三、晩御飯


「今帰ったぞぉ!!!」


「あ!おとうさん!!」


「おかえりおとうさんっ!!!」


「あ〜我が子たちは今日も可愛いのぉ!!」



僕が台所で夕食の準備を手伝っていると、玄関の方から賑やかな声が聞こえてきた。

今日は少し帰りが遅かったかもしれない。


彼はロロット一家のお父さん、ジャン・ロロットさんである。がたいが良く、大きな体をしているお爺さんだ。ほとんど毎日、近場の森に出かけて狩りを行っている。大の子供好きで、家にいるときはいつも子供達と戯れている。良いお爺さんだ。


僕はコラリーさんに指示され、足早に玄関へ向かう。

このまま放っておくと彼らのただいまとおかえりは終わらないのだ。永遠に続くだろう。


「おかえりなさいジャンさん。晩御飯、もうすぐ出来ますから居間で待っててくださいね。」


「おっ!帰ったぞぉ!お腹すいたのぉ〜」


ジャンさんは子供達とぐちゃぐちゃになりながらガハハと笑っている。これもいつものことである。


「おかえりなさ〜い。」


「見ろ!今日も獲物がたくさんだぞぉ!」


「はいは〜い。今行きますよ。」


コラリーさんが前掛けで手を拭いながら遅れて出迎える。2人は若くはないけれど非常に仲が良い。


「でも最近の魔獣は獰猛で困るのぉ〜骨が折れるわい!」


「気をつけてよ~」


「なんだか最近数も多いしくてのぉ…繁殖期だったりするのかのぉ?」


ジャンさんはもっさりと蓄えた髭を掻きながら考えるような仕草をする。

コラリーさんはジャンさんを連れて外へ出て行くようだ。獲物を見に行くのだろう。途中で僕に声をかける。


「カルメン呼んできてくれる?」


「了解です!」


僕は駆け足で階段を登り、二階へ向かう。

…勢いで元気のよい了承をしてしまったが、非常に足が重い。


僕はマルセルくんとジョスリーヌちゃん以外の2人にあまり好かれていないのだ。急に知らない人が家に住み始めたのだから当然のことだろうけれど…確かに僕は得体が知れないからなぁ…


扉をコンコンと叩く。僕が最初に寝ていたカルメンさんの部屋である。お察しの通り布団に寝ていた薄緑色の髪をした少女がカルメンさんである。


「カルメンさん。もうすぐ晩御飯出来ますよ。」


「……」


「カルメンさん?」


…おかしいな。いつもは何かしら生返事があるのだけれど…眠っているのだろうか?


「入りますよー…」


僕は出来るだけ音を立てないように扉を開ける。静かに静かに。


彼女はどうやら起きていたみたいだ。布団の中で体だけ起こして本を読んでいる。非常に分厚い難しそうな本だ。もう外はすっかり暗いのに明かりもつけていない。よほど集中しているのだろうか?


「…聞こえてましたよ。すぐに行きます。」


「わかりました。でも、明かりは点けた方がいいと思うよ。目に悪いだろうし。」


「…もうこんなに暗くなっていたんですか。気が付きませんでした。」


彼女は目を気だるそうにごしごしと擦ると、本を閉じ、布団から出てきた。


「…行きましょうか」


「うん。ニコラくんは?」


「…あー…彼は外にいると思うので大丈夫ですよ。…そろそろ帰ってくると思うので。」


「そっか。」


僕は部屋を見回す。基本的にこの部屋には彼女を呼びに来るときしか来ないのだけれど、一面の本棚にはやはり目を惹かれる。どんな本があり、どんなことが載っているのだろうか?僕はコラリーさんに山菜やこの森に関する勉強を教わっていくうちに、日に日に興味が湧くものが増えつつあった。


「…どうしてじろじろ本棚見てるんですか。」


僕は自分で思っていたよりも長く立ち止まっていたらしい。

彼女は扉に手をついて僕のことを眠そうな目で見ていた。彼女に見られているとどうも居心地が悪い。


「…すいません。ちょっと本のことが気になって…」


「…別に怒ってません。どうして謝るんですか。」


「それは…」


「…別に私はあなたのことが嫌いではないのですから。怯えないでください。」


「えっ…」


彼女はいつも気だるそうに僕に接するため、嫌われているのかと思っていた。何だか避けられているようにも感じたし。僕の思い過ごしであったようだ。被害妄想だ。緊張が少し緩んで、自分の顔が綻びていくのがわかる。


彼女はため息をつき、少し僕に近づいてきた。背が僕よりも低いため、自然と見上げるような形になる。


「…本に興味があるんですか。」


「うん。読んでみたい…って言っても山菜に関する本とかがあればいいんだけど…」


「…そうですか。じゃあ寝る前にでも来てください。今は晩御飯を食べましょう。」


「忘れてた!そうだったね。」


僕はいつの間にか階段を下り始めていた彼女を追いかける。

こんなに話したのは初めてだった。どうして急に話しかけてくれたのだろう?今までこんなことはなかったのに。


「…どうして急に話しかけてきたんだろうって思ってますか?」


「えっ!!」


気がつくと前にいる彼女が足を止め、僕の方を向いていた。

…どうして僕の考えていることがわかったんだろう。


「…あなたは考えていることが顔に出やすいですね。わかりやすいです。」


「そうなの!?」


…知らなかった。僕は顔をさする。なんて使えないやつだ僕の顔。ぐいぐいと頬を引っ張る。


彼女はくすくすと笑った。笑うと全然イメージが違う。いつもの気怠そうな雰囲気が活発そうな雰囲気に変わるのだ。


「…きまぐれですよ。私はいつもそうなんです。

…そういえばあなたはアンリ・ベランジェという名前をご存知ですか?」


「え?知らないけれど…」


「そうですか。なら別にいいです。」


彼女は急にそんなことを聞くと、階段を降りて行ってしまった。そのとき、彼女は普段は眠そうにしているのに一瞬、真剣な表情をしたように感じた。気のせいだろうか?


僕は頭を捻ってもそんな名前聞いたことがない。そもそも記憶がないのですから。

僕はそのことより彼女と話せたことが嬉しかった。大きな進歩である。

自然と階段を降りる足どりは軽やかなものになっていた。


このとき彼女が何を考え、僕のことをどう思っているのかなんて知るすべもなかっただろう。





◇◇◇





「いただきますっ!」「いただきま〜す!」


「ゆっくり食べるのよ。」


みんなが揃うのが待ち切れなかったようで、子供達2人は僕とカルメンさんが居間に着くと同時にご飯を食べ始めた。


ニコラくんはいつの間にか帰ってきていたようだ。僕らを一瞥すると彼も食べ始めた。やっぱり僕を見る目が鋭いような気がする。今日は特にである。


彼がこの家の最後の1人の住人、ニコラくんである。マルセルくん、ジョスリーヌちゃんより少し年上の少年だ。気怠そうに僕を避けているようだったカルメンさんに反して彼は明確に僕に敵意を向けている。なんとも悲しい。早めに僕が無力な少年であることを示したいものだ。


今日の晩御飯はソルラパットの照り焼きと山菜の炒め物、そして塊茎ポンデトの汁物である。コラリーさんの料理は実に興味深い。豪華ではないが、彩りは綺麗で飽きさせないような工夫が所々に見られる。手伝いをしていてとても勉強になるのだ。


ちなみにこの山菜の炒め物に使われているのは香菜ウンドと 若茎ワロギである。僕はそれらを口に運びつつ舌鼓を打つ。やはり彼女は山菜を知り尽くしている。香菜ウンドはアクが強いし、若茎ワロギは味のクセが強いのに2つの味が喧嘩していないのだ。なかなか難しい調理だろう。山菜学を学ぶものとして毎晩学ぶことが多い。


「あっ!!おとうさん今日もあれやらないとっ!」


唐突にジョスリーヌちゃんが顔を上げる。でも、食べ物を口に運ぶ手は止めないので、ぽろぽろと零れている。満面の笑みが非常に眩しい。


「そうそう!!!」


「そうじゃのぉ!!早く決めるとするかぁ!!」


「ずっと決まらないものね~」


…またこれか。視界の端に顔を歪めたカルメンさんが映る。僕が申し訳なさそうに彼女を見ると、目を手で覆う仕草で不満を示された。なんだか彼女は友好的だ。僕は少し笑ってしまった。

そんな僕らを尻目にジャンさんが大きな手を叩き視線を集める。

それを待ってましたとばかりに囃し立てる2人の子供達。やめてくれ…やめてくれ…


「え〜これから第…何回目だったかのぉ?

…まぁよい!名前決め会議を始めるぞぉ!」


「はっかいめだよおとうさん!!」


「今日こそきまるねっ!よかったねおにいちゃんっ!」


そう。僕の名前決め会議なんですよ。僕が来てから晩御飯の度にやってるけど何にも決まらないのだ。しかし、僕は彼らが非常に楽しそうであるため、なんとも言えないのだった。名前を決めていただけるなら非常にありがたい…ありがたいのだけれど…


「兎ラパットがいいとおもう!これ!」


マルセルくんが口いっぱいに食べ物を頬張りながら、匙を見せる。

そこにはきらきらと照り焼きされた肉の塊がのっていた。

ソルラパット。小さく、すばしっこいが警戒心が薄く、罠にかかりやすい魔獣だ。

ここいらに多く生息しているらしく、見た目は白くてまん丸としていて可愛らしい。


「それは今日の晩御飯でしょ?」


「おいしいのになぁ…」


「もう…」


コラリーさんも困った顔をしている。この様子からわかるように僕の名前を適当に提案して、却下するだけの会なのである。これは決まらないでしょう。ついでに言うと、流石に僕も今日の晩御飯と同じ名前は嫌である。


「ジョスリンとかっ!わたしとにてるのっ!」


「いやいやここは勇ましい白虎ノアタイグーなんかどうだろうかのぉ!

若い頃仕留めたやつは中々手強かったぞぉ!」


「え〜かわいくないよ〜っ」


反対側ではジャンさんとジョスリーヌちゃんが楽しそうに会話している。

聞いてわかるようにいつもこんな感じである。まだ決まっていないのはコラリーさんのおかげだろう。


…僕自身も早く決まって欲しいのか、そうでないのかわからないのだ。難儀である。


でも、名前を考えてくれるのは嬉しい。嬉しいのだけど、夕食の席でやるものだから話したことのないニコラくんとはまぁ気まずい!たまに刺すような視線を感じるのはこのせいだろう。僕はいつも肩身が狭い思いをしながら晩御飯を食す。だから山菜の世界へと逃げるのである。


僕も案を出せばもっと早く終わるのかもしれないけど…

なんだか自分からこう呼ばれたい、と提案するのは恥ずかしいのだ。情けないものである。


僕が今日も決まらないのだろうな、と思い、山菜に思いを馳せようとしていた時、カルメンさんが一つ咳払いをした。僕はびっくりして彼女を見た。珍しい。


彼女は食事の時、いつも以上に静かにしているのだ。

皆も同じことを思ったのだろう。みんな彼女の方を見ていた。


「…いつまでそんな話をしているんですか。決める気ないでしょう?」


「そんなこと言ったってさ!」


「しょうがないじゃんっ!」


珍しく話に入ってきたカルメンさんに驚きつつ、マルセルくんとジョスリーヌちゃんが手を掲げ、抗議の声を上げる。コラリーさんはそれをまぁまぁと鎮める。


「じゃあカルメンちゃんも一緒に考えない?」


「……いいですよ。私が決めます。」


皆、驚いた顔で彼女を見る。もちろん僕もだ。コラリーさんも冗談で言っただけで彼女が一緒に考えてくれるなんて思ってもみなかったみたいだ。こんな展開想像していなかったぞ。



僕は数日しかこの家にいないがカルメンさんがあまり人と関わらないようにしていることはすぐにわかった。親とも他の子供達とも同じ空間にいるところはあまり見たことがなく、一緒にいたとしてもあまり喋らない。両親を呼ぶ時も『コラリーさん』『ジャンさん』と言ったように他人行儀なのだ。他の人との間に壁を作っているようにも感じた。もちろん僕とも。


…だからこそ、向こうから関わってきたことに心底驚いてしまったのだ。



「センがいいです。」


「セン?」


「どうして〜?」


「…私がいちばん好きな花の名前です。仙二升センニショ。花言葉は『暖かい心』」


彼女はそう言うと、しまった!という顔をして気まずそうな顔をしながら夕食を口に運び始めた。

自分だけ真面目な名前を提案したことを恥ずかしく思ったのだろう。


「いいね!かっこいい!」


「…たしかに!かわいいかもっ!」


「呼びやすいしいいかもね〜」


静寂を最初に破ったのはマルセルくんだった。その言葉に同意の声がいくつか上がる。

ジャンさんは皆を見渡してゲラゲラと笑うと、手を差し出した。


「はい!じゃあ決まりじゃぁ!本当の名前を思い出すまでじゃが…君は今日からセン・ロロット。俺たちの家族じゃ!よろしくのぉ!」


僕は差し出された大きな手を握る。なんとも言えない気分だ。どうやら僕の了承は必要ないようである。でも、彼女が決めた名前は嫌いではなかった。


「よろしくお願いします。センです。」


「よろしくっ!」「やった〜!」


子供たちはわいわいと騒ぎ、僕にお祝いだ、と言ってスープの中のお肉をくれた。大きめのやつ。くれた後に後悔していた2人はとても可愛らしかった。


ふとカルメンさんを見ると、なにやら難しい顔をしていた。考え事をしているような。


…彼女はどうして急に僕と交流を持とうとし始めたのか。

…いや、彼女は自分で言っていたじゃないか。きまぐれだ、と。

それが本当でも嘘でも僕にとっては喜ばしいことだった。


…いや。それよりも彼女が僕の名前を決めたのだ。

それは…これはもう…仲良しなのではないか!?




◇◇◇




バンッ!!


急にニコラくんが机を強く叩いた。僕が彼を見ると、彼は思いっきり僕を睨みつけていた。


「なにが家族だっ!こんな怪しいやつ!!」


僕は驚きからか声が出なかった。確かに身元が分からない分、怪しいけれども彼に何かしただろうか?どうしてこんなにも嫌われているのだろう。いや、うすうすと嫌われていることはわかっていたが、こんなにも真正面からぶつけられたのは初めてだったのだ。


「こら!な〜に大きいこえ出してんの!!」


「おにいちゃんはあやしくないよっ!!」


マルセルくんとジョスリーヌちゃんは椅子の上に立ち上がり、各々そう言うと、馬鹿、阿呆等の単純な悪口を言いながらポカポカとニコラくんを攻撃し始めた。


「やめろっ!やめろって!!」


どうやらニコラくんが劣勢のようだ。少し泣きそうでもある。何とも締まりのない展開だ。

さすがにコラリーさんは行儀の悪い2人を座らせようとしているが、なかなか落ち着かない。


すると、カルメンさんがニコラくんの側まで歩いて行き、2人の肩を優しく叩いた。ニコラくんは少し体を強張らせて後ずさっているようだ。…彼女が恐いのだろうか?


「ニコラ。」


「な、なんだよ…」


「…彼をどう思おうがあなたの勝手ですが、ものに当たってはいけません。」


「今はそれは関係ないだろ!」


「私は悪いことは悪いと言っているだけです。…わかりましたか?」


カルメンさんにじっと見つめられ、たまらずにニコラくんは顔を反らす。あれは…恐がってるんじゃないな…顔も少し赤いようだし……ははん?

なんと僕は自分に怒りを向けられていることを忘れていた。


「は、はい……あれ?いや、俺が怒ってたのに何で説教されてんだよ!くっそ〜〜!!」


ニコラくんは逃げるように食器を持って席を立つ。それらを片付けるといそいそと玄関に向かって行った。感情的になっても片づけを忘れないのは素晴らしい。


コラリーさんは食卓から身を乗り出し、彼に向かって慣れたように声をかける。


「ニコラ〜今日も夜は危ないからあんまり遠くに行っちゃダメよ〜」


「…あ、はい。気をつけます。」




…僕は嫌われるのは悲しいけれど、彼はどう見ても悪い子には見えなかった。



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