八、ニコラと過去




「お〜い!セン!他の家事は儂らでやっておくから休んだらどうかのぉ?

昨日から働きすぎだぞぉ!」


「すいませんジャンさん。何かしていないと落ち着かないもので…」


「…気持ちはわからんでもないがのぉ。」


ジャンさんは髭をゆっくりと撫でつけながら目を細める。


昨日、カルメンさんが倒れてからずっと落ち着かない。今はコラリーさんとカルメンが癒術師の人のところから帰ってくるのを待っているしかないのだけれども。


僕は肉と山菜を煮込んでいた汁を少し掬い、口に含む。

ほとんど毎日コラリーさんの手伝いをしていたためか、僕は少し料理が出来るようになってきた。多少ではあるけれど山菜や薬草の知識がついたからかもしれないけれどね。


「…ふむ。少し塩辛いかな。水を足そう。」


「なにがふむだ。お前が最低限生活に必要な魔法も使えないとは思わなかったよ…」


ニコラが掲げた手元が淡く光り、ちょろちょろと水が溢れた。この程度の魔法ならば詠唱は必要ないらしい。


彼は僕が全く魔法を使えないことを知るとひどく驚いていた。

なんでも、どんなに魔法が苦手な人でも水、火魔法のように生活する上で必要とされるであろう魔法は幼少の頃に親から教わるらしい。もちろん皆が戦闘に使えるほど強力に扱えるわけではないけれど。


ちなみにニコラはこれら以外の魔法はほとんど使えないらしいけれども。


「かたじけない…でも、調理で挽回できればとっ…」


「…手際がいいな。」


「ちょっと慣れてきたからね…よしっ。

これで今日の晩の分は大丈夫かな?他に何かやることは…」


僕はもう一度味見をした後、少し鍋をかき混ぜると、木で蓋をする。ニコラは忙しない僕を見て、苦笑いをしているようだ。


「…落ち着きがないぞ。そんなに心配か?」


「まぁ…うん。ニコラは平気そうだね。こういうのってよくあるの?」


「いや、最近急に起き始めたんだ。俺たちも驚いてる…でも、カルメンなら大丈夫だろ。センは慌てすぎだ。」


「そんなに慌ててる?」


「ああ。」


僕は端から見てそんなに変な様子だったかな?手で顔を軽く叩く。


「他の仕事はみんなでやっておいたぞ。晩御飯食べちゃって今日はもう休もうぜ。」


ニコラはそう言うと僕の方をポンポンと叩くと装うための容器を並べ始めた。

僕が逆に気を遣わせてしまったかな?おおいに感謝である。


「ありがとう。手伝うよ。」


僕のせいで皆が落ち着かないのなら元も子もないだろう。




◇◇◇




「う〜〜ん!おかあさんのりょうりみたいでおいしいよっおにいちゃんっ!」


「上達早いのぉ…こりゃあ驚いたわい!」


思い思いに褒めてくれるジョスリーヌとジャンさん。

マルセルもニコラも気にいってくれたみたいで黙々と口に詰め込んでいる。


しかし、こう直接的に褒められるとむず痒いけれど嬉しいなぁ。作ってみて改めて実感したけれど、彼女の料理は僕のものより数段美味しい。今度から僕もコラリーさんにしっかり美味しいと言おうと思ったのであった。


「あしたのあさごはんはわたしもてつだうよっ!」


「あっ!ぼくもやる!」


ジョスは体を食卓机に乗り出すようにしてそう言うと、マルも続いた。僕も彼女たちと一緒にいると気が安らぐため、非常に嬉しい提案である。


「おおっ!それは有り難いなぁ〜」


「わたしはひのまほうがじょうずだからいっぱいてつだえるよっ!マルはかぜしかつかえないからだめ〜〜」


「えっ!かぜでもやくにたてるよ!」


「うそつきっ!」


「なんだとぉ!」


2人はとても仲が良いのだけれどこういうことも多い。

喧嘩ほどではないにせよ、よくジョスがマルセルをからかう。


そういえば、2人とも魔法が使えるのか…いや、何も言うまい。


「ぼっ!」


「うわぁ!!」


ジョスの手前に小さな炎が急に現れ、マルセルが飛び上がる。ついでに僕も驚いた。


「がっはっはっは!!」


いつもはそれを見て、ジャンさんは愉快そうに笑い、コラリーさんは微笑みながら2人を宥める。

なんでもないものに見えるけれど、僕はこの光景が好きだ。言葉に出来ないのだけれど「家族」って感じがする。


今日はコラリーさんがいないので、僕が仲介をした。




◇◇◇




僕はジョスリーヌとマルセルを寝かしつけると、彼らの部屋を出る。先ほどまで元気だったのに、夜になって少し不安になったのかもしれない。僕も同じようにカルメンが心配で眠れなかったので丁度よかった。


ジャンさんの豪快な寝息が彼の部屋からわずかに漏れてくる。いつの間にかこれにも慣れてしまったけれども。たまに呼吸が止まるのが心配ではある。


「なぁセン。」


物置まで戻ると、僕を待つようにして扉の前にニコラが座っていた。


「ニコラ。廊下は少し冷えるでしょ。中に入ろう。」


僕はぼんやりと彼はいつも憂鬱な表情をしているなぁと思った。

彼を中に入るように促し、寝床に腰掛ける。正直に言うと、廊下もここも大して変わらないのだけれど…気分の問題である。


「…やっぱりカルメンが心配?」


「あぁ…さっき、ああは言ったもののなんだか眠れなくてな。」


「僕もだよ。ジョスもマルも。」


「カルメンは1人が好きなだけなんだ。他のみんなが彼女のことを嫌いなわけじゃない。」


「そうだね。彼女はなんだか不思議だ。」


「…あぁ。」


「「……」」


会話が止まってしまったけれど、それは気まずいものではなかった。僕らはその状態が自然であるかのようにかすかに窓から射す月の光をぼんやりと見ていた。今日の月は今にも消えそうなほど小さい。


「…なぁ、セン。」


「ん?」


「ギャストリルムって国知ってるか?」


「国や地域の名前も全然覚えていないんだ。そういえばここがなんて国なのかもわかんないや。」



「この大陸は気候とか地質でおおまかに5つの地域に分かれているんだ。

気候が穏やかで暖かく、住みやすいブランタル地域。

気温が高く蒸し暑い自然に溢れたベラーグルノ地域。

安定した気候だが、独特の文化を持つイプスト地域。

激しい降雪と吹きすさぶ風により極寒のシモーラ地域。

朝の訪れない魔族の世界、クライーヨ地域。

ここはブランダル地域のボルベメニルって国の端っこなんだ。

厳密に言うと、ギャストリルムって国とボルベメニルの国境あたり。

ギャストリルムはブランダル地域…いや、大陸で最も栄えている大きな国だ。

俺はな。その中の辺境の村。ここからそう遠くないユニラスって村で生まれた。」




◆◆◆




その村はちょっと変わっていた。


毎月、村人全員が集まって豊作や繁栄を願って祭祀を行うんだ。そこで村の男は槍を使って演舞をする。村にいた頃はこれが普通だと思っていたんだが。


俺はそのために父さんから槍術を教わっていた。たまたま父さんが槍の名手だったからか、かなり幼い頃から習っていたと思う。


小さな木造の一軒家に母と父と家族3人暮らし。

俺は槍術が好きだったし、毎日、友達ともろくに遊ばず、ただ槍を振るうだけで楽しかった。



ある日、家に大きな男と小さな女の子が訪ねてきた。


その大男は父さんの弟だったらしく、背丈も顔も髪色も父さんの面影を感じたため不思議な気持ちになったことを覚えている。


女の子はバルバラという名前だったと思う。

暗い紅色の髪を首元で切り揃え、いつもニコニコと愛嬌のある子だった。父さんの弟の娘らしい。


父さんはその訪問を大層喜び、その日はひたすら酒を飲んでいた。なにか良い知らせがあったんだと思う。


それからというもの、彼らは度々我が家を訪れた。父さんの弟も槍の名手であるらしく、手合わせをしてもらったり、俺と同じように槍術を習っているバルバラと槍を交えた。


…信じられないかもしれないけど、俺は村の子供達の中では敵うやつがいないって言われるほど強かった。教え方が上手かったからだけど。


そんな俺と手合わせしても遅れをとらないほどバルバラもまた強かった。


彼女の槍は実に変則的であり、得意とする型を持たない。しかし、苦手な型もないのだ。動きは相手に合わせて自在に変わり、未熟な俺から見ても彼女が経験を積めば俺をたやすく超えていくだろうことがわかった。


対して、俺は教えの通りに型を定め、父さんと同じように攻撃的かつ実直に槍を振るった。そのためか、俺は彼女が振るう槍が好きだった。彼女と槍を交える時間が好きだった。それからというもの、彼らが家を訪れることを待ち遠しく思った。たびたび父さんにからかわれていたことを覚えている。


そんな日々を過ごすようになってかなりの月日が過ぎたある日、父さんがいつものように父さんの弟から連絡をもらった。どうやらうちに来るらしい。


俺は急なことだったため驚いたが、彼女が来る前に少しでも練習しておこうと思い、いつものように村はずれにある庭へ向かった。母さんはお弁当を作ってくれたっけ。俺はそこでしばらく型の確認をすると、弁当を食べ、うとうとと野に寝そべった。



目を覚ますと、辺りは橙色に染まっていた。もうすっかり夕方だ。

俺は慌てて起き上がり、家に向かおうと立ち上がると、村は真っ赤に染まっていた。それは夕日ではない。火だ。


俺は必死に家へと向かった。頭は混乱していても勝手に体が動く。ただ両親の無事を祈り続けた。


家の方から激しく金属を打ち合うような音が聞こえた。俺がよく知る音。槍同士を打ちつけ合う音だ。近くにつれ、大きく、激しくなっていったその音は急にプツリと止まった。




◆◆◆




燃え盛る家々を背景に血まみれの男が立っていた。足元には血だまりが広がっており、その中には俺の両親が倒れていた。父さんの腹部にはいつも父さんが使っていた槍が突き刺さっている。


呆然と立ち尽くしていた俺は鼻をつくような匂いで我に帰り、よたよたと両親の元に近づく。血まみれの男は俺に気付いていたようだったが、何も言わない。


2人はすでに息をしていなかった。父さんは腹部以外にも突かれたような深い傷がいくつもあり、母さんは胸部に裂かれたような酷い傷がある。


俺は震えをなんとか抑えながら2人を手繰り寄せ、何度も確かめる。死んでる。死んでる。死んでる。


「…なんだよこれ…なんなんだよ…」


頭はぼんやりしているのに、意識は異様にはっきりとしていた。


俺は血まみれの男に目をやる。彼は父さんの弟だ。

彼が殺したのだろうか?実の兄弟を?


奴は俺をじっと見たまま動かない。

俺もここで死ぬのか?どうして俺は死んでないんだ?


俺はゆっくりと立ち上がり、父さんに刺さったままの槍に手をかける。


…父さん。ごめん。借りるよ。


ゆっくりとそれを父さんから引き抜く。その感触は酷く生々しかった。手の震えはもう止まらない。


俺は槍を構えようとするが、震える手から槍が零れ落ちる。

その瞬間、嫌でもわかった。今、自分が槍を持てないことを。

体の震えは激しくなり、俺は吐き気に襲われる。

…これは恐怖なのだろうか?自分でも全くわからない。

その様子を奴は静かに見つめていた。

その後ろから奴と同じように血にまみれた少女が笑顔で駆けてくる。


バルバラだ。


「お父さん!こっちは終わりました!お…随分派手にやりましたねぇ。どうでしたか?嘗ての英雄の腕は?」


「…想像以上だった。流石兄さんだ。」


俺は会話を聞いていることしか出来なかった。ふと彼女と目が合う。

彼女は跼み、俺と目線を合わせた。


「…酷い有様ですねニコラ。戦わずして地に伏すとは。

やはりあなたは心が弱いですね!この様子じゃもう槍も握れないかもしれないですねぇ!」


そう言いながら、父さんの槍を拾い上げる。

俺は必死に体を起こし、やっとの事で言葉を絞り出す。


「…な、なんでこんなことしたんだよっ。村…全部潰したのかっ?」


「…だからなんですか?無駄口は叩けるようですねぇ。

お父さん。こいつここで殺しましょう。槍を振れないこいつなど存在する意味がありません。」


彼女は首を少し傾けて、いつものように笑うと、俺の視界から消える。


知っている。彼女が俺によくやる技だ。姿勢を低くし、穂先で相手の顎を狙う。俺はこれの対処が苦手だった。


だが、知っていても俺の体はまったくと言っていいほど動かない。

瞬く間に俺の体は吹き飛ばされた。どうやら血は出ていないみたいだ。槍を逆手に持っていたらしい。しかし、顎への攻撃は重く、だんだんと意識が遠くなる。


「…やっぱりもう駄目ですねこれ。」


「バルバラ。そいつは殺すなくていい…その価値もない。」


「わかりましたよぉ〜…でも、この槍は下さいよ!あのエルネストの槍ですよ!欲しいです!」


「…この前、買ったばかりだろう。それは俺の物だ。勘弁してくれ。」


「ちぇ〜〜」


俺はぼんやりと奴らの会話を聞きながら、意識を失った。

その会話は普段と同じような、和やかなものだった。




◇◇◇




「村を失った俺には頼る人もいなかったし、気がついた後は当てもなく森を歩いた。その時に拾ってもらったんだ。」


「…」


僕は言葉が出なかった。いや、かける言葉が見つからなかっただけかもしれない。もちろん、ニコラが過去を話してくれたのは嬉しい。しかし、その内容は僕なんかが聞いても良かったのかと思えるほどのものであった。


「…ごめんね。無配慮に聞いちゃって。」


「いいんだ…今まで誰にも言ってなかったけど…言ったらちょっと楽になったかもしれない…何でセンには話そうと思ったんだろう?」


「人柄かもしれない。」


「何言ってんだ。」


ニコラは呆れたように笑う。当時の事を思い出してしまったからだろうか、さっきまで彼の表情は少し暗かった。でも、そんなのは似合わない。彼は強気な方が自然であると僕は思うのだ。


「お前は思ったより冗談を言うんだな。」


「初対面の人には気を遣ってしまうんだ。」


「今は違うのか。」


「もう友達だからね。」


「…そうだな。」


「今はもう槍は振れるんだよね?」


「誰にも向けないならな。人や魔獣に向けるとなると震えて持っていられない…」


「…僕は過去の記憶がないからさ、悲しい記憶を思い出すってことがどれほど辛いことなのかわからないんだ。今まで記憶がないのは嫌だなって思ってたけれど、幸せなことなのかもしれない。」


「…俺は思い出すたびに体が震えるし、奴らが憎い。でも、忘れたいとは思わないな。どんな記憶でも俺を作っている一部なんだから。」


「…そうだね。君の言う通りだとは思う。でも、僕は記憶を思い出した後もそう言っていられるのかな?そんなことばっかり考えてしまう。」


「その時は俺が話を聞くし、手も貸す。今日とは反対だ。」


「はは…じゃあその時は頼もうかな…」



何だか少し前までの様子が嘘だったかのように僕らは話し続けた。

その話を聞き、僕は自分の過去に向き合わないといけないのかもしれないと思った。




◇◇◇




その次の日、カルメンとコラリーさんは帰ってきた。


カルメンは慌てて駆け寄る僕たちを見て、けたけたと笑い「心配しすぎですよ」と言い、ジョスやマルセルの鼻水を拭う。


いつもと変わらない気がした。いや、いつもより少し明るいかも。



僕はカルメンのことばかり見ていたから、コラリーさんの表情に気づかなかった。



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