それでいいでしょ。カルメンが何か望んでるわけじゃないしね。それが君に出来ることじゃないのかな。』
彼女はからっとそう言い放った。
確かにその通りだ。当人以外が騒いでも仕方ない。そんなことわかっていたはずなのに…僕は何を…
僕は努めて口角を上げる。めそめそするな。彼女をいつも通り、笑顔で送り出そう、そう思えた。
ルクレールはいつの間にか目の前から消え去っていた。
◇◇◇
その日の夕食は至極、豪勢なものだった。僕が見たこともないような食材が食卓に並ぶ。そのせいか、あまり夕食の支度を手伝うことが出来なかった。
事情を知らないジョスとマルセルは飛び跳ねて喜び、カルメンはいつも通り気怠そうに微笑んだ。
コラリーさんはにっこりと笑い、ジョスの口元を拭う。ジャンさんはゲラゲラと笑い、マルセルの頭をボンボンと叩いた。努めて、なのかわからないが実にいつも通りだった。
ふと、ニコラと目が合う。目がやや赤い。彼の笑顔は不自然だ。きっと僕もそうなのだろう。
なんだか地に足がつかないような不思議な気分だ。
「おにいちゃんっ!いっしょにたべようよっ!おいしいよ〜」
「早くしないとぼくがぜんぶたべちゃうよ!」
ジョスとマルセルがひょこっと僕の目の前に現れた。ぐっと2人に手を引かれる。
彼らの気遣いは無意識なのにいつも有難くて温かい。僕はいつの間にか自然に笑っていた。
そうだ。僕はもう家族の一員なのかもしれない。
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